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週刊スモールトーク (第557話) IFの歴史・世界恐慌がない世界(1)

カテゴリ : 戦争歴史社会経済

2023.11.27

IFの歴史・世界恐慌がない世界(1)

■世界恐慌1929

IFの歴史・・・もし、1929年の世界恐慌がなかったら?

まずは結論。

第一に、ヒトラー政権は誕生しない。

第二に、第二次世界大戦はおきない。

第三に、ソ連がヨーロッパを占領する。

以上、エビデンスを示しながら、話をすすめよう。

初めに史実の「世界恐慌」から。

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街の株式市場が大暴落した。有名な「暗黒の木曜日」である。

ダウ平均株価は、3年後の1932年7月に大底をうったが、下落率はなんと「89%」。株式市場の時価総額が1/10になったのだ。多くの投資家が破産し、当時世界一高いビル「エンパイア・ステート・ビル」の最上階から飛び降りた者もいたという。ただ、このビルは1931年4月竣工なので、真偽はほどはわからない。というのも、自殺するなら、パニックになった暴落直後か、翌年の1930年だろうから。

では、株価はいつ戻ったのか?

暴落前にもどったのは、1954年11月。つまり、暴落から元に戻るまで、25年間もかかったのである。

このような破滅的な株価大暴落は、歴史上類を見ない。

100年に一度の危機といわれた「リーマン・ショック」も、カスリ傷に見える。

リーマン・ショックは、2008年9月15日に始まった。

米国の投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が負債額64兆円を抱えて破綻したのである。大きすぎて潰せない企業が潰れたのだ。

このときも、ダウ平均株価は大暴落した。

最大下落率は「35%」(1929年世界恐慌は「89%」)。

底値は暴落開始から「半年後」(1929年世界恐慌は「3年」)。

暴落前にもどるまで「2年」(1929年世界恐慌は「25年」)。

世界恐慌にくらべれば、大したことはない。裏を返せば、世界恐慌がいかに破壊的だったか。

株価暴落は金融経済だが、これほど規模が大きいと、実体経済もタダではすまない。実体経済とは、モノ・サービスの生産・販売・消費など実体を伴う経済だ。つまり、庶民の生活に直結している。

では、世界恐慌で、実体経済はどこまで落ち込んだのか?

1929年から1932年にかけて、アメリカの工業生産は50%下落した。つまり、半減。

実質GNPは35%減、卸売物価は30%下落した。一方、失業率は1933年に24.9%まで上昇。4人に1人が失業したわけだ。

まさに悪夢、国が崩壊したと言っていい。

■第一次世界大戦後のドイツ

アメリカは世界経済の中心だったから、この経済大崩壊は世界に拡散した。

とくに、ドイツが酷かった。

ドイツはその前に、すでに瀕死の状態だったのだ。

ことの始まりは、1918年11月、4年続いた第一次世界大戦が終わった。

第一次世界大戦は、イギリス、フランスを中心とする連合国と、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国を中心とする三国同盟が戦った。当初は接戦だったが、アメリカが連合国側につくと、一気に勝敗が決まった。三国同盟が敗北したのである。

1919年6月、フランスのパリで、ヴェルサイユ条約が締結された。ところが、これは講和条約というより、ドイツへの復讐・懲罰だった。

条約内容をみれば、明らかだ。

ドイツは、全ての海外植民地を没収された。自国領土も削られた。

国を守る最後の砦「軍隊」も無力化された。陸軍は10万に縮小され、第一次世界大戦前の1/8。海軍も1万5000に削減された。戦車、航空機、潜水艦は、製造も保有も禁止。徴兵制は廃止され、ドイツ軍の中枢の参謀本部は解体された(※1)。

