私をスキーに連れてって(3)~スキーブーム再来~
■昭和のスキーブーム
映画「私をスキーに連れてって」はスキーブームを巻き起こし、スキー用品メーカー、スキー場、ホテル、産業界はみんなハッピーになれた。ところが・・・一部、不自由な思いをした人たちがいた。
スキーブームの主役「スキーヤー」である。じつは、「私をスキーに連れてって」が公開される前、すでに、スキー場もホテルも混雑していた。そこへ、「私をスキーに連れてって」でスキー人口が爆発したのである。スキー場とホテルの拡張工事が始まったが、人口増に追いつかない。
スキー人口は、5年間で1.8倍に跳ね上がったからである。その結果・・・ゲレンデもホテルもすし詰めになった。リフト待ちは1時間はザラ、日曜日ともなると、2時間待ちも珍しくなかった。まるで、雪山のディズニーランドだ。さらに、レストランも、昼食時になると、立っているスペースもない。そこで、席を確保するグループと、食事を確保するグループにわけることにした。もちろん、後者は1人で2人分の食事を運ぶので、凝ったものはタブー。カレーか、ラーメンか、あと、ビール(スキー場で飲むビールは格別だった)。だから、スキーは若くないとダメ・・・長時間の雪道ドライブ、1時間のリフト待ち、アブナイ冬山での滑走、昼食をとるのも一苦労・・・何をするにも、エネルギーとパワーがいるのだ。
スキーは体力でなく技術で滑るスポーツだから、歳を取っても大丈夫という人もいるが、あれはウソ。だいたい、ゲレンデで年寄りをみかけたことはない(孫をソリで滑らせている爺さんは別)。そもそも、若くても、丸1日滑ると、太ももがパンパンになる。見た目はチャラいが、本当は肉体を酷使するスポーツなのだ。それに、年寄りが転倒したら、すぐに骨折しますよ。さらに困ったことに、骨がなかなかくっつかない。というわけで、スキーは若いうちにやるべし。
それに気付いたわけではないが、20代の頃は、スキーにドハマリだった。徹夜で仕事して、日曜日の朝6時、会社の寮の前に全員集合。それから、車に便乗して、黄色い声でワイワイガヤガヤ(半分が女の子だった)、近場のスキー場に直行する。それから、みんなでつるんで滑走。スキーは大勢で行くほうが、断然楽しかった。午後5時、ゲレンデ終了の音楽が流れると、急いでリフトにかけこみ、頂上へ。そこから、みんな数珠つなぎで(「ムカデ」という)、最後の滑走を楽しむのだった。
ところが、大勢でムカデをやると、数秒ももたない。ドミノでみんな仲良く転倒だ。それがまた楽しかった。それから、居眠り運転しながら、寮に帰り、死んだように眠る。今、生きているのが不思議だ。さらに・・・スキーにはもうひとつの楽しみ方もあった。硬派な漢(おとこ)3人だけのスキー合宿。場所は、国体コースもある極楽坂スキー場。そこで、3拍4日の強化合宿するのである。女の子たちがいると、にぎやかで楽しいのだが、一度、ヘソを曲げると大変、とりなすのに苦労する。
一方、スキー大好きの漢(おとこ)3人組なら、滑走に集中できる。おかげで、帰る時、足がしびれて、アクセルやブレーキを踏んでも感覚がなかった。それにくわえて居眠り運転・・・どうやって帰ったのだろう。
■年越しスキー
ところで、スキーで一番楽しいのは、やはり年越しスキー。年末年始をスキー場のホテルやペンションで過ごすのである。大晦日のパーティと新年のカウントダウン、それに続く、新年のパーティ。楽しいことがテンコ盛りだ。「私をスキーにつれてって」にもこのシーンがある。ところが、年末年始は、ホテルやペンションの予約を取るのが大変だった。当時は、インターネットはなく、すべて電話予約。予約開始と同時に電話するのだが、取れたためしはなかった。この不毛の電話を毎年繰り返していたのだから、懲りない話だ。
結局、年越しスキーの予約が取れたのは一度きりだった。それも、友人の知り合いのペンション。たしか、八方スキー場のペンション「こもれび」・・・ネットで調べると、今も営業しているではないか。栄枯盛衰の激しい業界なので、これにはビックリ。その時、撮った写真には、ペンションのオーナーの子供が写っているが、今はオーナーなんだろうなあ。この時は、初めての年越しスキーだったので、行く前から、期待で胸がはちきれそうだった。
