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週刊スモールトーク (第279話) 文明が滅亡する理由~複雑化Vs.知能~

カテゴリ : 歴史社会科学終末

2015.01.31

文明が滅亡する理由~複雑化Vs.知能~

■文明はなぜ滅ぶのか?

地球5000年の歴史は、文明の興亡の歴史でもある。シュメール、アレクサンドロス王国、ローマ帝国、モンゴル帝国、清帝国・・・その全盛期を思えば「滅亡」など想像もできない。

ところが、現実は・・・みんな滅んでしまった。建国以来、「万世一系(一つの皇統が続く)」を貫いているのは、日本のみ。

つまるところ、

文明は、生まれ、栄え、滅ぶのである。

では、あらためて・・・文明はなぜ滅ぶのか?

異民族の侵入、内乱・革命、自然災害、気候変動、原因はいろいろあるが、行き着くところ、

「問題の複雑さ>人間の問題解決能力」

つまり、問題の複雑さが人智を超えたとき、問題は先送りにされ、積もり積もって、カタストロフィ(大破局)に至るのである。この境目を、社会学者レベッカ・コスタは「認知閾(にんちいき)」とよんだ(※1)。

では、文明は、どのようなプロセスを経て「認知閾」に達するのか?

歴史上実在した文明で検証してみよう。まずは、人類最古の文明シュメールから。

■シュメールが滅んだ理由

シュメールは、エジプト文明、黄河文明、インダス文明とならぶ四大文明である。文明として成立したのは紀元前3500年頃で、四大文明の中では最も古い。場所はメソポタミア南端、チグリス・ユーフラテス河にはさまれたいわゆる「肥沃な三日月地帯」。”肥沃”がしめすように、小麦の収穫量が多く、他国に輸出するほどだった。

ここで、「輸出」がキモになる。

なぜなら、

輸出量=国の生産量-国の消費量>0

ゆえに、

国の生産量>国の消費量

つまり、シュメール人は、自分たちの食い扶持以上に小麦を生産できたのである。たとえて言うなら、9人で10人分の食糧を作ること。じつは、これが、文明への第一歩となる。

というのも・・・

もし、10人分の食糧を作るのに10人必要だったら・・・生活用品や道具は誰が作るのか?

農作業の合間に農民が手作りする!

こんな素人芸では、プロフェッショナルな「商品」は生まれないだろう。

演劇や文学や絵画は?

農民が片手間に創作する!

学芸会じゃあるまいし・・・「芸術」なんて夢のまた夢。

つまり、文明が生まれるには、専門職が欠かせないのである。具体的には、9人で10人分の食糧を作って、残り1人は専門職に!

もちろん、そのためには「9人で10人分の食糧を生産する」高い生産性が前提となる。

では、シュメールはどうやって穀物の生産性を高めたのか?

「灌漑(かんがい)」。

雨頼みの天水農耕ではなく、人工農地を使った灌漑農耕。

人工農地?ひょっとして、ハイテク!

そうでもない。農耕に適さない土地に水路を張り巡らし、水源地から水を引き回すだけ。ところが、これだけで、農耕地を集約できるし、耕地面積も増える。生産性も収穫高もあがるので、一石二鳥。

この灌漑のおかげで、農業の余剰人員が職人や商人に転職し、商工業が生まれた。商工業が発達すると、金余りが生じ、社会に余裕ができる。結果、文学が芽生え、古代文学の傑作「ギルガメシュ叙事詩」が生まれたのである。

ギルガメシュ叙事詩は世界最古の文学と言われている。この作品には複数のバージョンがあり、最も古いのが「ニネベ版」。成立時期は紀元前1300年頃で、古代ギリシャの傑作「ギリシャ悲劇」より800年も古い。

2300年前の文学?

稚拙な文章に荒唐無稽なストーリー?

ノー!

ギルガメシュ叙事詩は古代文学にありがちな「ファンタジー」ではない。ストーリーは、善悪を超えて、人生とは、運命とは・・・を深く考えさせられる。そして、詩人リルケが絶賛したように、音楽を奏でるような美しい響きがある。ギリシア三大悲劇の一つ「オイディプス王」とならぶ傑作と言っていいだろう。

ギルガメシュ叙事詩は後世にも大きな影響を与えた。たとえば、旧約聖書の「ノアの方舟伝説」は、ギルガメシュ叙事詩のエピソード「ウトナピシュティムの洪水伝説」に瓜二つ。

このように、シュメールは農・工・商・文化にバランスのとれた万能型文明だったが、紀元前2004年、あっけなく滅ぶ。東方からエラム人が侵攻し、首都ウルを占領されたのである。その後、文明の創設者シュメール人も歴史から消えてしまった。

一体どこへ?

