■年金問題 2009.10.17
毎日、読書とプログラミングで過ごせたら、どんなに楽しいだろう。そのかわり、1日うどん2杯でいいし、雨風しのげる部屋があればいい。あと、暑さ寒さに弱いので冷暖房があると嬉しいのだが・・・
で、現実は?週に70時間も働いている。だけど、辛いかと言えば、そうでもない。会社の役に立ってるし(たぶん)、家族にも喜んでもらってる(はず)。それで満足(かも)。
もちろん、ファウスト博士のように、メフィストに魂を売って、夢をかなえたいと思うこともあるけど、悪魔を召喚する方法がわからない。
働く理由はもう一つある。働けば、価値を生むから。どんなに本を読もうが、誰も使わないソフトウェアを何本書こうが、何の価値も生まない。
ここでいう価値とは、自分以外にとって有益なもの、社会にとって有益なもの。つまり、「社会で交換可能」のもの。
僕は食べ物は作っていないが、毎日食べている。誰かが僕の分を作ってくれているわけだ。Thankyou!もちろん、タダというわけにはいかない。誰かが生んだ「価値=食料」をもらうために、僕も価値を生む。これが労働だ。
つまり、価値を交換するために、僕らは働いている。だから、労働は尊い。こんなのあたりまえだけど、今では、説明が必要だ。
そんな視点で見ると、年金問題は奇異にみえる。世間でいう年金とは、「働かずして食うこと」
年をとって、満足に働けなくなって、しかたがない部分もあるけど、正々堂々、もらって当然と主張するのは、どこかあさましい・・・払う人のコト、忘れてないか?
公的年金、JALの企業年金もしかり。もらって当たり前、老人を差別することは許せない、と、もらう方が威張っている。年金資金は無限だと思っている?払う人がいることを忘れてる?
いくら、自分が年金を積み立てようが、会社が破綻したら、もらえないのは、あたりまえ。会社が払えないから、税金で払えとでも?だから、JALはここまで堕ちたのだ。
公的年金もしかり。自分が積み立てたから、年金を減らすのはとんでもない?あなたに払う年金は、あなたが積み立てたものではなく、今働いている人たちが払っているんですよ。ココが肝心。
会社の若手曰く、毎朝、出勤するとき、ゲートボールに興じる老人たちを見るたびに、高い社会保険料を思い出すという。
もらう権利があろうが、なかろうが、俺たちの薄給から天引きされたお金が、遊技費に消えている・・・権利がどうであれ、理屈がどうであれ、若者たちにどんな感情がわくか、わかるでしょう。
隣の家が失職し、食うや食わずのとき、毎晩、見えるところで、バーベキューやったら?自分が稼いだカネで何をやろうが、自分の権利で何をやろうが、他人にとやかく言われる筋合いはない!それはそうでしょう。でも、立場が逆でも、同じように考えられる?
国の未来を背負うはずの若い世代の失業率が10%。それでも、保険料を納めろという。そのおカネが、年金受給者の遊技費に消えているとしたら、捨てられる薬代に消えているとしたら?
老若男女を問わず、働けない人たちを保護するのは、高度な社会のあかし、誇るべき社会。だけど、これは年金問題とは違う。
資金が潤沢なら、年金はきちんと支払うべし。それは、あたりまえ。だけど、その資金繰りが破綻している。それでも、年金をちゃんと払えと?どうやって?
失業率10%、薄給の若い世代に増額する?子供をかかえ、家のローンをかかえ、リストラにおびえる中高年からもぎとる?ルース・ベネディクトが、「菊と刀」で著した日本人の「恥の文化」は、どこへ行ったのだろう?
他人が生んだ価値をもらうかわりに、自分も価値を生む。物理の法則にも匹敵する真理なのに、どうして、説明が必要なのか、僕には理解できない。
資金がなければ、年金額は下がって当然だし、年金をもらう以上は、質素な生活をすべきだ。贅沢したければ、自分で稼げばいい。
年をとっても、価値はいくらでも生める。小学生の通学サポート、街の美化運動、子供の教育・・・みんなボランティアだけど、やっていれば、文句を言う若者は減るだろう。たとえ、自分の薄給から天引きされ、年金受給者に支払われたとしても。
社会の価値は有限だ。だから、誰かが使えば、そのぶん、誰かが生み出す必要がある。使いっぱなしは、ナシ。これは物理の法則。エデンの園ではないのだから。
年金を受給するなら、自分のできる範囲で価値を生む。質素な生活に耐える。どっちもダメなら、年金を払う人が納得する「何か」をする。僕がリタイヤするのは、まだ先だけど、準備はもう始めている。
by R.B