■「マヤの人類滅亡の日」は忘年会 2012.12.24
2012年12月24日、クリスマスイヴ、外は大雪↓
サンタクロースが寒そうに、プレゼントを運んで来る、なんて、信じていたのはいつの頃だろう。明日はきっと、ホワイトクリスマスだ。
3日前の12月21日、会社の忘年会があった。例年は温泉で一泊するのだが、今年は日帰り。
というのも、1ヶ月前に、別の温泉忘年会があったから。取引先の専務が来社するというので、ついでに、忘年会をやろう、ということになったのだ。この取引先は、大のお得意様だし、一部上場企業だし、失礼があってはならないと、芦原温泉有数の老舗旅館を選んだ。
ところが・・・
床が変わると眠りが浅く、疲れがなかなか取れない。しかも、歳を取ると、相手に合わせて会話がするのがメンドーになる。若い頃は、美味いものがタダで食えるし、会話そのものが楽しかったのに、今は、ひたすら辛い。正直、家でサンドイッチをほおばりながら、何か創作している方がよっぽど楽しい。役員なんぞ辞めて、クリエーターに戻ったほうがいいのかなぁ。戻れればの話だが。
ということで、今年の会社の忘年会は日帰り。会場は、JR金沢駅に近い中華料理店「招龍亭」だ。友人によると、中華料理なら、金沢で一番うまいという。
店舗は豪華で綺麗。それに、部屋がけっこう広い。社員35人がゆったりおさまる。
まずは、社長の音頭で乾杯。食前酒の「桂花陳酒(けいかちんしゅ)」は、クセはあるが、病みつきになる酒だ。気をつけよう。
前菜は食器と盛り付けが綺麗↓
そして、美味い!
次にフカヒレ↓
フカヒレの味がする。当たり前?そもそも、フカヒレは歯触りがいいだけで、特別美味いものではない。
一番、美味かったのは、能登豚の角煮↓
肉厚でジューシーで、グッド!
福島第一原発事故があった後は、能登の肉しか食べないようにしている。金沢に出回る能登豚は産地直送で、安心だから。他の肉は、どこの肉かわかったもんじゃない。内部被曝だけはゴメンなので、特に子供は。
ということで、料理はなかなかうまい。紹興酒でチビチビやりながら、隣のチーフプログラマーと、歴史談義に花を咲かせていた。
宴もたけなわ、夜10時をまわったあたりで、幹事にうながされ、壇上に上がって、一本締め。これで宴会終了。
送迎バスで、JR金沢駅まで行って、スタッフと別れる。腕時計を見ると、午後10時30分。カレンダーが「21」になっている。
21・・・今日は12月21日?
マヤの予言「人類滅亡の日」じゃないか!あと、1時間30分で世界は終わるぞ!
でも、街行く人に、そんな悲壮感はない。やがて、カミさんが車で迎えに来たので、その話題を振ると、「あ、そうね」でおしまい。
マジか?誰も信じてないんだ・・・少なくとも僕の周りの人たちは。
ということで、人類最期の日は、あっけなく過ぎてしまった。
じつは、以前、マヤの暦を詳しく調べたことがある。そこで分かったことは、
1.マヤ暦には長期の周期があり、確かに「区切り=終わり」はある。
2.しかし、その「終わり」が「人類滅亡」である証拠はない。
さらに、マヤ暦の周期を実際に計算してみると、紀元前3114年8月11日+1872000日=2011年12月22日つまり、去年の12月に終わっている。なので、マヤの予言は嘘っぽいな、と思っていたが、今となってはドーデモいい話だ。
じつは、過去を振り返ると、この手の終末予言は枚挙にいとまがない。
たとえば・・・
7つの頭をもった獣が人類を滅ぼす「ヨハネの黙示録」、1999年7の月に恐怖の大王が来る「ノストラダムスの大予言」、地球に未曾有の大災害を引き起こす「惑星直列」、などなど。もちろん、これまで当たった試しはない。もし、当たっていたら、この一文は存在しないのだから。
しかし、だからといって、安心するのは早い。予言はデタラメでも、世界が終わる日は必ず来るのだから。
たとえば・・・
地球に巨大隕石が衝突すれば、ただではすまない。場合によっては、人類滅亡の可能性もある。しかも、起こることはほぼ確実で、問題は「いつ起こるか」だけ。
また、中国が今後も覇権主義を続ければ、いつか全面核戦争が起こるだろう。
さらに、人類滅亡どころか、宇宙が終わる可能性もある。物質の基本粒子「陽子」に寿命があるかもしれないのだ。もし、この陽子崩壊が起これば、宇宙そのものが「死ぬ」。
それにしても、人間はなぜ「終末予言」に執着するのだろう?自分たちに最期が来るのを知っていて、それを紛らわすために、まやかしの「終末」をでっちあげているのかもしれない。
でも、ひょっとして・・・
我々は「終末」を本当に望んでいるのかもしれない。なぜなら、現実は戦争、災害、貧困、死と病・・・世界は苦しみと悲しみに満ちている。
シャカは、ある日、城の東門から外に出ると、「老人」に会い、南門から出ると、「病人」に会い、西門から出ると、「死者」に会った。そこで、シャカは、人間には「老病死」があり、人生が苦しみであることを知った。最後に、北門から出ると、一人の「沙門(出家者)」が立っていた。その時、自分が進むべき道「出家」を悟ったという。
おそらく、我々凡夫も、無意識のうちに、「北門」を選ぼうとしているかもしれない。出家、つまり、世界のリセットを。
そういえば、ある宗派の教義に、「審判の日」に善人は墓から生き返る、というのがある。であれば、信じる者にとって、終末は幸いだ。
とはいえ、今回も人類は滅びなかった。だから、これからも、これまで同様、変わり映えのしない日が続くのである。
by R.B