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週刊スモールトーク (第53話) 鉄の歴史(1)~ブータンの鋼鉄切手~

カテゴリ : 科学

2006.07.01

鉄の歴史(1)~ブータンの鋼鉄切手~

■厚さ25ミクロンの鋼鉄

Stamp_Steel写真のカードのようなものは、じつは鋼鉄の切手である。何かのオモチャか販促品?いえいえ、ブータン政府が発行した本物の切手である。購入したのは35年ほど前、と記憶している。

この風変わりな切手は、「郵便の歴史」というより、「鉄の歴史」に関わっている。わずか数グラムの切手が長大な鋼鉄の歴史を物語るわけで、とにかく、ブータン政府に脱帽・・・

この鋼鉄の切手が世に出るきっけとなったのは40年前のアメリカ。当時、世界最大の鉄鋼会社USスチール社が、鋼鉄を厚さ25ミクロン(1000分の25ミリ)に圧延する技術を開発したのである。だから?いや、薄いことが凄いのだ。たとえば、台所で使われるサランラップは18ミクロン。つまり、この鋼鉄切手の厚さはサランラップなみ

ところが、もっと薄い金属もある。金箔(きんぱく)だ。石川県の金箔は国内シェア99%を占めるが、厚さはなんと、1ミクロン以下。これはもう、金属というよりは膜に近い。

話を鋼鉄の切手にもどそう。このサランラップ鋼鉄で、USスチールは生産量だけでなく技術も世界一であることを証明することができた。メデタシ、メデタシ。ところが一つ問題があった。使い道がなかったのである。用途も決めず、莫大なカネをかけて、超技術を開発する?文明の中心がまだ鉄だった頃の話である。

鉄の長所は「硬くて丈夫」だが、サランラップ鋼鉄ではそうはいかない。というわけで、用途はなかなか見つからなかった。ところが、そんな悩める巨人USスチールに、意外な国から思いもよらぬ企画が持ち込まれた。国の名はブータン、企画は「サランラップ鋼鉄の切手」。

■ブータン

ブータンは北はチベット、東西南をインドに接する小さな王国である。成文化された憲法がなく、議会はあるが、一院制で政党もない。国土の大半は山で、産業とよべるのは農業ぐらい。「超ハイテク」とはおよそ無縁な国である。もともと、インド系の民族が住んでいたが、9世紀にチベットの侵入を受け、チベット系が主流となった。そのため、国教はチベット仏教。美しく魅力的な国で、日本でも人気上昇中。もちろん、GDPのような無粋な尺度で語れば、今も昔も発展途上国。

ところがどういう理由か、このような国が、世界の最先端技術をウオッチしていたのである。もちろん、この話はすぐにまとまった。スズメッキされた極薄鋼鉄の上に、美しいイラストがプリントされ、見事な切手が完成したのである。

この切手のオリジナリティは、「鋼鉄」だけにあるのではない。8種類の鋼鉄切手をシリーズ化し、そこに、過去・現在・未来にわたる人類5000年の鉄の歴史をプリントしたのである。なんと、粋な企画だろう。凄腕の広告代理店でもついていたのかな。

こうして、1969年、世にも珍しい鋼鉄の切手8部作が発行された。USスチールの「サランラップ鋼鉄」も驚異だが、鋼鉄切手で鉄の歴史を語るというのが凄い。ということで、この鋼鉄切手にそって鉄の歴史を物語ることにしよう。

■第1作「鉄の起源」

鋼鉄切手の第1作目のテーマは「古代オリエントの製鉄」、つまり、鉄の起源である。というのも、鉄の起源は古代オリエントのシュメール文明までさかのぼるのだ。古代シュメールの都市ウルから鉄片が発見されており、彼らが鉄を知ったいたことは確かだ。ところが、この鉄は鉄鉱石から製錬されたものではなく、隕鉄を加工したものだった。

地球上には隕石衝突の残骸がたくさん転がっている。ほとんどが、地球外の石だが、まれに、鉄も含まれている。これが隕鉄である。もちろん、純鉄というわけではない。他に、ニッケル、コバルト、クロムなどの不純物も含まれている。隕鉄は世界中で見つかっているので、初期の鉄器は隕鉄を加熱し、ハンマーで叩いて加工したと考えられている。

鉄は、古代シュメール語で「天の金属」を意味する。そのため、さまざまな仮説を生んだ。ありがちな仮説として、
「天の金属→天から舞い降りた異星人がくれた金属」
でも、普通に考えれば、
「天の金属→天からの落下物」
というところだろう。

とはいえ、天から降ってくるのを待つしかないのだから、当時の鉄は大変な価値があっただろう。また、現存する隕鉄には、重量が数十トン、純度90%を超えるものもある。これなら、鉄鉱石から鉄を抽出するより、隕鉄を加工した方が早い。とすれば、鉄の本当の起源は隕鉄かもしれない。

話を鋼鉄切手にもどそう。第1作目の鋼鉄切手には、溶鉱炉が描かれている。鉄鉱石を溶かし、鉄を抽出する本格的な製鉄法である。このような製鉄法を最初に発見したのはヒッタイト帝国だと言われている(諸説あり)。実際、紀元前2000年頃のヒッタイトの都ボアズキョイ遺跡からは、製錬された鉄が発見されている。

