利己的な遺伝子(5)~突然変異と進化~
■遺伝子の区切り
われわれはアリーナ(闘技場)の中で生きている。
一般的には弱肉強食、生物論では適者生存、自然淘汰とよばれる世界である。生物学者リチャード・ドーキンスによれば、この世界で勝利するのは、他人を思いやる利他主義でなく、利己主義だという。なぜなら、生物の設計図「遺伝子」そのものが利己的だから。作り物の人間が、神の摂理に逆らえるはずがないではないか。一般向けに書かれた遺伝子本では、遺伝子は遺伝情報の最小単位として説明されている。たとえば、目の色を決める「遺伝子」とか、足の長さを決める「遺伝子」とか。
しかし・・・現実の遺伝子はそれほど単純ではない。人間の遺伝情報は46本の染色体からなり、その一区間を占めるのが遺伝子である。ところが、遺伝子間の区切りを示す「マーク」があるわけではない。では、何を基準に「単位」を決めているのか?さらに・・・人間の部位を単独で作る遺伝子は存在しない。つまり、足を1本作るのも、複数の遺伝子の協同作業なのだ。しかも・・・体を作る上で、個々の遺伝子の役割分担がはっきりしない。
たとえば、体のある部位が、多数の遺伝子の影響をうけることもあれば、ある遺伝子が他の多数の遺伝子との相互作用で効果をあらわすこともある。さらに、同じ遺伝子でも、部位によって、その効果が異なる。なんとも、ややこしい話ではないか。というわけで、遺伝子は複雑に相互依存している。では、そんなあいまいなものが、機能単位として意味があるのだろうか?イエス。相互依存しようが、からみが複雑だろうが、機能単位「遺伝子」には意味がある。ポイントは遺伝子の長さだ。染色体は長大なので裂けやすい。もちろん、裂けたら、遺伝情報を子孫に伝えることはできない。
ところが、染色体が裂けても、染色体の一区間である遺伝子が裂ける可能性は少ない。なぜなら、一つの遺伝子は短いし、すべての遺伝子を合わせても、染色体の全長の3%にしかならないから(染色体の97%は遺伝情報ではない)。つまり、染色体が遺伝子という機能単位で分割されているのは、「裂ける」を回避するためのリスクヘッジなのである。
では、染色体はなぜ「裂ける」のか?「有性生殖」生物は染色体が裂けてあたりまえ。有性生殖はオスとメスの生殖によって子をつくる。そのため、子の染色体はオスとメスでシャッフルされる。つまり、有性生殖生物の染色体は、父のパーツと母のパーツからなるジグソーパズルなのである。だから、あなたの染色体は一代限り。というわけで、「染色体の寿命=個体の寿命」。だから、染色体は長生きしてもせいぜい100年。
ところが、その機能単位である遺伝子は何万、何十万年も生き続ける。
■交叉
では、生殖によって、なぜ、染色体が裂けるのか?人間はタンパク質、つまり、有機物でできている。もちろん、有機物は腐る。そこで、細胞分裂によって細胞を再生し、身体を維持しているのである。これを「体細胞分裂」とよんでいる。このとき、古い細胞の46本の染色体すべてが、新しい細胞にコピーされる。ところが、精子と卵をつくる減数分裂では、23本の染色体しかコピーされない。後で、受精で精子と卵が合体して、新しい染色体セット46本をつくるためである。
ここで・・・精子あるいは卵が作られるときに、父方の染色体の一部が、母方の染色体の同じ部分と入れ替わることがある。これを「交叉(こうさ)」とよんでいる。つまり、精子と卵の染色体は、母方の遺伝子と父方の遺伝子のハイブリッドなのである。ところが・・・交叉は遺伝子の区切りを守るとは限らない。遺伝子内でも裂けることがあるのだ。遺伝子は、遺伝子単位にパッケージされているわけでなく、DNA上に連続的に並んでいるだけなので。だから・・・遺伝子は短ければ短いほど長生きする。交叉によって断ち切られる確率が低いから。実際、減数分裂によって精子や卵がつくられるたびに、染色体1本あたり、平均して一回の交叉がおこる。なので、もし、「遺伝子の長さ=染色体の長さ」なら、精子や卵が作られるたびに、遺伝子は100%の確率で切断される。遺伝子の長さが染色体の半分なら切断される確率は50%、長さが1/4なら切断される確率は25%である。
では、遺伝子は短いほどいい?
