明智光秀(7)~本能寺の変 原因説50 総選挙~
■本能寺の変原因説50総選挙
2020年6月2日、オンラインイベント「本能寺の変原因説50・総選挙」の結果が発表された。
なぜ本能寺の変がおきたか?をみんなで投票する楽しい企画。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が放映中のこともあり、投票数は3万5359票に達した。さすが、日本史最大のミステリー、日本人の関心は高い。
結果は・・・
1位:暴君討伐説(信長の非道を止めるため)
2位:羽柴秀吉黒幕説(真犯人は秀吉だった)
3位:怨恨説(信長のパワハラを逆恨みして)
4位:野望説(光秀の一番の望みは天下取り)
ここまでは想定内だが・・・
9位:突発説
衝動的に本能寺の変!?
一見、荒唐無稽にみえるが、そもそも、本能寺の変はミッション・インポッシブル(実行不可能)。冷静で計算高い人物(明智光秀)が決行するには「衝動性」が欠かせない。だから、当たらずとも遠からず。
一方、最終的に謀反は失敗したが、信長父子(織田信長と嫡男の信忠)を討つことには成功している。そこまで行くには「衝動性」だけではムリ。強固な意志(謀反→天下取り)と用意周到さ、つまり「計画性」が必要だ。というわけで、「野望説」も有望。
でも、これはおかしい。
計画性と衝動性は相矛盾する特質だから。
では、光秀はどうやったのか?
たぶん、光秀は「サイコパス・スイッチ」の保持者だったのだ。「計画性/衝動性」切り替えスイッチで、状況にあわせON/OFF。平時はサイコパスOFFで、ギバー(与える者)をよそおい、大きな利害がからむ局面では、サイコパスONで、テイカー(奪う者)に変身する。
米エモリー大学の研究によれば、歴代のアメリカ合衆国大統領にはこの傾向が強いという。とくに「恐れ知らずの衝動性」が顕著で、自由に制御できるというのだ。英雄か悪魔か?「大業をなす」と「サイコパス・スイッチ」には強い相関関係がありそうだ。
というわけで、本能寺の変の原因を明智光秀の本性「サイコパス・スイッチ」におくのは、自然で、合理性がある。「本能寺の変原因説50・総選挙」に準じれば、「野望説+突発説」?
■ユダの裏切り
日本で裏切り者の代名詞といえば明智光秀。一方、欧米では(イスカリオテの)ユダの一択だろう。じつは、この2人、裏切りのプロセスが酷似している。
初め、主人に心酔していたこと。その後、主人の言動に失望し、裏切ったこと。最終的に、主人も自分も凄惨な最期をとげたこと。
まず、ユダからみていこう。
(マグダラの)マリアが、イエスの足に香油を塗っていたときのこと。その香油は純粋なナルドで、とても高価だった。そこで、会計係のユダはマリアをとがめる。
「もったいない。町で売れば、貧しい者にほどこせるのに」
すると、イエスはユダをたしなめる。
「私に良いことをしてくれたのに、なぜ(マリアを)困らせる。するままにさせておきなさい」
ユダは折れない。
「貧しい者に施したほうがよいかと」
イエスは語気を強める。
「貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいる。しかし私は違う。」
まるで禅問答だが、ユダは納得しない。このとき、初めてイエスに対する不信感が芽生えたという。イエスは、本当に自分が従うべきメシアなのか?
そして、ユダのイエス不信を決定づける事件がおきる。
イエスと弟子たちは、ユダヤ教の重要な「過越(すぎこし)の祭」を祝うため、エルサレムに入った。そのとき、イエスはある演出をする。ロバに乗って入城したのだ。これは重要な意味をもつ。というのも、「ゼカリヤ書」にはこう書かれている。
「見よ、あなたの王が来る。おごり高ぶることなく、ロバに乗って」
つまり、イエスは、自分が古代イスラエル王であると宣言したのだ。ユダは違和感を覚えたに違いない。イエスは世界の民を救う救世主であって、世俗の王ではない・・・
そして、イエスがエルサレムの神殿に入ったとき、大事件がおこる。そこには、両替商、物を売る商人、ユダヤ教の祭司が小銭を稼ごうと集まっていた。それを見たイエスは激怒する。神聖な神殿が商売の場と化していたからだ。イエスは商売道具をひっくり返し、破壊し、皆を神殿から追い出した。イエスは殺気立っていた。
ユダは愕然とした。イエスは、司祭、商人、民すべてを敵に回している。自分が信奉していたイエスは、社会の敵、ただの扇動者ではないか?
幻滅したユダは、ユダヤ教大祭司のカイアファの元に行く。カイアファは、イエスを処刑しようともくろんでいた。イエスがユダヤ教の律法を軽んじ、自分を神の子と称したからである。
当時、ユダヤ人が住むパレスティナはローマ帝国の支配下にあった。そのため、民を処刑できるのはローマ帝国のパレスチナ総督のみ。そこで、カイアファはイエスを捕らえ、総督のポンテオ・ピラトに引き渡そうとしていたのだ。
ユダは、カイアファにイエスの居場所を教える約束をし、銀貨30枚を受け取った。ユダは裏切ったのである。
イエスは、ローマ帝国の官憲によって逮捕され、重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘(処刑場)まで歩かされた。そこで待ちうけるのは凄惨な死。このイエスの最期は、メル・ギブソン監督の映画「パッション」によって映像化された。登場する街並み、衣装、人間の表情、すべてが異形。しかも、セリフは当時使われていたアラム語とラテン語。「史実とリアル」にこれほどこだわった映画は観たことがない。
だが、凄惨な最期をとげたのはイエスだけではなかった。新約聖書に、ユダの最期が2つ記されている。マタイ福音書によれば、首を吊って死んだ。使徒言行録によれば、大地に落ちてはらわたが飛び出した・・・
では光秀は?
