ホメーロスの叙事詩~最古の世界ベストセラー~
■古代の三大文学
「世界の七不思議」は、コトバどおりか、比喩かはさておき、「不思議」の響きあり。
ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台・・・神秘と謎のアイコン、古代文明のランドマークでもある。
ところが、なぜか、すべて巨大建造物。
そこで、世界の七不思議の向こうを張って「古代の三大文学」を想定してみよう。
私見と断った上で・・・ホメーロスの叙事詩、ギルガメシュ叙事詩、シヌヘの物語。
ホーメロスの叙事詩は「最古の世界ベストセラー」。
ギルガメシュ叙事詩は「最古の文学」。
シヌヘの物語は「最古の散文文学」。
それぞれ「最古」が付くから、三大文学を名乗る資格はあるだろう。
問題は、最古につづく◯◯だが、
まず「世界ベストセラー」は、複数の文明圏を包含すること。グローバルなベストセラーを論じるのだから、国や狭い地域では話にならない。
つぎに「文学」は、ジャンルを問わない文学一般だが、やはり条件がある。粘土板、パピルス、羊皮紙、紙、なんでもいいから物的証拠があること。
最後に「散文文学」は、文章が小説やブログのような自由形式であること。その反対語が「韻文文学」で、文章が一定の型や規則にのっとっている。ホメーロス、ギルガメシュのような古代叙事詩や、現代詩、日本固有の俳句、短歌、和歌が該当する。
というわけで、三大文学はすべて「最古」を肩書にもつが、共通点はまだある。
英雄譚と冒険譚がセットになっていること。
ひょっとすると、これがコンテンツの成功の方程式なのかもしれない。しかも、時代をこえて・・・映画「スターウォーズ」のことを言っている。
神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、スターウォーズをこよなく愛し、英雄伝説の条件をすべてそなえていると明言した。
英雄は旅立ち、成し遂げ、帰還する、と。
■ホメーロスは盲目の吟遊詩人だった?
古代の三大文学は、すべて「最古」の肩書があるので、歴史のからみが深い。
そこで、個別に深堀りしてみよう。
まずは、ホメーロスの叙事詩。
盲目の吟遊詩人ホメーロス作の「イーリアス」と「オデュッセイア」をさす。
盲目、吟遊詩人?
ホメーロスの叙事詩は、紀元前8世紀頃、文字文学ではなく口承文学から始まった。口承文学は、文字ではなく、ボイス(音声)を使う。プロの語り部である「吟遊詩人」が、物語を朗唱するのである。世代をこえて伝えるのも口づて。だから、口承文学なのである。ギリシャで、物語が文字で固定され、文字文学になったのは、紀元前6世紀頃のことだ。
というわけで、口承文学の時代は、「創作=朗唱」なので「原作者=吟遊詩人」が成立する。よって、ホメーロスも吟遊詩人だっただろう。
では、盲目は?
「ホメーロス=見えないもの」と訳せるから、ホメーロスは盲目だったという説がある。
だが、これは怪しい。
古代ギリシャ語では「人質」「保証人」「契約の担保」を意味するので。ムリにこじつければ「保証/担保=見えるもの」と真逆の意味になるから、まずいですね。
一方、「目が見えない=見えない世界(真理)を物語る者」という強引な論法で、「盲目の吟遊詩人」を神格化した可能性もある。
では、ありがちなでっちあげ?