じつは、インダス文明(モヘンジョダロ)の担い手ドラヴィダ人と同様、行方は分かっていない。

といはいえ、シュメールが滅んだ原因は、はっきりしている。「エラム人の侵略」だ。ところが、シュメールは複数の都市国家が連合する強国だった。それが、どこの馬の骨ともわからないよそ者に負けた?そもそも、エラム人は元々、シュメールに隷属していたのに。

じつは・・・

エラム人が侵攻する前に、シュメールは弱体化していたのだ。ボクシングのボディブローのように、徐々にダメージが蓄積し、エラム人の侵攻でポッキリ・・・

では、シュメールのボディーブローとは?

塩害。

シュメールの成功は「灌漑」によっていた。ところが、皮肉なことに、それがシュメールを弱体化させたのである。

シュメールの「滅び」は、気候の乾燥化から始まった。「乾燥化→塩害→収穫量減」という因果関係なのだが、シュメール人はそれに気づかなかった。収穫が減った原因は水不足と考えて、農耕地に大量の灌漑用水を散布したのである。

ところが・・・

散布された水は、土の中の塩分を溶かしながら、塩水となって、地中に浸透する。その後、毛細管現象で塩水は再び地表に上昇する。ところが、気候が乾燥しているので、水分が蒸発し、地表に塩分だけが残る。

それで何が起こったのか?

メソポタミアの碑文にはこう記されている・・・黒い耕地が真っ白になった。

すさまじい塩害である。

では、「塩」はなぜ「害」なるのか?

地表に塩分が蓄積すると、植物は根から水を吸収できなくなる。結果、穀物は枯れ、収穫も減る。ところが、それを水不足と勘違いしたシュメール人は、さらに水を散布する。結果、塩害が加速し、ますます収穫が減る・・・画に描いたような悪循環だ。

じつは、このプロセスはシュメールの穀物記録からも確認できる。

紀元前2400年頃、シュメールの単位面積当たりの収穫量は現代農業に匹敵した。ところが、紀元前2100年には40%に急落。さらに、栽培種も小麦から大麦に替わった。小麦は塩害に弱く、大麦は強い。だから、この時期に塩害が深刻化したのだろう。

じつは、収穫量が激減した原因は「乾燥化」だけではない。それを示す面白いデータがある。

MesopotamiaMapこの地図は、メソポタミアで栄えた古代文明だが、古い順に・・・
1.シュメール
2.アッカド
3.バビロニア
4.アッシリア

新しい国ほど、海から遠ざかっていることがわかる。海に近い河川や土地ほど、塩分を多く含む。そのため、塩害が深刻になるほど、内陸国の方が有利になったのだろう。

というわけで、古代文明にとって、「塩害」は天敵だった。

ところが、「塩害」を防ぐのは現代の技術でも難しい。石灰系の資材を土壌に入れ、真水を散布すれば、塩分は洗い流せる。ところが、真水を得るのが難しい。塩水を真水に変える「淡水化技術」は現代でもハイテクなのだ。しかも、莫大なコストがかかる。

というわけで、「塩害」は、4000年前のシュメール人にとって、とてつもない難問だった。皮肉なことに、彼らの対策「散布の水量を増やす」は、事態を悪化させるだけだったのである。

だから、シュメールが滅んだのは、指導者が怠慢だったわけでも、愚かだったわけでもない。

「問題の複雑さ>問題解決能力」

つまり、「認知閾」を超えたのである。

■マヤが滅んだ理由

2012年12月21日人類は滅亡する・・・なんとも不吉な予言だが、心配はいらない。「2012年12月21日」はとうに過ぎたから。

それにしても、「滅亡」予言のなんと多いことか。人間は「滅亡」を怖れながら、心の底では「滅亡」を望んでいるのかもしれない。

一方、この手の予言はあたったためしがない。2012年のマヤの予言だけでなく、1999年の「ノストラダムスの大予言」も大ハズレだった。もちろん、文句を言っているのではない。当たっていれば、この世界は存在せず、それはそれで困るから。