ところが・・・大晦日が迫ったある日、ペンションから不吉な情報がとどいた。スキー場に雪がないというのだ。年末の八方に雪がないって?ありえない!最初は、タチの悪い冗談かと思ったが、ペンションでキャンセルが出ているという。とはいえ、友人のコネで取れたので、今さらキャンセルはムリ。それに、メンバーは15人いるし、半分が女の子なので、スキー以外で盛り上げるしかない。そして、大晦日のペンション「こもれび」・・・「私をスキーに連れてって」まんまのパーティが始まっていた。いくつかのグループが宿泊していたが、新年が近づくと、みんな、レストランに集まってくる。年越しパーティが始まるのだ。0時が近づくと、みんなでカウントダウンを合唱し、年が変わると同時にクラッカーを鳴らす。そのあと、徹夜でバカ騒ぎ・・・
そして、翌日早朝、ゲレンデに直行!若くないとできませんね。ところが・・・ゲレンデに、雪はまったくなかった。一面、土色で、白い部分はゼロ。こんなゲレンデを見るのは初めてだった。とはいえ、他にすることもないので、とりあえず、ゴンドラ乗り場に行くことにした。八方は大きなスキー場なので、頂上までゴンドラがでている。これに乗れば、リフトを乗り継ぐことなく、一気に頂上にいけるのだ。
ところが、ゴンドラの乗り場のはるか手前で、長蛇の列ができている。八方は何度も来ているが、こんな長い行列は初めてだ。1時間待っても、ゴンドラ乗り場が視界に入らない。こりゃ、3時間待ちだな。仲間の女の子たちが、機嫌が悪くなっていく。このまま放置すれば、わがままが始まる・・・メンドー臭。そこで、友人と相談して、ゴンドラをあきらめることにした。リフトを乗り継いで、頂上に行くのである。そして、この作戦があたった。リフトが意外に空いていたのだ。リフト3本目ぐらいになると、降雪もふえ、女の子たちの機嫌もなおっていく。そして、頂上につくと、一面、白銀の世界!来てよかった・・・
■八方と栂池
スキー熱中時代、よく行ったのは、八方スキー場と栂池スキー場だった。ともに、長野県の白馬にある大スキー場で、スケールが大きく、いろんなコースがある。だから、終日滑っていても飽きない。そして、晴れた日、頂上からみる雪山は絶景だった。当時、八方と栂池にはすみわけがあった。
栂池スキー場は緩斜面が多く、広いので、初心者向き。八方は、コブ(雪面のでこぼこ)が多く、急斜面が多いので、中級者から上級者向き。そこで、仲間内では、メンバーに初心者がいたら栂池、中級者以上なら八方と決めていた。その頃、勤めていたベンチャー企業が破綻し、モトローラ・ジャパンに内定していた。
ところが、地元の機械メーカーが、この破綻したベンチャー企業の技術者を集め、電子技術研究所を創設するという。悪環境でも動作する工場専用のコンピュータを一から開発するらしい。CPUを設計するより(モトローラ)、コンピュータ1台丸ごと設計する方が面白い。そこで、モトローラをやめて、研究所創設に参加することにした。たまたま、この会社もスキーが盛んだったので、研究所と他のセクションとの交流もかねて、スキーに行くことになった。参加者は40人。太っ腹なことに、会社がバスをチャーターしてくれた。新設の研究所のメンバーは前会社からの転職組なので、みんな、スキーは達者。そして、この会社の参加者も中級者~上級者だという。そこで、暗黙の了解で、スキー場は八方に決まった。
ところが・・・研究所には、紅一点、事務担当のK子がいた。研究所のスタッフが八方スキーツアーで盛り上がっていると、K子がポツリと言った。「私も行きたい・・・」K子は若くて愛嬌があるので、連れていけば楽しいだろうが、ひとつ問題があった。彼女はスキーが初めてなのだ。つまり・・・ゲレンデで誰が彼女の面倒をみるのか?これが栂池なら問題はない。緩斜面で滑らせておけばいいのだ。ところが、八方はほとんどが中級者・上級者コース。一人で放っておくと、へんな転び方をして、けがをするかもしれない。そのときは、研究所が責められる。ということで、一同、口をつぐんでしまった。
だいたい、男はスキー場では私利私欲に走るものだ。せっかく来たのだから、ガンガン滑りたい。5時間かけて長野まで来て、なんで、初心者の面倒を見なきゃいけないのだ?ところが・・・研究所のメンバーで優しい男がいて、自分が面倒を見るから、連れて行こうと言い出した。もちろん、反対する者はいない。満場一致、K子は八方スキーツアーに参加することになった。そして、哀れなことに、彼は彼女がスキー用具を買いそろえるのにつきあわされたという(後で聞いた)。
