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週刊スモールトーク (第294話) 株式投資入門(1)~株を始めた理由~

カテゴリ : 経済

2015.07.04

株式投資入門(1)~株を始めた理由~

■株はバクチか経済か?

若い頃、「株はやってはいけない」と教えられた。

株式投資なんて山師のやること。一攫千金をもくろむなど、まともな人間のやることではない。そもそも、お金は額に汗して稼ぐもの、骨身を惜しまず働け、というわけだ。我が家は代々、教員か公務員、一番出世で「村長」だから、こんな陰気くさい家訓になったのだろう。

早い話が・・・石橋を叩いて渡らない(崩れ落ちるぞ)。

そして、この家訓に花を添えたのが祖父だった。戦後間もなく、投資信託に手を出して、大損したのである。祖父の兄弟姉妹は口をそろえて、祖父の軽率さをののしり、その後決まって、証券会社を非難するのだった(父の話)。こんな環境で育てば、誰だって株を毛嫌いする。

ところが、就職すると、配属先の上司にこう言われた。

「君は技術屋だから、株をやった方がいい」

「え!損するのが嫌なので・・・じつは祖父も」

すると、上司は話をさえぎって、

「だから株をやるんだ。損するのが嫌だから、経済を勉強するようになる」

さらに、こう付け加えた。

「君は技術屋だから、放っておいても、技術の勉強はする。でも、経済は勉強しない。仕事に関係ないから。ところが、仕事は歳とともに変わる。上へ行けば行くほど経済が必要になる。だから、株式投資は勉強するためのニンジンなんだよ」

目からウロコだった。

たしかに・・・

競馬・パチンコ・カジノは、まんまバクチなので、何の役に立つかわからない「度胸」以外身につかない。ところが、株式投資は半分はバクチ、半分は経済。だから、経済の知識があるとないとでは大違い。この事情は麻雀とよく似ている。

麻雀は、半チャン(ゲームの単位)1回や2回なら、初心者が勝つこともある。いわゆる、ビギナーズラックだ。ところが、半チャン4回なら、初心者に勝ち目はない(残り3人が強者なら)。つまり、回数を重ねるほど、運ではなくスキルが効いてくる。

では、株式投資のスキルとは?

政治・経済・歴史と、カンタンな心理学。

心理学?

難しい話ではなく・・・株は、みんなが上がると思ったら上がり、下がると思ったら下がるということ。

たとえば、1929年の世界恐慌。アメリカの株式大暴落が世界同時連鎖を起こした歴史的事件である。

1929年10月24日、ニューヨーク株式市場が大暴落した。ところが、その予兆はあった。生産過剰で在庫が積み上がり、実体経済は破綻寸前。しかも、1ヶ月前から、株価は乱高下を繰り返していた。

それでも株価は上がり続けた。

なぜか?

みんな、株は上がると信じていたから。

というのも・・・

その頃、アメリカは空前の好景気を謳歌していた。すべて、第一次世界大戦のおかげ。というのも、この戦争で、ヨーロッパは戦場になったが、アメリカは戦場にならなった。そのため、アメリカは無傷の工場で大量の戦需物資を生産し、ヨーロッパに供給できたのである。

さらに・・・

戦争が終わると、ヨーロッパの戦後復興が始まった。アメリカは、膨大な復興物資をヨーロッパに輸出し、巨万の富を得た。結果、アメリカは、貧乏な債務国からリッチな債権国に変身したのである。さらに、この頃、自動車が一般家庭に普及し、モータリゼーションも始まった。

アメリカにとって良いことずくめ・・・

気をよくしたアメリカのフーヴァー大統領は、「永遠の繁栄」という大それたスローガンをぶち上げた。

ところが・・・

半年後、ニューヨーク株式市場が大暴落した。フーヴァーの「永遠」とは「6ヶ月」のことだったのである。

ではなぜ、その時になって、株式市場は大暴落したのか?

株は下がるかも、と疑い出した者がいて、こっそり売りに回ったから(第35代アメリカ合衆国大統領ケネディの父など)。それが売りが売りを呼んで、大暴落になったのである。

つまり、株価を決めるのは「経済理論」ではなく「投資家の思い」。

■NTT株上場で大フィーバー

話を、株好きの上司にもどそう。

「君は技術屋だから、株をやった方がいい」

このアドバイスが、腑に落ちたので、素直に従うことにした。とはいえ、当時は、まだ新入社員で、種銭(たねせん)がない。そこで、残業に精を出し、質素倹約、ケチケチ生活で、毎月7万円貯金した。この会社には、給与天引きの預金制度があり、上限は100万円だが、市中の銀行より利率が高かった。こうして、1年で100万円貯めることができた。

