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週刊スモールトーク (第244話) 私をスキーに連れてって(1)~あらすじ~

カテゴリ : 娯楽社会

2014.02.16

私をスキーに連れてって(1)~あらすじ~

■人生をやり直すなら

人は皆、若い頃にもどって、人生をやり直したいという。郷愁をそそられる話だが、そんな風に思ったことは一度もない。財布を落として、時間を巻き戻したくないのかと問われれば、もちろん、そうしたい。でも、ここでいう「人生のやり直し」とは別の話。

ただ・・・

ひとつだけ、若い頃にもどって、体験したいことがある。大好きだったスキー・・・白銀の大空間を滑走し、自然と一体化する、あの恍惚感だ。

でも、スキーなら今でもできるのでは?

あの頃の若さがないとムリ。

じつは、それを思い知らされる出来事があった。

10年前、家族連れで、斑尾高原のタングラムスキーサーカスに行ったときのこと。久しぶりのスキーだったので、最初はウキウキ・・・ところが、スキー靴をはくのに四苦八苦して、イヤになってしまった。

靴をはくのがメンドーだからイヤ?

あのスキーへの熱い想いはどこへいったのだ?

これまでの人生で、最高にハマったのはスキーだったのに。冬はスキー三昧、春・夏・秋は雪のないスキー場で滑走を夢想し、冬が来るのを待ち焦がれたものだった。

それが、スキー靴をはくのがメンドーだって?

ありえない!

ところが・・・

ひょんなことから、あの熱いカンカクがよみがえった。

■バブルとスキーブーム

ある日、amazonで海外ドラマをチェックしていると、偶然、懐かしい映画を見つけた。

「私をスキーに連れてって」

謎のクリエータ集団「ホイチョイ・プロダクション」が制作した映画で、1987年に大ヒットした。監督は同プロダクション社長の馬場康夫、脚本は一色伸幸である。

一色伸幸は、「私をスキーに連れてって」でブレイクし、その後、売れっ子脚本家に名を連ねた。どちらかというと「笑い系」が得意で、今でいえば三谷幸喜だろう。

ただ、個人的には「僕らはみんな生きている」が一番だと思っている。コミック版と映画版があるが、映画版が面白い。キャストは岸部一徳、嶋田久作、ベンガル、山崎努と個性派ぞろいで、主役の真田広之はドハマリ。そして、(一色伸行の)脚本は最高だった。

1990年代、日本人がエコノミックアニマルとよばれていた時代、とある発展途上国で、日本企業が熾烈な受注合戦を繰り広げていた。ところが、突如、軍事クーデターが勃発し、内戦に突入する。こうなると、商売どころではない。日本人ビジネスマンたちは、パスポートを握りしめ、命からがら国境をめざすのだった。

長期の単身赴任で家庭が崩壊し、それでも、会社に滅私奉公する哀しいサラリーマン・・・当時の世相が自虐的に描かれている。遠い異国で内戦に巻きこまれ、生死をさまよう緊迫感もあるのに、どこかシニカル。三谷幸喜の空想的・人工的な笑いとは別物である。

とはいえ、一色伸幸の代表作といえば、やはり、「私をスキーに連れてって」だろう。

主役は、映画「時をかける少女」でブレイクした原田知世、そして、当時無名だった三上博史が抜擢された。

この映画のテーマは、トレイラーのキャッチコピーどおり・・・

「ゲレンデの恋人たちに贈る、とびっきりキュートなラブストーリー」

と、比類なくダサイのだが、ストーリー的にはあっている。ただ、実際に映画を観ると、ダサイとまではいかない(少し古いけど)。気の知れた仲間が集まって、ワイワイガヤガヤ、軽~いノリの、幸せ~な日常世界なのだ。脚本にとんがったところはなく、役者の演技も力みがなく、自然体でなんとなく心地良い。不思議な映画だ。

それが理由かどうかわからないが、「私をスキーに連れてって」は若い世代に熱狂的に受け容れられた。そして、スキーブームを巻き起こし、社会現象にまでなったのである。

この頃の日本のスキー人口は約1000万人ほどだった。しかも、若者の比率が今より少なかった。ゴルフほどではないが、金のかかるレジャーだったから。

たとえば・・・

スキー用品(板、靴、ストック、ゴーグル、ウェア)だけで10万円はするし、車で行くなら、板とストックを載せるキャリーも必要だ(これがけっこう高い)。しかも、スキー場近辺は雪が深く、坂道も多いので、軽四はムリ。4WDとはいわないが、そこそこの普通車が必要だった。

