恩知らずの我が祖国よ(4)~大カトの陰謀~
■スキピオの寛大
紀元前202年、ザマの戦いで、第二次ポエニ戦争は終結した。
この戦争は、18年にわたる長期戦だった。
緒戦は、ハンニバル率いるカルタゴが連戦連勝、その後、スキピオがローマの軍権を握ると、戦線は膠着、ザマの会戦で一気に逆転した。ローマが勝利したのである。
じつは、これと同じことが、同じ年に、中国でおきている。
この時代、中国では、楚の項羽と、漢の劉邦が戦った。これを楚漢戦争という。項羽は、東洋のハンニバルというべき軍神で、戦さで一度も負けたことがなかった。ところが、紀元前202年の垓下の戦いで、初めて敗北。結果、劉邦が中国を統一し、漢帝国が成立したのである。
たった一度の会戦で、戦況が逆転し、戦争の勝敗が決まる。そんな奇跡のような天下取りが、ヨーロッパとアジアで同時に起きたのである。2200年も前のことなのに、誰も知らない、気づかない不思議な歴史。
カルタゴは敗北を受け入れ、武装解除された。ローマ全権代表のスキピオは、講和条約を締結すべく、カルタゴに条件を突きつける。
・カルタゴの境界紛争は、すべてローマが調停する。
・カルタゴは、地中海の島々をすべて放棄する。
・カルタゴは、10,000タレントの賠償金を、50年ローンで払う。
10,000タレントは、現在の貨幣価値でおよそ6000億円である。「タレント」は古代地中海で使われた通貨で、1タレントは6000ドラクマ。当時の労働者の日給が1ドラクマなので、現代の日給1万円に換算すると、1タレントは約6000万円。つまり、
10,000タレント=6,000万円×10,000=6000億円
これが高いか安いかは見当もつかないが、一つ確かなことがある。ローマは、50年で返済は不可能と考えていたから、かなりの大金だったのではないか。もっとも、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で、ドイツに課せられた賠償金からみれば、かなり良心的。ドイツの賠償金の総額は、現在の貨幣価値で200兆円だったのだから(日本の国家予算は約100兆円)
では、この講和条約は妥当か?
カルタゴの有力者たちは、条件が厳しすぎると文句を言った。一方、ローマの一部の有力者は、生ぬるいと非難した。立場を考慮すれば、どっちも正論だが、カルタゴは大事なことを忘れている。
第二次ポエニ戦争の原因は?
カルタゴが、一方的に戦争をふっかけたのだ。ハンニバル率いる大軍が、突如、北イタリアに侵攻。ローマ軍を次々と破り、多くのローマ兵を殺した。さらに、イタリアの諸都市を破壊し、多数の市民を虐殺したのである。
ところが、カルタゴ本国は、ローマ軍に攻撃されることもなく、無傷のまま安堵。さらに、第一級戦犯のハンニバルも裁かれない。
スキピオさん、寛大では?
スキピオは、ギリシャ文化に傾倒し、専制主義より民主主義を好む指導者だった。性格は寛容で開放的。だから、カルタゴを同盟国として復興させたかったのである。そのためには、指導者としてハンニバルが欠かせない。そこで、怨みを捨てて、共存共栄を選んだのである。
2000年前に、こんな民主的で寛容な政治家がいたとは、ビックリだ。民主化が進んだ現代でも、他国を脅す、奪う、侵略する独裁者が、後を絶たないのに。2000年の間、科学技術は進歩しても、人間は進化していないのだろう。
紀元前201年、カルタゴはローマの条件をすべて受け入れた。
ハンニバルが、カルタゴの反対派を説得したのである。スキピオがハンニバルを助命したのは、そのためかもしれない。スキピオは善良で寛容な人物だが、頭の切れる人物だ。政治家としての損得勘定がないはずがない。
■大カトの陰謀
ローマに帰還したスキピオは、熱狂的な歓迎をうけた。
例外的な大勝利にしか与えられない凱旋式の挙行も許された。「アフリカヌス」の尊称を授かり、以後、スキピオ・アフリカヌスと名乗る。くわえて、終身執政官(執政官の任期は1年)、終身独裁官(独裁官は国家の非常事態時に任命)のオファーもあったが、スキピオは固辞。その謙虚な言動と振る舞いに、スキピオの人気は高まるばかりだった。
名声を一身に浴び、栄華を極めるスキピオ・アフリカヌス。
だが、それを苦々しく思う人物がいた。元老院議員の大カトである。
フルネームは、マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス、舌を噛みそうな名前で、とても覚えられないから「大カト」と丸めたわけではない。曾孫のマルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシスと区別するためである。ちなみに、曾孫の方は「小カト」とよばれる。小カトは、のちにカエサルと敵対して、自死しているから、英雄に盾突く血筋なのだろう。
大カトは、財務官、法務官、最高位の執政官を経験しているから、かなりの出世組だ。平民出身を逆手に取って、清廉潔白をアピールしたのがウケたのだろう。そして、ここが肝心、大変な雄弁家だった。その口先三寸で、国家的英雄と大国を破滅させたのだから。
大カトはスキピオの政敵だった。まず、政策からして真逆である。
ハンニバルは、同胞のローマ人を斬首し、磔刑にした。そのような大犯罪人を、なぜ許すのか?
