恩知らずの我が祖国よ(1)~スキピオと安倍晋三~
■国に尽くし裏切られた男
「恩知らずの我が祖国よ、お前たちは我が骨を持つことはないだろう」
古代ローマ帝国のスキピオが、墓石に刻ませた言葉である。
古代ローマと言えばカエサルだが、功績ではスキピオが優る。カエサルは領土を増やしただけ、一方、スキピオはローマの存亡をかけた戦いで勝利している。つまり、スキピオはローマの「救国の英雄」なのである。
スキピオ家はローマ屈指の名家で、多数の「スキピオ」を輩出している。そのため、救国の英雄スキピオは「スキピオ・アフリカヌス」とよばれている。または、敬意を表して「大スキピオ」とも。
では、スキピオの功績とは?
古代ローマ史上、最大の危機といえば、第二次ポエニ戦争だろう。紀元前3世紀、陸の王者ローマと海の王者カルタゴが戦った戦争である。このときのカルタゴの軍司令官はハンニバル。古代世界でアレクサンドロス大王と並び称せられる名将だ。そのハンニバルが、カルタゴ軍を率いて、ローマに侵攻したのである。
ハンニバル率いるカルタゴ軍は本当に強かった。緒戦で、ローマ軍は連戦連敗、壊滅につぐ壊滅。それを大逆転し、勝利したのがスキピオなのである。
ところが、スキピオは死に臨んで、ローマにある先祖代々の墓に入ることを拒否した。それが「お前たちは我が骨を持つことはないだろう」の意味なのである。
救国の英雄が、一体なぜ?
みみっちぃ、わずかばかりの使途不明金で告発されたのだ。国を救った英雄が、立ちションで告発されるようなもの(たとえが下品です)。スキピオが激怒するのもムリはない。
■安倍晋三
じつは、日本にも同じ境遇の人物がいる。安倍晋三元首相だ。安倍晋三は、経済と外交と国家安全保障で、大きな功績がある。
まずは経済。民主党政権時代に比べ、企業利益は1.8倍、日経平均株価は2.5倍に増え、完全失業率は4.1%から2.2%に半減した。誰でもわかる明快なエビデンスだ(データ相関)。さらに因果関係もわかっている。アベノミクスだ。相関関係も因果関係も成立しているから、絶対真実と言っていいだろう(この世界では)。
さらに、安倍晋三は、外交で日本のプレゼンスを高めた。日本史上初の快挙と言っていいだろう。くわえて、安保法を成立させ、国家安全保障を大きく前進させた。それでも先進国には遠く及ばないが、そこはお花畑の日本、目をつぶることにしよう。
ところが、モリカケサクラであえなく失脚。あげく、国葬も旧統一教会の問題でケチがついて、ボロクソ。国葬が終わった今でも、違憲だ、再検証だ、と大騒ぎしている。これにはビックリだ。
だって、そうではないか。
北朝鮮のミサイルが日本列島を横断し、中国が日本のEEZ(実質日本の領海)にミサイルを撃ち込み、台湾侵攻を公言し、ロシアは日本を脅し続ける。国内では、物価が急騰し、給料は上がらず、年金は下がり続ける。恐ろしいスタグフレーションだ。一体、どうやって暮らしていくのか。あげく、プーチンは核のボタンをじっーと見つめている。
こんな状況で、終った国葬をあーだこーだ!?
バカじゃないのか。
モノゴトの優先順位もつけられない無能な輩。なんと哀れな国だろう。中国の属国になるのは時間の問題である。
安倍晋三に話をもどそう。
どんなリーダーにも功罪があり、そのバランスで評価するべきだ。ところが、安倍晋三は、功が無視され、罪だけが誇張される。酷い話だ。優先順位以前の問題だろう。
というわけで、安倍晋三はスキピオ同様、割に合わない人生である。
■割に合わない人生
もっとも、スキピオと安倍晋三には一つ違いがある。人生の「最期」だ。
安倍晋三は現役のど真ん中で、突然、凶弾に倒れた。人生を振り返る暇もなかっただろう。一方、スキピオは、失脚した後も、1年の寿命が与えられた。
じゃあ、安倍晋三より、スキピオの方が幸せだった?
そうでもない。
晩年のスキピオは、ローマを去り、イタリア南部のリテルヌムに移り住んだ。そこで、ローマを呪いながら、死んでいったのである。恩知らずの我が祖国よ・・・を呪文のように唱えながら。
つまりこういうこと。
突然死か、呪いながら生き長らえるか?
どちらにせよ、割の合わない人生だ。国に尽くし、最後に裏切られたのだから。
ハンバーガーのマクドナルドを創業したレイ・クロックはこう言っている。
成功するにはどうしたらいいか?
執念!
