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スモールトーク雑記

■さわがしい楽園(選挙カー騒音) 2015.08.09

今の日本で、何がムカツクかというと・・・

騒音。

静寂を好む種族にとって、これほど不快なものはない。中でも、選挙は最悪だ。

最近、町会議員選挙があったが、20台もの選挙カーが町中をうろつき、

「騒音太郎、騒音太郎、騒音太郎でございます。騒音太郎をよろしくお願いいたします!」

「騒音太郎」、一度言えばわかるでしょう。

それに、まともな情報は「騒音太郎」だけなので、意味するところは、「オデは騒音太郎だ、名前、覚えとけ!」

なんという傲慢さだろう。

ちなみに、数ある選挙の中で町会議員選挙は最悪だ。

国政選挙なら、候補者は少なく、選挙区は広い。だから、騒々しい選挙カーが回ってくる頻度も少ない。

ところが・・・

町会議員選挙は、候補者が多く、選挙区が狭い。だから、騒音発生器(選挙カー)が、家の前をうろつく頻度が高い。

朝から晩まで、「騒音太郎、騒音太郎、騒音太郎、どうぞよろしくお願いいたします。皆様の暖かいご支援ありがとうございます」

オレはあんたを支援した覚えない。

受かる前からこんなテキトーこいてるようでは、受かったら、何をしでかすやら。

そんな細かいこと、気付かなかった?

なら、議員に立候補しないほうがいい。正しい日本語の使い方も知らないのに、政治家になるって、おかしいでしょう。

とはいえ、選挙カーの騒音には、笑えるものもある。

「騒音太郎、騒音太郎、騒音太郎、騒音太郎は全力で頑張ります」

オレに断る必要はない、勝手に頑張れば。

ちょっと笑えるが、やっぱり、ムカツク。

というわけで、選挙期間中、僕はすこぶる機嫌が悪い。

何十台もの選挙カーが、大音響でがなり立てながら、狭い町内をうろつく、究極の”高密度”騒音だ。

これが、どれほどの迷惑行為か、考えたことがあるのだろうか?

近所に知り合いの看護師さんがいる。公立病院なので、夜勤が多い。夜勤を終え、帰宅して、寝ようと思ったら、

「騒音花子、騒音花子、騒音花子でございます・・・」

騒音花子がどうしたというのだ!

一日中眠れないことは確かだし、寝不足で診療ミスをおかす可能性もある。それで患者が死んだら、誰が責任とるのだ?

さらに・・・

近所に生まれたばかり赤ちゃんがいる。やっと寝かしつけたと思ったら、「騒音花子、騒音花子、騒音花子・・・」

おぎゃあ~

「騒音暴力」以外の何ものでもない。

そもそも、選挙というのは、国を変えるとか、町を変えるとか、たいそうなことを言っているが、詰まるところ、議員の「就活」。

自分の就活に、なぜ住民を巻き込むのだ?一体、何様?

だって、そうではないか・・・

一般人が、スピーカー付きの騒音カーで、「騒音プータロー、騒音プータロー、騒音プータロー、現在無職で、仕事をさがしております。どうぞよろしくお願いいたします!」

なんて、町内をうろついたら、どうなるのだ?通報されて、逮捕されるのがオチだろう。

つまり、こういうこと。

同じ無職でも、議員候補は「就活」のために、騒音をまき散らしてもいいが、一般人がやったら、犯罪!

議員って、公僕じゃなかったっけ?つまり、広く公衆に奉仕する者。それが公衆より優遇されるって、どういうこと?

TV、インターネット、スマホ、これだけ道具がそろえば、学生の就活同様、議員の就活の方法はいくらでもある。

にもかかわらず、議員選挙だけは特別で、生活者に迷惑をかけてもOK、なんて、おかしいでしょう。

どうして、こんなカンタンな矛盾に気づかないないのだろう。

どうして、こんな迷惑行為が許されるのだろう。

大騒音で、生活者に迷惑をかけておいて、

「皆様のために命を捧げるつもりでございます・・・」

アタマおかしくない?

まぁ、しかし、候補者が悪いのではない。制度が悪いのだ。もっと、静かで、効率のよい選挙はいくらでもある。このムカツク悪習はさっさと止めて欲しいものだ。

さらに、町内会といえば・・・

役場からのスピーカーでのお知らせもムカツク。

津波とか火事とか、緊急の通報ならいざしらず、知らない住民の葬儀のお知らせとか、小学校の行事の案内とか、住民に関係ないことを、町中の空に向かって、スピーカーでがなりたてるのだ。