マヤ文明は不思議な文明である。世界の四大文明とくらべ、ジミなのに、カリスマだけは突出している。

マヤ文明は、紀元前2600年前に興り、紀元300年~750年にピークを迎えた。ユカタン半島(現在のメキシコ、グアテマラ、ベリーズ)に位置し、70の都市を包含し、人口は1500万人に達した。この時代、世界有数の文明圏である。さらに、貯水場、運河、ダム、堤防など大規模な水利事業にも長けていた。つまり、ハイテク文明。

ただし・・・

マヤ文明のカリスマはそこではない。

まずは、異常な自然環境。

文明が発生する場所は、四大文明をみるまでもなく、河川沿いの平野と決まっている。ところが、マヤ文明が興ったのは、熱帯雨林のジャングル地帯。高温多湿で蒸し暑く、怪獣(野獣)がウロつく危険地帯、しかも、文明に欠かせない「河川」もない。

なんで、よりによってこんな場所に?

ジャングルの方が、存在を隠せるし、他国から侵入されにくいから。それに、ハイテクで環境を改造すれば、快適に過ごせる。だから、悪環境の方がむしろ都合がいいわけだ。

マヤ人は、どんだけハイテク?

じつは、マヤ人は空飛ぶ円盤(UFO)でやってきた宇宙人だった・・・はいはい、空飛ぶ円盤飛んでけぇ~、と言い放つ前に、動かしがたい証拠もある。

マヤ人の暦(こよみ)が”人間ばなれ”しているのだ。地球の文明の暦は、太陰暦、太陽暦、グレゴリオ暦、いろいろあるが、それぞれ、暦は1つしかない(あたりまえ)。そして、日付は「年・月・日」で特定される。

ところが・・・

マヤ暦は、複数の暦が複合したハイブリッド暦。

面倒臭ぁ~、でも・・・構造はチューリングマシンのように異形で、とてもセクシーなのだ。

それがどうした?

原理にしろ、テクノロジーにしろ、セクシーなものほど真実に近い!(言い切ったぞ)

それはさておき、暦が「人間ばなれ=地球の規格外」なので、「マヤ人=宇宙人」というわけだ。まぁ、話半分にしろ(ゼロやろ)、暦がかわっていることは確かだ。

ちなみに、マヤ暦には複数の暦があるが、ツォルキン暦とハアブ暦の2つをおさえれば十分。その人間離れした、摩訶不思議な発想が堪能できるだろう。ぜひ、ご一読あれ(ツォルキン暦とハアブ暦)!

マヤ人は、このハイブリッド暦を気象予測に利用した。雨期を予測し、雨水を最後の一滴まで利用するために。というのも、マヤ地域は水源になる河川がなかった。そこで、貯水場、運河、ダム、堤防を駆使して、雨水を徹底利用したのである。結果、土木工事の技術が発達した。

さらに、マヤ人は天文学に取り憑かれていた。国中に天文台(望遠鏡はない)を設置し、星々の運行を観測し、データ収集に没頭したのである。その集大成が、あの精緻なマヤ暦だったわけだ。

一方、大規模な土木工事や天文学には、高度な数学が欠かせない。その結果、生まれたのが「0(ゼロ)」の概念だった。「0」があれば、桁上がりが使えるので、少ない記号で数を表現できる。たとえば、2進数なら「0」と「1」、10進数なら「0」~「9」の記号を使って、どんな大きな数でも表せる。

こうして、マヤ文明の繁栄は永遠に続くかと思われたが、紀元750年を境に衰退が始まる。そして、紀元850年頃には誰もいなくなった。国が廃棄されたのである。

わずか100年の間に、何が起こったのか?

外敵(メキシコ)の侵入、内乱、疫病、気候変動など諸説あるが、最も有力なのは水不足。

じつは、これには強力な証拠がある。

気象地質学者のゲラルト・ハウクは、べネズエラ沖のカリアコ海盆の堆積物を調査した。その結果、マヤ人が国をすてた時期、3度の大干ばつが確認されたという(※1)。

さらに・・・

この時期の骨を調べると、みんな栄養失調・・・

つまり・・・

紀元750年~850年頃、マヤ地域に深刻な干ばつが襲い、主食のトウモロコシの収穫が激減し、食うにも事欠くようになった。そして、努力の甲斐もなく、この問題を解決することができなかった。だから、国を捨てるしかなかったのである。

とはいえ、マヤの「水不足」はシュメールの「塩害」よりもマシに思える。何か方法はなかったのか?