ところが、その後、急に仕事が忙しくなり、株どころではなくなった。結果、株式投資は忘却の彼方へ。

そんなある日、株の世界で、10年に一度のビッグチャンスが巡ってきた。

1987年2月、日本電信電話公社の民営化と上場が決まったのである(現在のNTT)。それに伴い、政府が保有していたNTT株が売り出されることになった。売り出し価格は「119万7000円」と割高だったが、購入希望者が殺到。一人一株に制限され、倍率10倍の抽選となった。

NTT株は、予想どおり、大きく値上がりした。そこで、柳の下の二匹目のドジョウを狙って、株式投資ブームが起こり、バブルの導火線に火をつけたのである。

しかし・・・

日本の株フィーバーは、NTTが初めてはなかった。

100年前、20世紀初頭に起こった「南満州鉄道」株フィーバーである。

この頃、日本は満州(現在の中国東北部)に侵出していた。ロシアが満州と朝鮮半島に侵出し、日本の安全保障を脅かしたからである。

満州を支配する上で、重要なのは点と線。点は駅と周辺の住宅地・商業地・工業地、線は鉄道である。このインフラの開発とメンテナンスを任されたのが「南満州鉄道株式会社」だった。いわゆる「満鉄」である。

この満鉄の株が公募されたのである。

満鉄の当初の資本金は2億円で、1億円は日本政府の現物出資、残り1億円が公募となった。当時の日本政府は、応募が少ないのではと心配したが、ふたを開けてみれば、応募者1万2000人。1000倍の抽選になったのである(NTTの100倍!)。

こうして、NTT株フィーバーを超える満鉄株フィーバー、満州ブームが起こった。その後、満鉄は満州の利権を独占し、日本最大のコンツェルンにのし上がった。ところが、100年経った今、満鉄は跡形もない。満州も中国の領土となっている。栄枯盛衰は世の常人の常・・・

話を、NTTにもどそう。

じつは、このNTT株の抽選に当選したのである。確率1/10の幸運を引き当てたわけだ。元々、クジ運は強い方で、住宅公団の7倍、自動車教習所のキャンセル待ちの20倍を引き当てた!

・・・・

ところで、NTT株は上場後、どうなったのか?

上場当日、買い気配のまま、値が付かず、翌日に持ち越された。そして、ようやく付いた初値が160万円!つまり、一撃で40万円も値上がりしたわけだ。しかも、2ヶ月後には、318万円・・・

2ヶ月で3倍に値上がり!?

ありえない!

ところが、バブル期はそうでもなかった(滅多になかったが)。

こうして、サラリーマンから主婦までが株に手を染め、バブル景気に突入したのである。

で、「318万円」の後のNTT株は?

結局、それが最高値だった。その後、280万円~290万円を行ったり来たり。

そして・・・

これに、さんざん悩まされることになった。

自分が買ったNTT株のことである。株を買うのも売るのも初めてなので、売り時がサッパリわからないのだ。

最高値の318万円まで値を戻せば、売り!ところが、そんな気配はない。そこで、腹をくくって、キリのいい300万円で売ることにした。ところが、300万円に近づくと、下がり始め、300万円には決して届かない。

そこで、証券会社の担当者に相談すると・・・驚くべき答えが返ってきた。

「あたりまえですよ。みんな、キリのいい300万円で売りたがっているから、300万円に近づくと、売りを浴びて、下落する。だから、300万円には絶対になりません!」

このとき、株の神髄を悟った気がした。

つまり・・・株は「人間の思い」で決まる。

そもそも、この時代、株の売買はまだ人間がやっていたから、あたりまえかもしれないが。

ところが・・・

今では、株取引はすっかり様変わりした。

株の売買の主役が、人間からマシンにシフトしたのである。ここでいうマシンとは、機械学習能力を備えたニューラルネットワークを搭載する人工知能である。厳密なロジックと膨大な情報をベースに、「1/1000秒」で取引注文を出すことができる。だから、人間に勝ち目はない(中長期投資は別)。このようなコンピュータによる株の売買を「超高速取引(HFT)」とよんでいる。

というわけで、證券会社の担当者に目を開かされ、1秒で決断した(それでもコンピュータより1000倍遅い!)。指し値「289万円」で売りに出したのである。

こうして、120万円の種銭(たねせん)で、289万円をゲットできた。次に、全額を他の株に投資し、すべて利益を上げることができた。

というのも・・・

この頃、バブル景気の最中で、株価が底上げされていた(日経平均が上昇)。つまり、買えば上がったのである(よほどヘンな株に手を出さない限り)。

では、この時期、アメリカの株はどうだったのか?