さらに、スキー場に行けば・・・

乗り放題の一日券は3000円はするし、昼食代もかかる。さらに、宿泊すれば、ホテル・ペンション代がバカにならない(特に年末年始は超割高)。だから、若者が気軽に手を出せる遊びではなかったのだ。

ところが・・・

1987年、「私をスキーに連れてって」が公開されると、空前のスキーブームが起こった。その年から、スキー人口はうなぎのぼりで、1993年には1860万人に跳ね上がった。5年間でなんと1.8倍である。ところが、そこがピークだった。その後、スキー人口は減少に転じ、途中、スノーボードが流行したものの、衰退を食い止めることはできなかった。

原因はいくつかある。

まずは、地球の温暖化。降雪量が減れば、スキーシーズンは短くなる。そのぶん、客足も減るわけだ。雪のないスキー場は、水のないプールのようなもの。そんな所に行くのはよほどの暇人か物好きだろう。

さらに・・・

バブルが崩壊し、金のかかるレジャーは直撃された。スキーも例外ではなかった。そこへ、少子化がかさなり、スキー人口の減少に拍車がかかった。そして、2007年には560万人まで落ち込んだのである。その後、微増したものの、600万人前後と、ピーク時の1/3にとどまっている。

スキーのような体力と筋力を使うスポーツは、どうしても若者が中心になる。ところが、今の若者はインドア派、つまり「巣ごもり」が多い。さらに、インドアというわりには、本も漫画も読まない。ゲームもフリーのスマホゲームが中心。つまり、金を使いたがらないのだ。

欲しがりません、勝つまでは・・・

太平洋戦争中なら国民の鏡だが、贅沢と浪費がステータスの資本主義社会では、白い目で見られるだけ。あの共産主義の中国でさえ、本来の哲理を忘れ、金儲けに夢中なのだから。

その結果・・・2014年現在、中国はバブル崩壊の崖っぷちにある。

サブプライムローンも真っ青の「理財商品(アブナイ金融商品)」と、それをささえる「影の銀行(シャドーバンキング)」・・・この2つが連鎖し、炸裂しようとしているのだ。2014年2月には、一部「理財商品」のデフォルト(債務不履行)も報じられ、余談は許さない。もし、一旦、火が付けば、デフォルトのドミノが起こり、中国発の世界恐慌が起こる可能性もある。

それに比べれば、日本人はつつましいものだ(すでにバブルが崩壊しているので)。

もっとも、日本の若者は、お国のために質素倹約しているわけではない。早い話が金がないのだ。じつは、若者だけでなく、日本人の年収がここ10年で減少している。つまり、戦後の常識「給料は上がって当たり前」が崩壊してしまったのである。

もし、今、給料が安くても、今後上がる保証があれば、将来の不安はない。ケチケチせず、使っちゃえ!である。ところが、給料が上がらないなら、今の貧乏が一生続くことになる。これは全然シャレにならない。イソップ童話「アリとキリギリス」ではないが、「今がよければいい」は命取りになるのだ。

というわけで・・・

昔は良かったなあ、と懐かしむシニア世代は多い。右肩上がりの高度経済成長、それにつづく、バブル時代。くわえて、あの頃、スキーを楽しんだ人なら、「私をスキーに連れてって」は死ぬほど懐かしいのだ。

なぜなら・・・

「私をスキーに連れてって」は、日本がまだ幸せだった頃の思い出がぎっしり詰まっているから。

ではなぜ、あの時代、「私をスキーに連れてって」は大ヒットしたのか?

まず、タイトルがいい。

候補のひとつに「万座の恋の物語」というのもあったらしいが、これは笑える。昭和初期のモノクロ映画じゃあるまいし・・・

一方、「私をスキーに連れてって」は響きがいいし、楽しい気分になれる。しかも、一度聞いたら忘れられない。よくこんなタイトルを思いついたものだ。とはいえ、タイトルだけでヒットするほど映画は甘くない。やはり、映画は中身で勝負・・・

■あらすじ

総合商社に勤務する矢野文男(三上博史)は、冴えないサラリーマンだ。ところが、ゲレンデに行くと、スーパーマンに変身する。小山のようなコブをものともせず、空を飛ぶがごとく、雪原を滑走する。誰もが舌をまく名スキーヤーだ。

そして、クリスマス・イブの夕方・・・

矢野は仕事をサッサと終えて帰宅。これからスキー場に向かうのだ。タイヤをスノータイヤにはき替え、車のキャリーにスキー板をセットし、エンジンを始動する。カーステレオにカセットテープを挿入し、出発進行!