そして、八方へ・・・ゲレンデの下の方で、哀れな彼が、K子にボーゲンを教えている。ボーゲンとは、スキーを「ハの字」に開いて、スピードが出ないように滑る技術だ。左に曲がるときは右足に、右に曲がるときは左足に体重をかける。それだけで、自然に曲がってくれるから不思議だ。ただし、前傾姿勢をたもつこと。重心が後ろにいくと、体重がスキーに乗らず、曲がることも止まることもできない。まっすぐ暴走して、スッテンコロリ・・・というわけで、初心者なら、まずは、ボーゲン。
ところが、ボーゲンは見た目がダサい。私をスキーに連れてっての恭世セリフ、「スキー場でスキーのへたくそな人って、牧場の魚じゃない」ではないが、男子たるもの、ぶざまな格好では滑りたくない。というわけで、男は初めからパラレル。パラレルとは、読んで字のごとく、スキーを並行にして曲がるのである。足がそろっているので、ぶざまではないが、バランスが悪く、体重移動も難しい。なので簡単に転ぶ。アザだらけになっても、格好の方が大事というわけだ。男って本当にバカですね(女性は必ずボーゲンから始める)。この日の八方は、天候が不安定だった。
みんなで、八方の頂上にあがったものの、吹雪で20mぐらいしか先が見えない。そこで、すぐに滑り出して、次のコース「黒菱」に向かった。「黒菱」は八方でも難所だ。コブだらけの急斜面で、上から見下ろしても、底が見えない。だから、何度来ても、滑りだすには気合いがいる。と、その時・・・そこにいるはずのない人間がいた。K子だ!なんで、ここにいるんだ!?誰が連れてきたんだ!どうやって、降ろすんだよ?ところが・・・K子は、なんのためらいもなく、「黒菱」を滑り出した。ゆっくりと、円を描くように、なめらかに滑っていく。そして、一度も転ぶことなく、滑り降りた。あの「黒菱」を、あんなマッタリボーゲンで・・・夢を見ているような気分だった。「オレもボーゲンからやり直そうかな」と素直に思ったものだ。
というわけで、長野県には初心者から上級者まで滑れるスキー場がそろっている。そのためか、北陸や関西では人気が高い。さらに、もう少し足を伸ばせば、志賀高原スキー場もある。「私をスキーに連れてって」の舞台にもなったスキー場だ。ここは、複数のスキー場が集まっていて、リフト券が共通なので、お得。ただし、スキー場間は車で移動する必要があり、ちょっと面倒だ。一度、志賀高原の焼額山スキー場で滑ったことがある。雪質が良く、スルスル曲がって、上級者になった気分だった。スキー場は西武グループの経営なので、ゲレンデは八方や栂池よりあか抜けていたと思う。
■スキーブームは再来するか?
ところが・・・バブルが崩壊すると、スキーブームは下火になった。そして、2014年現在、スキー人口はピーク時の1/3まで落ち込んでいる。その間、スノーボードが流行したこともあったが、スキー人口を押し上げるにはいたらなかった。スノーボードはスキーにくらべ、安定性に欠くようにみえる。1本板と2本板では大違いだ。実際、スノーボーダーも、一定の年齢を超えると、辞める人が多いという。スキー以上に、体力と筋力が必要なのだろう。
では、今後、スキーはどうなるのか?じつは、スキー人口(スノボーも含む)は、2007年の560万人が大底で、2011年には630万に増えている。ただし、誤差の範囲。しかも、増えたのはシニア世代、つまり、「私をスキーに連れてって」世代が帰ってきたのだという。これじゃ、見込みがない・・・シニア世代が、「私をスキーに連れてって」を観て、若い頃を思い出し、スポーツ用品店に行って、道具一式そろえ、ワクワクしながら、スキー場に行く。
ところが、スキー靴をはくにも四苦八苦し、1本滑って、はぁはぁ、ぜぇぜぇ、体力の衰えを実感する。そこで、負け惜しみに、雪山を一望して感激し、やっぱり来てよかった、と自分を偽り、もう二度と行かない・・・そんな構図が見えてくるのだ。というわけで、スキーをもう一度楽しむには、若い頃にタイムスリップするしかない。認めたくはないが、これが冷酷な現実なのだ。だから、スキーブームが再来するとは思えない。ただ、あの時代、スキーにはもうひとつの楽しみがあった。麻雀・・・車にスキーを載せて、5時間もかけて、スキー場まで行って、朝から晩までホテルで麻雀・・・知り合いに、そんなグループもいたっけ。ところが、今では麻雀も廃れてしまった。やっぱり、昭和は遠くになりにけりかな。
《完》
by R.B