日本同様、上がっていたが・・・不吉な予兆が現れていた。

1987年8月以降、「100ドル急落」が何回か起こったのである。大事の前に小事が多発する、1929年のブラックマンデーの相似である。

■ブラックマンデー阿鼻叫喚

この頃、経済・歴史の勉強しまくりで、かなりのスキルが身についていた。そのスキルが・・・暴落が近い、と警告するのである。

そもそも、株は永遠に上がり続けることはない。必ず暴落する。問題は、いつか?だ。

1987年10月18日(日曜日)、子供をつれて、近場の遊園地に遊びに行った。近くに温泉があり、ロビーには日経新聞がおいてあった。そこで、何の気なしに新聞をめくっていると・・・仰天するような記事を見つけた。

終末、ニューヨーク株式市場で100ドル急落したというのだ。100ドル急落は初めてではないし、暴落とまではいかない。ではなぜ、仰天したのか?

不吉なコメントが付いていたから。

機関投資家だけでなく、個人投資家も売りに回ったというのだ。

機関投資家は、損しても、自分のサイフが傷むわけではない。すべて、他人のおカネ。ところが、個人投資家はすべて自分のおカネ。しかも、信用取引でレバレッジをかけていれば、大損は自己破産を意味する。だから、真剣味が違う。

その”真剣な”個人投資家が売りに回ったというのだ。

暴落・・・そう直感した。

そこで、翌日の10月19日(月曜日)、すべての株を売却した。幸い、利益が出ていたので損切りはなかった。

そして、その夜・・・

ニューヨーク市場で取引が始まると、株の暴落が始まった。この一日で、ダウ平均は「508ドル」も下落。下落率は史上最大の「22.6%」を記録した。これが「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」である。

そして、日があけて、10月20日(火曜日)、日本の株式市場も大暴落した。日経平均株価は3836円安で、下落率14.9%。こちらの暴落も凄まじい。

証券会社の担当者から電話があって、

「なんで分かったんですか?」

としつこく聞かれた(インサイダーではありません!)。

このとき、改めて痛感した・・・株は「人間の思い」で決まる。

だって、そうではないか。

1日で、政治・経済が一変するはずがないから。

というわけで、暴落を回避して鼻高々、知人に自慢して回った(子供ですね)。

ところが、その後、ドンデン返し・・・

世界中で株価が持ち直したのである。そして、半年後の1988年4月には、下落分をすっかり取り戻してしまった。

つまり、売る必要はなかったわけだ。

では、「ブラックマンデーの前日に株を売却」は何の意味もなかった?

そうでもない。

ブラックマンデーの後、株価が回復しても、株式投資への不安は消えなかった。株価は「経済理論」ではなく、「人間の思い」で決まることに恐怖を覚えたのだ。その後、金額を減らして、株を売買したが、不安は増大する一方だった。株価はもう一度暴落する、その時は奈落の底・・・そう確信した。

1989年10月、すべての株を売却し、株式投資から撤退した。当時、上司だった課長にそれを打ち明けると、フンフンとうなずいていたが、売却したかどうかはわからない。

そして・・・

1989年12月29日、日経平均株価は市場最高値「3万8915円」をつけた後、暴落に転じた。その後、株価は高転びに転ぶ・・・バブルは崩壊したのである(↓)。

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株式投資をすると、政治・経済・歴史を勉強するようになる。知らないと、運任せになり、勝率が下がるから。当然、自分のサイフが直撃される。だから、勉強と経済指標のチェックは欠かせない。

しかし・・・

もっと重要なことがある。

株価は「経済理論」ではなく「人間の思い」で決まること。

そして、株を買った瞬間から、「売り」に集中すること。

絶対に安全な株などないから。

たとえば・・・

富裕層の間で、電力はなくならないから、絶対売ってはいけないと代々受け継がれた「東京電力株」。そんな超安定株が、東日本大震災を境に「2000円→120円」と大暴落したのだ。桁落ちどころではない。

東京電力が、日本を放射能汚染列島寸前に追い込むとは、誰が想像できただろう。

つまり・・・

どんなピカピカの優良株も、しょせん、人間が生み出したモノ。どうなるかわかったものではない。下がるどころか、紙切れになることもあるのだ。

だから、株は買ったら、必ず売る。

現金化して、初めて勝ち負けが確定するのだから。

というわけで、株式投資の心得は意外にシンプルだ。常識の範囲と言っていいだろう。

では、株式投資のスキルは?

政治・経済・歴史をまんべんよく勉強しないとダメ?

ゼンゼン。

たいそうな政治・経済・歴史ではなく、日常生活の延長にある社会学程度。ということで、まずは株式投資の黄金則からみていこう。

《つづく》

by R.B

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