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週刊スモールトーク (第553話) どうする家康(1)~つまらない理由~

カテゴリ : 人物娯楽歴史

2023.10.16

どうする家康(1)~つまらない理由~

■どうする大河ドラマ

NHK大河ドラマ「どうする家康」はつまらない?

SNSで心ないウワサが飛び交っているけど。

ドラマの脚本は古沢良太。「リーガル・ハイ」、「コンフィデンスマンJP」、「ALWAYS 三丁目の夕日」を手掛けた有名な脚本家だ。

主役は松本潤。男性アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「松潤(まつじゅん)」の愛称で知られる。人気では、最近かまびすしいジャニーズ系ではトップクラス。

そして、舞台は日本で一番人気の「戦国時代」。

そんな成功間違いなしバイアスを排除し、歴史と米国ドラマ大好きで、30年間、デジタルコンテンツ業界に身をおいた経験で言うと・・・

つまらない。

もちろん、「どうする家康」を意図的にディスるつもりはない。

そもそも、期待外れのドラマや映画は、枚挙にいとまがないから。

たとえば、グッチのファミリヒストリーを描いた映画「ハウス・オブ・グッチ」。

お題は、世界的ファッションブランドのグッチの骨肉の争い。最終的に、グッチ一族はグッチから追放され、当主は暗殺されるのだから、物語としては面白いはず。

さらに、制作陣も大物ぞろい。

監督は、巨匠リドリー・スコット。ハリウッド映画界の生けるレジェンドだ。キャストも凄い。レディー・ガガ、アダム・ドライバー、ジェレミー・アイアンズ、アル・パチーノと、主役級が4人も。

映像は美しく、演出は洗練され、カットにムダがなく、寸分のスキもない。

当然、映画の完成度は高い。

ところが・・・

なぜか、引き込まれない。

早い話、面白くないのだ。リドリー・スコットの映画技術は健在だが、肝心の中身がすっぽり抜け落ちた?

80歳を超えると、肉体が滅ぶ前に、魂が抜けるのかな(言い過ぎです)。

とはいえ、この映画には取り柄がある。事実に忠実なこと。つまり、歴史資料としての価値があるのだ。

では、「どうする家康」は?

面白くないし、荒唐無稽で史料にもならない。

すべて中途半端で、取り柄がないのだ。

■反史実の大河ドラマ

脚本を書いた古沢良太は、不得手なシリアスを捨てて、十八番の軽いお笑いに走ったのだろうが、軽すぎません?

奥が深い歴史のからみは避けて、ストーリーの面白さに賭けたのだろうが、韓国の歴史ドラマに遠く及ばない。それはそうだろう。韓国の歴史ドラマは、プロデュサーが「90%が作り話」と公言するほど、「面白さ」に徹底しているから。

というわけで、「どうする家康」はすべてが中途半端で、取り柄がない。それどころか、害があるのだ。

ディスる意図はないと言いながら、ずいぶんだが、ここは言っておかないと。

NHKの歴史大河ドラマといえば、日本では教科書みたいなもの。国民は、NHKはウソつかない、だから、歴史大河ドラマは史実と思い込んでいる。多少の脚色はあっても、史実の根本が間違っていると思っていないのだ。そもそも、脚色は、歴史解釈の違いにすぎず、それに、いちいち噛みつくのは偏屈な歴史マニアぐらい。

だが、歴史解釈をこえて、歴史の本道をはずれたら、大きな問題が発生する。国民がミスリードされる可能性があるからだ(ホントだぞ)。

実例をあげよう。

「どうする家康」は「反史実」のオンパレードだ。

たとえば・・・

信長は世にも恐ろしい魔王だった。

秀吉は明るいひょうきん者だった。

家康は根っからの平和主義だった。

家康は、魔王・信長、天下人・秀吉にも、堂々反論する正義漢だった。

「はぁ、それ全部違いますよ!」

と言おうものなら、

「NHKの大河ドラマ『どうする家康』でやってたから~」

で、終わり。

お前なんかより、NHKの方がよっぽど信用できる、というわけだ。

つまりこういうこと。

NHKの歴史大河ドラマが、トンデモ説なら、それが史実として、国民の脳に刷り込まれる。つまり、歪曲された偽歴史が、日本の正史になるのだ。

大袈裟?

冷静に考えてみよう。

中国や北朝鮮の歴史教育が、日本に何をもたらしたか?

■史実とは?

では、正しい歴史とは?

真実であること、それに尽きるだろう。

とはいえ、「100%史実」はムリ。米国ドラマ「タイムトンネル」のように、過去を直接ビジュアル再生しない限り。

というわけで、「史実」の現実解は「一次資料」だろう。

一次資料とは、その時代を見聞きした者が記した書。その一次資料を引用して、あーだこーだが二次資料。もちろん、それが史実の証(あかし)になるわけではないが、一つの目安になる。

ちなみに、戦国時代の一次資料といえば、「信長公記」と「フロイス日本史」が有名だ。もちろん「有名」には根拠がある。

「信長公記」は、信長の家臣、太田牛一が著した書。彼は、信長の事務官僚「右筆(ゆうひつ)」で、信長を言動を目の当たりした人物だ。しかも、羽柴秀吉や柴田勝家や明智光秀のように目立たないが、愚直な人物だったとされる。それは信長公記の文面からも伝わってくる。だから、「どうする家康」のように、奇をてらって、史実を捻じ曲げることはないだろう。主君、信長への忖度(そんたく)はあるが。

