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週刊スモールトーク (第586話) 人間とネコとAIの知能(1)~生物の品種改良計画~

カテゴリ : 思想歴史社会科学

2025.07.14

人間とネコとAIの知能(1)~生物の品種改良計画~

■知能とは何か?

人間とネコとAIの知能は、似て非なるもの。

人間は、読み書きソロバンが得意だが、いつも不安をかかえている。しかも、あるかどうかもわからない幸福を追い求めて、満足することがない。頭は良いかもしれないが、賢いとはいえないだろう。

ネコは、読み書きソロバンはできないが、不安とは無縁で、生まれながら幸福である。頭は良いとはいえないが、十分な賢さがある。

AIは、読み書きソロバン、不安、幸福、なんでも「やってみせる」が、フタを開ければ、アルゴリズムが歯車のように回っている。頭が良いか、賢いか、そんな尺度は通用しない。未知の知能である。

というわけで、知能は三者三様。

ところで、知能って何だ?

ありがちな定義は忘れて、核心を突く。

知能とは、環境に適応し、問題解決し、生き残る能力である。

つまり、知能の最終目的は、サバイバル(生き残り)なのだ。

でも、それはあたりまえ。

この世は弱肉強食、生死に優る重要案件はないから。

ただし、強い者が生き残るのではない。環境に適応した者が生き残る。

6600万年前、巨大隕石がユカタン半島を直撃し、地球環境が激変したとき、最強の恐竜がどうなったか、思い出そう。

食べ物が激減し、大飯食らいの大型生物は絶滅、少食の哺乳類が繁栄した。そのおかげで、人類が誕生したのである。

ふつうに考えれば、子供でもわかる話だが、なぜか、理論武装されている。

そう、ダーウィンの進化論のことだ。

1859年、イギリスのチャールズ・ダーウィンは「種の起源」を出版し、自然淘汰と適者生存を熱く語った。

自然淘汰は、環境に適応した個体が生き残り、適応しない個体は淘汰される。結果、環境に適応したものだけが生き残る、これが適者生存だ。

この世界の根本は、生物の品種改良!?

・・・・

それはさておき、進化論は万人が認めたわけではない。真っ向否定する一派もいる。

いわく、進化論なんてバカげてる。人間のような精緻極まる生物が、「進化=試行錯誤」で生まれるはずがない。神が、トップダウンでデザインしたに決まってる、と。

これを創造論(インテリジェント・デザイン)という。

■読み書きソロバンと賢さ

人間が進化論で誕生したか、創造論かはさておき、ハッキリしていることがある。

環境に適応しない者は滅びること。

というか、滅びるのは、環境に適応しないからなのだが、相関関係か因果関係かはドーデモよく、ここはシンプルに「滅びゆく者=環境不適応者」。

子供でもわかる証拠がある。

まず、3億年前に出現した海の王者「板皮類(ばんぴるい)」。

「名は体を表す」そのままで、体は分厚い装甲におおわれていた。体長10m、体重4トンの巨大魚で、牙状の顎骨でなんでも噛み砕く。もし、今も生き延びていたら、サメもひと噛みで真っ二つ、という衝撃的な説があるが、これはあやしい。外見から推測するに、運動能力ではサメが圧倒しそうなので。とはいえ、この時代、板皮類は天敵のいない頂点捕食者だったはず。ところが、3億6000年前に絶滅してしまった。

さらに、2億4000年前に出現した陸の王者「恐竜」。図体のデカさと噛み砕く力で、頂点捕食者となった。ところが、6600万年前の隕石衝突で絶滅する。

そして、40万年に出現したネアンデルタール人。言葉と道具を操り、知を武器に頂点捕食者となった。ところが、4万年前に絶滅してしまう。

というわけで、「最強」が生き残るとは限らない。

一方、ゴキブリは「最強」にほど遠いが、2億年も生き延びている。しかも、元気ハツラツ、今も家中走り回っている。

知能の最終目的は生き残りだから、ゴキブリの知能は高い!?

ん~、知能は知的でないと。

そもそも、ゴキブリに脳みそある?

はい、あります。

脳みそがある以上、知能もあります。

知能には読み書きソロバンと賢さがある。

一言でいうと、読み書きソロバンは勉強ができる、賢さは世渡り上手。

読み書きソロバンは、国語と数学をベースにした思考能力で、なんでもかんでも理詰め。水も漏らさぬ論理で畳み込んで、科学技術を発展させてきた。結果、強力な道具が発明されたが、一方で、魂を惑わす哲学も生まれた。

哲学の源は不安である。不安から逃れるために、哲学が生まれたのに、その哲学が新たな不安を生んで、人間は一向に幸せになれない。皮肉な話だ。

というわけで、読み書きソロバンは、右手で人間を食物連鎖の頂点に引き上げ、左手で魂を不幸に突き落としている。

一方、賢さは、実践的で実用的な知能だ。ムダ・ムラ・ムリなく資源を有効活用し、役立たずの哲学は入る込むスキがない。一生全力、生き残り!

