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週刊スモールトーク (第539話) 安楽死と映画~PLAN75、ソイレントグリーン~

カテゴリ : 娯楽社会終末

2023.05.28

安楽死と映画~PLAN75、ソイレントグリーン~

■PLAN 75

フィクションの中の「安楽死」は、たいていはディストピアだ。

たとえば「PLAN 75」。

2022年に公開された日本映画で、フランス、フィリピン、カタールの合作となっている。主役は倍賞千恵子で、映画「男はつらいよ」で寅さんの妹さくら役。日本を代表する女優の一人だ。

タイトルの「PLAN 75」は、安楽死・支援制度の名称で、75歳以上の高齢者は、生か死か選択できるプラン、に由来する。つまり、この世界は、安楽死が認められた近未来か、並行世界。

物語は、78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)を中心に展開していく。

ミチは夫と死別し、一人暮らしの毎日を送っている。ある日、ミチは、突然、職場を解雇される。生きる意欲を失ったミチは、市役所に行き、PLAN 75を申請する。窓口のヒロムは、ミチに説明しながら、安楽死に疑問を持ち始める。

瑶子は、安楽死を選んだお年寄りをサポートするコールセンターのスタッフだ。瑶子はミチと話をしているうちに、制度に疑問を抱くようになる。生か死かの選択の自由があるといいつつ、巧妙に自死させようとしているのではないか。それに、自分も加担させられている、と。

ヒロムと瑶子は、直接の接点はないが、ミチを介して安楽死への疑問を膨らませていく。

この映画の老後は、現実の老後の写し絵だ。

人間はリタイアすると、社会的価値を生まず、消費するだけ。しかも、現役世代から徴収した社会保険料(年金)で、生活している。国全体で考えると、老人は負債、お荷物なのだ。これは目に見える実害で、概念としての老害とは根本が違う。

一般に「老害」は、若者が年配者を揶揄するときに使う言葉だ。

たとえば、ITリテラシーが低く、パソコンもロクに使えないのに、部下に自分の意見ややり方を強要する。飲み会では、昔の武勇伝を延々と聞かせるタダの酔っ払い。こんな年配者の迷惑行為ひっくるめて「老害」とよんでいる。

老害は、周囲だけでなく、本人にも降りかかる。

日本人の平均寿命は、男性が81歳で、女性が87だ。ところが、健康寿命はそれより10年早い。つまり、老後は、どこか病んで、自立できない期間の方が長いのだ。とくに100歳を超えると、ほとんどが、寝たきりで、生かされているだけ。

もっとストレートに言うと・・・

「人生100年時代」というのは「若さの延長」ではない。辛く苦しい「老いの延長」なのだ。病んで、心身が衰え、生きる意欲が失せていく時間が引き延ばされただけ。

ところが、日本では、長生きが称賛される。敬老の日しかり、100歳の役場からの祝いしかり。

誰がみても建て前。

では、本音は?

安楽死かもしれない。

2001年、オランダで世界初の安楽死法が制定された。安楽死を認める国は、他にも10を超える。ところが、日本では安楽死は認められない。「人の命は地球より重い」国だから当然だ。生かされるだけの惨めさより、生物学的「命」が優先される世界。人間の「尊厳」はどこへ行ったのだ?

この重い問題をテーマにしたのが映画「PLAN 75」だ。

そこで、大いに期待したのだが、観終わったら、ガッカリ。斬新なイベントも、鋭い視点も、巧みな表現もない。あってないようなイベントがダラダラ続く。やたら尺が長く感じるのは気のせいだろうか?

役者はそれなりに頑張っているが、それを活かせていない。

主役の倍賞千恵子も、メイクがひどく、老いと醜くさだけが強調されている。メイクをちゃんとして、老いても、さすが、倍賞千恵子、どこか美しいという表現があれば、清々しい「安楽死」が描けたのではないか。

一方、老いは寂しく孤独で、醜い。先がないから未来もない、お先真っ暗、をこれでもかと描くわけでもない。

でも、終わり良ければ、すべて良し!

ところが、なんともあっけない結末。

複雑な伏線を張るわけでもなく、これといった問題提起もなく、何が言いたいのかさっぱり。監督と脚本が悪いのは明らかだ。

B級映画なら、それはそれで価値があるのだが、意識だけはA級。正体不明の動画で、素人が背伸びして撮った映画にしかみえない。大学の映画研究会の映画より、カネはかかっているが。

この映画を、名作ともちあげる向きもあるが、映画好きには通用しない。中身は二流、三流なのに、周囲からもちあげられて、名作扱いされる作品がたまにある。この映画もその一つだろう。まぁ、映画も玉石混交(ぎょくせきこんこう)ということ。

では、「安楽死」でマシな映画はない?

あります。

■ソイレント・グリーン

映画好き、100人に聞きました。

安楽死の映画といえば?

99人が「ソイレント・グリーン」・・・と言っていいほどの定番映画だ。

とはいえ、1973年公開の古い映画で、知る人ぞ知る。知名度では、古典的名作の「風と共に去りぬ」(1952年)、「ローマの休日」(1953年)、「十戒」(1958年)、「ベン・ハー」(1960年)には足元もおよばない。

ではなぜ「ソイレント・グリーン」なのか?

