■ニンテンドー3DSと熱中症 2010.09.12
いい大人が、これだけ騒がれているのに、熱中症にかかるなんてどうかしてる、と思っていたが、自分が熱中症で倒れてしまった。
9月に入ったというのに、その日も、うだるように暑かった。午前中に金沢から大阪へ移動し、打ち合わせを2本こなす。終わると、すぐに新幹線で東京へ。
浅草のホテルにチェックインし、和民で食事。サイコロステーキが、いつになくうまいので、生ビールがすすんで、5杯。飲み過ぎたせいか、ベッドに入っても、なかなか寝付けなかった。
そして、一夜明けて、運命の日。その日も朝から暑かった。朝食は、おにぎり2つと、味噌汁1杯。後で思うに、この日とった水分は、この味噌汁だけ(おそろしい)。
9時にホテルを出て、最初の訪問先にむかう。以前、コンペに参加してもらい、不採用になった会社だ。用向きは、その時のお礼とお詫び。社長と担当役員と面談する。現在、ニンテンドー3DSのソフト開発中という。興味がわいたので、いろいろ聞いてみた。
「裸眼で本当に3Dに見えるんですか?」「目からの距離によるんですが、意外に、3Dに見えますよ。ただ、プレイヤーの肩越しに見ると、ダメですね」
さすが、任天堂、苦しまぎれの3Dかと思ったけど、きちんとしたものを作っている。
そこで、以前聞いた話を持ち出した。「3D映画で、子供の目がよった、という話があるんですが、大丈夫そうですか?」
担当役員は、ちょっと困った顔をして、「えー、んー、ありそうな話ですね。大人でも、けっこう疲れるんで・・・2時間が限界ですかね」
スキのない任天堂のことだから、長時間やらないでくださいとか、いろいろ制限を付けるんだろうけど、度を超すと、注意書きではすまなくなる。
ちょっと、トーンが落ちたので、僕は場を盛り上げようとした。
「3Dならではのゲームも出るだろうし、そうなれば、にぎわいますよ、たぶん・・・」
すると、今度は社長が、「いや、見せ方にしろ、ユーザーインターフェイスにしろ、この10年、3Dでさんざんやってきたわけですよ。ニンテンドー3DSは、それが浮いて見えるだけ。案外、すぐに飽きられるかもしれませんね。でもまぁ、3D対応でないと相手にしてもらえないし、やるしかないですね」
がんばって!うちは、もうゲームはやらないけど。
帰る間際に、この会社の社長から、創立記念の記念品をもらった。ところが、これが、デカくて重い。午後3時からは、取引先との打ち合わせがあり、その後、いっしょにディナーショーに繰り出す予定だ。こんな重いものをもって、東京をウロウロしたくない。
どこかに捨てようか?でも、創立記念の品を捨てるのも気が引けるし、ホームレスにプレゼントする?さて、どうしたものか・・・そして、これが運命の分かれ道になった。
さんざん迷ったあげく、出た結論は、「一旦、ホテルにもどる」だった。一息つけるし、記念品も置いてこれる。一石二鳥だ、その時はそう思えた。
腹を決めて、浅草のホテルに向かう。途中、上野の屋台で、ラーメンを食べる。
ところが・・・
食べ終わった直後、身体の異常を感じた。体温が、食べたラーメンの温度まで、一気に上昇していく。温度調節がゼンゼン効いていない、そんな感じだった。ホテルに着いて、腰を下ろすと、周囲の空間がゆがんで見える。おー、空間移動だ・・・元気な時なら、そんな余裕もあっただろうが、それどころではない。すぐに、吐き気をもよおし、3秒後には、凄まじい嘔吐(おうと)が始まった。
その間、立つどころか、座ることもできない。ベッドに横になり、吐き気がしたら、トイレで吐く、それが3時間も続いた。この時はまだ、ラーメンの食あたりだと思いこんでいた。
歩けるようになったので、近くのクリニック行った。診断結果は、中度の熱中症。対処を誤ると、重度に到り、へたをすると重篤になるという。
少し落ち着くと、事の重大さに気づいた。熱中症で倒れたことではない。こんなもの、若い頃、散々やった二日酔いに比べれば、屁みたいなものだ。では、何に恐怖したのか?そう、あの創立記念品。あれで、人生が変わったことに気づいたのだ。
もし、あの記念品を捨てていたら、次の訪問先の秋葉原に直行していたはずだ。そして、打ち合わせまでの2時間、灼熱の秋葉原をうろつくことになる。味噌汁1杯分の水分で。
この日起こった事から推測すると、午後2時頃に、僕は熱中症にかかる。我慢強い性格なので、倒れる寸前まで歩き続けるだろう。もちろん、ベッドはどこにもない。
倒れた時には、すでに重篤?救急車で搬送されるだろうが、間に合ったかどうか?
その日の夜のニュース・・・本日、秋葉原の路上で、会社員が熱中症で倒れ、救急車で運ばれました。その後、病院で死亡したもようです。
まるで、イソップ童話だ。もらった品で心を試される・・・善人なら生かされ、悪人なら命を取られる。
人間は、当たり前のように生きているが、じつは、偶然が重なって、生きのびているだけなのかもしれない。
by R.B