世の中に執念に勝るものはない。才能があっても成功できない者はゴロゴロいる。天才も報われないのは世の常だ。学歴も賢さを伴うとはかぎらない。だが、執念があれば無敵だ。
うまいこという。
だが、鵜呑みにしてはいけない。スキピオも安倍晋三も、並外れた執念の持ち主だった。だから、あれだけ成功したのだ。ところが、最後は物哀しい・・・どころかサイアク。成功の神様は気まぐれだ。
肝に銘じよう。
本当の敵は敵のような顔をしていない。味方の顔をして、身近に潜み、陥れようとしている。そのやり方は、ブルータスや明智光秀のような、大胆な謀反とは限らないのだ。
■ポエニ戦争
スキピオを、救国の英雄に祭り上げ、奈落の底に突き落としたのは「ポエニ戦争」である。
紀元前3世紀、地中海世界には2つの大国があった。陸の王者ローマと海の王者カルタゴである。この両大国が戦ったのがポエニ戦争だ。この戦争は、第一次、第二次、第三次にわかれ、紀元前264年から紀元前146年まで、118年間続いた。
第一次ポエニ戦争は、紀元前264年から紀元前241年まで。イタリア南端のシチリア島の領有をめぐる戦いだった。勝利したのはローマである。
敗けたカルタゴの将軍ハミルカル・バルカは、未開のヒスパニア(現スペイン・ポルトガル)に移住し、植民都市カルタゴ・ノウァを建設した。そこで、土着の諸部族を訓練し、強力な軍隊をつくりあげたのである。さらに、ハミルカルは、息子のハンニバルをバール神殿の祭壇に連れて行き、こう誓わせたという。
「宿敵ローマに対する恨みを忘れるな。必ず滅ぼせ」
成長したハンニバルは父の教えを守った。紀元前218年9月、4万の兵と30頭の戦象を率い、ローマに侵攻したのである。しかも、誰も予想できない方法で。なんと、アルプス山脈を越えて、北部イタリアに入ったのである。源義経の「鵯越の逆落とし」を彷彿させる荒業だ。
ところが、9月とはいえ、アルプスは冬で、山越えは困難を極めた。カルタゴ軍が北部イタリアに着いたときには、兵は2万6000に、戦象は3頭に減っていた。もちろん、ハンニバルがバール神殿で立てた誓いは1ミリも揺るがない。
■名将ハンニバル
一方、ローマ側は「カルタゴ軍が北イタリアに現わる」の報に、上を下への大騒ぎになった。大軍がアルプス山脈を越えて来るとは、夢にも思わなかったのだ。
ローマの最高機関・元老院は、コルネリウス・スキピオに2個軍団をあたえ、北イタリアに向かわせた。紀元前218年11月、ティキヌス川付近で、両軍が激突する。ティキヌスの戦いである。この会戦でローマ軍は惨敗し、軍司令官のコルネリウス・スキピオも負傷する有様だった。
コルネリウス・スキピオは、敗残兵をまとめ、もう1人の執政官センプロニウスの軍団と合流した。一方、カルタゴ軍は南進し、トレビア川を挟んで、ローマ軍と対峙する。紀元前218年12月18日、トレビアの戦いが始まった。まず、カルタゴ側のヌミディア騎兵が、ローマ軍を対岸におびき寄せ、その背後を、林に潜んでいたカルタゴ騎兵が突く。挟撃されたローマ軍は、算を乱して退却した。
この戦いは、ローマの同盟関係に深刻な亀裂を入れた。ローマ領内のガリア部族が、ハンニバル優位とみて、カルタゴについたのである。結果、カルタゴ軍は5万まで膨れ上がった。一方のローマは意気消沈。
3戦目は、紀元前217年6月21日のトラシメヌス湖畔の戦いである。元老院は、フラミニウスとセルウィリウスを執政官に選出し、4個軍団(5万)を与えた。2人の執政官は、それぞれ2個軍団を率いて、ハンニバル軍の挟撃をもくろむ。ところが、ハンニバルに事前に察知され、各個撃破される始末。これでローマは3連敗、目も当てられない。
それでもあきらめないのがローマ帝国だ。ローマは一日にしてならず、腐っても鯛、いやローマである。元老院はファビウス・マクシムスを独裁官に任命した。思慮深いファビウスは、戦っても勝ち目ないと判断、持久戦に持ち込んだ。「持久戦」といえば聞こえはいいが、要は戦わないこと。そこで、ハンニバルは、悠々とイタリア諸都市を略奪した。
あわてた元老院は、アエミリウス・パウルスとテレンティウス・ウァロを執政官に任命する。総兵力はなんと8万。これで負けたらあとがない、死ぬ気で戦ってこい、というわけだ。それが、ローマを滅亡寸前に追い込むとは夢にも思わず。
紀元前216年8月2日、ウァロが率いるローマ軍約8万と、カルタゴ軍5万が、カンナエで激突した。歴史上名高いカンナエの戦いである。まず、カルタゴ騎兵がローマ騎兵を蹴散らし、ローマ歩兵の後方に回り込む。完全包囲されたローマ兵は、行き場がなくなり、中央に殺到、多数の兵が圧死した。さらに、カルタゴ軍は、ローマ軍を外周から徐々に殺戮しながら、輪を狭めていく。のろのろ臼(うす)でひかれるように、ローマ兵は死んでいった。
惨憺たる結果だった。
ローマ軍8万のうち、死傷者6万、捕虜1万、ほぼ全滅である。軍司令官のパウルスも戦死する始末。このザマの戦いは、完全包囲戦の成功例として、後世に語り継がれた。
ハンニバル全戦全勝、恐るべし。ローマ全戦全敗、打つ手なし。
ところが、ここで救国の英雄が登場する。
弱冠31歳のスキピオ・アフリカヌスである。
by R.B