神話学(1)~スターウォーズ~
■ジョージ・ルーカスの秘密
映画「スターウォーズ・エピソード3~シスの復讐~」が好調だ。この作品は、ゲームソフト、キャラクターの版権ビジネスも同時進行しているので、大きな成功をおさめるだろう。ジョージ・ルーカスが他の映画監督と違うのは、キャラクタ版権への執拗なこわだり。それが結果として、彼を大富豪へと導いたのである。スターウォーズシリーズ5作で、グッズの売り上げは映画の興行収入の2.5倍で、約1兆円!映画の世界ではありえない。ということで、ジョージ・ルーカスは商売上手なのだ。スターウォーズは、1977年「スペースオペラ」の歴史年表にその名を刻んだ。
それまで、SF映画といえば、宇宙空間を航行すること自体が大変という設定で、こじんまりとした話が多かった。地球の近場、せいぜい金星や火星をウロウロする程度で、ワープ航法で太陽系を飛び出すなどというのは、例外中の例外であった。その例外の1つに、SF映画の歴史的名作「禁断の惑星」がある(1956年米国作品)。物語は、ある惑星で遭難した調査隊を救出に行くところからはじまる。大胆にも、心理学者ユングの「抑圧された自我の強大な心的エネルギー」をテーマにしている。テーマは難解だが、シナリオがよく練られており、奥が深く、面白い。とても、50年前のSF映画とは思えない。
また、この映画に登場したロボット「ロビー」は、その後、アメリカで人気者になり、映画やドラマも出演した。いわば、機械仕掛けの俳優。1966年、日本でも人気のTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」にも特別出演していた(悪役だったが)。とはいえ、SFの映画やドラマで「恒星間飛行」は珍しかった。ところが、スターウォーズはここで革命をおこしたのである。ワープ航法で銀河を飛び回り、無数の宇宙種族が登場し、英雄あり、美女あり、宇宙海賊あり、なんでもありの「宇宙大冒険活劇」だった。だが、これはジョージ・ルーカスのアイデアではない。このようなジャンルは「スペースオペラ」とよばれ、小説の世界ではすでに存在したのである。
■スターウォーズの神話学
面白いことに、「宇宙大冒険活劇」を「神話学」の視点で論じた学者がいる。神話学者のジョーゼフ・キャンベルである。彼は神話学の第一人者で、多くの業績を残し、1987年、83才でこの世を去っている。ジョーゼフ・キャンベルによれば、映画「スターウォーズ」は神話の「英雄伝説」を完全に体現しているという。一方、ジョージ・ルーカスもジョーゼフ・キャンベルの著作を参考にしたという。ジョージ・ルーカスは、既存のスペースオペラを映画に焼き直し、キャラクタ版権で儲けをレバレッジし、手軽に成功をもくろんだやり手のビジネスマン、というわけではなさそうだ。ジョーゼフ・キャンベルによると、英雄伝説に登場する英雄は、同じ行動パターンをもっている。同じ人物が、千の顔をもっていて、さまざまの物語に登場しているというのだ。これは彼の名著「千の顔をもつ英雄」のタイトルにもあらわれている。さらに、ジョーゼフ・キャンベルは、「英雄とは、困難なものに人生を賭けて挑戦し、それを成し遂げる者」と定義している。
このような英雄は、伝説、神話のみならず、歴史上にもたくさん存在する。では、スターウォーズのどこが英雄伝説なのか?ジョーゼフ・キャンベルは、英雄の典型的行動パターンについて次のように述べている。「英雄は旅立ち、成し遂げ、生還する」スターウォーズの主人公ルークは宇宙の辺境の惑星で、農作業の手伝いをしている。冴えない人生だ。そんな暮らしに嫌気がさしていたある日、ジェダイの騎士と出会う。ルークはジェダイの騎士に連れそって、さまざまな困難を乗り越え、住みなれた世界を脱出する。「英雄は旅立つ」のである。その後、ルークを取り巻く世界は一変する。退屈な農作業から、強大な帝国軍、悪の化身ダースベーダーと壮絶な戦い。ルークは幾多の試練と苦難を乗り越え、ついに悪の帝国をうち倒す。「英雄は成し遂げる」のである。そして、ルークは彼を待つ仲間のもとに帰還する。「英雄は生還する」のである。
■イロコイインディアンの伝説
スターウォーズは、特別の血統をもつ若者の「大冒険活劇」である。ところが、平凡な人間が日常の延長で英雄伝説の世界へ引き込まれることもある。ジョーゼフ・キャンベルが引き合いにだす「イロコイインディアンの伝説」もその1つだ。ある村に、娘と母親が住んでいた。娘は気位が高く、いいよる男をことごとく拒絶していた。母親はそれをひどく気にかけていた。ある日、娘と母親は、たきぎを集めに出かける。やがて暗闇がおとずれる。その暗闇は、日が沈んで訪れたものではない。魔法使いが迫っているのだ。母は危険を感じ、小屋をつくり、夜を明かすことにした。その夜、小屋に立派な若者が現れた。その若者は、美しい模様の帯、そして頭には見事な羽根をつけていた。若者は、娘に求婚し、そのあかしに帯を母にわたした。若者が娘を自分の村につれていくと、村人たちはみな歓迎してくれた。翌日、若者は狩りにでかけた。
娘がテントの中にいると、外で奇妙な音が聞こえてくる。やがて、1匹の大きなヘビが、テントに入ってきて、頭のしらみをとってくれと頼んだ。娘がしらみをとってやると、ヘビはテントから出ていった。翌日、再びテントの外で奇妙な音がするので、出てみると、たくさんの大蛇がとぐろを巻いている。娘は怖くなり、家に帰ることにした。逃げる途中、娘は小柄な老人と出会う。老人は魔法使いで、娘にこう言った。「娘さん、困ったことになったね。彼らは魔法使いで、心臓がないのだよ。彼らの心臓を入れた袋が寝床の下にあるから、それを持って逃げなさい」そこで娘は心臓を入れた袋をもちだし、ひたすら逃げた。ヘビはすぐにそれに気づき、娘を追う。娘は水の中に落ちてもがいているところを、魔法使いの老人に助けられた。
■機械仕掛けの現実
このイロコイインディアンの伝説のどこが英雄伝説なのだろう?英雄とは無縁の平凡な娘が、結婚をきっかけに、異世界に入り込み、日常を超えた体験をする。絶体絶命におちいりながらも、魔法使いに助けられて、無事生還する。つまり、「英雄は旅立ち、成し遂げ、生還する」我々は、地球という閉じた時空で、機械仕掛けのような生活をおくっている。同じ映画をなんども観せられているようだ。そこで、日常を超えた「冒険」を求めるのだが、一方で、非現実とあきらめている。ところが、「イロコイインディアンの伝説」は、日常の中にも英雄伝説は潜んでいることを示唆している。世界は一つではないのだ。
参考文献:ジョーゼフ・キャンベル著平田武靖/浅輪幸夫監訳「千の顔をもつ英雄」人文書院
by R.B