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週刊スモールトーク (第505話) 安倍晋三・銃撃事件(1)~テロか暗殺か殺人か~

カテゴリ : 人物社会

2022.08.12

安倍晋三・銃撃事件(1)~テロか暗殺か殺人か~

■安倍晋三・銃撃事件

2022年7月8日、安倍晋三・元首相が、奈良で射殺された。

起きたことはハッキリしているが、いろいろ、おかしなことがある。

テロ・暗殺か殺人かハッキリしないこと(犯行動機)。

凶器が玩具のような手製の銃だったこと(犯行手段)。

警護がありえないほどずさんだったこと(警護体制)。

さらに、メディアの報道もおかしい。有名ジャーナリストいわく、

「なぜこんなことが起きてしまったのか、私たちは考える責任がある」

犯罪者は、いつどこにでもいるし、動機も無数に存在する。それを、あーだこーだ分析し、小難しい理由をつけて、一席ぶちたい?

ジャーナリズムの重要性をアピールしているのだろうが、本末転倒だ。

百歩譲って「なぜ」に乗っても、答えは一つしかない。

ずさんな警護。

根拠は2つある。公開された映像をみると、安倍元首相はほぼノーガード。さらに、山上容疑者は、岡山の演説では警護が厳しくて銃撃を断念、その後、奈良で決行している。岡山で事件は起こらず、奈良で事件が起こったのだから、「なぜ事件は起こったか?」の答えは「奈良の警護ミス」である。

ところが、TVのキャスターやコメンテーターはピント外れで勇ましい。

「民主主義への重大な挑戦だ」

「言論の自由への攻撃だ」

何に付いた話?

現在、山上容疑者の動機は「私怨」とされる。特定の宗教団体に恨みがあり、その教団が安倍元首相と関係があると考えて、犯行に及んだという。

民主主義、言論の自由とどんな関係があるのだ?

もちろん、山上容疑者が真実を隠している可能性もある。だが、今のところ、政治的、思想的動機を示す証拠もない。そんな状況で、いきなり、民主主義、言論の自由!?

これにはビックリだ。

元首相が射殺されて、動機が私怨ではニュースバリューが低いので、話を盛りたい?

そのほうが、出番も増えるから、つじつまが合いますね。

世界に流布する偽情報は2つある。勘違いと、意図的なウソだ。後者を「洗脳」とよんでいる。「洗脳」はカルト教団の専売特許ではない。オーソライズされたメディア、識者、オピニオンリーダーにも潜んでいるのだ。

というわけで、「洗脳」には注意しましょう。

具体的には?

複数の情報源から、データを収集し、比較検討し、矛盾点をあぶりだす。最後に残ったのが真実だ。つまり、肝心なのは、自分で情報を集め、自分の頭で考えること。

でも「自分」が間違っていたら?

あきらめる。

「他人」のせいで失敗するのはあきらめがつかないが、「自分」のせいなら自己責任ですむので。

■暗殺か殺人か

山上容疑者の犯行動機は、私怨とされているが、確定したわけではない。

もし、ジャーナリストが言うように、「民主主義への挑戦」や「言論の自由への攻撃」なら、正真正銘「テロ」である。

テロ(テロリズム)とは、政治的、思想的な意図で暴力行為を行うこと。とくに、要人を殺害することを暗殺という。つまり、安倍晋三・銃撃はテロというより「暗殺」である。

だが、公開された情報は真逆だ。

奈良県警は、事件当日、「安倍元首相の政治信条に対する恨みではなく、特定の宗教団体への恨み」と発表した。その後、宗教団体が旧統一教会であること、具体的な動機も公表している。山上容疑者の母親が、教団に多額な献金をして破産し、家族が崩壊。その教団に安倍元首相が関係していたから、犯行に及んだという。つまり、政治的、思想的な意図はなく、個人的な恨みである。

奈良県警のあわただしい発表に、裏があると勘ぐる向きもあるが、暗殺・テロを裏付ける証拠もない。証拠がある私怨と、証拠が皆無のテロ、どっちを選択するべきか、メディアなら自明だろう。最終的に何が真実かはさておき。

TVの暴走は続く。

ある番組でコメンテーターが、五・一五事件と二・二六事件に言及したのだ。前者は、1932年、海軍の急進派青年将校がおこしたクーデター未遂事件。後者は、1936年、皇道派青年将校が起こしたクーデター未遂事件である。つまり、テロどころか、国家転覆を目論んだ軍事クーデターなのだ。個人的な恨み・自作銃・単独犯行と、どんな関係があるのだ?

味噌も糞も一緒、どころではない。

じつは、今回の事件には、陰謀説がある。山上容疑者は、利用されただけで、黒幕は他にいるという説。さらに、ケネディ大統領暗殺事件のように、他にスナイパーがいたという説。ありがちな陰謀論だが、安倍元首相が死んで利する人もいるから、可能性はゼロではない。だが、安倍晋三・銃撃事件を軍事クーデターに結びつける根拠は1ミリもない。陰謀論を飛び越えて、妄想だろう。

これが日本のマスメディア、ジャーナリスト?

