■いい国つくろう、何度でも 2011.09.19
2011年9月2日、宝島社の企業広告が、全国の朝刊を飾った。
その広告とは・・・
1945年8月30日、連合国最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が、厚木飛行場に降り立つ写真を背景に、
「いい国つくろう、何度でも」
ちょうど、「野田新内閣」が誕生した日だったので、日本は外圧でしか変われない、を言いたかった?
マッカーサーが厚木に降り立つ写真は、太平洋戦争の敗戦と復興の象徴なので、東日本大震災は「敗戦」?
など、否定的な意見も多かった。ただ、スンナリ受け取れば・・・
これまで、日本は、敗戦や災害から何度も立ち直った。それが、我々日本人の歴史である。そして今も、災害、経済、政治、外交で苦難にあるが、我々は何度でもやり直せる。
ところが、僕には、そんなマシな考えは思いつかなかった。
ただ、心が”熱く”なったのだ。
あのキャッチコピーは、革命家チェゲバラの言葉を彷彿させる・・・
もし、我々が空想家だと言うなら、救いがたい理想主義者だと言うなら、できもしないことを考えている愚か者だと言うなら、私は何千回でも答えよう、その通りだと。
小さな革命グループから始めて、キューバ革命を成功させた希有の革命家。哲学者サルトルをして「20世紀で最も完璧な人間」と言わせた巨人。そんな”熱い”チェゲバラを思い出したのだ。
いい国つくろう、何千回でも・・・
マッカーサーが降り立つ写真、僕は熱くなる。あの1枚の写真には、何千、何万という歴史が封印されているのだ。その1つでも欠落すれば、あの写真は歴史から消えてなくなる。
明治維新、アジアが欧米列強に浸食されていく中、完全な独立国を目指した日本。朝鮮半島と満州を狙うロシアに抵抗したのが、日露戦争だった。国力を考えれば、およそ勝ち目のない戦争。
やらねば、やられる、そんな弱肉強食を地でいった日本。最後に、原子爆弾を投下されて、国は滅亡の縁に立った。
戦後の焼け野原、国の支援もボランティアもない世界。自分で生きていくしかなかったあの時代。希望も未来もなく、ひたすら生きるだけの毎日。やがて、薄日がさすように希望が見えてくる・・・そんな時代の象徴が、あの写真なのだ。
我々は、理屈をこねるのがうまくなった。どんな災害、どんな問題も、言葉たくみに、非難する。だがそこに、問題解決への”熱い”想いはない。
我々は、いつの間にか、”熱い”心を失ってしまった。人は必ず死ぬ。肉体が灰になり、魂だけが残るとすれば、そこに記録されているのは、”熱い”記憶だけなのだ。
by R.B