ネズミの楽園~動物実験・ユニバース25~
■ネズミの楽園
物語は美しく終わるものだが、現実の結末は恐怖のうちに終わる。
しかし、例外もある。
人類の終末SF「人間の楽園」のことだ、創作された物語なのに、一切の救いがない。
筋書きはこうだ。
人類は、30万年前、アフリカで誕生して以来、天災、天敵(同類の人間も含む)、飢餓、疫病に苦しめられてきた。そんな焼け付くようなリスクにさらされていないと生きている気がしない起業家や冒険家はさておき、まともな人間なら、楽園の方がいい。この物語は、ASI(人工超知能)が誕生し、人類が夢見た理想郷が実現したところから始まる。ところが、その10年後に人類は滅亡・・・どういうこと!?
これには事情がある。
終末SF「人間の楽園」は、純粋な創作ではなく、歴史的事実に基づいている。よって、結末は恐怖のうちに終わる、というわけだ。
ところで、歴史的事実とは、米国で行われた動物実験「ユニバース25」である。
1968~1972年、行動学者ジョン・B・カルフーン博士は、「脅威が完全に取り除かれた楽園が実現したら、どんな世界になるか?」を、ハツカネズミ(マウス)で実験したのだ。カルフーンは、同様の実験を何度も行い、これが25番目の実験だったため、この名がついた。
実験は、人工的な飼育施設で行われた。
縦横2.7m×2.7m、高さ1.4 mの施設の中に、巣箱、給餌器、給水器が設置され、巣の材料、餌、水が途切れないように供給された。
楽園の仕様は完璧だった。
1.快適な巣が潤沢にあり、住む場所に困らない。
2.食料と水が常に補充され、空腹も飢餓もない。
3.適度な気温と湿度が保たれ、快適な生活環境。
4.衛生が徹底され、伝染病も病気も発生しない。
5.マウスの命を直接脅かすような天敵がいない。
これなら、何の不自由もなく、幸せに暮らせる。ネズミの理想郷と言っていいだろう。
とはいえ、自然原理で成立する世界ではないので、世話をする「神の手」が必要だ。この場合は人間である。一方、「人間の楽園」の方は、文字どおり「ASI=機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」だ。
■実験の経緯
1968年7月、「ネズミの楽園」に、健康なオス、メス4組の計8匹のマウスが移り住んだ。
実験は、4段階で進んだ。
【第1段階:楽園の始まり(実験開始〜315日目)】
すべてが順調だった。マウス社会は平和で、子育ても安定し、死亡率も低かった。そのため、個体数は、約55日ごとに倍になった。ここまでは想定内。
【第2段階:翳りゆく楽園(316〜600日目)】
個体数が620匹を超えたあたりから、楽園に翳りがみえてきた。施設には十分なスペースがあるのに、マウスたちは特定の場所に集中し、縄張り争いが激化した。負けた若いオスたちは役割を見失い、コミュニティから離脱する。離脱した集団は、心を閉ざして引きこもるか、他のマウスを攻撃を仕掛けるようになった。
メスたちも、攻撃的なオスから逃れるため、巣に閉じこもり、育児放棄が増えた。
カルフーン博士は、この現象を「行動の沈殿」と名づけた。化学の世界では、液体中の粒子が底にたまることを「沈殿」という。つまり「行動の固定化」が始まったのだ。
【第3段階:地獄と化す楽園(601日目以降)】
個体数が2200匹のピークに達すると、一転、楽園は地獄へと向かう。
マウス社会は完全に崩壊した。多くのオスは、子孫を残すことに興味をなくし、ひたすら、食べて、寝て、自分の毛づくろいをするだけ。一部は攻撃的になり、メスや子どもだけでなく、仲間同士で傷つけ合い、暴力が日常化した。
メスたちの多くは、育児をやめ、子どもを巣から追い出した。路頭に迷った子どもたちは、他のマウスに襲われ、次々と死んでいった。母親が自分の子どもを攻撃することさえあった。結果、子どもの死亡率は90%に達した。異常事態である。
この混乱の中、「美しき者たち」と呼ばれる不思議なグループが現れた。彼らは、ケンカしない、繁殖しない、他の個体と関わらない。ひたすら、食べて、寝て、毛づくろいする。そのため、毛並みは傷一つなく美しかった。カルフーン博士は、このグループを「美しき者たち」と呼んだ。彼らは、社会の一員としては完全に「死んだ」存在で、楽園の終わりを暗示していた。
【第4段階:静かな絶滅】
繁殖活動は完全に止まり、生き残ったマウスたちは、ただ静かに年をとり、一匹、また一匹と死んでいった。
そして、実験開始から約5年後の1973年、最後の1匹が死んだ。
楽園は「全滅」という形で幕を閉じたのである。
まるで映画、ドラマだが、すべて実際におきたこと・・・怖すぎる。
■ユニバース25とスペースX
ネズミの動物実験「ユニバース25」は、1970年代に大きな反響をよんだ。
理想的なネズミの楽園が、崩壊し、1匹残らず死んのだ。それを人間社会に投影し、盛り上がったわけだ。
科学技術が発達すれば、いずれ人間の楽園も実現するだろう。けれど、ユニバース25のように、人間社会も崩壊するかもしれない。
物質的な豊かさが、人間を幸福にするとは限らない。
そもそも、理想郷・ユートピアは妄想なのではないか。
そんなこんなで、ユニバース25は、哲学的・社会学的な寓話として語られるようになった。
このように、歴史的なイベントが脱線していくことは、珍しくない。
たとえば、2026年6月12日のスペースXのIPO(新規上場)。
本来、株式投資は金儲けなので、割高な銘柄は買わない。ところが、財務状況からみたスペースXの妥当な株価は60ドル強なのに、公開価格は2倍の135ドル。それでも買い希望者が殺到し、初日に株価がさらに19%も上昇した。
一体、何がおきているのか?
