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週刊スモールトーク (第354話) 映画「渚にて」(2)~グレゴリー・ペック~

カテゴリ : 娯楽戦争終末

2017.04.02

映画「渚にて」(2)~グレゴリー・ペック~

■ブラジルから来た少年

「あれ」は5ヶ月後に来る。

その後、地球は死の惑星に・・・人類滅亡のカウントダウンは始まっているのだ。

アメリカ海軍・原子力潜水艦スコーピオン号は、メルボルン港にいた。放射能汚染を避けて南下し、オーストラリア海軍に身を寄せていたのである。所属するアメリカ海軍は音信不通、アメリカ本国も存続しているかもあやしい。

そんなおり、原潜スコーピオン号はオーストラリア海軍から任務が与えられた。北極の放射線量を測定するのである。連絡士官として、オーストラリア軍のホームズ大尉(アンソニー・パーキンス)も乗艦することになった。

ホームズ大尉がメルボルン港に行くと、スコーピオン号の艦長タワーズ中佐がいた。タワーズは異国のアメリカ人、そこで、ホームズ大尉はホームパーティに招待することにした。艦長の気持ちをなごまさせるために、近所の独身女性モイラも。

・・・と、ここまでは、予定調和のような展開。

ちなみに、この映画の主役は、原潜スコーピオン号のタワーズ艦長。演じるのは、ハリウッド全盛期の大スター、グレゴリー・ペックである。

グレゴリー・ペックは絵に描いたような二枚目俳優だ。しかも、理知的で紳士的で優しく、正義感にあふれている。これを顔面だけで表現するのだから大したものだ。さすがは、ハリウッドの大スター。

グレゴリー・ペックは古きよき時代のアメリカの理想の男性像だった。事実、1970年頃まで、模範的なアメリカ男性の役柄ばかり演じていた。さぞかし、息苦しい俳優人生だっただろう。

ところが、そんなグレゴリー・ペックに転機が訪れる。

1978年に公開されたSF映画「ブラジルから来た少年」だ。これを観た映画ファンは仰天した。

仰天は2つ・・・

第一に、グレゴリー・ペックは主役ではない。

第二に、グレゴリー・ペックが出る映画ではない。

「ブラジルから来た少年」は、ブラジルから渡米したサッカー少年が、アメリカのサッカー普及に大貢献する、なんて健全な話ではないのだ。ナチス・ドイツのヒトラーがクローンで現代によみがえる・・・絵に描いたようなB級SFだ。

しかも、グレゴリー・ペックは主役ではなく脇役。

つまりこういうこと・・・トム・クルーズが「アイアン・スカイ」に「脇役」で出演するようなもの。ありえない。

原作はアメリカの作家アイラ・レヴィンだが、それは重要ではないだろう。問題は、B級SFを突き抜けて「サブカル」に踏み込んでいること。しかも、スチームパンク、サイバーパンクのような、健全なサブカルではない。「カルト」の臭いがするのだ。

というのも・・・

「ヒトラーのクローン」計画の主犯は「ヨーゼフ・メンゲレ」だというのだから。

■ナチスのサブカルチャー

ヨーゼフ・メンゲレは実在の人物である。

メンゲレの人体実験」で歴史に名を刻んだ悪徳医師だ。

メンゲレは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの軍医で、親衛隊(SS)の将校でもあった。その立場を利用して、アウシュヴィッツ収容所で人体実験を行ったのである。アーリア人至上主義、人種淘汰、人種改良・・・あらゆる悪徳を実践し、「死の天使」とよばれた。

やったことがおぞましい。人為的に双子を産ませ、アーリア人の量産化をもくろんだのである。

これだけでも、カルト指数「1,000,000」突破しそうだが、メンゲレはそれで終わらなかった。戦後、南米に逃げのびて、新たなメンゲレ伝説を作り上げたのである。

じつは、南米に逃げたナチス幹部はメンゲレだけではない。ナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマンもその1人。数百万のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ責任者で、戦後、アルゼンチンに逃亡した。ところが、15年後、イスラエル諜報機関・モサドに捕獲され絞首刑に処せられた。

ナチス幹部が南米に逃げるのは理由がある。南米には、多くのドイツ人植民地があるから。

かの大哲学者ニーチェの妹エリーザベトも、南米パラグアイにドイツ人植民地「新ゲルマニア」を建設している。結局失敗して、自分だけドイツに逃げ帰ったのだが。ところが、その後が凄い。

兄ニーチェの著作を利用して、ニーチェ・ブランドを確立したのである。

その手口は巧妙にして大胆。ニーチェの「超人哲学」を曲解し、ナチスの人種差別主義、軍国主義を正当化し、みかえりに、ナチス政権の支援をとりつけたのである。つまり、エリーザベトとナチスはウィン・ウィン、どころからズブズブ。エリーザベトの葬儀にヒトラー自ら参列したほどだ。

兄のニーチェは何も言わなかった?