そうでもない。短すぎると、「身体を作る機能」がスポイルされるから。つまり、遺伝子は、切断を回避できるほど短く、機能を備えるほど長くなければならない。
■突然変異
じつは、染色体を改ざんするのは「交叉」だけではない。突然変異もこれに加担している。突然変異は、読んで字のごとく、突然、遺伝子が変異する。その典型的なものが「点突然変異」と「逆位」である。まずは、点突然変異。染色体は、DNAという高分子でできている。DNAは2本の長い鎖からなり、その間を埋める形で、塩基(A、T、G、Cの4種類)が並んでいる。この並び順が遺伝情報なのだが、まれに、この塩基の一つが他の塩基と置きかわることがある。
たとえば、「A→G」のように。これを点突然変異とよんでいる。点突然変異は、DNAがコピーされたときに、偶然、または、放射線などの外部刺激をうけたときに起こる。このような突然変異は癌を誘発することがあるため、放射能汚染には十分な警戒が必要である。実際、チェルノブイリ原発事故の後、甲状腺癌が多発している。もう一つの突然変異が「逆位」。染色体の一部が切り離され、逆さまになって、再びくっつくこと。それが染色体の別の部分に、あるいは、別の染色体にくっつくこともある。当然、遺伝情報が変わるので、有害である。遺伝子は互いに連携しながら、身体を作っているので、何ができるかわからないから。
たとえば、鼻の代わりに耳ができるとか・・・まあ、これは品のない冗談。一方、逆位の結果、偶然、協同作業をしている「遺伝子」が隣接する可能性もある。この場合、協同作業が促進され、良い結果を生むかもしれない。つまり、突然変異は「進化」をおこす可能性があるのだ。でも、害を及ぼす可能性もある。で、どうなる?それを調整するのが「自然淘汰=自然選択」なのだ。もし、突然変異の結果が有害なら、適者生存のルールで淘汰される(自然淘汰)。その結果、成功した突然変異だけが生き残る。それが累積されると、「進化」になるわけだ。生物学者スティーブンスタンレーが言うように、突然変異は進化の「原材料」なのだろう。
■遺伝子と個体の役回り
というわけで、遺伝子は概念的にはやさしいが、実装レベルはけっこう難しい。そこで、世界一わかりやすい「遺伝子」の講釈を紹介しよう。以下、リチャード・ドーキンスの著書「利己的な遺伝子(※)」からの引用である。まず、遺伝子とは?十分存続しうるほどに短く、自然淘汰の意味のある単位として働きうるほど十分に長い「染色体の一片」である。つぎに、遺伝子と染色体の関係は?染色体は、配られてまもないトランプの手である。
ただし、やがて、混ぜられて忘れられる。しかし、カード自体はまぜられても生き残る。このカードが遺伝子でなのである。さすが、ドーキンス先生。うまいこと言う。ところで、遺伝子にはもう一つの顔がある。自己複製子、つまり、自らをコピーするもの。われわれ「個体」は、その遺伝子をコピーし、継承させるための機械にすぎないのである。実際、われわれは遺伝子に仕えたあげく、棄てられる。ところが、遺伝子は長大な地質学的時間を生き続ける。
しかし、一方で・・・遺伝子は、個体に大きく依存している。個体が簡単に滅んでは、遺伝子を伝えることができないから。少なくとも、子孫を残すまで生きのびる必要がある。では、子供を作って自立させたら、用なし?「生物学的」にはイエス。「国家的」にも、年金制度は不要になるので一石二鳥かも。シャレにならん。
■絶対に遺伝しないもの
じつは、遺伝子にはまだ分かっていないことがある。たとえば、染色体の97%が、遺伝情報としてはジャンク(ゴミ)であること。さらに・・・獲得形質は遺伝しないこと。獲得形質、つまり、人生で勉強したこと、体験したことは、遺伝的手だてによって、子供に伝えることができない。だから、次の世代は一から始めなければならない。もし、学習と経験が遺伝するなら、適者生存において有利になるのに、なぜ、そうならないのだろう?
おそらく・・・学習や体験を遺伝子を介して継承するためには、両親の人生の記憶を継承する必要がある。それだけではない。両親の両親、さらに、両親の両親の両親・・・すべての先祖の記憶を継承することになる。一体、何万人分の記憶になるのだろう?面白そうなので、計算してみよう。あなたが「n世代目」とすると、記憶される人生の総数は(あなた自身も含む)、
(1-2のn乗)÷(1-2)=2のn乗-1(高校で習う等比数列の和)
たとえば、30世代目なら、2の30乗-1=1,073,741,823なんと約10億人分!
一般的に、生物種は10万世代、100万世代存続するので、現実にはとんでもない数になる。こんな膨大な数の人生を覚えていたのでは、頭がおかしくなる。心の病気を誘発してもおかしくない。それに、他人の人生を生きるようなもので、ゼンゼン楽しくない。
さらに・・・システム上の矛盾もある。遺伝子は「機能=スペック」の設計図であり、機能が処理した結果の保存手段ではない。だから、このような、使い回しは後々問題を起こすことが多い。なので、工学設計上はNG。ただし・・・この「獲得形質が遺伝しない理由」は学説ではなく、ただの思いつき。なので、吹聴すると恥をかきますよ。とはいえ・・・DNAの97%が遺伝情報的にはゴミという事実は注目に値する。ひょっとすると、次世代のネオ・サピエンスは、この空き領域を使って、獲得形質を遺伝させるのだろうか?そうなれば、科学技術は劇的に進歩するだろう。生まれたとき、すでに、微分積分を知っているわけだから。ということで・・・ホモ・サピエンスでほんとによかった。なぜかって?他人の人生なんか生きたくないから。
《完》
参考文献(※)「利己的な遺伝子増補改題『生物=生存機械論』」リチャード・ドーキンス(著),日高敏隆(翻訳),岸由二(翻訳),羽田節子(翻訳),垂水雄二(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
by R.B