そうでもない。
古代の日本にも「盲目の吟遊詩人」による文化があったのだ。
盲目の琵琶法師が、琵琶を弾きながら朗唱する「語り本」である。有名な平家物語も、ここから始まった。
祗園精舎の鐘の声(ぎおんしょうじゃのかねのこえ)
諸行無常の響きあり(しょぎょうむじょうのひびきあり)
娑羅双樹の花の色(しゃらそうじゅのはなのいろ)
盛者必衰の理をあらわす(じょうしゃひっすいのことわりをあらわす)
韻を踏んだ美しい響きがある。
それに、盲目であることは、吟遊詩人にはハンディにはならない。むしろ、有利になるだろう。テキストがないから、読む必要がないし、見えないほうが、記憶と朗唱に集中できるから。
もちろん、盲目であることが吟遊詩人の必要条件とはいえない。事実、古代ギリシャでは、目が見える吟遊詩人の方が多かったようだ。
というわけで、ホメーロスは吟遊詩人だっただろうが、盲目かどうかは怪しい。
■ヘレニズム文化
ホメーロスの叙事詩のウリは「最古の世界ベストセラー」である。
ただし「最古」には「今のところ」という条件が付く。新たな発見や発掘があれば、ちゃぶ台返しなので。歴史のよもやま話で「最古」をみかけたら、行間の「現時点で・・・」を読みとろう。
それをすべて呑み込んで、結論を急ぐと「最古のグローバル世界=ヘレニズム世界」に行きつく。
根拠は、単純にして明快だ。
ヘレニズム世界=ギリシャ文明圏+オリエント文明圏+エジプト文明圏+イラン文明圏+中央アジア文明圏+インド文明圏
なんと、6つの大文明圏を包含している。しかも、時代は古代ローマより古く、規模は古代ローマを凌駕する。歴史上、この版図に比肩しうるのは13世紀の「モンゴル帝国」ぐらいだろう。
ただし、ヘレニズム世界は、モンゴル帝国とは違い、単一国家ではなかった。6つの文明圏は、政治体制も、法制度も、宗教もバラバラだったのだ。
一方、共通するのは・・・
・ギリシャ語
・ギリシャ的教育
・ギリシャ哲学・科学・芸術
つまり、ヘレニズム世界では、土着の文化とギリシャ文化が融合し、新しい「ギリシャ風文化」が生まれたのだ。これを「ヘレニズム文化」とよんでいる。
たとえば・・・
ギリシャ建築は、アフリカのリビアや、遠く離れたジャワ島でも模倣された。
ギリシャ語のおかげで、アジア人とアフリカ人が意思疎通が可能になった。
ギリシャの著述家プルタルコスは、バビロニアでホメーロスが読まれ、ペルシャ、スーサー(現在のパキスタン、アフガニスタン、イラン)の子供たちが、ギリシャのソフォクレスとエウリピデスの悲劇を歌っていたと証言している。このような文化的同化により、ギリシャからインドに至る広大な地域で、見覚えのある風景が点々としていたのだ(※2)。
さらに興味深いエピソードがある。
エジプトから掘り出されたパピルスによると、イーリアスは、古代ギリシャ・ローマで最も読まれたギリシャ語の書物だったという。さらに、その詩の一節が、ギリシャ・エジプトのミイラの石棺内で発見されている。ホメーロスの詩行は、死の旅路を行く心強い同伴者だったのだ。
一見、奇異にみえるが、古代エジプトでは、不思議なことではない。冥界の同伴者にされたのは、ホメーロスの詩行だけではないのだ。

夜、冥界を通り抜けていく太陽神ラーを警護するのはネコ。ラーが冥界の旅から帰還し、最後の門で番をするのもネコ。古代エジプトでは、ネコは神の守護者だったのである。
それだけはない。ネコは人間の守護者でもあった。
古代エジプト人は、死生観が強く、死後の世界に支配されていた。そこで、彼らはネコに頼った。ネコは、死を知らないから、死を怖れない。ゆえに、生の肯定者であり、魂は不死なのである。
古代エジプト人が、死後、冥界を通り抜ける旅で、ネコに同伴してほしいと願うのは当然だろう。
というわけで、さすがエジプト5000年の歴史、奥が深い。
ネコとホメーロスの詩行を冥界の同伴者にし、死後の安全まで担保したのだから。
■深酒で一変した歴史
最古のグローバル世界は、ヘレニズム世界で間違いないだろう(今のところ)。
とはいえ、こんな巨大な文化圏が、2000年も前に、どうやって生まれたのか?