なんとも粋なシーンだ。

スキー場に向かう、あのワクワク感が伝わってくる。マイカー・スキーをこよなく愛したスキーヤーにとって、最高のオープニングだろう。

ところで、スノータイヤといえば、今はスタッドレスタイヤだが、この時代はスパイクタイヤが主流だった。スパイクタイヤは接地面に鋲(びょう)が打ち込んであり、アイスバーンでの制動力が高い。ところが、雪がないと、鋲(びょう)がアスファルトやコンクリートを削り取り、粉塵を巻き上げる。そのため、1991年以降、使用禁止となった。その後、スタッドレスタイヤが主流になった。

スタッドレスタイヤは幅広で、溝が深いので、雪道では駆動力と制動力に優れる。ところが、アイスバーンではスパイクタイヤにはかなわない。理屈の上では・・・スタッドレスは特殊なゴムでできていて、氷面に吸い付き、滑りを防止する。ところが、ゴムは1年ほどで劣化する。その後は「幅広と深い溝」で勝負するしかないわけだ。

一方、スパイクタイヤは、ゴムが劣化しても、鋲(びょう)が氷面に食い込むので、滑りにくい。さらに、幅広で深い溝もあるので、冬場は、
「スパイクタイヤ>スタッドレスタイヤ」

とはいえ、スパイクタイヤが万能というわけではない。昔、スキー場を目前に恐い思いをしたことがある。長野の栂池スキー場に行ったときのことだ。このスキー場は、入り口に長い山道があり、そこでタイヤが空回りしたのである。何度も来ているし、その時はスパイクタイヤで楽々登れたのに、なんで?

これまでは仲間5人だったのに、その時は2人だったから。

つまり、3人分の重量が減り、そのぶん摩擦力も減り、駆動力が落ちたのである。そこで、トランクからチェーンを取り出したが、なんと破損していた(滅多に使わないのでノーチェックだった)。そこで仕方なく、ガソリンスタンドに行き、チェーンを購入した。想定外の出費だったし、食事には遅れるし、散々だった。

というわけで、あの時代、マイカー、スノータイヤ、スキーキャリー、ミュージックテープは、スキーのお約束アイテムだったのである。だから、古い時代のスキーヤーはこの冒頭シーンにグッとくるわけだ。パブロフの条件反射のように。

話をストーリーにもどそう。

矢野は、毎年、冬場になると、昔の仲間とスキーを楽しんでいた。外科医の泉(布施博)とヒロコ(高橋ひとみ)、バイク・メカニックの小杉(沖田浩之)と真理子(原田貴和子)・・・つまり、矢野だけパートナーがいない。彼は、好意をよせる女の子がいても、それに気づかないほど鈍感で、女性の前ではろくに話もできないほど奥手だった。

そこで、仲間たちは矢野に彼女をあてがおうと、世話を焼くのだが、全然うまくいかない。

一方、池上優(原田知世)は会社仲間の恭世(鳥越マリ)と、同じスキー場にきていた。そこで、偶然、矢野と優が出会う。その後、リフトでいっしょになったり、優が雪に頭を突っ込んでいるところを、矢野が助けたり・・・偶然の出会いが連続し、矢野は優に惹かれていく。

こうして、矢野は初めて異性に目覚めたのだった。

その後、矢野のつつましい攻勢がはじまった。優にスキーを教えたり、話しかけたり・・・ところが、肝心のところで、泉に邪魔されてしまう。というのも、泉と小杉は、知り合いのゆり江が矢野とくっつくかどうか賭けていたのである。

泉はくっつく方に1万円。そこで、泉は、矢野と優の前に、ゆり江を引っ張り出し、
「だめじゃないか、彼女をほったらかしにしちゃ」

効果てきめん、優はその場を去っていった。

それを知ったヒロコと真理子は泉と小杉をとがめるが、
「金をかけない競馬なんて、ただの家畜のかけっこだよ」
と笑ってとりあわない。

そして、スキーの最終日、矢野は一大決心し、優に告白する。

「良かったら教えてもらえないかな・・・電話。会いたいんだ東京で。だって、写真わたさなきゃいけないし(いっしょに写真を撮っていた)。それに、つまり・・・もう一度会いたい」