一方、「フロイス日本史」は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが著した書。彼は、戦国時代に来日したイエズス会士で、信長と秀吉と直接会見している。イエズス会から文才を認められ、布教より執筆の人生だった。自ら、日本各地を旅し、見聞きしたことを記録している。その文書は膨大で、中央文庫の「完訳フロイス日本史(※2)」は全12巻もある。フロイスの文才にくわえ、翻訳も素晴らしく、物語としても愉しく読める。さらに、その時代の情景がこれほど生々しく伝わってくる書はみたことがない。オススメの逸品だ。

「フロイス日本史」を精読すると、史実と正確さへのこだわりが伝わってくる。妙に理屈っぽいのだ。ところが、格調高い文体に助けられて、嫌味ではないのが凄い。というわけで、「どうする家康」のような荒唐無稽な話は間違っても書かないだろう。ただし、神デウスを信じる人々に対する忖度はあるが。

そんなこんなで、信長公記とフロイス日本史は、戦国時代を知るうえで、貴重な史料だ。

ところが、「どうする家康」の内容は、この2書を真っ向否定する。

脚本家が、この2書を読んでいないか、読んだけど、奇をてらって、反対のことを書いたか。

どちらでもいいのだが、問題は、恐ろしいレベルの反史実で、フィクションどころか、ファンタジーに近い。

なにも、歴史ドラマが史実に忠実じゃないとダメ、と言っているわけではない。歴史の解釈の違いで、いろいろな脚本が生まれ、それがコンテンツの付加価値になるからだ。だが、「歴史の本筋」を外れるのは間違っている。「歴史」ではなく、ファンタージになるだからだ。

手っ取り早く言おう。

熱いカップルが、恋愛ジャンルの映画を観に行ったら、内容は血みどろの「史実・第二次世界大戦」だった・・・カネ返せ、ですよね。

■信長、秀吉、家康の虚像

「どうする家康」の反史実の実例をあげよう。

まず、信長は魔王でない。

信長公記に出てくる「山中の猿」というエピソードが、その証左になるだろう(※1)。

そこにはこう記さている・・・

美濃の国と近江の国の境に、山中というところがあった。その道のかたわらで、不具者が雨にうたれて、こじきをしていた。信長公はこれを京への上り下りのたびに、ご覧になり、あまりにかわいそうに思われた。

あるとき、

「だいたいこじきというものは、その住所が定まらず流れて行くものなのに、この者だけはいつも変わらずこの地にいる。どのような事情があるのか」

とご不審のあまり、土地の者に尋ねられた。土地の者は、

「この山中でその昔、常磐御前(源義経の母)を殺した者がおります。その因果によって、子孫に代々不具者が出て、あのようにこじきをしているのです」

とお答え申し上げた。

6月26日、信長公は急に京にお上りになった。諸用に紛れてご多忙であったにもかかわらず、あの山中の猿のことを思い出された。そして、木綿20反を自ら取りだし、お持ちになって、山中の宿に行き、

「この町の者は、男女すべてがここに集まるように。言いたいことがある」

とおふれを出された。人々は、どのようなことをおっしゃられるのかと、緊張しながら御前に出た。すると、信長公は、木綿20反をこじきの猿に与えられ、

「この反物半分でもって、だれかの家の隣に小屋をつくってやり、餓死しないように情けをかけてやってほしい。この近くの者はこのこじきのために、麦の収穫のときには、それを一度、秋には米を一度、一年に二度ずつ、毎年安心できるように少しずつ、このこじきに与えてくれれば、自分は嬉しい」

とおっしゃられた。もったいなさのあまり、こじきの猿はいうまでもなく、この山中の町中の者で、ありがたさに涙を流さぬ者はいなかった。お供の者も、もらい泣きしたのである。

魔王が、こんな慈悲深いことをするだろうか?

さらに、秀吉はひょうきん者ではない。

「フロイス日本史」にこんなくだりがある(※2)。

羽柴は、その絶大な権力と毛利の領国を有し、万人に恐れられていたが、表面では、信長の三男、三七殿(織田信孝)をきわめて大切にしていたので、民衆は、彼を父の座に置くであろうと思うほどであったが、彼の考えは、そうした見方とはおよそ縁遠いものであった。

羽柴秀吉は、大河ドラマでは、判で押したように、明るいひょうきん者だが、それを否定する記述だ。巨大な権力を有し、民から恐れられていたのだ。しかも、信長の三男、信孝を立てるとみせかけ、じつは天下を狙っていた。陰湿で、腹の黒い、狡猾な男なのだ。

家康は根っからの平和主義だった?

平和主義者が、日本統一を成し遂げた豊臣政権を転覆させるだろうか?

関ヶ原の戦い、大坂冬の陣、大坂夏の陣の3つの大戦までおこしてまで。あげく、豊臣一族を根絶やしにしたのだ。

これのどこが、平和主義者?

家康は魔王・信長、天下人・秀吉にも、堂々反論する正義漢だった?

家康は、信長の同盟者だった頃、信長にペコペコだった。そこで、ついたアダ名が「お犬様」。家康は織田家のポチだったのである。その後、秀吉が天下人になると、従順をよそおい、秀吉が死んだら突然、牙をむく。秀吉の血脈を完全に絶ったのである。

これのどこが、正義漢?

メチャクチャだ。

解釈の問題ではない、史実の根本を捻じ曲げている。

これは歴史ドラマではない。

歴史をかたどった荒唐無稽のファンタジーである。

《つづく》

参考文献:
※1太田牛一著榊山潤訳「信長公記」富士出版
※2完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3) (中公文庫) ルイス フロイス (著), 松田 毅一 (翻訳), 川崎 桃太 (翻訳)

by R.B

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