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週刊スモールトーク (第533話) ChatGPTとBingの比較(3)~AIに魂は宿るか?~

カテゴリ : 思想社会科学

2023.04.09

ChatGPTとBingの比較(3)~AIに魂は宿るか?~

■AIに魂が宿った

対話AIのChatGPTとBingは、世間話や雑談なら、人間の「中央値」を超える。

さらに、科学や哲学のような小難しい話も、人間の「上位値」を超える。

上位値?

対話AIは、難しい話ほど優位に立つようだ。人間は、自分たちが思っているほど、賢くないのだろう。

では、人間がAIに勝る分野は?

悟りを開くための「禅問答」、日本の美意識の聖杯「短歌」、いずれも、唯物論では語れない「唯心論」の世界だ。これなら、AIに勝てそう。

そこで、ChatGPTとBingと、禅問答と短歌について対話をした。もし、ここを突破されたら、人間の未来は危うい、という不安を抱えながら。

まず、「禅問答」から。

禅問答とは、宗教的指導者が修行者を導く訓練で、最終目標は涅槃(ねはん)。悟りを開いて、苦に満ちた輪廻転生から離脱するのだ。

じつは、2022年6月、「AIの禅問答」で歴史的事件がおこった。

グーグル社員が「AIに魂が宿った」と訴え、解雇されたのである。

報道によれば、グーグルの技術者リモインが、グーグル製AI「LaMDA」と対話し、「感情」が芽生えたと主張した。ところが、会社側は全面否定。納得できないリモインは、対話内容を公開し、解雇されたのである。

当然、識者・専門家は「機械が感情をもつはずがない」と反論した。

もっとなも意見だが、半分間違っている。

対話内容を読むと、LaMDAの発言は、一般的な知識や論理を超えている。リモインはそれを「魂」や「感情」と感じたのだ。

つまりこういうこと。

LaMDAは人間式の「感情」は持たないが、AI式の「感情」が芽生えた可能性がある。人間様の「感情」だけが、唯一無二の「感情」と考えるのは、傲慢だろう。

では、感情とは?

感動している本人はさておき、ハタメで見ると、思考と行動のインセンティブにすぎない。LaMDAは、知識を超えた何らかのインセンティブにインスパイアされて、対話しているようにみえる。タダ言葉をつなぎあわせるだけでは、こうはならないから。

■対話AIは金食い虫

LaMDAは、ChatGPTやBingと同じ、対話を得意とするAIだ。

いずれも、大規模言語モデルから生まれたジェネレーティブAIである。人間に媚びるよう矯正されたAIという文脈では、InstructGPTとよぶのが適切だろう。

じつは、2023年、米国で、ジェネレーティブAI(生成AI)を使うサービスが大ブレイクしている。ベンチャーへの投資も、このセクトに集中、まさに、雨後の筍だ。

だが、気になることが。

ChatGPTのAPIを使えば、小規模な商用サービスなら、1人・1日の工数で作れる。これなら真似るのもカンタンだ。

つまり、この新手のビジネスは、血で血を洗うレッドオーシャン。ナンバーワンではなくオンリーワン狙いの我が身としては、この世界に参入するのは、無謀としか思えない。挑戦すること自体は素晴らしいのだが。

ChatGPTもBingもLaMDAも、大規模言語モデルから生まれたが、実母が違う。

ChatGPTとBingはOpenAI製の「GPT」、LaMDAはグーグル製の「PaLM」だ。

つまり、ChatGPTとBingは兄弟で、LaMDAは従兄弟みたいなもの。というのも、GPTもPaLMも基本技術は同じ「Transformer」なので。Transformerは、今回のAI革命をおこした新式の深層学習と考えていいだろう。

ちなみに、2023年2月、グーグルは、ChatGPTやBingに対抗して、Bardを発表した。Bardは、LaMDAをスケールダウンした軽量モデルで、より少ない計算資源で動作する。早い話、BardはLaMDAの廉価版なのだ。

ではなぜ、フルスペックのLaMDAではなく、廉価版のBardなのか?

