骨折しました(1)~田舎と都会の医療格差~
■不自然な骨折
腕を骨折した・・・
ところが、今になっても、原因がはっきりしない。ありえないほど不自然な骨折だったのだ。外部から力が働いたとしか思えない。といつつ、周囲に誰かいたわけではないが。
この日、庭に除草剤を撒くため、実家に帰っていた。
まず、たわわに実った果実を収穫する。除草剤を撒くと、雑草だけでなく、近くの果樹にも吸収されるから。毒入り果実は、食べたくないですね。
実家の庭の真ん中に、高さ10m近いスダチがある。
亡き父が、数十年前に植えたミカン科の果樹だ。父は、果樹の専門家で、長らく農業短大で教えていた。スダチは徳島県特産だが、父は持ち前の技術で、寒冷地に育てることに成功したのだ。
スダチとは?
果汁を絞ってサンマにかけるのが、カボス。それより一回り小さいのがスダチだ。スダチは、カルシウム、カロチン、ビタミンが豊富で、その成分量はレモンを凌ぐという。
話はそこではない。
そのたわわに実ったスダチを採るのに夢中で、背後の約50センチの段差に気づかなかった。
さて、ここからが謎。
高い所にある大きなスダチを採ろうと、背伸びしたら、バランスを崩し、転倒。ただし、転び方が尋常ではない。身体が真っ直ぐ棒立ちの状態で、柱が倒れるようにドスン。しかも、50センチ下の大地に。最初に着地したのが左上腕だった。
つまりこういうこと。
位置エネルギー=mgh≒62kg×9.8 m/s・s(重力加速度)×0.5m
が、上腕一点に集中したわけだ。骨折してあたりまえ。実際、腕は動かないし、痛みで脂汗が噴き出した。
でも、これはおかしい。
ふつう、後ろに段差があってバランスを崩したら、まず片足が段差下に着くでしょう。そうでなかったら、まず両手でしょう。ところが、柱が倒れるように棒立ちでバッタリ。傍目でみていたら、さぞかし奇妙な光景だっただろう。
だから、第三の力を疑ったのである。
■除草剤を撒いた罰?
心あたりがある。
その1ヶ月前、実家の庭に除草剤バスタを撒いたときのこと。
15リットルの噴霧器を担いで、身体を捻ったら、腰をブチッ。診断結果は、腰の筋肉断裂で全治1ヶ月だった。
除草剤を撒いた祟りか?が一瞬脳裏をよぎった。
それにもめげず、腰が治った1ヶ月後に、除草剤噴霧を再開。前回使った除草剤バスタは、葉っぱだけを枯らす。一方、今回のラウンドアップは、地中に浸透し、根っこから枯らす。雑草の根絶をもくろんだわけだ。
ところが、撒く直前に骨折!
何かが家の敷地を守っていて、除草剤を撒くことを許さない?
さて、ここからが妄想。
我が家は歴史が古い(古いだけで有名人も金持ちも輩出していないが)。
大先祖は源平合戦の壇ノ浦の戦いまで遡る。直系が、分家し、今の土地に住居を構えたのが、江戸時代末期。その初代が生まれたのが、天明3年(1783年)。浅間山の大噴火がおこった年だ(天明大噴火)。
同年、アイスランドのラキ火山も噴火し、浅間山の大噴火とあいまり、大量の火山灰が北半球を覆った。そのため、世界的な低温・凶作が起こり、フランス革命の遠因にもなったとも言われている。
これは余談。
そんな旧い家なので、何かが棲み憑いていて、家を守っている?
そういえば、先代の父は、庭に除草剤を撒かなかった。理由を聞くと、大地を汚さないため。インディアンじゃあるまいし・・・
とはいえ、除草剤を使わないと、頻繁に草刈りをする必要がある。敷地が370坪あるので、骨が折れる(本当に骨を折った)。そこで、除草剤を撒いたら、腰の筋肉断裂と上腕骨折の2連発。
今回の骨折は、敷地を汚した罰だった?
でも、入院先でさんざん言われたのが、
「腕でよかったですね。頭なら、脳出血ですよ。下手をすると命がなかった・・・」
つまり、見方を変えば、
スダチを採るのに夢中で、背後の危険を忘れたアホな子孫を、先祖の土地が救ってくれた?
罰どころか、救済じゃん!?
真実はどっちだ?