深刻な心の病で、それどころではなかった。しかも、一度も回復することなく死んでしまった。だから、自分がナチスに利用されたことを知らない。世の中、知らない方が良いことがたくさんある。

ただし、エリーザベトの名誉のために一つ付け加えておくと・・・

エリーザベトは兄ニーチェを心から尊敬していた。兄を辱めるつもりは毛頭なかった。私利私欲のために曲解しただけ。しかも、「曲解」の意図も意識もまったくない。これが、エリーザベト伝説の原動力なのだ。

エリーザベト伝説の歴史的意義は、ニーチェを世に出したことだが、ドイツ人植民地「新ゲルマニア」も大きい。

ただし、南米にドイツ人植民地を建設したのは、エリーザベトが初めてではない。その前から、多くのドイツ人が南米に植民していた。ほとんどがドイツで食いっぱぐれた連中だったが。ところが、エリーザベトは違った。アーリア人の理想国家「新ゲルマニア」という崇高な?イデオロギーをかかげていたのである。

というわけで、ドイツと南米との関係は古くて深い。しかも、その関係は現在も進行中・・・

というのも、最近、南米チリで驚くべきドイツ人植民地が摘発されたのだ。

ナチスの教義を信奉する「コロニア・ディグニダッド」である。外界と接触を絶ち、空港、病院などのインフラを備え、戦車まで隠し持っていたのだ。

というわけで、「ブラジルから来た少年」は、ナチスのサブカルそのまま。しかも、V2ロケットタイガー戦車の超兵器ぶりをよろこんでいるレベルではない。突き抜けてカルトなのだ。

話をもどそう。

じつは、「ブラジルから来た少年」でメンゲレを演じているのがグレゴリー・ペックなのだ。「ローマ休日」でオードリー・ヘプバーンとラブロマンスを演じた甘いマスクの色男はどこへ行った?

グレゴリー・ペック版メンゲレの存在感は圧倒的だ。

激高しても、表情がまったく動かない・・・これがマジでコワイ。

あれ、これグレゴリー・ペックじゃない?

まさか・・・でも似てるし・・・えー、マジか!

という5秒間の紆余曲折を今でも覚えている。

こうして、グレゴリー・ペックは個性派俳優としての名声をえた。「カルト」のキングとして(一部のファンの間で)。

「渚にて」で良き軍人、良き夫をを演じたアンソニー・パーキンスもしかり。

ヒッチコックの代表作「サイコ」でサイコ役者として映画史に名を刻んだのだから。

そこで、お薦めの映画鑑賞がある・・・

「渚にて」を観たあと、「ブラジルから来た少年」と「サイコ」を観る。グレゴリー・ペックとアンソニー・パーキンスの変容に仰天すること間違いナシ。

■ホームパーティに隠された真実

火星人が襲来しようが、核戦争が起ころうが、パーティは欠かせない、これが、1950年代のSF映画だ。

「渚にて」もしかり・・・

冒頭のホームズ大尉のホームパーティだ。パーティには20人ほどが出席し、愉しい歓談がはじまった。

ところが・・・

偏屈者が愉しい場を一変させる。オーストラリア海軍の科学士官ジュリアン・オズボーン博士だ。彼の持論に初老の男がかみつく。

「この戦争が事故だって?」

ジュリアンがしたり顔で反論する。

「いや事故とは言ってない。技術的、感情的に計画したんだ。だが、見事に失敗した。結局、我々の文明が破壊されたんだ。試験管とトランジスタでね。欠陥品さ」

酒が彼を勢いづかせる・・・

「科学者は原爆をつくり、実験をして、爆発させた。おかげで我々は全滅だ。その結果、この部屋の放射能ですら、去年の9倍にふえている。わからんのか。おれたちはみんな死ぬ。飲んだくれて死ぬだけだ。生き残るチャンスなんかないんだ」

これを聞いて、ホームズ大尉の妻メアリーはキレた。

「やめてジュリアン!わたしは希望をもつわ。絶望なんてイヤ」

泣きじゃくって、部屋を飛び出していく。

一方、タワーズ艦長とモイラの会話も湿りがち・・・

タワーズ艦長には、妻のシャロンと8歳と5歳の子供がいる。正確には「いた」なのだが。しかし、軍人なので、泣き言は口にしない。「家族の死」もふせ、ひたすらミルクを飲んでいる。

一方、モイラは酔っ払って本音がでてきた。彼女はフランスに行って買い物をしたかったのだ。

「リボリ街(フランス)を歩いて手袋を買うの。フランス語で注文できるわ」

そこで、泣き崩れる。

一見すると、愉しそうなホームパーティ。

ところが、足元を見ると地獄のフタが開いている・・・

泣こうが、叫ぼうが、この世界はあと5ヶ月で終わるのだ。

《つづく》

参考文献:
渚にて【新版】人類最後の日(創元SF文庫)ネヴィル・シュート(著),佐藤龍雄(翻訳)出版社:東京創元社

by R.B

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