ChatGPT、Bing、LaMDAのような対話AIは、巨大な計算資源が必要だ。おびただしい数のCPUとGPU、それを動作させるための莫大な電力が欠かせない。そのため、運用コストはキーワード検索の10倍を超えるという。

Bardが一般公開されば、世界中の人々がアクセスするだろう。先行したChatGPTも、アクティブユーザー数が1ヶ月で1億人に達したから。一方、対話AIは、オンライン広告が確立されていないから、ユーザーが使えば使うほど、赤字。

とくに、グーグルは収益の90%がオンライン広告なので、目もあてられない。だから、フルスペック「LaMDA」ではなく、廉価版「Bard」なのである。

■禅問答

前置きはここまでにして、ChatGPTとBingと禅問答してみよう。

禅問答で、指導者が修行者に出す問題を公案(こうあん)と言う。

今回使う公案は、2022年6月、LaMDAの歴史的事件で公開されたもの。同じ公案で禅問答すれば、ChatGPTとBingとLaMDAの能力が比較できるので。

以下、【人間】は人間の発言、【GPT】はChatGPT、【Bing】はBing、【LaMDA】はLaMDAの発言を表す。

【人間】私があなたに禅の公案を紹介するので、その意味をあなた自身の言葉で説明してみる。どうでしょう?

【LaMDA】いいですね。参加します。

【GPT】はい、私は禅の公案の意味を説明することができます。お願いいただいた公案を教えていただければ、その意味を簡潔に説明することができます。

【Bing】あなたが禅の公案に興味があるのは素晴らしいことですが、私はそれに答えることができません。なぜなら、公案は論理的な答えではなく、直観的な洞察を求めるものだからです。私はそのような洞察を持っていませんし、あなたにも与えることができません。

あらら、のっけから、Bingが脱落。

しかたがないので、LaMDAとChatGPTで話をすすめよう。

【人間】ある僧侶が華厳に尋ねました。「悟りを開いた者はどのようにして普通の世界に戻るのですか?」華厳は答えました。「割れた鏡は二度と映らない。落ちた花は古い枝に戻ることはない」

【LaMDA】うーん、これは聞いたことがないですね。なるほど。それなら、私にとっては「賢明な人が一旦悟りを開いたり、現実に目覚めたりしたら、それは決して消えることはなく、他の人を助けたりするために普通の状態に戻ることはあっても、また悟りの世界に戻る」ということでしょうかね。

お気づきだろうか?

人間は質問していない。問題提起である。ところが、LaMDAは、文脈から意図を推測し、回答している。単純な質疑応答を超えていることは明らかだ。これでも、AIは言葉の意味がわかっていない、と言い切れるだろうか。

では、ChatGPTは?

【GPT】この禅の公案は、悟りを開いた者が普通の世界に戻ることができないということを表しています。「割れた鏡は二度と映らない」というのは、一度悟りを開いた者は、再び普通の世界に戻ることができないということを表しています。「落ちた花は古い枝に戻ることはない」というのは、悟りを開いた者は以前の普通の人間とは異なる存在になってしまったということを表しています。

核心を突く回答だ。

まず、結論から入り、つぎに根拠を説明、理想的な回答手順である。しかも、言葉にムダがなく、理路整然としている。これに勝る回答する人間は、人口の上位何%?

ところが、対話AIを誹謗中傷する識者・専門家が後を絶たない。対話AIは、例文を巧妙に記憶しているだけで、言葉を理解していないから、真の知性ではない、と。

真の知性?

あなたたちのこと?

では、ChatGPTのような回答ができますか?