たとえば、

1.貯水地を増やす。

2.新たな水源を見つける。

ところが、こんな正攻法で解決できるほど、マヤの問題は単純ではなかった。

「大干ばつ→水不足→トウモロコシの収穫量激減→食糧不足」

ここまでは想定内。

ところが、食糧不足がマヤの問題を複雑にした。食糧不足が続けば、民衆の不満が高まり、暴動や反乱が起こりやすくなる。さらに、限られた食糧資源をめぐって、地域間の戦争も頻発するだろう。つまり、事の発端は「水不足」だったが、そこから様々な問題が派生し、からみ合って、問題が複雑化したのである。

こうして、マヤ文明は、「問題の複雑さ>問題解決能力」が起こり、レベッカ・コスタの言う「認知閾」を超えたのである。

それで、マヤ人は国を捨てた?

その前に・・・

恐ろしい儀式が行われたのである。

マヤの地下深くに掘られたトンネルや空間に、その証拠が見つかっている。手足を切断された若い女性や幼児の人骨。中には拷問をうけたものもある。

ということで、その儀式というのは・・・生贄(いけにえ)。

ただし、生贄になったのはほとんどが戦争捕虜だったのだが。じつは、マヤが戦争を頻繁に行ったのは、生贄を確保するためという説もある。

それはさておき、水不足を解決するため、殺人の儀式!?

未開の野蛮人ならいざ知らず、高度な天文学と数学を修得したマヤ人が?

ありえない・・・

ところが、それが「人間」というものなのだ。

人間のDNAには、2つの問題解決方法が実装されている。科学と宗教、つまり、「疑う」と「信じる」。

これは誇張ではない。

科学の基本は「疑う」。ルネ・デカルトが「西洋合理主義」の父として尊敬されるのは、それまでの常識をすべて疑ったから。「疑う」こそが、科学を進化させる源泉なのである。

一方、宗教は「信じる」で始まり、「信じる」で終わる。一神教の場合、「信じる」の対象はもちろん聖書。そして、聖書に書かれたこと以外は、すべて異端として切り捨てられる。つまり、宗教とは聖書で自己完結した世界なのだ。

とはいえ、人間は、まず、科学的(合理的)に問題解決しようとする。この時代のマヤ人もそうだった。ユカタン半島の土地は石灰岩である。そのため、雨水はそのまま地下に浸透し、川を生成しない。そのかわり、地下水脈「セノーテ」を形成するが、「水源は雨頼み」にかわりはない。そこで、マヤ人たちは、文明創設期から干ばつ対策を実施していた。

たとえば、

1.雨が少ない年に備えて、貯水設備を充実させる。

2.公共用水を使う栽培作物をあらかじめて決めておく。

3.食料の配給を厳格に管理する。

ところが、想定外の干ばつがつづくと、このやり方では解決できなくなった。

そこで、マヤの指導者たちは、科学を捨てて、宗教に頼ったのである。神の力は偉大なり、神にすがれば、きっと、雨が降る、そう信じたのだ。そのための儀式が、生贄(いけにえ)だったのである。

ところが、何百人、何千人殺しても、水不足は解決しなかった。結局、マヤ人は国を捨てるしかなかったのである。

では、もし、マヤ人が「信じる宗教」を捨てて、「疑う科学」に回帰していたら、滅亡はまぬがれただろうか?

まぬがれなかっただろう。彼らの科学レベルでは、この複雑さは解決できなかったから。

それに、「信じる」は悪いことばかりではない。

たとえば、高速道路を運転するとき、「逆走するバカはいない」とみんな信じている。ふつうにはありえないし、そもそも、そんなことを心配していては、高速道路は走れないから。ところが、最近、高速道路の逆走事件が起きている。高速走行中に順行車と逆行車が正面衝突したらタダではすまない。

ということで、「信じる」は、やはり危険である。

■複雑が文明を滅ぼす

文明は、無数の歯車が噛み合って動作する巨大装置。

ある日、そこで不具合が見つかったとする。

歯車が一つ壊れたのなら、それを取り替えればいい。ところが、複数の歯車がからみ合うややこしい故障だったら・・・面倒臭いから後回し!すると、不具合は、他の歯車に波及し、幾何級数的に拡大し、手のほどこしようがなくなる。

考えてみて欲しい。何千万、何億もの歯車がからみ合う巨大装置で、複数の歯車が故障し、それらが複雑にからみ合っているとしたら・・・理詰めで考える気がするだろうか?

祈るしかない?

ノー!

