■マカオ出張・世界遺産観光 2011.07.10
朝7時半、電話がけたたましく鳴る。電話は2機あるのに、よりによって遠い方。部屋が40畳ほどあるので、電話まで行くのが大変だ。
電話にでると、モーニングコールだった。今日は、ガイドのランディの案内で、マカオの世界遺産を観光する。
下着といっしょに、大理石のバスルームに入り、朝風呂と洗濯を一気にすませる。「プチ貧乏&せっかち」の哀しい習慣と、白い目で見る友人もいるが、僕は良い習慣だと思っている。
その後、朝食をとりに、ビュッフェ「カフェ・デコ」へ。相変わらず人が多い。
昨日は初日だったので、なんとか我慢できたが、今日はたがが外れてしまった。食べ放題、飲み放題なので、「プチ貧乏&田舎モン」の悪い癖がでて、2皿もたいらげる・・・ソーセージ、ベーコン、ブタの角煮、サラダ、蒸しパン、揚げパン、ショッパン、オレンジジュース、リンゴジュース↓
食い過ぎやろ・・・
部屋にもどって、市内観光の準備をする。外は蒸し暑いので、今日は上着はナシ。パスポートなどの貴重品は手持ちカバンへ。棚の上のミネラルウォーターを、カバンに入れる。じつは、棚の上にあるものはすべてタダ。ただし、棚の中にあるものはすべて有料(冷蔵庫も含め)。なので注意が必要だ。
午前9時20分、ホテルの西ロビーに行くと、ランディが待っていた。
その横に、30歳と50歳ぐらいのおばさんが立っている。ピンときた、日本人だ。表情が無く、陰気なのですぐにわかる。近づくと、関西弁・・・やっぱり。
今回のマカオ出張で学んだことがある。中国人と日本人は、顔の造りは同じだが、勢いが違う。中国人は、声はでかいし、顔もシャキっとしている。まぁ、とにかく元気。それにくらべると、日本人は・・・お前はもう死んでいる(ホントだぞ)。
社長は、朝から賭けごと(カジノ)なので、観光は僕ともう一人の役員だけ。ランディを含め3人で、20人乗りのマイクロバスに乗り込む。ちょっと贅沢な観光ツアーだ。目指すは、世界遺産テンコ盛りのマカオ歴史地区だ。いざ出陣。
ヴェネチアン・ホテルがあるコタイ地区から、タイパ島を抜け、マカオ半島部に入る。30分ほどで歴史地区(歴史市街地区)に到着。マカオは意外に狭い。
まずは、マカオ歴史地区の顔、「聖ポール天主堂」↓
写真からもわかるが、じつは、聖ポール天主堂はハリボテ、正面壁しかない。1835年の火災で、大学や聖母教会を含むすべてが焼失したらしい。
聖ポール天主堂は、17世紀初め、イエズス会の修道士によって建造されたという。ところが、実際に造ったのは日本の石工らしい。彼らは、徳川家康のキリスト教迫害から逃れてきたのだという。じつは、その証拠が、聖ポール天主堂に刻まれている。
ランディいわく(生録)、
「正面の壁、3段目、真ん中、聖母マリアさま。ハイ、その横、7つの頭持った龍、見てください。一番上の頭は、1630年代の徳川家康さんの頭、モデルにして作られたんです。それを聖母マリアさん踏みつけてますね↓
なぜっていうと、徳川家康さん、昔、キリスト教迫害したからです、ハイ」
ん~、興味深い。ヨハネの黙示録12章18節には・・・
「龍は、海の砂の上に立っていた。わたしは、1匹の獣が海から上がってくるのを見た。その獣には、10本の角と7つの頭があり、角の上には10の冠があった。そして頭上には、神を汚す名がついていた」
キリスト教世界では、「7つの頭を持つ龍」は神を汚す獣を意味する。それが徳川家康さん?
コワイコワイ・・・
聖ポール天主堂のすぐ横に、小屋みたいな寺院がある(失礼)。名は「ナーチャ廟(びょう)」という↓
これも世界遺産!?(意味がわからん)
理由をランディに聞くと、ますます、意味不明に。この寺院は仏教かと聞くと、道教だという(ホントかな)。あとで調べるとホントだった。
それにしても、異様な光景だ。ヨーロッパの建物と中国の建物が仲良く並んでいる!?フツー、ありえんやろ・・・ひょっとして、このチャンポンぶりが、世界遺産の理由?
ナーチャ廊の左横に、古い城壁がある(上の写真左の灰色の壁)。1569年にポルトガル人が造ったらしい。大航海時代のポルトガル人は、アフリカ、インド、アジアで、居留地を防衛するため、このような城壁を造ったという。近くで見ると、ワラや貝殻も混じっている。材料だけはマカオ式?