スペースXの事業は、宇宙輸送、スターリンク、AIモデル、宇宙データセンター、火星植民・・・素晴らしい、人類の夢だ、イーロン・マスク万歳!スペースXとイーロン・マスクを応援しよう!
そんな推し活まがいの熱気に煽られ、株価が高騰しているのだ。株式投資は、短期的には人気投票なので、珍しくはないが、株価は最終的には企業収益に合わされる。赤字が続けば、株価は暴落するだろう。ただし、そこ売るのは悪手である。何があっても、10年間は売らないこと。そうすれば、500ドルを超える確率は高い。
ここで、スペースXの「今」を分析してみよう。
宇宙輸送、スターリンクは悪くはないが、その他が問題だ。
AIモデルはアンソロピック、OpenAI、Googleに勝てないだろう。AIモデルは、設備産業的要素にくわえ、人手による地道なソフト開発が欠かせない。イーロン・マスクは、前者は長けているが、エンジニアの協力が必要な後者は向かないからだ。
本格的な宇宙データセンターが実現するのは5年~10年後だし、火星植民は今世紀中はムリ。宇宙飛行士による火星探査はあるだろうが、自腹で好き好んで火星に移住する者はいない。光速航法とまではいわないが、それに近い画期的な航法が発明されないかぎり、火星移住はムリだろう。というわけで、火星移住はスタバが開店するまで待った方がいい。
つまり、株式投資で推し活は、ユニバース25で哲学談義と同じく、脱線である。
では、ユニバース25の核心は?
幸せいっぱいの楽園が、なぜ、不幸しかない地獄に変容したのか?
それを解明することだろう。
じつは、その答えは現代社会にあふれている。
■楽園の正体
2年前、知り合いが定年退職した。
ウキウキで、趣味のゴルフと旅行にくわえ、若いモンに負けとられんと、レストラン巡りし、SNSに写真を投稿し、ヒンシュクをかっていた。夢見た余生を楽しんでいたわけだ。ところが、1年もたたないうちに、やりたいことをやり尽くして、何をやっても充実感がない。「毎日が日曜日」が死ぬまで続くなんて耐えられない・・・
彼は今、町のシルバー人材センター登録し、働いている。一汗かいた後のビールが格別なのだという・・・いやはや。
人生は、ほどほどの不自由やストレスがあった方がいい?
そんな生ぬるい話ではない。
趣味はあくまで趣味、仕事が持つ迫力にはかなわない。趣味は、やってもやらなくても同じ。ところが、仕事は、報酬も責任感もついてまわるから、やるしかない。その緊張感が、活力を生みだし、覇気がみなぎり、生きる意欲も湧いてくるのだろう。
そんな感覚がなくなったら?
人生の終着駅。
さらに、1億円貯めてFireして、自由を満喫していたのに、職場に戻る人が少なくない。働いている方が気が休まるというのだ・・・いやはや。
そんなこんなの現実をみれば、ストレスのない楽園が、新種のストレスを生み出すことは明らかだ。
つまりこういうこと。
ASIが、人間を労働から解放しても、働けないことが苦痛の人はいるだろう。不老不死が実現しても、死にたいと願う人はいるだろう。今の世でも、自殺願望者、自殺者が後を絶たないから。
人間の幸福は別のところにある、というありがちな哲学談義にもちこむつもりはない。
どんな「幸福」もいずれ飽きる、それが人間の性(さが)なのだ。
■ネズミの楽園は人間の写し絵
「人間の楽園」は、「ネズミの楽園」の破滅的プロセスのアナロジー(構造的類推)として描かれている。
文字どおり、楽園から地獄への転落だ。
ネズミの楽園は、十分な場所があったのに、一極集中し、治安が悪化した。競争に負けたグループは、引きこもり派と暴力派にわかれ、前者は自分の毛づくろい、後者は意味不明の暴力に走った。
どこかで見た光景ではないか。
現在の日本である。
大都市への一極集中が進み、人間は激しい競争に巻き込まれている。勝ち組は、誇らしげに、タワマンの上階に住むが、安心立命は得られただろうか。そうでない人たちは、社会から距離をおこうとする。結婚離れ、おひとり様消費がその証左だろう。さらに、「ボディメイク」が浸透し、心身の健康維持だけではなく、外見の美しさまで意識するようになった。若年層を中心に「男性のメイク」も広がっている。まるで、ネズミの楽園の「美しき者たち」ではないか。
そして、頻発する動機不明の暴力事件。
現代の人間社会は、翳りゆくネズミの楽園の写し絵なのだ。
終末SF「人間の楽園」のストーリーは、動物実験「ネズミの楽園」をなぞっているが、それ以前に、今の現実社会に瓜二つだったわけだ。
人間の楽園とネズミの楽園の終着点は違うと、本当に言い切れるだろうか?
《つづく》
by R.B
