飛行船(2)~ツェッペリン飛行船~
■ツェッペリン飛行船
人類史上初の動力飛行は蒸気飛行船である。
ところが、動力とはいえ、たったの3馬力。風が吹けば風まかせ、命知らずの冒険家ならいざ知らず、誰も恐くて乗れなかった。ということで、歴史上初の実用的な飛行船は「ツェッペリン飛行船」。開発したのはドイツのフェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵である。飛行船に魅入られたこの風変わりな伯爵は、初めに飛行船製造会社、つぎに航空会社を設立した。事がうまく運べば、世界最大の航空機メーカー・ボーイング社と世界最大の航空会社・アメリカン航空を合わせたほどの巨大企業になるはずだった。
その後、ツェッペリン伯爵は、ツェッペリン社の経営権をH.エッケナーに譲渡した。エッケナーはパイロット出身だったが、凄腕ビジネスマンとしても知られていた。1909年、エッケナー率いるツェッペリン社は、ドイツ全土で飛行船の旅客航空事業をスタートする。10都市をむすぶ航空路が開設され、利用者は4年間で3万4000人にも達した。大成功をおさめたツェッペリン社は、つぎに大西洋定期航路創設をもくろむ。アメリカとヨーロッパの空を結ぼうというのだ。その先にあるのは、世界を結ぶ航空会社、まさに夢の大事業だった。
■硬式飛行船と軟式飛行船
1928年、ツェッペリン社は技術の総力を結集して、巨大な飛行船を建造する。「グラーフ・ツェッペリン号」である。この最新鋭ツェッペリン飛行船は、全長235m、航続距離1万kmという超怒級の飛行船であった。ツェッペリン飛行船は、その後も大成功をおさめ、硬式飛行船を表す一般名詞になり、歴史年表にその名を刻んだ。
ここで、「硬式飛行船」とは、軽金属で船体の枠組みをつくり、その上に外皮を貼り付けたもの。一方、「軟式飛行船」は金属の外枠はなく、ガスで外皮を膨らませただけ、つまり、風船。そのため、ガスが漏れれば、船体を維持できない。物騒な方式だが、現在、地球を飛んでいる飛行船のほとんどが軟式飛行船。理由は安価だがら。
1929年、ツェッペリン飛行船は大西洋を横断し、3週間かけて世界を一周した。この世界周航では、ツェッペリン飛行船は日本にも飛来している。着陸地点の霞ヶ浦には、もの珍しさに、多数の日本人がつめかけたという。
■見込みのなかった飛行機
ところで、動力飛行といえば、飛行機。じつは、この頃すでに、飛行機は実用化されていた。ツェッペリン飛行船の世界周航の2年前に、リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行に成功している。同じ時代に、飛行船は世界一周、飛行機は大西洋横断、この差は大きい。飛行機は航続距離が短く、途中で海に着水し、船に給油してもらう必要があった。
また、エンジントラブルも日常茶飯事だった。自動車なら「走行停止」ですむが、飛行機なら「墜落」。これが日常茶飯事なら、命がいくつあっても足りない。飛行機に乗りたがる人などいなかっただろう。そのため、飛行機は定期郵便航空などに限られた。有名な「星の王子さま」の著者サン=テグジュペリも、この定期郵便航空のパイロットだった。
日本でサン=テグジュペリと言えば「星の王子さま」だが、一番の名作は「人間の土地」だろう。1920年代、フランスのトゥールーズからサハラ砂漠西の町ダカールを結ぶ定期航空便があった。物語の主人公はこの航路を飛ぶパイロットたちだ。まだ、飛行機が墜ちて当たり前の時代、死と隣り合わせに生きるパイロットたち。その日常が生き生きと描かれている。
サン=テグジュペリ自身が定期航空便のパイロットで、彼の実体験にもとづいている。リアルだが、生々しいところはなく、詩的で美しい。話を飛行船にもどそう。このように、飛行機は命懸けの乗物で、空の期待は飛行船にかけられていた。飛行船は基本「浮遊」なので、船酔いしないし、乱気流で乱高下することもない。まさに、いいことづくめ。
その成功を目の当たりにしたイギリスは、「R101」という巨大飛行船を建造した。ところが、墜落、大惨事となった。その後も、世界中で飛行船の事故は後を絶たなかったが、人々は飛行船を見捨てることはなかった。
■飛行船ヒンデンブルグ号
1935年、日の出の勢いのツェッペリン社は、歴史上最大の飛行体「ヒンデンブルグ号(D-LZ129)」を完成させる。ヒンデンブルグ号の全長は245m、現代のジャンボ旅客機の3倍。また、巨大な船体を浮かせるため、16個のガス袋に15万立方メートルもの水素がつめこまれた。
ヒンデンブルグ号は、ドイツとアメリカを2日半で飛んだが、当時の客船の2倍の速さであった。室内には、レストランをはじめシャワー室、さらに、郵便局まであった。飛行船に郵便局?飛行船内で出された郵便物を、落下傘で落としたのである。こうして、ヒンデンブルグ号は世界中から「空の女王」と呼ばれた。