これは軍隊ではない。太平洋戦争後、日本が強いられた警察予備隊(現自衛隊)と同じだ。もちろん、目的は敵国の無力化にあるから、合理性はある。

一方、ドイツ軍人にとっては、まさに悪夢。

そこに現れたのが、再軍備を確約するヒトラーだった。軍人がヒトラーの応援団になるのはあたりまえ。

さらに、1320億金マルクという途方もない損害賠償が課せられた。現代の日本円に換算すると約200兆円。敗戦で国が焦土と化したのに、こんな大金払えるわけがない。死んでくれというようなものだ。

事実、ドイツは、戦争で工場やインフラが破壊され、物が作れない、運べない。深刻なモノ不足に陥った。ところが、そこでドイツ政府は最悪の手をうつ。「モノ不足=インフレ」なのに、マルク紙幣を刷りまくったのである。

結果、「おカネの量>>モノの量」でインフレが加速、恐ろしいハイパーインフレがおこった。

1918年、1斤(300g)「0.5マルク」だったパンが、1923年11月に「1000億マルク」になった。物価が上がった、どころではない。

さらに、マルクが、1ドル4兆マルクに大暴落。酷いを通り越して、滑稽でさえあった。コーヒーを注文して、飲み終わった頃には、価格が2倍になったのだから。

1923年11月、ドイツ通貨のマルクは、文字どおり紙くずになった。

ジャーナリストのヴィクトル・クレンべラーは日記にこう綴っている。

「ドイツは不気味にも、一歩一歩、破滅の縁に近づいている」

そこへ、アメリカ発の世界恐慌が直撃した。

1932年末、ドイツの失業率は30%に達した。3人に1人が失業したのである。国民は困窮し、人肉缶詰のウワサまであった。

つまりこういうこと。

ドイツは、第一次世界大戦の敗戦で、国が疲弊し、巨額の戦後賠償金で経済も生活も破綻し、そこへ、世界恐慌がトドメを刺したのである。

■ヒトラーとナチス

そんな状況で登場したのが、ヒトラーとナチ党だった。

もし、世界恐慌1929がなかったら、ヒトラー政権は誕生しない。

エビデンスを示そう。

つぎに示すのは、史実の年表である。

1920年、ドイツ労働者党が設立される。後のナチ党である(ナチス・国民社会主義ドイツ労働者党)。

1928年、ナチ党は初の国政選挙に挑み、12議席を獲得する(第9党)。この時点では、泡沫政党にすぎない。

1929年、世界恐慌が発生。

1930年、国政選挙で、ナチ党は第2党に大躍進。

世界恐慌をはさんで、第9党から第2党へ、わかりやすいエビデンスだ。

ではなぜ、ナチ党は、世界恐慌で大躍進できたのか?

ヒトラーの公約が、国民の心を掴んだのである。

ヴェルサイユ条約で、巨額の賠償金を課せられ、世界恐慌で3人に1人が失業、大国ドイツの威信は地に堕ちていた。そんな状況で、ヒトラーは、国民に向かってこう宣言したのである。

ヴェルサイユ条約を破棄する!

損害賠償金は1マルクも払わない!

失業者をゼロにする!

栄光のドイツ帝国を復活させる(ドイツ第三帝国)!

ここで、ヒトラーが公約を守るどうかは、重要ではない。ドン底から這い上がるにはヒトラーに賭けるしかないから。少なくとも、ドイツ国民はそう信じ、ナチ党に投票したのである。

そんな世情をあらわす記録が残っている。

フランスの特派員ステファーヌ・ルッセルはこう記している。

「ドイツ人は、あの戦争から、あの不確かな、卑劣にさえ感じられる敗戦から、決して立ち直れなかった。ここにいるのは病んだ国民です。この病んだ国民が今や奇跡の医師を見つけました。こう言ってくれる男です。私はお前たちを再び勝利する国民にしてやろう。お前たちはどこへ出ても、恥ずかしくない国民になれるだろう。無数の演説でヒトラーは希望を与えることに成功しました。これからはすべてが変わるという感覚を与えることに彼は成功したのです」(※1)