さて、妄想はここでおしまい。
冷静に考えてみた。
除草剤を撒けば、スダチをはじめ樹木が害を受ける。除草剤は農薬で、劇物だからだ(飲んだら死にます)。地下水も汚染されるだろう。事実、今も地下水をポンプで汲み上げ、庭の水やりに使っている。さらに、60年前、実家は井戸水を汲み上げて飲料水に使っていたのだ。
というわけで、除草剤を撒くのはやめた。骨折はもうコリゴリなので。
一方、今回の骨折で学んだことがる。
第一に、田舎と都会には医療格差があり、それが致命傷になることがある。
第二に、骨折を甘く見ると、一生を棒に振ることがある。
第三に、「死」を疑似体験できた。
第四に、全身麻酔で不思議な脳体験をした。
というわけで、転んでもただで起きません。
■田舎の医療リスク
転倒後、緊急搬送されたのは、実家がある町では一番の病院。
とはいえ、この町の人口は約1万人。しかも、その40%が、65才以上の高齢者だ。そのため、難しい病気には対応できない。事実、脳外科はないし、医療設備も専門医も都会の病院には遠くおよばない。入院患者のほとんどが高齢者で、終末医療の感がある。事実、96才の父もこの病院で逝った。
つまりこういうこと。
田舎は、都会より自然に恵まれ、健康に良いと考えがちだが、肝心なことを忘れている。
医療体制だ。
父のように96才まで生きれば、無理やり治療して、生還してもあと何年生きるか?
それが96年の人生にどれだけの意味をもつのか?
だが、若い人はそうはいかない。
まだまだ人生は続く。どんな治療をしてでも、生還する意味はあるだろう。
ところが、田舎で、脳出血、心臓発作、あるいは大怪我したら、金沢市の大病院に緊急搬送するしかない。とはいえ、搬送に1時間はかかるから、間に合わず、命を落とすこともあるだろう。
こんなデータがある。
都会の方が、田舎より平均寿命が長いという。理由は明白、医療格差だ。
一方、都会でも人口過密地帯なら、病院に搬送されるのに1時間以上かかることもある。それを考慮すれば、中堅都市あたりがベターかもしれない。
とはいえ、住む場所は、職場に制限される。
一方、リタイア世代、テレワークが可能なサラリーマンなら、医療体制を優先して住居を決められる。ふだんは関係ないが、いざというとき、命にかかわるから、考慮する価値はあるだろう。
まぁでも、緊急性を要する病気やケガは、めったにないから、考え過ぎでは?
そうでもない。
今回の「腕の骨折」でさえ、一生にかかわる分岐点があったのだ。
■田舎と都会の医療格差
緊急搬送された町の病院で。
30才前後の若い医師は、レントゲン写真を見ながら、
「骨が折れてますね。1週間たったらもう一度来てください。6週間後にリハビリを開始します」
ギプスで固めるわけでもなく、三角巾で腕を吊るし、ゆるゆるのバンダナで支えるだけ。自然に骨がくっつくのを待つようだ。でも、素人目にも、パックリ骨折しているし、これで本当に骨くっつくのかな?
心配になったので、親戚の医療従事者にレントゲン写真を送った。すると、すぐに返答が・・・これ手術かも。
診察した医師も「住所がここでないので、通院は大変でしょう。金沢市の病院に紹介状を書きましょうか?」
そこで、この医師と親戚の医療従事者に、金沢市の整形外科専門の病院に紹介状を書いてもらった。
2日後、紹介された病院に行く。
診察した院長は、レントゲン写真を凝視しながら、
「うーん、これは普通の骨折ではないんですよ。折れ方が斜めで、特殊な骨折です。このまま保存しても、まずくっつかない。手術した方がいいですね」
三角巾と手術・・・同じ整形外科でも、これほど違うのだ。
心配になって、院長に問う。
「くっつかないとどうなるんですか?」
「そこが折れたままで(偽関節)、一生、腕が上がらくなる」
頭が真っ白になった。
手術は怖いけど、そんなことを言っている場合ではない。
「全身麻酔ですか?」
「そうです」
頭が、再び真っ白に。
じつは、この人生、ずーっと恐れていたことがあった。
「全身麻酔」だ。
だって、そうではないか。
「強制的に意識を奪われる=自分の『死』に立ち会う」
これ以上の恐怖はないだろう。
以前、胃カメラ飲んだ時も、アドレナリン全開で、麻酔がきかなかった。
看護師さんが、
「あれ、眠くないですか?」
結局、意識が鮮明のまま、胃カメラをのんだ。今と違い、ぶっとい光ファイバーを口から突っ込んだのだ。今、思い出しても恐ろしい。
ところが、今回の手術はそれどころではない。
ドリルで骨に穴をあけて、ボルトで固定するというのだ。
卒倒しそうになった。
とはいえ、一生腕が上がらないのは、ごめんだ。平均寿命まで、まだ長いし。
でも、全身麻酔はリスクが伴う。
知人も、術後、予定時間をはるか過ぎて、意識がもどらなかった。麻酔医師がつききりだったという。結局、もどったのだが、人間の身体は個体差があり、どんな危険が潜んでいるかわからない。だから、手術前に同意書を書かされるのだ。
マジ、怖いです。
誰かが言った。
「死は怖くない。ただ、その場所に居合わせたくないだけだ」
至言だ。
それと同じで、手術の場所に居合わせたくない。
でも、手術自体も怖いです!
by R.B