ケータイのない時代、ゲレンデのナンパは、紙とペンで電話番号を聞き出すことから始まるのだった・・・

ところが、優が教えたのは偽りの電話番号だった。

優と恭世がホテルの部屋で話し合っている・・・

恭世は「矢野がカッコイ」といいと誉めあげるが、優はウソの電話番号を教えたことを告白する。仰天する恭世に、優はふくれっ面で答える。

「彼女のいる前で、他の娘ナンパする?」(ゆり江のこと)

恭世は力をこめて、

「光栄じゃないー」

恭世は、スキー場では、スキーがヘタクソな男は「牧場の魚」だといって相手にしない。だから、優が矢野を拒む理由がサッパリわからないのだ。

一方、そうとは知らず、矢野と仲間たちは盛り上がっていた。矢野が電話番号を聞き出し、東京で会う話をしていると、小杉が心配そうに、

「東京で誘うのか?東京のお前って、スキー場とは別人だぞ」

一方、真理子は励ます。

「大丈夫よ。スーパーマンだって、ふだんはサラリーマンやってんだから」

ヒロコも口裏を合わせ・・・

「そうそう、電話番号おしえたっていうことは、それだけでかなり有望だったことだから・・・頑張ってね~」

これで、矢野のテンションは急上昇し、

「やっぱ、そうだよね、ほらー」

その後、矢野が意を決して電話すると、

「ただ今、おかけになった電話番号は現在使われておりません・・・」

これで、矢野の夢は消え去ったかと思われた。

ところが・・・

矢野と優は同じ会社の社員だったのである。それを知ったヒロコと真理子は矢野と優をくっつけようと、年越しスキーに誘うことにした。年末年始、万座温泉スキー場のホテルの予約がとれたのである(今も昔も、年末年始のスキー場の宿泊予約は至難)。ところが、優と恭世は、別口で志賀高原スキー場に行くことになっていた。またしても、矢野の夢は砕け散った・・・

大晦日、矢野と仲間は万座で、優と恭世は志賀高原で、それぞれ新年を迎えようとしていた。

矢野は平静を装っていたが、優が気になってしかたがない。そこで、意を決して、優のいる志賀に行くことにした。ところが、万座と志賀は直線で2kmなのに、車だと菅平を回って行くので5時間近くかかる。
「5時間かけて、振られにいくのか」
とぼやきながら、矢野は夜の雪道をひた走った。

一方、志賀の優も、矢野のことが気になってしかたがない。じつは、優は恭世から、矢野とゆり江が何でもないことを知らされていたのだ。ゆり江は、彼氏がいるのに、モテない男をからかうために、志賀に来ていたのだという。優はそれを聞いて、
「あんまりじゃない」
と腹を立てつつ、矢野への気持ちがつのるのだった。

気もそぞろの優をみて、恭世が心配する。

「ねえ、どうしたのよ、新年まであと10分よ、楽しまなくっちゃ」

優は意を決して、

「キー貸してくれない、ね、お願い」

優は一人で万座に向かおうとしていた。エンジンをかけて、車をスタートさせた瞬間、前方に赤い車が止まった。矢野のカローラだ。2人は、あわてて車から飛び出し、向かい合う。

矢野は、気まずそうに、

「聞き間違えちゃったみたい・・・番号・・・電話」

優は無言で立っている。

「やっぱり、聞き間違えじゃなかったのかな・・・じゃ」

と背を向けた瞬間、優が、

「あの・・・」

そのとき・・・

矢野と優のそばで、パパ~ン、パチパチ・・・ゲレンデのミニ花火が鳴りひびいた。周囲は真昼のように明るい。

優は頭をペコリと下げて、

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

ニコニコ笑う優にむかって、矢野もおもわず、笑顔を返した。

・・・・・

メデタシ、メデタシ。

というわけで、ストーリーはフツーだし、ハラハラドキドキのイベントがあるわけでもない。

ではなぜ、「私をスキーに連れてって」はスキーブームを巻き起こしたのか?

しかも、ただのブームではない。スキー人口が1.8倍に跳ね上がったのだから。

スキーヤーたちが支持したから?

ノー!

既存のスキーヤーが支持したところで、スキー人口は1.8倍にはならない。

つまり・・・

「私をスキーに連れてって」は銀幕をとおして、若者にスキーの楽しさを刷り込み、白銀の世界へといざなったのである。

《つづく》

参考:
私をスキーに連れてって[DVD]販売元:ポニーキャニオン

by R.B

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