ユダヤ人の女医ヘルダ・ナートルフはこう記している。

「皆があの男のことを信じている、信じたがっている、あの男に仕えたがっているように聞こえる。世界史の1ページがめくられたのが聞こえるようだ。その本の次のページからは荒涼として支離滅裂な、災厄に満ちたことが、読みにくい小さな字で書きなぐってあるのだ」(※1)

年表を続けよう。

1932年7月、国会議員選挙で、230議席を獲得し、第1党となる。

1933年1月、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命。

ついに、ヒトラーはドイツの主(あるじ)にのぼりつめたのである。

というわけで、ヒトラー政権と世界恐慌の因果関係は明白だ。

その後、ヒトラーは独裁体制を確立し、ドイツ第三帝国へと突き進む。その先に待っていたのは第二次世界大戦だった。結果、8000万人が命を落としたのである。

■ソ連のヨーロッパ侵攻

もし、世界恐慌がなければ、ナチ党はお騒がせ泡沫政党で終わっていただろう。

結果、ヒトラーとナチ党は歴史から消える。

では、ドイツはどうなっていたか?

ヒトラーとナチ党が台頭する以前の状態にもどる。小さな政党が乱立し、暴動と内乱が多発する無秩序な社会だ。結果、ドイツは、鳴かず飛ばずの小国になっていただろう。

一方、ソ連にとっては千載一遇のチャンスだ。

ドイツ第三帝国も、第二次世界大戦もない世界では、ソ連がヨーロッパに侵攻する。

具体的な話をしよう。

1940年代初頭、スターリン率いるソ連がヨーロッパに侵攻する。

強力なドイツ第三帝国は存在しないし、反共主義者のチャーチルはイラつくだろうが、コミュニストのルーズベルトはソ連に甘いから、スターリンに有利に働く。結果、ソ連と西側陣営の境界はフランス国境あたりになるだろう。つまり、フランスを除くすべてヨーロッパ諸国はソ連に併呑される。

ではなぜ、フランスは免れるのか?

強烈な反共主義者のチャーチルが、アメリカを巻き込みフランス支配を阻止するから。なぜなら、フランスがソ連領になったら、イギリスは狭いドーバー海峡をはさんでソ連とにらめっこ。イギリスにとって、国家安全保障の最大の危機だ。チャーチルが容認するわけがない。

じつは、ソ連のヨーロッパ侵攻は荒唐無稽ではない。

史実にも、その証拠があるのだ。

我々の世界でおこった東西冷戦である。

アメリカとソ連は直接交戦することはなかったが、アメリカを盟主とする西側陣営と、ソ連を盟主とする東側陣営が、一触即発だったのだ。事実、ソ連は具体的なヨーロッパ侵攻作戦を策定していた。そのために開発されたのが、1970年代西側陣営が恐れた「T72戦車」だった。

つまり、ソ連のヨーロッパ侵攻は戦略も戦術も存在したのである。

史実では、1941年6月22日から独ソ戦が始まり、ソ連は軍事力も国力も大きく消耗した。それでも、ソ連は、戦後、ヨーロッパ侵攻をもくろんだのである。

もし、第二次世界大戦がなければ、独ソ戦もおこらず、ソ連は無傷だった。その場合、ソ連は1940年代早々に、ヨーロッパに侵攻しただろう。

というわけで、世界恐慌がない世界では、ヒトラー政権は誕生せず、第二次世界大戦は勃発せず、かわりに、ソ連がヨーロッパを占領する。

つまり、世界恐慌がおころうがおこるまいが、ヒトラー政権が誕生しようがしまいが、ヨーロッパは侵略を免れない。相手がヒトラーかスターリンの違いはあるが。

《つづく》

参考文献
※1:ヒトラー権力掌握の20ヵ月グイドクノップ(著),高木玲(翻訳)中央公論新社

by R.B

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