アラン・チューリングと毒リンゴ
■不条理
「天才は天から降ってくる炎である」ナポレオンの言葉である。人目を盗んで積み重ねた努力も、泥水をすすって生きのびた苦労話も、すべて空しく思えるほど、神々しい才能が存在する。もちろん、才能が偉業に直結するとは限らない。わずかだが、運も必要だ。だが、それさえあれば、圧倒的な才能はたちまち花開き、偉大な業績が生まれ、彼あるいは彼女の名は歴史年表に永遠に刻まれる、と誰もが思っている。
ところが・・・天賦の才に恵まれ、歴史的偉業を成しながら、無実の罪で辱めを受け、死に追い込まれた科学者がいる。アラン・チューリングである。才能、業績、すべてが燦然と輝いているのに、最期だけが映画のように悲劇的だ。チューリングの偉業は、デジタルコンピュータの基礎理論に貢献したこと、第二次世界大戦中、ドイツの軍事用エニグマ暗号を解読し、イギリスを破滅から救ったことに集約される。つまり、チューリングの業績は、科学と政治の2分野に及んでいる。
コンピュータ・サイエンスのノーベル賞と言われるのが「チューリング賞」。世界最高の権威をもち、受賞対象も歴史に残る革新的な業績で占められている。残念ながら、日本人受賞者はまだ出ていない(2006年現在)。日本は実験科学は得意だが、ソフトウェアのような純粋思考は苦手。実際、毎年開催されるACM国際大学対抗プログラミングコンテストで、これまでの最高は2000年の京都大学の7位(2006年現在)。
じつは、チューリング賞の名は冒頭のアラン・チューリングの名にちなんでいる。それほど、チューリングがコンピュータ・サイエンスに果たした役割は大きい。ではなぜ、これほど知名度が低いのか?一つは、チューリングの功績が分かりづらいこと。たとえば、チューリングが考案したチューリングマシンは現在主流のノイマンマシンよりずっと難解だ。そして、もう一つ。チューリングを良い子の偉人伝にはのせられない事情がある。アラン・チューリングはゲイだったのである。
■ゲイ
1950年代、ゲイは激しい差別の中にあった。チューリングのお国イギリスでは、なんとゲイは犯罪だったのである。ある時、チューリングの家に泥棒が入り、チューリングは警察から事情徴収をうけた。その時、うっかり、自分がゲイであることを打ち明けたのである。チューリングは、日頃から自分がゲイであることを隠さなかったが、そのような不用心さが、彼を破滅に追い込むことになる。この泥棒事件がきっかけで、チューリングはゲイの罪で逮捕された。
その後、裁判にかけられ、1952年4月には有罪が確定する。そして、女性ホルモンの注射をうける条件付きで、執行猶予になったのである。女性ホルモンの注射・・・この不気味な治療法は、男性ホルモンは性欲を促進するから、女性ホルモンなら逆に沈静化するという不可解な仮説にもとづいていた。さらに、チューリングがゲイであることが、新聞ネタになり、イギリス中に知れわたったのである。こんな状況では、チューリングでなくても、ひどく落ち込んだだろう。
■毒リンゴ
1954年6月8日、アラン・チューリングは自宅で自殺する。死体のそばには、かじりかけのリンゴがあった。青酸カリにべっとり浸された毒リンゴ。チューリングは白雪姫が大好きだったので、それを真似て自殺した、という噂もあった。だが、グリム童話の白雪姫は、白雪姫の美しさをねたんだ母親がリンゴ売りに化け、毒リンゴを白雪姫に売りつけた、つまり、自殺ではなく、他殺。
チューリングは、白雪姫の死を演出することで、自分の死が他殺だと主張したかったのかもしれない。彼の死の遠因は、ゲイへの偏見と国家の陰謀にあり、ある意味、他殺だった。ところが、彼の死には不審な点があった。自殺した夜、チューリングがコンピュータを使用する予約を取っていたからである。これから自殺しようとする人間が、コンピュータの予約など取るだろうか?また、チューリングが暗号解読の第一人者だったことが、あらぬ噂を生んだ。敵国の諜報機関に暗殺されたのだと。
このような謎めいた最期は、電気工学の偉人ニコラ・テスラを彷彿させる。華々しい功績に見合わない不遇の人生もそっくり。いずれにせよ、チューリングの死が尋常ではないことは確かだ。チューリングの名声が不当に小さいのは、このような事情によっている。
■生い立ち
アラン・マシソン・チューリングは、1912年、イギリスの官吏の子として生まれた。彼の父はインドのマドラスの行政官として赴任するが、インドの厳しい環境を考慮して、子供たちは友人に預けられた。1926年、チューリングはパブリックスクールに入学するが、教師の評判はパッとしなかった。基本的なことができず、だらしない、数学にしか興味を示さない、「将来を考えたら他の道を捜した方がいい」とまで酷評された。やがて明らかになるチューリングの才能と業績を知ったとき、この教師は、「自分こそ他の道を捜すべきだった」と悔いただろうか?