人間は「承認欲求」をもつ動物だ。だから、私怨による犯罪を、政治や思想に結びつけ、自分の得意分野にもちこみ、出番を増やしたいのだろう。たしかに、表舞台は気持ちがいい、たとえ、入るのが裏口でも。

■ずさんな警護

「君を信じて、命を預ける」

「あなたの盾になって、命を守ります」

これが警護する側とされる側の暗黙の了解だ。ところが、今回はそんな思いは微塵も感じられない。それどころか、ほぼノーガードだ。

今回の警護は、警視庁のSP1人と奈良県警の警官3人で行っている。SPとは、セキュリティポリスの略称で、警視庁警備部警護課で、要人警護に専従する警察官だ。つまり、警護のプロ中のプロ。

ところが、警護の配置からしておかしい。

安倍元首相を、4人の警護官が囲んでいるが、3人が安倍氏の前方に集中している。犯人はどこから来るかわからないから、全方向を守るべきでは?

警護経験者はこう主張する。

「安倍元首相の後ろがガラ空き。前方と後方で360度守るのが基本。しかも、今回は360度行き来できる場所なので、真後ろを守っている人がいないのは理解できない」

プロが理解できないプロ?

さらに、警護官のリアクションもおかしい。

銃撃を再現してみよう。

山上容疑者は、安倍元首相に向かってゆっくり近づき、カバンから自作銃を取り出し、悠然と照準をあわせて、1発目を発射する。この間、9.1秒もあり、周囲はガラガラで、容疑者は丸見え。ところが、止める者が一人もいない。守るべき警護官も突っ立ったまま、何もしない。信じがたい光景だ。台車を押す男に気を取られて気づかなかったという話もあるが、プロの警護官なら言わない方がいいだろう。

さらに、1発目の爆発音が聞こえても、警護官は盾になることも、覆い被さることもない。2.6秒後、2発目の爆音が轟いて、初めて防弾バッグを開いている。時すでに遅し、弾丸が安倍元首相に命中した後だ。もし、警護官が1発目の爆音で対応していたら、安倍元首相の命は助かっただろう。1発目は外れ、2発目が安倍元首相に命中し、致命傷となったことは周知だからだ。

警護経験者いわく「SPは大きな音がしたら、すぐに警護対象の盾になるか、覆いかぶさり、台から引きずりおろすのが、警護の基本中の基本」

要人警護のプロが、基本中の基本を怠った結果、1国の元首相が命を落としたのだ。酷い話である。

真剣味が足りない?

たぶん、そうなのだろうが、要人警護ならシャレにも皮肉にもならない。

■安倍晋三・銃撃事件は国辱か

警備会社で働く知人が、こんな話をしていた。

夏場、プールの監視をしていると、問題をおこす人がいる。まれに暴力沙汰に発展するので、問題が発生する前に対処しているという。不審者は目つきと挙動でわかるので、さりげなく近づき「何かお困りですか」と声掛けする。それが抑止になるという。彼はガードマンで、プロのSPではない。そんな彼が「あの警備はありえない」と呆れていた。

今回の事件で、警護には個体差があることが判明した。安倍元首相は、奈良の前に岡山で街頭演説をしている。そのとき、山上容疑者は警護にスキがないので銃撃を断念したという。岡山県警が特別なのではなく、それがプロと考えるべきだろう。

今回の警護ミスは取り返しがつかない。元首相で、最大派閥を率いる政治家が射殺されたのだ。日本の歴史が変わった可能性もある。しかも、ありえないほど初歩的なミスで。

だが、反論もあるだろう。

たった1回のミスで厳しすぎる。要人警護はシビアな仕事だ。当事者じゃないから、そんな正論が言えるんだ・・・

だが、サラリーマンでもシビアな仕事はいくらでもある。

たとえば、コンピュータセキュリティ。外部からの不正侵入をブロックするため、万全の体制を敷いている。それでも、突破されることがある。そして、ここが肝心、1000回防衛に成功しても、1回失敗したら、1000回の成功は無に帰す。データを盗む、改ざんする、システムを破壊するには、1回の侵入で十分だから。

要人警護も同じだ。1000回警護に成功しても、1回失敗したら、要人は死ぬ。そのとき、1000回の成功を誇れるだろうか?

おかしなことはまだある。

今回の銃撃事件で、自民党と旧統一教会のズブズブの関係が明らかになった。そのため、当初、安倍元首相に同情的だった世論が一変、警護責任を問う声は消滅した。

でも、これはおかしい。

政治と警護は別の話ではないか。

昭和一桁生まれの母が、今回の事件は国辱だと憤慨していた。1国の元首相が、あんなずさんな警護で殺されたから、国の恥だと。辞任ではすまない、昔なら切腹もんだと言う。これが、凄惨な太平洋戦争を生き抜いた世代の感覚なのだろう。もちろん、1億総平和ボケの今の日本にそんな気概はない。

「君を信じて、命を預ける」

「あなたの盾になって、命を守ります」

日本では妄想である。

《つづく》

by R.B

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