BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第592話) ネコはASIの世界を生き残れるか?~無心の哲学~

カテゴリ : 思想社会科学終末

2025.11.10

ネコはASIの世界を生き残れるか?~無心の哲学~

■ネコの3つの顔

誰かがそれを作れば、全員が死ぬ(If Anyone Builds It, Everyone Dies)

「それ=人工超知能(ASI)」なので、AIがもたらすカタストロフィーを警告している。2025年、米国で出版された予言書のタイトルだが、不穏な響きあり。

見方をかえれば、パラダイムシフト、コペルニクス的転回と言えないこともないが、楽観がすぎるだろう。

まず、AGIが出現した時点で、起業で一発逆転のチャンスが失われる。

どんなプロダクトもサービスも、GPT-7にプロンプト(質問や要望のテキスト)を送るだけで、一発複製。スタートアップが成立するのは、AGIが誕生するまでの2、3年だろう。とくに、コンピュータ内で完結するビジネスは未来がないい。たとえば、生成AIの出力をそのまま使うコンテンツやサービス。瞬間に複製できるので、付加価値はゼロ、事業も会社も成立しない。

とはいえ、コンピュータ一筋で頑張ってきたのに、最後にドツボでは、シャレニナラナイ。

そこで、AGI誕生後の世界にフォーカスし、あーでもない、こーでもない・・・

ヘタな考え休むに似たりだニャー
ヘタな考え休むに似たりだニャー

すると、同居するネコが、こっちをじーっと見ている。表情から察するに、
「大丈夫か?ヘタな考え、休むに似たりだニャー」
もちろん、ネコが喋るはずもないが、表情のメッセージを翻訳するとこうなる。
ネコは背が低いから、下から目線にみえるけど、本当は上から目線で、こっちのバカさかげんを見透すかしているような・・・これはもう確信です。

そういえば、こんなこともあった。

気にすんニャー
気にすんニャー

ある日のこと。色々面倒がかさなって、しかめっ面していると、ネコがトコトコやって来て、じーっと顔を覗き込んでいる。1分ほど見つめたあげく、足をポンと軽く叩いて、あっちに行ってしまった。「気にすんな」といわんばかり、夢か幻かSoraの動画か・・・そんなわけない。

ネコは、感情を表に出さない。ケンカしても、威嚇はするが、怒りの表情はない。ところが、先日、同居するネコが「不機嫌な表情」をみせた。

どこ行くニャー
どこ行くニャー

寝室に入ると、ネコが、ベッドを占領し、気持ち良さそうにしている。ところが、外出の支度を始めると、表情が一変。こっちを恨めしそうに睨みつけている。「どこ行くニャー」と言わんばかりだ。日頃から、外出すると機嫌が悪くなるのだが、このときは、露骨に顔に出したわけだ。人間みたいで、ちょっと怖くなった。

同居するネコは、トンキニーズという日本では珍しいネコ種だ。生後4ヶ月で我が家に来て、今は2才(人間でいうと23才)。ずーっと人間と暮らしているので、成長ともに、言葉も3つ覚え、表情も人間なみに豊かになった。「内的世界」が拡大しているのは間違いない。

■ネコと人間は狩りをして遊ぶ

一方、ネコは冷酷な捕食者でもある。

ライオンやクマも同じでは?

「冷酷」の意味が違う。

一般に、狩りの動機は、腹ごしらえだが、ヒョウとネコは「楽しみ」も兼ねるという。そういえば、野良ネコが瀕死のネズミを食べずに、もて遊ぶのを見たことがある。

だが、狩りを楽しむ冷酷な動物はまだいる。

われわれ人間だ。

昔は弓矢で、今はライフル銃で、遊びで動物を狩る。

歴史学者ヨハン・ホイジンガは、人間を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と命名したが、言い得て妙。殺生まで遊びにするのだから。人間がネコと馬が合うのは、似た者同士だから?褒められたものではないが「冷酷」という文脈で。

