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スモールトーク雑記

■令和6年能登半島地震・被災しました 2024.01.09

2024年1月1日、大惨事が降りかかった。

今住んでいる石川県で大地震がおきたのだ。

午後4時10分、石川県・能登半島を震央とするマグニチュード7.6の大地震が発生。

能登半島北部で最大震度7、石川県全域で震度7から震度5を観測した。県内で3万4100戸が停電し、気象庁の統計がある1885年以降、最大である。

地元の北國新聞は「特別号外」をだし「県内大地震、志賀震度7、輪島津波1.2m、輪島大火事」と伝えた。

ところが、同じ石川県でも、場所によって被害が大きく違う。

石川県は、大きく北部の「能登地方」と南部の「加賀地方」からなる。県庁がある金沢市は、能登と加賀の中間に位置し、北陸新幹線の終着駅でもある。

能登地区は震度7~震度6で、被害が甚大だった。

金沢市は震度5強だが、被害は少ない。県庁前の道路が隆起し、亀裂が入った程度で、家屋の倒壊はほとんどみられない。知人によれば、地震発生3日後に、飲み屋街は満席だったという。

金沢の南方の加賀地区は、家の倒壊はないが、瓦や壁の被害が多数(地震保険の保険屋さんの情報)。

今住んでいる町は、金沢近郊ではもっとも被害が大きかった。

町の9割が断水し、電柱が倒れ停電している地区もある。

わが家は、断水と停電とまぬがれたが、棚から本や食器類が飛び出し、部屋はグチャグチャだ。割れた瓦もあり、外壁に一部ヒビが入っている。家が倒壊しなかっただけマシだが。

1週間経過しても、1日中、消防車と救急車のサイレンの音、ヘリコプターの轟音が絶えない。経験したことのない異常事態だ。

この町で、とくに被害が大きかったのが、低地の埋立地である。

液状化がおきて、大地は凹凸になり、平面を失っている。家屋は傾くか、割れるか、1mほど沈下している家もある。道路は、隆起か陥没かで車は通れない。大穴が空いて、徒歩でも通れない道もある。

だが、震源中央の能登半島は、こんなレベルではない。

とくに能登半島北部の珠洲市と輪島市は被害が大きい。

珠洲市の泉谷市長は「家屋の9割が倒壊し、市内は壊滅状態」と訴えた。人口1.4万人の市が壊滅したのか。

輪島市の坂口市長は「避難者1万人に2000食しか届いていない」と窮状を訴えた。

輪島市には、有名な観光スポット「輪島朝市」がある。約400メートルの「朝市通り」に、新鮮な野菜や海産物、雑貨品を売る露店が200以上立ち並ぶ。独特の飾らない雰囲気があり、千年以上の歴史をもつ人気スポットだ。ところが、今回の地震で中心街が全焼してしまった。映像をみると跡形もない。

1月2日、大学時代の友人が電話をかけてきた。安否を気遣うとともに、輪島朝市が壊滅したことに衝撃をうけていた。というのも、大学時代、友人3人で能登を一周したのだ。輪島の朝市で買い物をし、珠洲の民宿に泊まり、新鮮な海産物を味わった。あのときの思い出が忘れられないという。電話の向こうから、無念ぶりが伝わってきた。

一方、復旧作業はうまくいっていない。

自衛隊が出動したが、2016年の熊本地震にくらべ、初動が遅いという。

立憲民主党の泉代表は「自衛隊が逐次投入になっており、あまりに遅く小規模だ」と非難している。

熊本地震と能登半島地震の自衛隊動員数を比較してみよう。

地震発生2日目:能登半島地震(1000人)、熊本地震(2000人)

地震発生4日目:能登半島地震(5000人)、熊本地震(2万4000人)