マケドニアのアレクサンドロス大王の好奇心、それに尽きるだろう。
紀元前336年、アレクサンドロスは、20歳の若さでマケドニアの王位を継承した。父王フィリッポス2世が暗殺されたからだ。その2年後、若き王は、大軍を率いて、東方大遠征をもくろむ。ターゲットは宿敵ペルシャ帝国だが、2年であっけなく終了。そこで、持ち前の冒険心と、世界の果てを見たいという好奇心にかられ、東進を続けたのだった。
紀元前326年、アレクサンドロス軍は、インドのインダス川を越えてパンジャブ地方に侵入した。
諸部族を平定しながら、順調に進軍したが、インド中央部に向かう直前で、事件がおこる。将兵が、東進を拒否したのだ。大王は激怒したが、将兵は頑として動かない。8年におよぶ戦いで、心身ともに疲れ切っていたのだ。そもそも、アレクサンドロス帝国を脅かす勢力はすでに駆逐され、東進を続ける理由はない、アレクサンドロスの好奇心をのぞいて。
こうして、アレクサンドロスの冒険的征服事業は終りを告げた。
紀元前324年、アレクサンドロス軍は、メソポタミアのバビロンに凱旋する。盛大な宴会が、連日催され、メデタシ、メデタシ・・・とはいかなかった。
翌年6月10日、アレクサンドロスが急死したのだ。まだ32歳の若さだった。暗殺説、マラリア説、諸説あるが、本当は酒の飲み過ぎだろう。
歴史上の巨人が、深酒が原因で早死にして、歴史が一変?
ゼンゼン珍しくないです。
たとえば、1236年からはじまったモンゴル帝国のヨーロッパ遠征。
チンギスハーンの征西に続く、2回目の遠征で、モンゴル帝室の王族すべてが参加した。
ジュチ家、チャガタイ家、オゴタイ家、トゥルイ家の王子が兵を率い、全軍の総司令官は、ジュチ家のバトゥが任命された。総兵力15万人の大軍で、ヨーロッパ中が震え上がった。
モンゴル軍は、中央アジア、イラン、ロシアを席巻したあと、東ヨーロッパに入り、1241年にはポーランドに達した。
パニックに陥ったポーランド王国は、神聖ローマ帝国(ドイツ)と連合軍を結成。ローマ教皇グレゴリウス9世も、全キリスト教徒に対し、異教徒(モンゴル)と戦えと檄を飛ばした。この詔(みことのり)に、ドイツ騎士団、聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団が応じたが、死者が増えただけだった。
1241年4月9日、ワールシュタットの戦いで、ヨーロッパ連合軍は壊滅する。
逃げまどう敗残兵も容赦なく惨殺され、総司令官のヘンリク2世も戦死する有り様。これはモンゴルの一分隊で、他の分隊もいたるところでヨーロッパ軍を殲滅した。
そして、ついに王手がかかる。
総司令官バトゥが率いるモンゴル主力が、オーストリアのウィーンに迫ったのだ。
万事休す、ヨーロッパの心臓に剣が突きつけられたのである。
ところが、ここで奇跡がおこる。
モンゴル本国から、オゴタイ・ハーンの死を知らせる訃報が届いたのだ。ハーンの死因は、深酒による急性アルコール中毒だった。跡目相続争いにそなえ、モンゴルの王子たちは次々と撤退していった。
深酒で歴史が一変、はアレクサンドロスの専売特許ではないのだ。
ところで、本当に、アレクサンドロスは深酒で急死した?
ここがちょっと微妙で、急性アルコール中毒ではなさそうだ。
アレクサンドロスは、高熱を発して、ずっと熱が下がらず、激しくノドが渇いて葡萄酒を飲み続け、10日目に死んだという。症状からして、マラリアか、他の感染症だが、深酒の習慣がなかったなら、恢復したかもしれない。感染症は、免疫力で生死が分かれるからだ。その事実を、我々は新型コロナ・パンデミックから学んでいる。
では、アレクサンドロスが大酒飲みだった証拠は?
第一級の史料とされるアッリアノス著の「アレクサンドロス大王東征記(※1)」に、そう書いてある。「第一級」の根拠は、著者自ら、長々と、内容の正確さをアピールしているからだろうが、それはさておき、アレクサンドロスが日常的に深酒する様子が、これでもかと描かれている。日常的な戦闘で、命を削りながら、こんな不摂生を続ければ、免疫力は低下する。ささいなことで命を落としても、不思議ではない。
とはいえ・・・
毎日が戦争なら、酒でも飲まないとやってられない。
現代の企業戦士も、同じかもしれないが。
■ギリシャとオリエントの融合
さて、ここで歴史のIF。
もし、アレクサンドロスが下戸(げこ)だったら、もっと長生きして、アラビア半島を探検していただろう。死ぬ直前まで、その準備に追われていたことが、アレクサンドロス大王東征記(※1)に記されているからだ。
その後は、ローマ帝国と同じ道、地中海世界の征服だ。史上初の地中海帝国は、ローマ帝国ではなく、アレクサンドロス帝国だったかもしれない。
惜しい・・・とはいえ、アレクサンドロスの功績はあまりにも大きい。
ギリシャ → 小アジア → シリア → エジプト → メソポタミア → イラン(ペルシア帝国) → 中央アジア(バクトリア)→ インダス川流域(パンジャブ地方)の全長5000kmにもおよぶ地域を征服し、広大な「ヘレニズム文化圏」を創造したのだ。
その間、激しい戦闘で、アレクサンドロスは、何度も何度も死にかけた。インドでは、単身、敵の要塞に飛び込み、包囲され、九死に一生をえた。それでも、アレクサンドロスは死ななかった。神の子は、人間の兵士では殺せないのだ。
ところが、深酒がたたって、あっけなく死ぬ。これが英雄の運命というものだろうか。
では、アレクサンドロス大王が死んだ後、ヘレニズム世界はどうなったのか?