チューリングは、この頃すでに、自分の中に潜むゲイを自覚していた。モルコムという友人に恋をしていたのである。1931年、2人はケンブリッジ大学トリニティカレッジを目指すが、モルコムは合格し、チューリングは不合格となった。だが、モルコムは大学に入学することもなく死ぬ。一方、チューリングは第2志望のケンブリッジ大学のキングスカレッジに行くことになったが、モルコムの死は、チューリングに深い傷を残した。この時、チューリングは、マルコムの母に「魂の本質」という文を送っているが、なかなか興味深い。
「身体は魂を引きつけ、つかまえるが、死によって身体がそのメカニズムを失うと、魂は飛び去り、すぐに別の身体を見つけるのだろう」(※)
この一文は輪廻思想を彷彿させる。ヒンズー教の教義によれば、人は死ぬと、生命の核「魂」は肉体から離脱し、この物質世界をさまよった後、別の次元世界へと移動する。そして、母親の胎内に宿った新しい肉体に乗り移るという。いわゆる「生まれ変わり」だ。現世の体験は「魂」に記憶され、肉体の死とともに、魂は離脱、新しい肉体に入る。この瞬間、前世のすべての記憶がアクセスできなくなる。過去の想いにとらわれず、新しい人生をやりなおすために。このような仕組みにより、われわれ生命は、飽きることなく、この世界を遊び場として楽しんでいる、というわけだ。
輪廻思想は仏教にも継承されているが、キリスト教にはない。キリスト教の教えでは、死後、天国か地獄のどちらかへ行くのであり、生まれ変わりは存在しないのだ。ところが、アラン・チューリングはキリスト教徒でありながら、輪廻思想を思いついたことになる。チューリングは、神学や哲学の道に進んでも、大きな業績を残したかもしれない。
■エニグマ暗号
アラン・チューリングの最もドラマチックな業績は、エニグマ暗号の解読だろう。チューリングは、第二次世界大戦中、解読不可能といわれたドイツのエニグマ暗号を解読している。もし、チューリングがエニグマ暗号を解読していなかったら、イギリスはドイツに負けていた、と主張する人もいる。少し大げさな気もするが、エニグマ暗号の解読に失敗していれば、イギリスの損害は史実をはるかに上回っていただろう。
ドイツの軍事作戦は、「エニグマ暗号は絶対に解読されない」を前提に、陸上部隊、航空部隊、潜水艦Uボートへの命令はエニグマ暗号で暗号化されていた。Uボートは「灰色の狼」と怖れられたが、その名のとおり、群れで攻撃した。Uボート船団は互いに無線で連絡しながら、輸送船団を追い込み、撃沈したのである。その連携のために、無線機とエニグマ暗号機が必要だった。平文(暗号化されていない文)で通信しようものなら、輸送船に逃げらるれか、潜水艦の天敵駆逐艦に逆襲されるかのどちらかだ。
また、エニグマ暗号の解読が、有名なノルマンディー上陸作戦を成功に導いた、という説もある。解読された通信文から、ドイツは連合国軍の上陸地点はノルマンディーではなく、カレーだと信じ込んでいることが判明。そこで、連合国軍はノルマンディーに上陸し、トイツ軍は裏をかかれて負けたというわけだ。もっとも、連合国軍がいつどこに上陸しようが、最終的にはドイツ軍は敗北していただろう。
暗号解読が戦況を左右したのは、ヨーロッパ戦線だけではなかった。日米が戦った太平洋戦争でも、暗号は重要な役割を果たしている。日本の暗号は「パープル」と呼ばれたが、これを解読したのがロシュフォート中佐を中心とするアメリカ暗号解読班だった。このチームは、アメリカのハワイの地下室におかれ、日本軍の通信を傍受、巧妙な方法で、解読に成功する。アメリカ軍は、日本の暗号文から、日本艦隊のミッドウェー侵攻を事前に察知、万全の準備で待ち受けた。1942年6月5日、早朝からはじまったミッドウェー海戦で、日本艦隊はほぼ壊滅。もっとも、敗因は暗号解読ではなく、不運が重なったことにあるのだが。