たしかに、初動は遅い。

だが、立民が政権与党でも、状況は変わらなかっただろう。

能登半島を一周すれば、すぐにわかる。

幹線道路は1本しかない。そこが寸断されたので、移動できないのだ。自衛隊員を1万人投入しようが、10万人投入しようが、状況はかわらない。いわゆるボトルネックだ。

能登半島は、日本海側最大の半島だが、99%が山地である。

国道を車で走行していると、道路の両側に鬱蒼とした原始林が出現する。その山あいに、小さな集落が点在している。中国軍が攻めてきたら、ここに逃げ込めば、まず見つからない、そう思ったほどだ。

そのため、道路に使えるスペースは限られている。事実、能登半島の幹線道路は2つしかない。

能登の中核都市、七尾市から能登半島をぐるっと一周し、金沢市にいたる国道249号と、半島中部の山間部を通って、東西を結ぶ県道40号である。この2本が、隆起や陥没や土砂崩れで、ズタズタに寸断されているのだ。

であれば、空輸しかないが、能登空港が使えない。滑走路にひび割れがあり、飛行機が離着陸できないのだ。さらに、空港で500人が孤立しているという。

滑走路が使えないなら、ヘリしかないが、大量輸送は難しい。

陸上ルートを確保するしかないわけだ。

そこで、国土交通省は、1月4日、復旧作業に支障が出ているとして「一般車両の能登地方への移動は控えて」と呼びかけた。

ところが、1月5日、れいわ新選組の山本太郎が、被災地に入ったと得意げに報告した。そのとき、炊き出しのカレーを食べたことが、SNSで話題になっている。カレーは被災者のための貴重な1食だから、おまえ食うな、というわけだ。また、彼が被災地に入っても、復旧作業がはかどるわけではないので、パーフォーマンス、政治利用だと批判があいついだ。一方で、行動力があると絶賛する声もある。

まぁ、こういう極限状況では、人間はそれぞれの利害で行動するから、いろんな人間がでてあたりまえ。復旧の妨げになる輩は排除すべきだが、それ以外は捨て置けばいいだろう。

被害の大きい能登北部では、多くの家屋が倒壊し、約3万5千人が避難生活を強いられている。インフルエンザと新型コロナがふえ、隔離もできない状況だ。命にかかわる状況である。

能登出身の知人、友人が多いが、何人かは連絡がとれていない。とくに、前職の部下が心配だ。高専卒の天才プログラマーで、かわいがっていたのだが、実家は震源地の珠洲市だった。元旦なので、実家にいた可能性が高い。

考えても、しかたがないのだが、あーでもないこーでもないと、同じことを考えている。

そんな状況なので、正直、山本太郎がカレーを食おうが、何を思って行動したかはどうでもいい。

いや、本当は違う。

帰れる安全な場所があって、物見遊山に、被災地を行ってとんぼ返りで、わたし現地に行ってきました、みなさん大変なことになっていますよ・・・正直、不愉快だ。

だが、山本太郎は偽善者ではない。想像の世界で生きている人間でもない。1%の偽善を本心に上書きし、99%本気で生きている。恐ろしい種類の人間である。

話を地震にもどそう。

地震より怖いのが津波である。

1月1日、地震が発生したとき、日本海沿岸に、大津波警報・津波警報・津波注意報が相次いで発令された。

NHKの女性アナウンサーが強い口調で、

「ここは大丈夫だと思うのは危険です。情報を待って逃げ遅れないで下さい!」

やがて大津波警報がでると、絶叫に近くなった。

令和6年能登半島地震・津波
令和6年能登半島地震・津波

「可能な限り高いところへ逃げること!」
「今すぐ避難!今すぐ避難!」
「東日本大震災を思い出して下さい!」
「一度逃げたら途中で引き返さないでください!」

緊張感がTVの小さな画面から、びんびん伝わってくる。ちょっと感動した。

といつつ、わが家も沿岸沿いなので、避難しようという意見もあったが、結局、とどまった。

というのも、推定される津波の高さが3mだったから。

一般に、「津波の高さ」は海岸付近での波の高さである。海岸から進入してきた津波が、陸上をはい上がった最高地点が「遡上高」だ。 過去のデータから、「遡上高」は「津波の高さ」の最大4倍程度であることが分かっている。

わが家の海抜は海抜23mなので、大丈夫だと判断したのだ。

さらに今回の津波は、足が早く、到達時刻が迫っていた。もし、途中で渋滞にあって、津波に呑まれたら?

