映画「渚にて」(2)~グレゴリー・ペック~
■ブラジルから来た少年
「あれ」は5ヶ月後に来る。
その後、地球は死の惑星に・・・人類滅亡のカウントダウンは始まっているのだ。
アメリカ海軍・原子力潜水艦スコーピオン号は、メルボルン港にいた。放射能汚染を避けて南下し、オーストラリア海軍に身を寄せていたのである。所属するアメリカ海軍は音信不通、アメリカ本国も存続しているかもあやしい。
そんなおり、原潜スコーピオン号はオーストラリア海軍から任務が与えられた。北極の放射線量を測定するのである。連絡士官として、オーストラリア軍のホームズ大尉(アンソニー・パーキンス)も乗艦することになった。
ホームズ大尉がメルボルン港に行くと、スコーピオン号の艦長タワーズ中佐がいた。タワーズは異国のアメリカ人、そこで、ホームズ大尉はホームパーティに招待することにした。艦長の気持ちをなごまさせるために、近所の独身女性モイラも。
・・・と、ここまでは、予定調和のような展開。
ちなみに、この映画の主役は、原潜スコーピオン号のタワーズ艦長。演じるのは、ハリウッド全盛期の大スター、グレゴリー・ペックである。
グレゴリー・ペックは絵に描いたような二枚目俳優だ。しかも、理知的で紳士的で優しく、正義感にあふれている。これを顔面だけで表現するのだから大したものだ。さすがは、ハリウッドの大スター。
グレゴリー・ペックは古きよき時代のアメリカの理想の男性像だった。事実、1970年頃まで、模範的なアメリカ男性の役柄ばかり演じていた。さぞかし、息苦しい俳優人生だっただろう。
ところが、そんなグレゴリー・ペックに転機が訪れる。
1978年に公開されたSF映画「ブラジルから来た少年」だ。これを観た映画ファンは仰天した。
仰天は2つ・・・
第一に、グレゴリー・ペックは主役ではない。
第二に、グレゴリー・ペックが出る映画ではない。
「ブラジルから来た少年」は、ブラジルから渡米したサッカー少年が、アメリカのサッカー普及に大貢献する、なんて健全な話ではないのだ。ナチス・ドイツのヒトラーがクローンで現代によみがえる・・・絵に描いたようなB級SFだ。
しかも、グレゴリー・ペックは主役ではなく脇役。
つまりこういうこと・・・トム・クルーズが「アイアン・スカイ」に「脇役」で出演するようなもの。ありえない。
原作はアメリカの作家アイラ・レヴィンだが、それは重要ではないだろう。問題は、B級SFを突き抜けて「サブカル」に踏み込んでいること。しかも、スチームパンク、サイバーパンクのような、健全なサブカルではない。「カルト」の臭いがするのだ。
というのも・・・
「ヒトラーのクローン」計画の主犯は「ヨーゼフ・メンゲレ」だというのだから。
■ナチスのサブカルチャー
ヨーゼフ・メンゲレは実在の人物である。
「メンゲレの人体実験」で歴史に名を刻んだ悪徳医師だ。
メンゲレは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの軍医で、親衛隊(SS)の将校でもあった。その立場を利用して、アウシュヴィッツ収容所で人体実験を行ったのである。アーリア人至上主義、人種淘汰、人種改良・・・あらゆる悪徳を実践し、「死の天使」とよばれた。
やったことがおぞましい。人為的に双子を産ませ、アーリア人の量産化をもくろんだのである。
これだけでも、カルト指数「1,000,000」突破しそうだが、メンゲレはそれで終わらなかった。戦後、南米に逃げのびて、新たなメンゲレ伝説を作り上げたのである。
じつは、南米に逃げたナチス幹部はメンゲレだけではない。ナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマンもその1人。数百万のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ責任者で、戦後、アルゼンチンに逃亡した。ところが、15年後、イスラエル諜報機関・モサドに捕獲され絞首刑に処せられた。
ナチス幹部が南米に逃げるのは理由がある。南米には、多くのドイツ人植民地があるから。
かの大哲学者ニーチェの妹エリーザベトも、南米パラグアイにドイツ人植民地「新ゲルマニア」を建設している。結局失敗して、自分だけドイツに逃げ帰ったのだが。ところが、その後が凄い。
兄ニーチェの著作を利用して、ニーチェ・ブランドを確立したのである。
その手口は巧妙にして大胆。ニーチェの「超人哲学」を曲解し、ナチスの人種差別主義、軍国主義を正当化し、みかえりに、ナチス政権の支援をとりつけたのである。つまり、エリーザベトとナチスはウィン・ウィン、どころからズブズブ。エリーザベトの葬儀にヒトラー自ら参列したほどだ。
兄のニーチェは何も言わなかった?