■山本五十六
暗号解読のせいで寿命を縮めた人もいる。1943年4月17日、連合艦隊司令長官の山本五十六は南方のラバウル基地にいた。山本長官は、最前線の将兵を激励するためソロモン諸島北部を視察するため、次のような暗号文を打たせた。
「山本連合艦隊司令長官は4月18日、視察のためラバウルからブーゲンビルに向かう。午前6時にラバウル出発、ブーゲンビル到着は午前8時の予定」
コースと時刻が明記されている。まるで時刻表だ。暗号がまだ解読されていないと信じたのだろうが、なにも時刻まで知らせる必要はない。正確なタイムテーブルを必要とする共同軍事作戦ではないのだから。不用心を通り越して、何か意図すら感じる。この暗号打電と視察は、山本長官の独断で押し切られたといわれる。
ひょっとして、山本長官は死に場所を求めていたのかもしれない。そう考えればつじつまが合う。アメリカ軍は既に日本の暗号を解読しており、このようなチャンスを逃さすはずがなかった。ガダルカナル島のヘンダーソン基地から、アメリカのP-38戦闘機16機が発進した。山本長官は几帳面な性格で、時間厳守で知られていた。
長官らを乗せた一式陸攻2機と護衛のゼロ戦6機は、予定どおり、アメリカ空軍が待ち受ける死の空域へと向かった。一式陸攻は日本海軍の攻撃機だが、パイロットの証言によるとクセがあり、操縦しにくかった。エンジンを2基搭載し、重装備で高速飛行が可能、双胴の悪魔と恐れられたP-38から逃れられるわけがない。一式陸攻は撃墜され、山本長官も死亡。暗号解読と時間厳守がVIPの命を奪ったのである。
■ラインハルト・ハイドリッヒ
時間厳守で寿命を縮めたもう一人のVIPが、ラインハルト・ハイドリッヒ。ドイツ政権下にあって、異例の出世をとげた人物である。軍のエリート親衛隊の情報部長を努め、はやくから権力の中枢にいた。長身、金髪、美形、ヒトラーが好むアーリア人の典型である。くわえて、鋭い洞察力と明晰な判断力を有し、フェンシングとバイオリンの名手でもあった。人間は、このような万能の才に恵まれると、窮屈なイデオロギーには感心を示さなくなる。ラインハルト・ハイドリッヒがヒトラーのイデオロギーに賛同していたのは表向きのことで、自身の実りある人生を楽しむための演技に過ぎなかった。それを示す証拠もある。
ラインハルト・ハイドリッヒは37歳のとき、ドイツが占領したチェコ領の副総督に任じられた。彼は、巧みな統治により、不安定だった秩序と治安を回復させた。ハイドリッヒは見てくれと才能のみならず、卓越した政治手腕まで備えていたのである。そのままいけば、ヒトラーの後継者まで登りつめた可能性は高い。
ところが、1942年5月27日、ハイドリヒは出勤途上、チェコの暗殺部隊により殺害される。じつは、この暗殺に最も貢献したのはハイドリヒの完全主義だった。日々の出勤のコースと時刻に寸分の狂いもなかったのである。これは、暗殺者にとっては都合がいい。出勤が気まぐれで、神出鬼没なら、暗殺は難しい。というわけで、ハイドリッヒが才能に恵まれながら早逝した理由は時間厳守。人生は何が災いするかわからない。
■最高機密
話をエニグマ暗号にもどそう。チューリングはコンピュータサイエンスの天才で、解読不可能とされたエニグマ暗号を解読した。そして、イギリスの国難を救ったのである。ところが、チューリングは自分が救った国によって裁かれ、自殺に追い込まれた。イギリス政府は、チューリングの功績を知りながら、ゲイの罪を帳消にできなかったのである。
もし、チューリングに恩赦を与えれば、エニグマ暗号解読も衆知となる。エニグマ暗号解読はそれほど重要な国家機密だった。この事実が公表されたのは、チューリングの死後、20年以上経ってからである。
参考文献:
(※)星野力「蘇るチューリング」NTT出版
サイモン・シン青木薫約「暗号解読」新潮社
by R.B