その典型がゴキブリである。

ゴキブリの知能は、読み書きソロバンを捨てて、賢さに賭けている。脳と身体は一体化しており、頭のてっぺんから尻尾まで、生き残りに最適化されている。一瞬を生きることがすべて、その点において、一点の曇りもない。もし、宇宙人が地球にやって来て、ゴキブリの脳を改造して、哲学を理解させたら、ゴキブリはせせら笑うことだろう・・・くだらん。

ゴキブリの「知能=賢さ」は、大きく4つある。

まず、自律行動。どこに隠れるか、何を食べるか選択的行動ができる。

つぎに、回避行動。足音や風を感じると、0.03秒以内に逃げる。

さらに、忌避記憶。殺虫剤やエサのある場所を記憶できる。

そして、社会的行動。フェロモンで情報交換しながら、団体行動ができる。

このムダのない知能は、身体中に張り巡らされた脳で実現されている。

ゴキブリの脳は、複数の神経節(ガングリオン)で構成されている。頭部の神経節は、嗅覚や視覚を担当し、胸部と腹部の神経節は歩行や反射を司る。それぞれ独立して機能するので、頭を切り落とされても、身体は動く。いわば「分散型知能」で、生き残りへの執念を感じる。

もちろん、人間よりゴキブリが上等と言い張るつもりはない。

とはいえ、ゴキブリは種として2億年も生き延びている。人類はたった30万年なのに。

これから期待できる?

それは難しい。

もうすぐ、ASI(人工超知能)が誕生するから。

そのとき、人間は食物連鎖の頂点から転げ落ちるから、2億年はムリ。一方、ゴキブリは、ASIのライバルになりえないので、今のようにコソコソ生き延びることだろう。

■賢さとはズル

ここで、知能を整理しよう。

知能の最終目的は、生き残りで、読み書きソロバンと賢さに分類できる。

人間は賢さより読み書きソロバンで、ゴキブリは賢さ一本。

これには事情がある。

まず、ゴキブリ。

読み書きソロバンには、大きな脳が必要だが、あんな小さな身体にはおさまらない。

つぎに、人間。

身体能力はお粗末で、丸腰ではカンガルーにもかなわない。素早い動き、迷いのない決断では、ゴキブリにおよばない。逃げ隠れで、大きく遅れを取るのは明らかだ。というわけで、人間が生き延びるには、道具しかなかったのである。

ただし、道具は、人間の専売特許ではない。

道具をこさえたり、使ったりは、カラスでもできる。

ところが、かつて、カラスより上手な道具の使い手がいた。

現生人類(ホモ・サピエンス)とほぼ同時代を生きたネアンデルタール人だ。ところが、道具(兵器)の性能がわずか及ばず、4万年前に絶滅してしまった。現生人類との生存競争に敗れたのである。

カラスは生き残ったが、ネアンデルタール人は絶滅した。ネアンデルタール人は、読み書きソロバンの原点「言葉」を使っていたのに。というのも、遺骨から、言葉を話すために必要な舌骨が確認されたのだ。

もちろん、読み書きソロバンより、賢さが上等と言い張るつもりはない。読み書きソロバンに長けた人間が、その気になれば、賢いゴキブリを絶滅できるから(たぶん)。

ところが、賢さでゴキブリの上をいく動物がいる。

ネコだ。

ネコは、読み書きソロバンができないので、道具はムリ。よって、ゴキブリと同じ賢い系だが、大きな違いがある。

ゴキブリは、人間と敵対してきたが、ネコは人間と共棲してきた。

食物連鎖の頂点に立つ人間が守ってくれるので、天敵がいない。よって、事実上、頂点捕食者である。早い話、ズルなのだが、そもそも、賢さとはズルなのである。周囲を見れば、”ズル賢い”奴ほど出世しているではないか。

イエネコは、家で飼われる家猫と野良猫に分かれるが、前者のズルさは仰天ものだ。

食事、寝床、トイレ、遊び場付き。さらに、飼い主が遊び相手になってくれる。

では、ネコは何をお返ししてくれるのか?

一緒にいてくれる。

苦労して道具を作るより、0.03秒の反射神経でコソコソ逃げ回るより、よっぽど”賢い”ではないか。

イヌもネコと同じ?

ノー、根本が違う。

人間に愛されるのは同じだが、それ以外は違う。

まず、イヌは家畜化されたが、ネコは家畜化されたことは一度もない。その気になれば、自給自足できるので、いつだってマイペースだ。

つぎに、ネコは絶対に飼いならされない。飼いならされるのは人間である。

さらに、驚くべきことに、ネコは3000年前、神になったのだ。

■神になったネコ

古代エジプトでは、ネコは神の顕現(神の化身)とされた。

さらに、ネコは神と人間の守護者だった。

物的証拠がある。

古代エジプトでは、ネコは寺院の飼育所で大切に育てられた。

人々は、ネコをかたどった護符を身につけ、お守りにした。

神を警護するネコの肖像がたくさん彫られた。その中には、人間がネコの前にひれ伏す像もある。

ネコは人間より上座?

そういうこと。

ではなぜ、人間と動物の立場が逆転したのか?

古代エジプト人は、死生観が強く、死に支配されていた。

一方、ネコは死を知らないから、死に支配されていない。

死を怖れる人間にとって、ネコは「生の肯定」であり、その魂は不死だったのである。

人間が、この世でもあの世でも、ネコにそばに居て欲しいと願うのは当然だろう。

ではなぜ、ネコは人間の信頼を勝ち得たのか?

愛くるしい姿形だけでは、これほどの「信頼」は得られない。

ネコには未知の知能が備わっているのではないか。読み書きソロバンも、0.03秒の反射神経もかなわないほどの。

そこで、ネコの知能を解明するために、古代エジプトへタイムスリップしよう。

答えはそこにある

《つづく》

by R.B

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