一方、ヒンデンブルグ号には危険な裏方仕事もあった。飛行船にとって「重さ」は悪。そこで、外皮は超軽量の布が使われたが、飛行船は高々度を飛ぶ。当然、気温は低く、強風も吹く。そのため、外皮はあちこちで破れた。さらに、エンジンの故障も頻発した。もちろん、地上に降りてからでは間に合わない。そこで、修理員は飛行中に修理したのである。
修理作業は命がけだった。ロープ1本に命をあずけ、あの滑り落ちそうな曲面を歩き回るのである。しかも高度は2000m、並の神経では務まらない。一方、こんなアクロバット修理ができるのも、飛行船が浮いているから。つまり、エンジンが停止しても、すぐに墜ちることはない。だから、のんびり修理ができるわけだ(修理員はヒヤヒヤだが)。
ということで、飛行船は快適で、安全性も高い。いいことづくめだが、気になるのは運賃。じつは、「ドイツ-アメリカ」の片道切符は飛行船の給仕の月給の20倍もした。現代の貨幣価値で400万円!旅客は富裕層に限られたと言うが、そりゃそうだろう。
ところで、ヒンデンブルグ号には面白いエピソードがある。最初、飛行船名は「ヒトラー号」になる予定だったというのだ。第二次世界大戦の原因となったあのヒトラーである。ところが、エッケナーは自分のツェッペリン社の株をヒトラーに奪われたことに腹を立て、周囲の反対を押し切って、「ヒンデンブルグ号」と命名した。もう少しのところで、歴史年表には「ヒンデンブルグ号」ではなく「ヒトラー号」と刻まれるところだった。
■ヒンデンブルグ号炎上
ささいな問題もあったが、巨大飛行船ヒンデンブルク号の未来はバラ色だった。1936年には50回も飛行し、大西洋航路をほぼ独占した。ところが、1937年5月6日、63度目のフライトで、あの歴史的な事故が起こる。ヒンデンブルク号はニューヨーク近郊のレイクハースト飛行場に着陸する寸前に、大爆発を起こしたのである。死者36名、重傷者62名という大惨事だった。
飛行船にとって不運だったのは、この大惨事の一部始終がフィルムにおさめられたことだった。全長245mの巨体が、たった35秒で燃え尽きる。その地獄のような映像は、人々に飛行船の恐怖を植えつけ、飛行船の未来を奪ったのである。
ヒンデンブルク号の墜落の原因は、さまざまな説がとりざたされたが、最も有力なのは水素の引火説。水素は酸素と結合しやすいので、引火や爆発の危険が高く、取り扱いが難しい。ささいな火花でも引火し、大爆発を起こす。また、それまでのツェッペリン飛行船は塗装がなかったが、ヒンデンブルク号には塗料が塗られていた。この塗料が引火しやすかったため、塗料に引火したという説もある。
■消えた2000年の空の旅
70年前に描かれた「2000年の空の旅」というイラストがある。未来の飛行船の旅をイメージしたもので、図書室や子供部屋まである。飛行船の下部に小型飛行機まで連結されている。飛行船空母?このイラストは、人々に飛行船の夢のような未来を提示した。ところが、21世紀になった今も、この夢は実現されていない。
ヒンデンブルグ号の型式は「D-LZ129」で、これにつづく「D-LZ130」もすでに完成していた。ところが、この飛行船が空を飛ぶことはなかった。21世紀まで続く飛行船の未来は35秒の爆発とともに消えたのである。第二次世界大戦中、少年航空兵だった父は、先輩パイロットから「一番乗り心地がいいのは飛行船」と聞かされたという。確かに飛行船は、理想的な飛行体だ。誰でも納得できる原理で浮き上がり、揺れもなく、乗心地は抜群。また、故障してもゆっくり墜ちるので、安全性も高い。スピードさえ目をつぶれば、まさに、いいことづくめ。
一方、ジェット機は、墜ちる前に前に進む、というイメージ。水面で、左足が沈む前に右足を前に出し、これを繰りかえせば、水面を歩ける、みたいなもの。およそ信用できない理屈だ。離陸時のキーンという音を聞くたびに、このことを思い出し、体が硬直する。飛行船は浮力で飛ぶが、ジェット機はエンジンだけで飛ぶ。むろん、これは物理学ではなく、カンカクの話。
■もう一つの歴史
ツェッペリン飛行船の最終型ヒンデンブルク号は、イギリスやアメリカの飛行船にくらべ、はるかに安定していた。もし、水素ではなく、ヘリウムを使っていれば、あんな事故は起こらなかっただろう。もちろん、ツェッペリン社もそのことは分かっていた。実際、ヘリウムを採用する予定だったのだ。
ところが、ヘリウムの生産国アメリカはドイツへの供給をしぶった。ツェッペリン社がナチスドイツに国有化されていたからである。ツェッペリン社は危険な水素を使わざるをえなかったのである。もし、ヒトラーが選挙で負けていたら、飛行船ヒンデンブルク号はヘリウムを採用し、あの事故は歴史年表から消えていた。結果、飛行船が空の覇者になり、飛行機も歴史から消えていただろう。高度に進化した飛行船が空を埋めつくすもう一つの世界。
ところが、現実は、物騒で無粋な飛行機が飛行船を駆逐した。それは、かつて有望だった電気自動車が見込みのなかったガソリン自動車に駆逐された歴史に似ている。歴史は、ささいな出来事で大きく変わることがある。それが歴史の面白さでもあるのだが。
《完》
by R.B