深刻な心の病で、それどころではなかった。しかも、一度も回復することなく死んでしまった。だから、自分がナチスに利用されたことを知らない。世の中、知らない方が良いことがたくさんある。
ただし、エリーザベトの名誉のために一つ付け加えておくと・・・
エリーザベトは兄ニーチェを心から尊敬していた。兄を辱めるつもりは毛頭なかった。私利私欲のために曲解しただけ。しかも、「曲解」の意図も意識もまったくない。これが、エリーザベト伝説の原動力なのだ。
エリーザベト伝説の歴史的意義は、ニーチェを世に出したことだが、ドイツ人植民地「新ゲルマニア」も大きい。
ただし、南米にドイツ人植民地を建設したのは、エリーザベトが初めてではない。その前から、多くのドイツ人が南米に植民していた。ほとんどがドイツで食いっぱぐれた連中だったが。ところが、エリーザベトは違った。アーリア人の理想国家「新ゲルマニア」という崇高な?イデオロギーをかかげていたのである。
というわけで、ドイツと南米との関係は古くて深い。しかも、その関係は現在も進行中・・・
というのも、最近、南米チリで驚くべきドイツ人植民地が摘発されたのだ。
ナチスの教義を信奉する「コロニア・ディグニダッド」である。外界と接触を絶ち、空港、病院などのインフラを備え、戦車まで隠し持っていたのだ。
というわけで、「ブラジルから来た少年」は、ナチスのサブカルそのまま。しかも、V2ロケットやタイガー戦車の超兵器ぶりをよろこんでいるレベルではない。突き抜けてカルトなのだ。
話をもどそう。
じつは、「ブラジルから来た少年」でメンゲレを演じているのがグレゴリー・ペックなのだ。「ローマ休日」でオードリー・ヘプバーンとラブロマンスを演じた甘いマスクの色男はどこへ行った?
グレゴリー・ペック版メンゲレの存在感は圧倒的だ。
激高しても、表情がまったく動かない・・・これがマジでコワイ。
あれ、これグレゴリー・ペックじゃない?
まさか・・・でも似てるし・・・えー、マジか!
という5秒間の紆余曲折を今でも覚えている。
こうして、グレゴリー・ペックは個性派俳優としての名声をえた。「カルト」のキングとして(一部のファンの間で)。
「渚にて」で良き軍人、良き夫をを演じたアンソニー・パーキンスもしかり。
ヒッチコックの代表作「サイコ」でサイコ役者として映画史に名を刻んだのだから。
そこで、お薦めの映画鑑賞がある・・・
「渚にて」を観たあと、「ブラジルから来た少年」と「サイコ」を観る。グレゴリー・ペックとアンソニー・パーキンスの変容に仰天すること間違いナシ。
■ホームパーティに隠された真実
火星人が襲来しようが、核戦争が起ころうが、パーティは欠かせない、これが、1950年代のSF映画だ。
「渚にて」もしかり・・・
冒頭のホームズ大尉のホームパーティだ。パーティには20人ほどが出席し、愉しい歓談がはじまった。
ところが・・・
偏屈者が愉しい場を一変させる。オーストラリア海軍の科学士官ジュリアン・オズボーン博士だ。彼の持論に初老の男がかみつく。
「この戦争が事故だって?」
ジュリアンがしたり顔で反論する。
「いや事故とは言ってない。技術的、感情的に計画したんだ。だが、見事に失敗した。結局、我々の文明が破壊されたんだ。試験管とトランジスタでね。欠陥品さ」
酒が彼を勢いづかせる・・・
「科学者は原爆をつくり、実験をして、爆発させた。おかげで我々は全滅だ。その結果、この部屋の放射能ですら、去年の9倍にふえている。わからんのか。おれたちはみんな死ぬ。飲んだくれて死ぬだけだ。生き残るチャンスなんかないんだ」
これを聞いて、ホームズ大尉の妻メアリーはキレた。
「やめてジュリアン!わたしは希望をもつわ。絶望なんてイヤ」
泣きじゃくって、部屋を飛び出していく。
一方、タワーズ艦長とモイラの会話も湿りがち・・・
タワーズ艦長には、妻のシャロンと8歳と5歳の子供がいる。正確には「いた」なのだが。しかし、軍人なので、泣き言は口にしない。「家族の死」もふせ、ひたすらミルクを飲んでいる。
一方、モイラは酔っ払って本音がでてきた。彼女はフランスに行って買い物をしたかったのだ。
「リボリ街(フランス)を歩いて手袋を買うの。フランス語で注文できるわ」
そこで、泣き崩れる。
一見すると、愉しそうなホームパーティ。
ところが、足元を見ると地獄のフタが開いている・・・
泣こうが、叫ぼうが、この世界はあと5ヶ月で終わるのだ。
参考文献:
渚にて【新版】人類最後の日(創元SF文庫)ネヴィル・シュート(著),佐藤龍雄(翻訳)出版社:東京創元社
by R.B