■経営者Vs.クリエーター 2012.09.01
会社にとって、良い人材とは?
価値を生む人間!
長い間、そう信じて疑わなかった(今でも否定はしないけど)。
でも、たしか・・・
遠い昔、僕は頭のテッペンから足のつま先まで、「テッキー(techie:技術オタク)」だった。「ハード技術者→ソフト技術者→ゲームクリエーター」呼び名は変わっても、中味は同じ「コンピュータ&テッキー」。
というわけで、自分が作ったものが売れようが売れまいが、気にならなかった(売れたら売れたで嬉しいけど)。設計図やプログラムが美しければ、それで十分。なぜなら、美しいものは、バグが少なく、性能もいいから。つまり、技術者の使命は、「完全なもの」を作ること、と固く信じていたのだ。
ところが、日本の会社は、技術者として手柄を立てると、「suite(スーツ:管理職)」に昇進する。僕も、ご多分にもれずスーツに。その後、紆余曲折があり、ベンチャーの役員になった。
そのとき僕は豹変した。
管理職や役員は、何はさておき、会社の利益を考えなければならない。毎月いただく給与は、その対価なのだから。これは、契約であり、道理でもある。やがて僕は、社員に上から目線で、
問題解決に徹しろ!
生産性を高めろ!
納期と予算を守れ!
給料ドロボウになるな!
と毎日ガミガミ・・・
あのおっさん、穴掘って埋めんといかんな、そんな声が聞こえてきそうだった。
とはいえ、
「世の人は、我を何とも言わば言え、我が成す事は、我のみぞ知る」
的な僕としては、そんなのおかまいなし。思考の最上階にあるのは、「利益=売上-経費」。そして、それを達成するための経営計画、維持するための組織管理、予算管理、最後に、資金繰り。あー、忙しい忙しい。
ところで・・・
熱く夢を語っていた自分はどこへ行った??
じつは、これにはちょっと事情があるのだ。
これまでの長い人生、千の失敗と一握りの成功を見てきた。パソコンが生まれた頃、コンピュータ業界には、名の知れた会社が3桁、無名の会社は無数にあったが、まともに残っているのは、マイクロソフトとアップルぐらい。
実際、僕が在籍したベンチャー企業は倒産したし、知人の会社、取引先、身近な会社もたくさん破綻した。累々とした屍(しかばね)を見てきたわけだ。
だから・・・
夢など語るな、死にたくなかったら。
そして、最後に見たゲーム業界は、このルールがさらにあからさまだった。
20年前、PCゲームが隆盛の頃、ゲームメーカの双璧は、光栄(現コーエー)とアートディンクだった。ところが、この2社は方針が真逆だった。
コーエーは、「信長の野望」と「三国志」が売り上げのほとんど。一方、アートディンクは、十八番の「A列車で行こう」の他にも、ジャンルの違うヒットを連発し、まるで、ゲームのデパートだった。誰がどうみても、未来はアートディンクにあった。ところが、その後、コーエーは大きく繁栄し、アートディンクは停滞した。
つまり、成功するかどうかは、企画力でも、技術力でもない。ビッグタイトルがあるか否か、それだけ。
たとえば、カプコンは「バイオハザード」と「モンハン」、コーエーは「三国志」と「信長の野望」、スクエニは「ドラクエ」と「FF」が売上の大半を占めている。
つまり、上位の20%が、全体の売上げの80%を占めるという「ベキ乗の法則」だ(厳密に20:80というわけではない)。
一方、インターネットビジネスの世界では、「ロングテール(長い尻尾)」というルールがある。先の「ベキ乗の法則」を認めた上で、死に筋商品でも、品数を増やせば、売上に貢献するというわけだ。
ただ、実店舗をかまえるなら、「展示スペース=コスト」なので、死に筋商品を並べるのは命取りになる。
一方、アマゾン(amazon)のような仮想店舗なら、品数を増やしても、商品の紹介ページが増えるだけで、コストアップにはつながらない。なので、品数を増やせば「チリも積もれば山」で、売上(利益)もアップするというわけだ。
