■風が吹くとき 2009.10.01
ヘンな顔のおばさんが、TVに向かって、まくしたてている。経済評論家らしい。勝間和代?ネットで調べると、経済評論家、公認会計士とある。そういえば、本屋でよく見かける顔だ。本の表紙にするからには、顔にも自信があるのかな。
不快をこらえて、観ていると、どうやら、お金儲けの話らしい。間違ったこと、やましいことは言ってないけど、竹中平蔵と同じニオイがする。共通点は3つ。1.単純な二元論2.紋切り型の合理主義3.問題解決至上主義
それにしても、自分にあれだけ自信を持てるものだろうか?
僕は、「躊躇(ちゅうちょ)する者は正しい」と常々思っている。あの人たちに躊躇はないし、何を言っても、騒々しいだけ。彼らの中には、風が吹いていない。
五木寛之あたりにコメントさせれば、物欲主義、拝金主義で終わるのだろうが、彼の本も、最近は読まなくなった。直木賞の「蒼ざめた馬を見よ」は、最高のエンターテインメントだったし、「朱鷺の墓」の没入感は、僕にとって深刻なものだった。「風に吹かれて」、「ゴキブリの歌」、「地図のない旅」は、人生に色と匂いがあることを教えてくれた。
ところが、歎異抄を持ち出したあたりから、五木作品は変わってしまった。人生観を押しつけるような・・・物欲主義・拝金主義の反対側にいるのに、僕には同じに見える。初めから終わりまで、窮屈な自説が詰め込まれ、スキ間もない。まるで、缶詰・・・風はどこにも吹いていない。
ナンシー・ウッドの「今日は死ぬにはもってこいの日」(※)は僕の大好きな詩集だ。この詩集、本文もいいのだが、まえがきもいい。
・・・
ね、ほら、わかるよね。いろんな人がここへやって来る。そして、俺たちの生き方の秘密を知りたがる。やたら質問するのだけれど、答えは聞くまでもなく、連中の頭の中でもうできてるんだ。
・・・
俺たちのダンスを見に来るのはいいが、写真を撮ろうと、いつもキョロキョロしている。連中は俺たちのことを知ろうと思って、俺たちの家へ入ってくるけど、時間は5分しかないと言う。土とワラでできてる俺たちの家は、彼らから見ると妙チキリンなんだよね。だからここに住んでいなくてよかった、と本当は思ってるわけ。そのくせ、俺たちが究極の理解への鍵を握っているんじゃないかと疑っている。(※)
これって、文明人の核心をついているのでは?
僕は自然が好きだけど、暑さ寒さに弱いので、冷暖房設備が欠かせない。だから、山小屋には泊まれない。
僕は物欲主義は嫌いだけど、マニアモードに入ると、まともな大人が見向きもしない「モノクロSFムービー」に、小銭を惜しまない。
僕は合理主義をバカにしているけど、一度、戦闘モードに入ると、優先順位をビシバシ決め、なんのためらいもなく、問題解決にばく進する。合理主義の限りを尽くして。
だから、お前は矛盾している、とよく言われる。確かに僕は矛盾している。でも、少なくとも、僕のココロには風が吹いている。だから、矛盾に悩むことはない。
by R.B