カルタゴは、ローマを滅亡寸前に追い込んだ天敵。そのような危険な国を、なぜ存続させるのか?
ハンニバルを処刑せよ、カルタゴを滅ぼすべし!
くわえて、大カトにはスキピオに対する嫉妬・怨みがあった。それが、スキピオを破滅させたのである。
根拠は3つ。
第一に、大カトはスキピオと性格が真逆だった。保守的で、気難しく、偏屈で、執念深い。
第二に、大カトは、スキピオやハンニバルのような名家の出ではない。スキピオやハンニバルのような輝かしい実績も、民衆を惹きつける魅力も人気もない。気難しい顔で、国民に質素倹約、清廉潔白を訴えるだけ。陰気で面倒くさい議員なのだ。だから、華やかで脚光を浴びる人間が大嫌い。
第三に、大カトがスキピオを陥れたのは、スキピオが隠棲した後である。つまり、政治家としての権限も力もないから、大カトの脅威にはならない。権力闘争が動機でないことは確かだ。
つまりこういうこと。
ノスタルジックに美化されたポエニ戦争の司令官、無力化された過去の英雄。それをわざわざ、破滅させるのだから、動機は計算された損得ではない。嫉妬・怨みと考えるのが自然だろう。
ところが、神は善良なスキピオではなく、嫉妬深い大カトに味方した。スキピオを失脚させる絶好のチャンスを、大カトに与えたのである。ことの発端はハンニバルなのだから、まさに運命の輪は回る・・・
■ハンニバルの亡命
ハンニバルは、ザマの戦いのあと、ローマに許されて、カルタゴ本国に帰国した。その後、行政官トップのスッフェトに選出される。
敗戦の将が、なぜ?
これには裏事情がある。カルタゴの政治を牛耳っていた間抜けな貴族たちが、敗戦で権勢を失ったのである。国民は、ハンニバルが国のために戦い、孤軍奮闘の末、敗れたことを知っていたのである。
ハンニバルは、すぐに政治改革にとりかかった。ところが、やり方が強引だったため、国内に抵抗勢力が生まれた。あげく、その勢力がローマに讒言したのである。
「ハンニバルはシリアと内通している」
ちなみに、この頃、シリアはローマの宿敵だった。
内通が事実かどうかは重要ではない。重要なのは、これから何がおきるかだ。
ローマの官憲がやってきて、ハンニバルを連行し、処刑する。修羅場をくぐりぬけてきたハンニバルだ。それくらい見当はついただろう。こうして、ハンニバルはシリアに亡命した。ウワサが本当になったのである。
まぁしかし、すべてにおいて抜かりのないハンニバルのこと。あらかじめ段取りをしていた可能性もある。何もできないくせに、利にさとく、私利私欲に走るカルタゴの貴族を、ハンニバルが信用していたと思えないから。裏切られることは想定内だっただろう。
この頃、シリアはセレウコス朝で、アンティオコス3世が統治していた。
セレウコス朝は、アレクサンドロス大王の王国の分国の一つだ。 紀元前323年、アレクサンドロス大王が死去すると、後継者争い「ディアドコイ戦争」がおこった。その結果、王国は、プトレマイオス朝(エジプト)、セレウコス朝(シリア)、アンティゴノス朝(マケドニア)に分裂したのである。アンティオコス3世は、その一つ、セレウコス朝の第6代目の王だった。
アンティオコス3世は、ハンニバルを歓待したが、不遇の英雄を救う粋な王だったわけではない。単にソロバンを弾いたのである。というのも、この頃、アンティオコス3世は、領土拡大の野心をもっていた。すでに、小アジアを服属させ、ヨーロッパに侵出しようとしていた。だから、軍神ハンニバルの亡命は、渡りに船だったのである。
一方、ローマは、マケドニア戦争に勝利し、マケドニアとギリシアを支配していた。ところが、そのすぐ東方に、シリアが迫っている。ローマとセレウコス朝が激突するのは時間の問題だったのである。この関係は、地中海世界の覇権を巡って戦ったローマとカルタゴの相似である。
そして、このローマ・シリア戦争が、スキピオを失脚させる原因となった。というより、大カトがこの戦争を利用して、スキピオを弾劾したのである。
一方、ハンニバルが去った後のカルタゴは、もぬけの殻。支配者は無能な貴族にもどってしまった。ハンニバルの努力と実績が水泡に帰したのである。カルタゴは、自分たちを守ってくれる唯一の英雄を、敵に売り渡したのだ。
その代償は高くついた。
50年後に、第三次ポエニ戦争が勃発、カルタゴはローマに滅ぼされるのである。街は徹底的に破壊され、焼き尽くされ、塩がまかれた。草木1本生えないように。
参考文献:
(※1)週刊朝日百科 世界の歴史 20巻 朝日新聞社出版
(※2)世界の歴史を変えた日1001 ピーター ファータド (編集), 荒井 理子 (翻訳), 中村 安子 (翻訳), 真田 由美子 (翻訳), 藤村 奈緒美 (翻訳) 出版社 ゆまに書房
(※3)ビジュアルマップ大図鑑 世界史 スミソニアン協会 (監修), 本村 凌二 (監修), DK社 (編集) 出版社 : 東京書籍(2020/5/25)
by R.B