アレクサンドロスの血縁者二人による共同統治となった。
異母兄で知能に問題があるピリッポス3世と、アレクサンドロスの死後生まれた息子アレクサンドロス4世である。ところが、アレクサンドロス配下の将軍たちが黙っていない。偉大な征服王に付き従って、インドまで遠征した歴戦の勇者なのだ。彼らもまた、アレクサンドロスだったのである。
紀元前322年、後継の座を巡って、ディアドコイ戦争が始まった。
ピリッポス3世は紀元前317年に、アレクサンドロス4世は紀元前309年に、暗殺された。その後、ヘレニズム世界は、エジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝、マケドニアのアンティゴノス朝の三つに分裂した。それでも、ヘレニズム文化は消滅しなかった。むしろ、繁栄したのである。
紀元前1世紀、セレウコス朝が衰退すると、アルメニアがヘレニズム文化を継承した。アルメニア王ティグラネスは、帝都ティグラノケルタをギリシャ風に飾り立てた。ギリシャ風の劇場、アゴラ(広場)、ギュムナシオン(体育場)、ギリシャ風文化施設を次々と建設したのである。さらに、ギリシャの哲学者や劇作家を招聘し、手厚くもてなした。
さらに、インド西北のバクトリア王国では、魅力的なインド・ギリシャ的な文化が生まれた。アレクサンドロス大王の夢は、西方のギリシャ文化と、東方のオリエント文化の融合だったが、それがインドまでおよんだのである。
では、ヘレニズム文化はいつまで続いたのか?
エジプト・プトレマイオス朝が滅亡した紀元前30年まで。
というのも、3つに分裂したアレクサンドロス帝国で最も長寿だったのが、この王朝だったのだ。
ちなみに、プトレマイオス朝のラストエンペラーは、美女の誉高いクレオパトラ7世である。ローマ帝国のカエサルとアントニウスの愛人になり、それをフル活用して、王朝を保ったが、後のローマ初代皇帝オクタヴィアヌスの誘惑に失敗。屈辱より名誉を重んじたクレオパトラは、自殺した。その後、カエサルとクレオパトラの息子カエサリオンは殺され、プトレマイオス朝は滅亡した。紀元前30年8月のことだ。
ちなみに、エジプト・プトレマイオス王朝はエジプト人の王朝ではない。アレクサンドロス大王の首席護衛官だったプトレマイオスが興したギリシャ人の王朝である。この王朝は、人類の文化史に大きな足跡を残した。世界の七不思議の一つ「アレクサンドリアの大灯台」のことではない。数十万巻の蔵書を誇った古代世界最大の「アレクサンドリア大図書館」である。
プトレマイオス王朝の創設者、プトレマイオス1世は、世界中の書物と学者をあつめ、王都アレクサンドリアを、世界の「知」の中心地にしようともくろんだのだ。アレクサンドロス大王が、世界の果てを夢見たように。
さて、ここで結論。
史上初のグローバル世界は、ヘレニズム文化圏。その最初のベストセラーが、ホメーロスの叙事詩だったのである。
《つづく》
参考文献:
(※1)アレクサンドロス大王東征記 : 付インド誌 フラウィオス アッリアノス (著), 大牟田 章 (翻訳)出版社、岩波書店
(※2)パピルスのなかの永遠: 書物の歴史の物語 イレネ・バジェホ (著), 見田 悠子 (翻訳) 出版社:作品社
by R.B