人口爆発、環境破壊、食料危機、格差社会、安楽死、カニバリズム(食人)という、興味津々のテーマがテンコモリだから。早い話「話題性」があるのだ。

この映画は、ディストピアな近未来を描いている。

舞台は2022年のニューヨーク。人口は4000万人で、失業者は2000万人に達している。2023年現在のニューヨークの人口は833万人なので、凄まじい人口爆発だ。しかも、失業率は50%で、1929年の世界恐慌のドイツの失業率30%を凌駕する。

かくも悲惨な状況なのに、環境汚染が拍車をかける。

公害が水と土壌を汚染し、動物と植物が死に絶えつつある。結果、深刻な食料難に。さらに、地球温暖化が進み、灼熱の温室効果で、水も枯渇寸前。そのため、食料も水も配給制で、毎日が戦時下だ。

ところが、それは庶民の話。特権階級は別世界で優雅に暮らしている。つまり、究極の格差社会なのだ。

この世界は3つの階級で構成されている。

最上位の特権階級、職をもつ平民階級、無職の貧困階級である。特権階級は豪華なマンションに暮らし、平民階級は安アパート、貧困階級は安アパートの廊下や階段で雑魚寝(ざこね)している。

肉、卵、バター、レタスなどの本物の食料を食べられるのは特権階級のみ。貧困階級は、政府から配給されるソイレントグリーンが主食だ。ソイレントグリーンは、ソイレント社が海中プランクトンで作る合成食品。政府は奇跡の高栄養食品と喧伝するが、ビスケットのような固形食糧で、いかにも不味そう。

メインテーマは安楽死ではなく、ディストピア?

ディストピアといえば、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」が有名だ。

映画化もされたが、2018年10月4日、突如、世界の注目をあびた。

トランプ政権のペンス副大統領が、ハドソン研究所でこんな演説をしたのだ。

「中国は、国内では他に例を見ない監視社会を築いており、ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いた人間生活の支配システムを構築しようとしている」

「1984年」は、全体主義国家を描いた究極のディストピアだ。国民は、双方向テレビジョン「テレスクリーン」と、あちこちに仕掛けられたマイクで、常に監視されている。行動も思想も制限され、基本的人権は生存権のみ。救いのない国民生活が淡々と描かれている。ペンス副大統領は、中国をそれになぞらえたわけだ。

一方、ソイレント・グリーンの世界は、国民は監視されず、野放し状態。ただし、暴動だけは徹底的に弾圧される。その意味で「ソイレント・グリーン」は「1984年」より荒(すさ)んだディストピアかもしれない。

ソイレント・グリーンの主役は、20世紀のトップスター、チャールトン・ヘストンだ。十戒、ベン・ハー、猿の惑星で主役を張ったが、ソイレント・グリーンでは殺人課のソーン刑事を演じている。

ある夜のこと、サイモンソンという富豪が殺害された。サイモンソンはソイレント社の重役で、豪華なマンマンションに暮らしていた。ソーン刑事が犯行現場に行くと、若い美女がいる。彼女は性奴隷で、この世界では「家具」とよばれている。

サイモンソンは、鉄棒で撲殺されていた。荒っぽい手口で、一見するとチンピラの強盗。ところが、犯行時刻に、快調だった警報装置が突然故障、そのとき、折よく護衛が外出していた。

偶然が2つ重なった?

ありえない。

不審に思ったソーンは、護衛のアパートにいく。すると、場違いなイチゴがおいてあった。イチゴは150ドルもするから、護衛の安給料で買えるはずがない。

買収された?

チンピラの犯行にみせかけているが、じつはプロの犯行?

ソーンが捜査をすすめると、被害者のサイモンソンにおかしな点が浮かんできた。サイモンソンは、元々、食品冷凍乾燥機を手掛けるホルコックス社の社長だった。その後、ホルコックス社はソイレント社に買収され、彼はソイレント社の重役になっていた。

そんな特権階級が、プロの殺し屋に殺害されたのだ。大物を殺すのだから、依頼者は小者ではない。

ソーンは背後関係を明らかにすべく、捜査を勧すすめる。ところが、そこで別の事件がおこる。ソーンと同居していた老人、ソルが安楽死を選んだのだ。

ソルは、元大学教授でソーン専用の歩く辞書だった。国が、職を持つ人間に支給する半奴隷で、「本」とよばれていた。だが、ソーンはソルを人間として扱い、2人の間には信頼関係が生まれていた。

そのソルが「ホーム」に行ったのだ。ホームとは、安楽死を執行する公営の安楽死施設。つまり、ソルは安楽死しようとしていたのだ。

ソーンがホームに行くと、ソルはベッドに横たわり、最期の時を待っていた。

安楽死を希望する者は、人生最期に好きな映像と音楽を視聴できる。ソルが選んだのは、失われた美しい自然の映像と、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」だった。ソーンはソルの安楽死を見届ける。

ところが、ソーンは、偶然恐ろしい光景を目撃する。

安楽死した市民の遺体が、ゴミ収集車に放り込まれ、ソイレント社の巨大プラントに運ばれていく。遺体はベルトコンベアに投げ込まれ、次々と巨大な水槽に落とされる。その先にソイレントグリーンの完成品が・・・ソイレント・グリーンの原料はプランクトンではなく、人肉だったのだ!

市民に安楽死をすすめ、その死体から食糧をつくる。

資源を再利用する循環経済?

地球全体からみれば合理的で効率がよく「善」なのだろうが、人間はたまらない。

秘密を知ったソーンは、当局の官憲に撃たれ、拉致されてしまう。そこで、ソーンは声高に叫ぶのだった。

「ソイレント・グリーンの原料は人肉だ。人肉が食料になれば、つぎは食用人間の飼育だ!」

人間牧場!?

日本人は「社畜」「人間牧場」という言葉を自虐的に使うが、ソイレント・グリーンは本気だ。比喩ではなく、本物の「食用人間の牧場」なのだ。

ソイレント・グリーンは、人口爆発、環境破壊、食料危機、格差社会、安楽死、カニバリズム(食人)・・・人間の災厄と悪徳が詰まっている。だから、救いのない究極のディストピアなのだ。

この映画にくらべれば、「PLAN 75」や「1984年」はまだ幸福にみえるのは気のせいだろうか?

by R.B

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