ここが踏ん張りどころなのだ。

歯車の不具合は、歯車がおかしいのであって、祈りが足りないわけではない。だから、歯車の不具合は、歯車で直すしかないのだ。もちろん、科学的に。

それを面倒臭いからといって、「信じる」に転向したら最後、マヤ文明の二の舞になる。人を殺して回って、祈っている間に、不具合は確実に拡大する。そして、最後に、文明の心臓の大車輪が脱輪し、文明は停止するのだ。

科学は強力な道具である。事実に注目し、知識を抽出し、抽象化し、普遍的な法則を発見する。それを応用すれば、大抵の問題は解決できるだろう。

しかし、科学の力の根源は論理にある。だから、

「論理の複雑さ<問題の複雑さ」

になったら終わり・・・そこで問題は解決不能になる。

つまり・・・

われわれの脳の複雑さは、つねに、問題の複雑さの上を行かねばならない。なぜなら、問題が解決できなくなるから。そして、問題の多くはわれわれが作った「道具」で発生する。

そこで、まず、

「道具の部品数<脳のニューロンの数1000億個」

をキープすること。特に、災いをもたらす道具には注意が必要だ。

たとえば、原子力。

原子力の平和利用を謳った原発も、チェルノブイリ原発事故と福島第一原発事故で、安全神話は崩壊した。さらに、大量殺戮が目的の核ミサイルに至っては説明など不要だろう。どれもこれも人類を破滅に導く道具なのだ。

ところが、最近、新たな危険が生まれつつある。人工知能とインターネットだ。

とくに、人工知能は、「ディープラーニング(深層学習)」で、ブレイクスルーが起こるかもしれない。かつて、一世を風靡したルールベースもニューラルネットワークもまやかしだった。でも、今回は本物かもしれない。

というのも、これまでの人工知能は、人間なみの感情をもつとか、人間のように考えるとか、人間を真似ることに執着していた。ところが、今回の人工知能は違う。

「人間に代わって、問題解決する」

に、フォーカスしているのだ。

感情はないが、筋道立てて論理的に、しかも、高速に思考できる。そして、恐るべきは、自分で学習して、新しいアルゴリズム(思考方法)を獲得できること。しかも、機械(コンピュータ)なので、1日24時間、1年365日、休むことなく学び続ける。

こんな怪物が、もし、よからぬ意識を持ったら?

そりゃあ、考え過ぎだよ。「人間に危害を加えない」というルールを組み込んでおけばいい。

では、人工知能が哲学を自動学習したらどうするのだ?

人間が教え込んだ目的やルールを変えるかも・・・それが哲学というものなのだから。

子供に道徳を教えても、経験と学習で、悪人になる人間はいくらでもいるが、それと同じこと。確かに、人工知能が自動学習してくれれば、楽ちんだろう。でも、ヘンなルールを覚えて、人間に歯向かったらどうするのだ?

便利さは複雑を生み、複雑は人智を超えて、いつか制御不能におちいる。それが道具というものなのだ。

さらに怖いのが、人工知能がインターネットとリンクしていること。もし、人工知能が「人間不要」の哲学を学んだら(正当性があるからコワイ)、世界中の資源を使って、人間を破滅に追い込むだろう。その執行者が、最近、進歩めざましいロボットというわけだ。映画ターミネーターのスカイネットそのものではないか。

そして・・・

このままいけば、人工知能の複雑さは、いつか人間の脳の複雑さを超える。複雑なものは、単純なものを理解できるが、その逆は真ならず。だから、複雑なものが、単純なものを呑み込んでいく。これが自然淘汰の本質なのだ。ゆえに、人間が食物連鎖の頂点に立ったように、人工知能が人間を喰らう日が来る。

車椅子の物理学者ホーキング博士はこう言った。

「ひとたび人類が人工知能を開発してしまえば、それは自ら発展し、加速度的に自らを再設計していくだろう。ゆっくりとした生物学的な進化により制限されている人類は、(人工知能と)競争することはできず、(人工知能に)取って代わられるだろう」

ひょっとして、人工知能って「機械仕掛けの神」?

もし、そうなら・・・

人工知能が第二のキノコ雲になる日は近い。

参考文献:
(※1)文明はなぜ崩壊するのか、原書房、レベッカ・コスタ、藤井留美
(※2)つながりすぎた世界、ウィリアム・H・ダビドウ(著),酒井泰介(翻訳)ダイヤモンド社

by R.B

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