ところが、コンテンツメーカーはそうはいかない。売れようが売れまいが、開発に一定のコストがかかるからだ。だから、死に筋商品は命取りになる。
というわけで、夢多きゲーム業界も、本数が見込める「続編」モノが中心で、冒険はしなくなった。だから、夢も希望もない、というわけだ。
先日、ウチの会長の元部下が、会社に挨拶に来た。今勤めている会社を辞めて、ゲーム会社を興したという。彼がいた会社は、200名そこそこの中堅ゲーム会社。辞めた理由を聞くと、会社がパチンコ業界に重点を移したからだという。
最近、大手ゲーム会社は、自社のゲーム版権を、パチンコ・パチスロに移植しつつある。売れ筋タイトルをマルチプラットフォームに展開すれば、効率がいいし、売上も増えるからだ。つまり、一挙両得。そんなこんなで、社内でパチンコ・パチスロ開発ラインをもつゲーム会社まで出てきた。
ところが、ゲーム会社の社員は、ゲームが作りたくて入ったわけで、同じ「プログラム&映像」コンテンツでも、パチンコ・パチスロはやりたくない、という人が多い。
彼もそのひとりで、志を同じにする社員を10名ほど引き抜いて、創業したという。というわけで、彼はゲームにかける夢を熱く語った。
しかし・・・
これは失敗するな、と直感した。
その理由は・・・
第1に、ゲーム会社が中長期的に存続するためには、数十万本を売るタイトルが必要だが、それが生まれる要因がない。
すでに、ゲームは成熟産業で、アイデア、尖った技術、美麗な映像では、成功はおぼつかないのだ。
では、何が必要なのか?
1.オンリーワン
2.ツボにはまるユーザーが10万人以上いる
3.続編・拡張が容易
4.低コスト(高コストのビジュアルに頼らない)
これらすべてを満たし、さらに、強烈な没入感がないとムリ。最近の例では、「Minecraft(マインクラフト)」ぐらいだろう。
この会社が失敗するだろう第2の理由は、ゲームをやりたい部下を、とりあえず引き抜いたこと。言葉は悪いが、彼らはコストにしかならないだろう。
なぜか?
本末転倒だから。
本来、ゲーム事業は、初めにタイトルありきで、雇うのはそれに必要な人員にとどめるべきだ。
そもそも、この会社が成功する方法は1つしかない。数十万本売るゲームを作ること。だから、ヒト・モノ・カネのすべてを、この1点に集中するべきなのだ。そこに、1ミリ、1グラムのムダがあってもならない。
だが、経営側がそれを口にすれば、クリエーターは意気消沈、ロクなゲームが生まれないだろう。
とはいえ、クリエーターの資質も見きわめずに、ヒト・モノ・カネをつぎこめば、クソゲーの山ができるだけ(よくある話)。
ということで、売れ筋の商品を真似て、短納期、低予算で制作する、消去法経営に落ち着く。
だが、冷静に考えてみよう。企画者がオンリーワンの企画をつくること、プログラマーが最高品質のコードを書くこと、デザイナーが息を呑む演出を創り出すこと、それが市場動向・予算・納期と、どんな関係があるというのだ!
つまり・・・
世の中にないものを作りたい、世間をあっと言わせたい、そんな人種に、市場だの、納期だの、予算だの、ガミガミ言ってみたところで、カエルの面にションベン(失礼ですよ)。
ゆえに、経営側とクリエーターの思いは、決して一致しないのである。
しかし、僕は思う。
成功しようがしまいが、自分の夢を熱く語り、それを実現することに、人生を賭ける。それが人生というものでは?
人間は、人生を賭けた熱い瞬間だけが、魂に記憶される。それ以外の行為は、「作業」にすぎないのだ。せっかくの人生、作業で終わらせるのは惜しくはないか?
スティーブン・ジョブズの名言に、こういうのがある。
「ムダに他人の人生を生きないこと」
では、具体的にどうすればいいのか?
成熟産業で勝負するなら、会社を興して、人生を一気に駆け抜けること。
ただし・・・
不用意に人は雇わないこと。なぜなら、目的は「雇用」ではなく自分が生み出す価値を世に問うことにあるから。
by R.B