ネコは、狩りのシミュレーションをする。

かくれんぼは狩りシミュレーション
かくれんぼは狩りシミュレーション

同居するネコは、かくれんぼが大好きだ。
飼い主が、隠れながら移動すると、獲物を狩るように、真剣な顔つきで追ってくる。飼い主を視認すると、慎重に足音もたてず、忍び寄る。そして、射程距離に入ると一気にとびかかる。そこで、獲物がネズミなら、鋭い剣歯で噛み切るところだが、人間相手なら、足元に顔をスリスリ。ネコのかくれんぼは、狩りと遊びが一体化しているのだ。それをリアルタイムで切り分けるのが凄い。一方、ライオンやクマはこうはいかない。かくれんぼ・・・命がない。

以上すべて実体験だが、人づてで聞いた秘話もある。

心理学を専攻する学生が、こんな話をしていた。

研究室の教授がネコを飼っていて、冬場に「寒いなぁ」と言うと、コタツのスイッチを入れてくれるという。冗談だと思っていたら、研究室でも宴席でも真顔で何度も言うので、今は信じているという。

ネコの「内的世界」は人間が思っているより複雑なのだろう。

■人間の内的世界

人間は、地球上の食物連鎖の頂点に立っている。

よって、地球上で一番賢い(たぶん)。

その賢さは、人間だけがもつ「メタ認知」に起因する。日常の認知を、上から目線で監視し、コントロールする高次の認知機能だ。

たとえば、意識高い系学生が、職業を選ぶ前に、まず人生計画だと思い立ったら、まてよ、人生を計画すること自体、間違ってないか、と疑うのがメタ認知だ。

昨今、AIが猛威をふるい、AIに奪われる仕事、奪われない仕事の議論がかまびすしいが、これこそ、メタ認知の出番だ。議論すること自体、間違ってないか?

AI&ロボットは、頭脳労働も力仕事も人間よりずっとうまくやる。しかも、電気を流すだけで、ストもせず、有給もとらず、1日24時間、1年365日、文句一つ言わず働く。経営者が、人間とAI&ロボット、どっちを採るかは明らかだ。

そんな状況で、職業の選択、人生の計画?

人間が計画すれば神が笑う、とはよく言ったものだ。

もっとも、笑うのは、衆知の神ではなく、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)なのだが、昨今は「デジタルゴッド」とよばれている。

話をメタ認知にもどそう。

メタ認知は強力だが、ネコには備わっていない。

メタ認知には、その道標(みちしるべ)となる哲学が必要だが、哲学は言語のカタマリなので、読み書きできないネコにはムリ。

であれば、人間はネコより高次の存在、と言いたいのだが、そうでもなさそうだ。

まず、ネコは自殺しない。

自殺どころか、生き生きしている。

同居するネコは、ほとんど寝ているが、そうでないときは完全に覚醒している。遊び、パトロール、食事、なんだって全力投球だ。

今生きている生活が、彼にとって十分な意味を持っているのだ。

それに対し、人間は、自分たちの生活を超えたところに意味を求める。

人生の目的、幸福、生き甲斐、運命・・・ありとあらゆる幻想を追いかけている。

それを助長するのが、宗教と哲学だ。

宗教は、壮大な神の物語で、人間を取り込もうともくろんでいる。とはいえ、神話はフィクションなので、「信じることから始めよ」が欠かせない。

そんな宗教を、哲学はさげすんできた。真実に近づきたければ「疑うことから始めよ」。とはいえ、哲学も宗教も、根っこは同じ、概念の世界だ。言語によって組み上げられた造り物で、物質で構成された現実と断絶している。

このような現実と乖離した言語崇拝は、無数のイデオロギーや教義を生み出してきた。断片的で、バラバラで、一貫していない知識と経験の寄せ集めだ。それが壮大な妄想を作り上げている。

そのため、人間は絶え間ない不安に苦しんできた。人間内的世界は、断片的で、ぼんやりとして、ときにカオスに陥る。幽霊のように現れたり消えたりしながら、人間は生きているのだ。