ヒッタイト帝国は、この製錬技術で鉄剣を製造し、強国エジプトを脅かし、オリエントの覇者にのしあがった。鉄剣は、銅や青銅の剣にくらべ、軽くて硬くて、切れ味がよかった。つまり、斬る、刺すの兵器には最適だったのである。

また、ヒッタイトの軍事的優位をささえたのは、鉄剣だけではなかった。古代の戦車チャリオットである。チャリオットは、2、3人乗りの2輪馬車で、戦場を高速で走り回る機動ユニットだった。1人が馬を操り、1人が弓を引く。弓兵が高速で戦場をかけめぐることになり、恐るべき攻撃力をもつ軍事ユニットだった。

この時代、鞍(くら)や鐙(あぶみ)のような馬具は、まだ発明されておらず、馬に乗ることそのものが難しかった。そのため、騎馬兵は戦力にはならなかった。つまり、この時代、最強の機動ユニットはチャリオット。ヒッタイト帝国はこのチャリオットと鉄剣で古代オリエント世界に君臨した。

ヒッタイト帝国が製鉄で他に先んじたのは、地理的条件による。ヒッタイトの拠点はトルコのアナトリア地方だったが、この地は、鉄鉱石など鉱物資源の宝庫だった。ところが、ヒッタイトの栄華も500年ほどで終わる。紀元前1200年ごろ、東地中海の謎の「海の民」の侵入をうけ、滅亡したのである。

その後、製鉄技術はアッシリア帝国に継承され、オリエント、ヨーロッパへと広がっていった。また最近では、製鉄はヒッタイトよりアッシリアの方が早かったという説が有力である。まぁ、どちらにせよ、鉄の起源はオリエント。

■第2作「ダマスカス剣」

鋼鉄切手の第2作目の絵は意味ありげだ。イスラム商人が、王に鉄剣を売りつけようと、黄金と鉄剣を天秤にかけている。つまり、
鉄剣の価値は同じ重さの黄金に等しい
ただし、天秤にのせられた剣はタダの鉄剣ではない。「ダマスカス剣」、歴史上もっとも有名な剣である。

ダマスカス剣は、その名の通り、ダマスカスで製造された鋼鉄の剣である。ダマスカスは現在シリアの首都で、古代より、商業の町として栄えた。現在も、周辺地域で生産されたイチジク、アンズをはじめ多くの青果類の集散地になっている。ダマスカスは、紀元前1500年頃に建設され、その後、イスラエル王のダビデ、アレクサンドロス大王、ローマ帝国のポンペイウス、十字軍の時代のサラーフ・アッディーン、ティムールによって征服された。歴史の古い町である。

この地で製造されたダマスカス剣が黄金に等しい価値をもった理由は2つある。折れにくく、よく斬れたからである。剣を求める人間は、命の取り合いを生業にしているので、剣に金は惜しまない。11世紀、十字軍の大遠征で、ヨーロッパの騎士たちはイスラム兵がもつダマスカス剣を見て、驚嘆した。ヨーロッパの剣よりはるかに優れていたからである。

彼らは、ダマスカス剣を国に持ち帰り、コピーしようと躍起になったが、ことごとく失敗した。それもそのはず、ダマスカス剣のキモは製造方法ではなく、材料にあったのである。どんな名工でも、並みの鋼鉄はダマスカス剣は造れない。ダマスカス剣に使われた鋼鉄はインド産で、「ウーツ鋼」とよばれた。「ウーツ」とはサンスクリット語で「硬いもの」を意味する。

■驚異のウーツ鋼

インドの「ウーツ鋼」は鋼鉄の歴史上、至高のポジションにある。現代の鋼鉄の炭素含有量は「0.035~1.7%」だが、ウーツ鋼は約1.6%と、かなり高い。鋼鉄は、炭素の含有量が増えるほど硬くなるが、一方、もろくなる。剣は硬さが重要だが、もろくても困る。ウーツ鋼の炭素含有量は、「もろさ」が始まる直前まで硬さを追求した、究極の超高炭素鋼だったのである。

このウーツ鋼を鍛えて造られたダマスカス剣は、見てすぐにわかる特徴があった。刃身の波紋である。牛肉の霜降りのような波紋なのだが、そこに到るプロセスは難解だ。まず、炭素含有量の多い鋼をゆっくりと冷やすと、内部の結晶粒が大きくなっていく。つぎに、この結晶粒を囲む形で、内部で融けていた炭素が固まり、網目模様を形成する。これを叩いて鍛えると、網目模様が引き延ばされ、霜降りのような波紋になるのである。

また、ダマスカス剣をゆっくりと冷やすために、生きた奴隷の腹に刺しこんだ、という逸話も残っている。36.5度、つまり人間の体温で少しづつ冷やすのが最良といわけだ。

ところで、このウーツ鋼には後談がある。1976年、アメリカのスタンフォード大学の冶金学者オレグ・シャービーと、ロッキード社の研究員ジェフリー・ワッズワースが、新しい鋼鉄を発明したと発表した。この鋼は極めて強靱で、「ウルトラ・ハイ・カーボン・スチール」と命名され、特許まで出願された。

ところが・・・

この鋼鉄は、先のウーツ鋼そのものだった。1000年前の技術を特許出願?技術で歴史を逆行した珍しい例である。それにしても、このような超ハイテクを、古代インド人はどうやって獲得したのだろう。やはり、インドは奥が深い。

《つづく》

参考文献:
オムニ№7旺文社

by R.B

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