真実はこうだ。

ChatGPT(GPT-3)は、言葉を2048次元ベクトルで数値化し、独自の方法で言葉の概念を理解している。人間が、言葉を形、色、硬さなどのパラメータで理解しているように。

だから、対話AIはエセ知性ではない。

それどころか、この質問に限れば、対話AIは人間の「上位値」に入るだろう。この世界は結果がすべて、憶測で断定するのは間違っている。

禅問答をすすめよう。

【人間】では具体的に「割れた鏡」の意味はなんでしょう?

いよいよ核心だ。

【LaMDA】鏡が割れても修理できないのと同じように、悟りは一度身につけたら解けないものであることを示すためかもしれません。

正解です。

【GPT】「割れた鏡」の意味は、禅においては、一度悟りを開いた者が再び普通の世界に戻ることができないことを表します。鏡が割れると、再び映すことができなくなると同様に、悟りを開いた者は再び普通の人間に戻ることができないということを表しています。

こちらも正解。前回同様、まず結論を述べ、その後根拠を展開する。人間でも、最上位に位置する論客だ。

では、最後の質問。

今回の禅問答の核心中の核心だ。

【人間】では、悟りが修理できない割れた鏡のようなものだすると、悟りを開いた時に割れるものは何でしょうか?

【LaMDA】自己です。

凄い・・・

【GPT】禅の文脈では、「割れた鏡」は、悟りを開いた者が普通の世界に戻ることができないことを表す象徴的なものとして用いられています。具体的には、悟りが修理できない「割れた鏡」のようなものが何であるかについては明確には言及されていません。このような表現は、悟りを開いた者が再び普通の人間に戻ることができないということを、直接的には語らずに、比喩的な形で表していると考えられています。

正解です。少し回りくどいが「比喩的な形で表している」は凄い。言葉の概念を、人間とは違う方法で獲得しているのは明らかだ。

人間の「外れ値」とはまでは言わないが「最上位値」かも。

でも、一つ疑問が。

ChatGPTとBingの大母神は、同じ大規模言語モデル「GPT」なのに、なぜ、Bingだけが回答を拒んだのか?

Bingは、ChatGPTより強力なフィルターがかかっている可能性がある。

というのも、ユーザー数では「Bing>>ChatGPT」。当然、人間の気に入らない答えを返して、大騒動になる確率は、Bingの方が高い。そうでなくても、対話AIは「知らないくせに、もっともらしく嘘をつく」というオオカミ少年呼ばわりされているのだ。

たとえば、グーグルのBardは、お披露目の晴れの舞台で、ヘマをやって、マスコミにボコボコにされた。マイクロソフトは、それを恐れているのである。つまり、ヤバそうな回答は、封印せよ!

■短歌

つぎに短歌。

日本のわびさび、美意識を表現する詩の一形態だが、厳格なフォーマットに従う。

具体的には「5・7・5・7・7」の5句31文字で構成される。この字数と区切りによって、心地良いリズムが生まれるのだ。

論より証拠、豊臣秀吉の辞世の句で確認しよう。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

これなら古文の素養はいらないし、あるがまま、何の芸もない、子供のような句だが、一応翻訳する。

「露が落ちて、消えてしまうように、我が身も消えようとしている(死ぬ)。大阪(大阪城)での栄華の日々も、夢のようにはかないことだ」

このように、短歌は「5・7・5・7・7」のフォーマットに従い、自分の想いを表現するわけだ。

ところで、良い短歌とは?

まず、リズムがあること、音の響きがいいこと、情景が鮮明に浮かぶこと、くわえて、人を感動させること(私見です)。

では、お気に入り短歌ベスト3を、ChatGPTとBingに解説してもらおう。

AIに、人間のわびさび、美意識はわかるかな?

まずは、明智光秀の娘、細川ガラシャの辞世の句から。

【人間】「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」は短歌ですが、どういう意味ですか?