あまりの非常識さ、思慮のなさに驚くばかりだ。日本は「騒音」に無頓着すぎる。

ムカツク騒音はまだある。

電車の車内放送だ。

今、月一のペースで、東京に出張しているが、新幹線に乗るたびにムカつく。

あ、その前に・・・

金沢人なので、「北陸新幹線」の宣伝をしておかなくては。

これまで、「金沢-東京」は、特急と新幹線を乗り継いで4時間もかかったのに、北陸新幹線なら、乗り継ぎなしで「2時間30分」行ける。

しかも、最新の車輌なので、揺れはゼンゼンなく、快適そのもの。

ちなみに、北陸新幹線のルートは、江戸時代に加賀藩が参勤交代した道とほぼ同じ。ただし、旅程は12泊13日。時間にして、125分の1に短縮されたわけだ。テクノロジーの進化には驚くばかりである。

さらに、金沢は、古い街並み、忍者屋敷などユニークな観光名所が豊富で、ゴルフもスキーも登山も海水浴もOK。さらに、魚、肉、おでんが美味しく、くわえて、スペイン料理も最高!(ホントだぞ)

手前ミソだけど、こんな良い所ないと思う。

と、金沢の街は最高なのだが・・・

北陸新幹線の車内アナウンスがムカツクのだ。

「次は長野に止まります」

はまだしも、

「長野で、運転手が変わります。」

僕が東京に行くのに、運転手の変更を知らせる必要がある?

しかも、「運転手の名前」まで知らせるのだ。僕が金沢から東京に行くのに、運転手の名前がなぜ必要か、説明して欲しい。

さらに・・・

「ただいま、列車は3分遅れで長野を出発しました。列車が遅れまして申し訳ございません」

これを何度も繰り返すのだ。

3分遅れようが10分遅れようが僕ははかまわない。その遅れが致命傷になる人間は、どれだけいるのだ?そもそも、そんな人間は自家用ジェットかヘリでしょう。

それに、列車が遅れたからと、クドクド謝られても迷惑なだけ。謝った分、早く着くわけじゃないし、騒音でイラつくだけ!

どうしても、謝罪したければ、料金を減額したら?それがイヤなら、せめて静かにして欲しい。

僕は電車の中では、愛用のMacbookAirで、いつも、仕事をしている。だから、静かにして欲しい。騒音をともなう情報は必要最小限でいい。ましてや、運転手の名前など論外だ。

僕が払う高い料金には、東京までの移動にくわえ、快適さも含まれている。

JRもそう考えたから、技術を進化させて、静寂な車輌を作り上げたのだろう。それを、スピーカーで騒音をまき散らしたら、元も子もないでしょう。

これは、北陸新幹線に限らず、JRすべてに言えることだけど。

昔、スイスで列車に乗ったことがあるが、静かなものだった。世界中回ったわけではないが、後進国ほど、うるさくて、騒々しい気がする。

日本は後進国?

ところで、日本が騒音国である理由は?

東京オリンピックの招致で、日本の「おもてなし」が有名になった。「表がない」なら、「裏がある」?はさておき、早い話が「過剰サービス」でしょう。つまり、うざい、うるさい、騒々しい。

ちょっと言い過ぎたかなぁ。

こんな価値観が、「騒音に鈍感」を加速しているのかもしれない。

だが、それだけではない。

日本人という種族は、「考える」より「コミュニケーション」が好きなのだ。

たとえば・・・

日本人は、家にいるときも、道を歩いているときも、電車に乗っているときも、スマホとにらめっこ。いつも、誰かとつながっていないと不安なのだ。これじゃ、「考える」ヒマないですね。

当然、画期的な発明はムリ。

じつは、日本人は、イノベーションを生み出したことが一度もない。ここでいうイノベーションとは、時代の10年未来をいく、画期的な理論、テクノロジー、サービスだ。

たとえば・・・

理論の分野では、ニュートンの万有引力の法則、アインシュタインの相対性理論、技術の世界では、蒸気機関、自動車、V2ロケット、コンピュータ・・・サービスでは、広告の自動販売機「Googleのアドワーズとアドセンス」。

いずれも、欧米人の発明だが、すべて、尋常ならざる集中力から生まれている。それを物語るエピソードも枚挙にいとまがない。

それが日本人にはないのだ。莫大なエネルギーと時間と集中が必要な、狂気にも似た、論理的思考、展開思考が苦手なのである。

事実、第二次世界大戦後、日本が経済復興したときも、欧米企業から、日本の技術は「モノマネ」と揶揄された。

ところが、最近、日本人のスペックをさらに悪化させるツールが登場した。インターネットとスマホだ。この2つが合体した瞬間、すべての人間がつながった。結果、いつでもどこでもコミュニケーション。

ところが、その内容のほとんどが、「いいね!」的なたわいもないもの。こんなもので、人生の貴重な時間が消費されていくのだ。

哲学者パスカルは言った。

「人間は考える葦である」

スマホやLineで、どうでもいいことを、短文でくっちゃべて、時間を潰していたら、人間じゃなくなるかも・・・

なんて、不安はないのかな。

by R.B

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