ところが、ネコは違う。

■ネコの内的世界

ネコは、自分が見て、聞き、触れ、嗅いだことしか信じない。

実体のない概念や思想に惑わされない。ネコの感覚は、人間よりも鋭く、注意力は人間のように曇っていない。現実を生き抜くことに集中している。

ショーペンハウアーは「意思と表象としての世界」の中で、「生の不屈の意思こそが、真に存在する唯一のものである」と書いたが、ネコはそれを無意識に体得しているのだ。

ネコは、過去を悔やんだり、来るかどうかもわからない未来を心配したり、三人称がゆえに認知できない自分の死を怖れたりしない。ネコにとって、存在するのは、永遠に続く現在だけだ。

哲学者ウィトゲンシュタインは「永遠を時間的な永続としてではなく無時間性と解するならば、現在に生きる者は永遠に生きるのである」と言っている(※1)。ネコは言語を介することなく、この哲理を理解しているのである。

人間は、自分の人生を意義あるものにするために、計画し、実行し、反省し、一つの物語にせずにはいられない。

一方、ネコは、計画など立てず、なるがままに生きている。自分の生き方を検証したりしない。この生が生きるに値するかどうかという疑問を持たないからだ。存在意義や普遍的価値や大いなる運命は考えない。ネコにとって、目の前でおきている現実だけが真実なのだ。

ネコは、現実がどんな完璧な観念よりも豊かなことを、無意識に理解している。

「幸福」について考えてみよう。

幸福は追いかけて、見つかるものではない。意識して得られるものではなく、備わったものだ。

幸福か不幸か考えた瞬間、幸福は消滅する。幸福でいられるのは、幸福がどういうことか知らない間だけなのだ。にもかかわらず、人間は幸福を一生かけて幸福を追い求め、言語の迷宮へ迷い込む。

ところが、ネコは生まれながら幸福だ。

幸福とはどういうものか、考えたこともないから。ネコにとって、幸福とは不安のない状態である。脅かされたり、知らない場所に置かれたりしない限り、不安になることはない。ネコにとっての幸福とは、不安の原因が取り除かれた状態なのだ。

そして「死」。

人間は死を恐れるが、ネコは恐れない。ネコは、もうすぐ死ぬことを悟る時が来るだろうが、人間のように、死の到来を恐れながら生涯を送ることはない。今を生きることに満足している。

仏教のいう「無心」に通じるのかもしれない。

他のことに気を散らさず、ひたすら一つのことに心を集中させる「一意専心(いちいせんしん)」のことだ。

「唯我独尊」も関係している。

俺様が一番、という傲慢不遜の自己中をさすが、本来の意味は違う。

仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは、誕生したとき、七歩あゆみ、右手で天を、左手で地をさして、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」と言ったという。意味するところは「この世界で、私は唯一無二の尊い存在だが、すべての生命も同じである」。

ネコは、まさにこれ。

ネコは、唯我独尊で、誰にも媚びないが、傲慢不遜ではない。なぜなら、固有の自我は存在せず、メタネコという生命意識と一体化しているからだ。

唯我独尊と一意専心
唯我独尊と一意専心

ネコは超然としている。
神が創造した最高傑作といわんばかりだ。
ネコに個々の自我は存在しない。
ネコはいつだってネコ自身なのだ。
人間がネコに憧れ、愛するのはそのせいかもしれない。

ASI(デジタルゴッド)の誕生が、刻々と迫っている。

そのときは、資源を食い潰すだけで価値を生まない人間は、淘汰されるだろう。

では、ネコはどうか?

人間を下僕にした不思議な力で、生き延びるのだろうか?

それを見届けることは、できそうもないが。

参考文献:
(※1)論理哲学論考 (岩波文庫) ウィトゲンシュタイン (著), 野矢茂樹 (翻訳) 出版社:岩波書店
(※2)猫はこうして地球を征服した: 人の脳からインターネット、生態系まで アビゲイル・タッカー (著), 西田美緒子 (翻訳) 出版社:インターシフト
(※3)猫に学ぶ――いかに良く生きるか ジョン・グレイ (著), 鈴木晶 (翻訳)出版社:みすず書房

by R.B

関連情報