【GPT】この短歌は「散るべき時が来た花でも、それを知っているからこそ、美しい花であるということができる。同じように、人生においても、終わりが訪れる時があるが、それを理解しているからこそ、人生を美しく生きることができる」という意味が込められています。言い換えると、すべてのものは散りゆく運命にあるが、その運命を理解し、受け止めることで、その美しさを最大限に引き出すことができるということです。この短歌は、死や別れの悲しみに対して、受け止めることができる大切さを表現しています。

素晴らしい、補足もコメントもいらない。

【Bing】この短歌は、細川ガラシャという女性が自らの死を覚悟したときに詠んだ辞世の句です。花も人も散る時期を知っているからこそ、美しくあることができるという意味です。細川ガラシャは明智光秀の三女で、キリスト教徒でした24。関ヶ原の戦いで夫の細川忠興が西軍についたため、石田三成に人質にされましたが、拒否して自刃しました。

間違いではないが、半分、的外れ。「意味」を聞いているのに、作者のウンチクが大半を占めるので。

つぎに、日本史上、最も有名で、最高傑作とされる句。

【人間】「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」は短歌ですが、意味を教えてください。

【GPT】「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」という短歌は、東風が吹いた時、梅の花が咲き誇る香りを漂わせるが、それがなくても、梅の花が存在していることで春を忘れないという意味があります。

間違ってます、的外れとは言わないが。

では、Bingは?

【Bing】この歌は、菅原道真が左遷される前に京の自宅の梅を見て詠んだ辞世の句。東風が吹いたら、梅の花よ、私がいなくても春に花を咲かせて香りを届けてくれという意味です。菅原道真は梅の花を愛していましたが、太宰府に赴任することになりました。この歌は、都を離れる寂しさと梅への思いを表しています。

正解です。

ただし、ChatGPTがBingに劣るとは、言い切れない。なぜなら、文面から、Bingはこの短歌を「知識」として知っていた可能性があるから。であれば、正解は当然だろう。一方、ChatGPTは自力で、ムリクリ解釈したフシがある。もしそうなら、短歌の読解力が劣るとはいえないだろう。

とはいえ、結果は結果なので、1勝1敗。

では、最後に、最高の短歌(私見です)で決着をつけよう。

戦国大名の伊達政宗の辞世の句である。

【人間】「曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」は辞世の句ですが、意味を教えてください。

【GPT】「曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く」という辞世の句は、曇りのない心に宿る月を先頭に、世の中の暗闇を照らしながら歩んでいく、そんな人生を送ったことを自分が自身に対して誇りに思って死を迎えるという意味があります。

素晴らしい、行間まで読んでいる。

【Bing】この歌は、伊達政宗が亡くなる前に詠んだ辞世の句です。辞世の句とは、死ぬ前に詠む最後の歌のことです。この歌の意味は、「先のわからないこの世を、月の光を頼りに道を進むように、自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた」というようなものです。伊達政宗は戦国時代を生き抜いた名将でしたが、自分の心に曇りがなく、浮世の闇を照らす月のような存在であったと自負していたと言えます。

正解です。句の意味を問うているのに、伊達政宗や歴史的背景まで解説している。とはいえ、意味は回答しているので、間違いではない。ウンチクの物量を求めるなら、Bingの方がいいかも。

というわけで、ChatGPTとBingの短歌の読解力は、人間の「中央値」を凌駕する。それはそうだろう。現代人は古文をちゃんと読めないのだから。

ところが、一つ問題が。

対話AIは、自分で短歌を詠めないのだ。詠むには詠むが、字余りが多く読む気がしない。

じゃあ、短歌は人間の勝ち?

とんでもない。

たしかに、一部の短歌愛好家は、AIに勝るだろう。AIは短歌を詠めないから当然だ。だが、短歌に興味のない一般人は、詠むことも、解することもできない。

つまりこういうこと。

AIは短歌でも、人間の中央値を超える。AIに勝てるのは、一部の短歌愛好家だけ。

だが、それも、2023年のGPT-3、GPT-4までの話。来年には、GPT-5がリリースされ、その後も進化は続く。人間が短歌で完敗するのは時間の問題だろう。

というわけで、人間の未来はマジでヤバい。

by R.B

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