ユダの運命と酷似している。
■ユダと光秀
初め、光秀は信長の信奉者だった。信長は、固定観念にしばられず、神仏や迷信のたぐいは信じない。そんな革新的で冷徹なリアリズムが最終的勝利(天下統一)に導く、と考えたのだろう。
当時、信長と交流のあったイエズス会宣教師のルイス・フロイスはこう記している。
「信長には、かつて当王国を支配した者にはほとんど見られなかった特別の一事があった。それは、日本の偶像である神と仏に対する祭式と信心をいっさい無視したことである」(※1)
だからこそ、光秀は、天皇につぐ権威者、将軍・足利義昭を見限って、信長に鞍替えしたのである。光秀は、世に出る前、足利義昭に奉公する兵部太輔(ひょうぶのたゆう)に仕えていた。ところが、信長が台頭すると、さっさと信長に鞍替え。裏切り(寝返り)は、本能寺の変に始まったわけではないのだ。
ところが、その後、信長は豹変する。信長自身を神仏に見立てて、人々に礼拝させたのである。
ルイス・フロイスはこう記している。
「彼(信長)を支配していた傲慢さと尊大さは非常なもので、そのため、この不幸にして哀れな人物は、途方もない狂気と盲目に陥り、自らに優る宇宙の主なる造物主は存在しないと述べ、彼の家臣らが明言していたように、彼自身が地上で礼拝されることを望み、彼、すなわち信長以外に礼拝に値する者は誰もいない言うに至った」(※1)
人生前半の胸のすくようなリアリストぶりは、跡形もなく消失している。計算高いリアリストの光秀はガッカリしたことだろう。これが、冒頭の「本能寺の変原因説50・総選挙」の「1位:暴君討伐説」につながるわけだ。ただ、ルイス・フロイスはこの説には一切触れていない。
一方、ルイス・フロイスは「3位:怨恨説」について言及している。
本能寺の変の1ヶ月前、信長は、徳川家康と穴山梅雪(武田家の旧臣)のために饗宴を催すことにした。光秀はその接待役に任じられたが、信長と意見が対立。それを深く恨んで、本能寺の変をおこしたというのだ。日本では有名な説だが、ルイス・フロイスもそれについて触れている。
■怨恨説と野望説
ルイス・フロイスの著書「フロイス日本史」にはこう記されている。
「これらの催し事(饗宴のこと)の準備について、信長はある密室において明智と語っていたが、元来、逆上しやすく、自らの命令に大して反対意見を言われることに堪えられない性質であったので、人々が語るところによれば、彼の好みに合わぬ要件で、明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りをこめ、一度か二度、明智を足蹴にしたという言うことである」(※1)
足蹴・・・織田家の重臣を自負する光秀にしてみれば、自尊心はボロボロ、恨んでもおかしくはない。とはいえ、狡猾で計算高い光秀が、こんなことで、命懸けの大勝負(本能寺の変)に出るとも思えない。じつは、ルイス・フロイスも同じ意見なのだ。彼はこんな補足をしている。
「だが、それは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事だったので、後々まで、民衆の噂に残ることがなかったが、あるいはこのことから明智は何らかの根拠を作ろう欲したのかも知れぬし、あるいは(おそらくこの方がより確実だと思われるが)、その過度の利欲と野心が募りに募り、ついにはそれが天下の主になることを望ませるまでになったのかもわからない。(ともかく)彼はそれを胸中深く秘めながら、企てた陰謀を果たす適当な時期をひたすらうかがっていたのである」(※1)
フロイスはこう言いたいのだ。
饗宴接待事件は、本能寺の変の一因かもしれないが、より可能性が高いのは、明智光秀の野心による計画的犯行。胸中深く秘めながら、企てた陰謀を果たす適当な時期をひたすらうかがっていた・・・つまり「怨恨説」でなく「野望説」。
また、2位の「羽柴秀吉黒幕説」は有名だが、かなりムリがある。エビデンスがなく、推測の域を出ないから。そもそも、黒幕とは下手人を操ること。ところが、下手人の光秀は、切れ者で猜疑心が強い。自分の重臣でさえ信じないのだから。むしろ、操る側のサイコパスなのだ。秀吉も陰険で腹黒いが、光秀を操るほどではない。
というわけで、「本能寺の変原因説50・総選挙」に投票するなら、「暴君討伐説」でも「怨恨説」でもなく、「野望説+突発説」。次回は、ぜひ「サイコパス・スイッチ説」も選択肢にいれてほしい。
参考文献
(※1)完訳フロイス日本史、ルイスフロイス(著),松田毅一(翻訳),川崎桃太(翻訳)中公文庫
by R.B