細い路地を抜けると、セブンイレブンがあった。ランディが、「セブンイレブンでウォーター買ってください。それ以外のお店、全部2倍高いです、ハイ」日本じゃ考えられん。
少し歩くと、聖ドミニコ教会が見えてくる。淡い黄色の壁に、純白のふちどり、うっとりするほど美しい↓
聖ドミニコ教会は、1587年、アカプルコから来た3人のスペイン修道士によって建てられたという。
え?マカオはポルトガル領だったのでは?といぶかる人は物知りだ。
確かに、1557年にポルトガルは中国(明)から、マカオの居留権を得ている(スペインではない)。ところが、1580年~1640年、ポルトガルはスペインに併合されていたのである(同君連合)。また、この頃のスペインは、アカプルコとマニラを結ぶ交易路を確立していた。だから、アカプルコからマニラ経由で来たスペイン修道士が、マカオで聖ドミニコ教会を建てたとしても不思議ではない。
聖ドミニコ教会は、立派な世界遺産だが、現役の教会でもある。じつは、これがマカオの世界遺産の特徴。マカオの歴史地区は、22の建築物と8つの広場が、ユネスコ世界遺産に登録されているが、その多くが、日常生活で使われている。
聖ドミニコ教会のすぐ近くに、セナド広場がある。ちょっと見づらいが、路面は波の模様のモザイク↓
セナド広場もマカオの顔なので、ランディの解説にも熱が入る。
ランディいわく(生録)、
「広場の中で、セナド広場、有名です、ハイ。波の模様してるんで、いちおう、ポルトガル人は500年くらい前は、大航海の夢の国ですが、そういうことで、共通するために、ぜんぶ波の模様、ハイ。石は、ぜんぶリスボンから運んできて、政府はお金はらって、買ったんです。全部リスボンの石です、ハイ」
ちょっとヘンな日本語だが、意味は伝わってくる。ランディの不思議な日本語を聞いていると、人生が楽しくなる(美人だからかな)。
セナド広場に面する建物は、パステルカラーで統一され、とても綺麗だ。その反対側に、対照的にシックな建物がある。ポルトガル統治時代のマカオ市政庁の「民政総署」だ。1784年に建てられたもの、
近世ヨーロッパの「新古典様式」そのまま。2階の議事堂は、静寂で、冷房がきいていて、心地よい。警備のおじさんが居眠りをしていた↓
ランディが言うには、
「ポルトガル統治のとき、ポルトガルの役人、朝9時半に出勤したら、昼であがり、昼出勤したら、3時であがり、みんなのんびり、ハイ」
そんなだから、植民地戦争で負けたんだろうなぁ。
その後、バスにのって、海事博物館へ。ここは、ポルトガル人が最初に上陸した場所。じつは、「マカオ」の名もここから来ているという。
ランディいわく(生録)、
「400年前は、ポルトガルの海軍が、最初この前の海事博物館の場所から上陸したんです、ハイ。上陸して後は、地元の地名わからないから、え、地元の漁師たちと会って、ちょっと、地名尋ねたんですよね。こちらはどこですか。漁師たちはポルトガル語、英語通じないから、勘違いして、このお寺の名前、伝えたんです。マカオの地名の由来これです、ハイ」
海事博物館の前には、「マコッミウ」とよぶお寺がある。「マコッミウ→マカオ」というわけ。
それにしても、ランディの日本語、文法がどこかヘンなのだが、それがどこか指摘できない。ん~、気になる・・・
この寺院(マコッミウ)には、たくさん線香が売られていた。中にはこんな巨大な線香も↓
写真ではわかりづらいが、ランディが指さす値札には、「2888香港ドル(約3万円)」と書かれている。
ランディによると、
「長く燃えるほど、ちゃんとお願い神様にかける、ハイ。でも縁起のいい数字ですよ。『8』はもうかる、ハイ。『2』は楽々。『2888』は楽々もうかる、ハイ」
あんまり調子がいいので、思わず吹き出してしまった。なるほど、中国では、「2」と「8」は縁起がいいわけだ。
寺院をあとにし、バスでマカオタワーに向かう。このあたりは、海をはさんで、中国本土と近いという。そのため、生活に困った中国人が、泳いでマカオに来るのだという。
ランディ:「貧乏な人、お金ないから、中国からマカオ、泳いで来ます、ハイ」
僕:「えー、ホント!」
ランディ:「ハイ、マカオでお金かせいで、泳いで帰ります」
僕:「お金を背負って泳ぐわけ?」
ランディ:「ハハハ、でも困ったら、また泳いで来ます」
ちなみに、僕らのバスの運転手さんも、泳いで来たクチらしい。ランディがバスの中で、
「日本語わからないから、大丈夫、ハハハ」
10分ほどして、マカオタワーに到着。高さは338mで、上からバンジージャンプもできるという。
ランディいわく、
「バンジージャンプ、おすすめできないです。3万円払って飛ぶ、理由わからないです、ハイ。でもランディ、20万円もらったら、飛びます」(僕は、200万円でも飛ばんわ)
エレベータに乗り、60階の回転レストラン「360度カフェ・西アジア料理」へ。窓側がレストランになっていて、フロア全体が1時間で1回転する。なので、1時間座っていると、マカオが360度見渡せる↓
料理はバイキングで、アルコール以外は飲み放題、食べ放題。ちょうど、1回転したところで、ランチ終了。
半日コースなので、マカオの世界遺産観光は、これでおしまい。ランディが待つ1Fへと向かった。
by R.B