さらに、地震で道路が隆起か陥没していたら、同じことがおこる。

それでも、津波が気になったので、双眼鏡で海を凝視する。すると、水平線が水平になっていない。地球の境界線が、泡立ち、ゆらいでいる。異様な光景に、背筋が凍った。

というわけで、極限状況ではリアルタイムで臨機応変に対応するしかない。

それができないなら、あらかじめルールを決めておくこと。

たとえば、メディアの報道に素直に従う。

今回のNHKのアナウンサーの強い口調にたいし、「こんなふうに危機感を伝えられるアナウンサーなかなかいない」と称賛する声もあるが、一方で「叫びすぎ」という非難する向きも。

だが、大事なことを忘れている。

津波は、想像している以上に危険なのだ。

わずか30センチの津波でも、人間は抵抗できない。津波の行き先まで確実にもっていかれる。

1mの津波に巻き込まれたら、命はない。木造家屋は、部分破壊を起こし始める。

2mの津波なら、木造家屋は全面破壊だ。

4mなら、石造や鉄筋コンクリートの家屋・ビルも破壊される。

もちろん、他の条件次第で、結果は異なるだろうが、リスクは最大で考えた方がいい。

事実、今回の地震で大津波警報が的中している。

珠洲市、輪島市で5mの大津波警報が発令されたが、沿岸沿いで最大4mの浸水が確認されている。高さ4mの津波が押し寄せたのだ。

というわけで、NHKのアナウンサーの報道方法は正しい。あの緊迫した報道で、避難して命拾いした人もいるだろうから。

1月2日、小さなニュースが報じられた。見附島(みつけじま)が崩落したという。

見附島は、珠洲市の海岸に近い孤島で、軍艦に似ているので別名「軍艦島」ともいう。高さ28m、周囲400mなので、島というより奇岩だろう。

じつは、見附島には個人的な思いがある。

2017年9月、仕事で「見附島」に行ったのだ。360度撮影できる特注ドローンで、見附島を撮影するために。360度の立体映像なので、プラネタリウムでしか表示できない。もちろん、それが目的だった。
← 手前が特注ドローン、向こう側が見附島。

撮影後、近くのお食事処「見附茶屋」で、撮影クルーといっしょに食事をした。彼らは東京と宮崎から来ているので、能登名産の塩をはじめ、たくさんのお土産を買いこんでいた。今となれば、懐かしい思い出だ。だが、見附茶屋が残っているかどうかわからない。

その前日、撮影クルーは輪島に宿泊している。輪島朝市でお土産を買い、その一角にある永井豪記念館を見学した。漫画家の永井豪の大ファンがいたのだ。ところが、今回の地震ですべて全焼してしまった。

今回の地震の特徴は、規模も大きいが、範囲が異様に広いこと。

震度マップをみると全国を覆いつくしている。

令和6年能登地震_震度
令和6年能登地震_震度

日本はなんと小さい国なのだろう。

たった一つの地震で、国全体が揺さぶられたのだ。

一方、日本は火山の島なので、地震と津波は避けれられない。

今回の大地震で、たまたま最悪の事態はまぬがれたが、次はどうなるかわからない。

では、どうすればいい?

1.海抜40m以上の高台に、耐震・耐火にすぐれた家を建てること。

2.食料・水の備蓄を最低1ヶ月確保すること。

3.太陽光発電を設置し、非常用エネルギーを確保すること。

問題は資金をどうするか?

あらら、これが一番の問題だ。

備蓄1週間分で手を打とうかな。

by R.B

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