明智光秀(5)~指導者はサイコパス~
■受刑者と指導者
もし、明智光秀が「サイコパス」なら、その上位の精神病質「ダークコア」も間違いない。
ダークコアは、人間の心に潜む悪の原理で、9つの「闇の因子」からなる。そのうち8つを、明智光秀が保持していたことは、歴史書「フロイス日本史」で確認できる。残り1つのピース「サイコパシー」が埋まれば、明智光秀の「ダークコア」ジグソーパズルは完成する。
サイコパシーとは「無神経」、「反社会的」、「衝動的」の精神病質で、その保持者をサイコパスとよんでいる。映画やドラマでよくあるセリフ「このサイコ野郎!」はコレ。
では、明智光秀はサイコパスだったのか?
フロイス日本史のどこを読んでも、そんな形跡はない。少なくとも、本能寺の変の直前までは。
むしろ、明智光秀は「無神経」どころか、気配りの達人だった。主人の織田信長に取り入り、丹波、丹後2ヶ国と、比叡山延磨寺の全収入を与えられた。織田の家臣の中では、ダントツの大出世である。猜疑心の強い信長が、完全に騙されたわけだ(最後に寝首をかかれたので)。
さらに、明智光秀は、領国の丹波・丹後に善政を敷いているので、「反社会的」ではない。そして、何をするにも、計画的で、ソツがない。信長から与えられる無理難題も、ことごとく成し遂げる。こんな離れ業、「衝動的」では絶対ムリ。
そもそも、主(あるじ)の織田信長は、「気配り・秩序・計画性」を好む。その真逆の「無神経・反社会的・衝動的」で出世できるわけがない。
では、明智光秀はサイコパスではなかった?
話は、そうカンタンではない。人間の心理は複雑なのだ。
サイコパス研究の第一人者、犯罪心理学者ロバート・D・ヘアはこう言っている。
「すべてのサイコパスが刑務所にいるわけではない。一部は取締役会にもいる」
サイコパスには、受刑者と指導者がいると言っているのだ。
そういえば、明智光秀は織田株式会社の取締役。
では、光秀は指導者型のサイコパスだった!?
■サイコパス・スペクトラム
サイコパスの一番の特徴は「共感能力の欠落」と言われる。他者に共感できないから、無神経で、反社会的で、人に嫌われるわけだ。
では、そんな人間が、どうやって指導者になれるのか?
もし、一切共感できないなら、指導者はムリ。気持ちの通じない、どこの遊星から来たかわからない異種の生命体に、誰も従わないから。
でも、心の中に「共感スイッチ」を隠し持っていたら?
共感した方が得なときだけ、スイッチオン、人に共感できるスグレモノ。偽装ではなく、完全に切り替えるのがミソだ。偽装では、長期間、万人を騙すのはムリだから。
恐ろしい能力にみえるが、じつは大したことはない。役者も、舞台にあがれば、本気で泣き笑いできるではないか。
つまりこいうこと。
サイコパシーは、0か1のデジタルではなく、一定の幅「スペクトラム」がある。そこで、症状が軽いサイコパスを「サイコパス・スペクトラム」とよんでいる。
とはいえ、「共感」だけでは指導者になれない。人にあわせ、いつも「そうそう、そうだよねー」では、ただのお調子者、誰も担いでくれない。指導者とは、組織を束ねて、成功に導く人間なのだ。
では、指導者の条件とは?
知能、執念、覚悟。
これが、これまでの波乱万丈のサラリーマン人生「大企業→中小企業→中堅企業→ベンチャー」で学んだこと。
まずは「知能」。問題解決に欠かせない知的能力だが、「学歴」とは一致しない(多少の相関関係はある)。学歴偏差値は、あくまで読み書きろばんで、読解力と計算力しか測れない。複数のドメインがからむ、複雑で、未知の問題には歯が立たないのだ。
つぎに「執念」。困難で、誰もがムリと思うことを成し遂げるのだから、「何が何でも・・・」がないとムリ。
そして「覚悟」。何かあったら、すべて自分が責任をとるから、みんなついてきくれ・・・がないと、リーダーとして信用されない。集団と「信頼関係」が築けないトップリーダーは、ただの裸の王様だ。
そのわかりやすい例が、今の政権だろう。
新型コロナ対策で、政府の評判がすこぶる悪いのだ。すべて、後手後手で、中にはあっと驚く的外れな対策も。だが、一番の理由は、政権に「覚悟」がないこと。かくがくしかじかの理由で、こうすることに決めました。責任はすべて自分がとるので、みなさん、従って下さい、が全く感じられないのだ。
ダラダラ現状を説明して、ろくな根拠も示さず、こうしますので、協力してください。質疑応答も歯切れが悪い。「確認された感染者数に比べ、実際の感染者数がどれだけ多いか」と問われ「10倍か、15倍か、20倍か誰も分からない(コロナのことはコロナに聞いてくれ)」とまるで他人ごと・・・責任を取る覚悟がある人間は、こんな言い方はしない。トップリーダー失格だろう。
その真逆が、大阪府の吉村知事と北海道の鈴木知事だ。二次元のTV画面でも、「覚悟」がビンビン伝わってくる。そのせいか、新型コロナを封じ込めたわけでもないのに、評価はすこぶる高い。
■恐れ知らずの支配性
話をサイコパスにもどそう。
共感スイッチは、指導者の必要条件だが、十分条件ではない。では、サイコパシー特性の中に、指導者に適する因子はあるのだろうか。
米エモリー大学の研究によると、歴代のアメリカ合衆国大統領にはサイコパシーの傾向が強いという。中でも、サイコパシーの因子「恐れ知らずの支配性」が、一般人よりかなり高いというのだ。しかも、その多くが、大きな功績を残しているという。
では、「恐れ知らずの支配性」が指導者の適性因子?
国のトップリーダーは、前例のない難しい決断を迫られる。しかも、その影響力は計り知れない。場合によっては、世界の歴史を変えることもあるのだ。
その象徴的な歴史事件が、1945年の原爆投下だろう。歴史上初めて、核兵器が使用されたのだ。
この事件にからむ米国のトップリーダーは3人いた。米国大統領のハリー・S・トルーマン、原爆製造プロジェクト「マンハッタン計画」の最高責任者レズリー・リチャード・グローヴス准将、科学責任者のロバート・オッペンハイマー博士だ。
グローヴス准将とオッペンハイマー博士は、(せっかく作ったのだから)使いたいと主張。一方、トルーマン大統領は、早く日本を降伏させる目的で、使った方がいいと考えた。もたもたしていると、ソ連が日本に侵攻し、領有権を主張するに違いない。日本列島を共産主義の防波堤にしたいトルーマンにとって悪夢だ。
そんな経緯で、1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下された。結果、広島と長崎は完全に破壊され、35万人の命が奪われた。
ところが、第3の原爆の計画があったのだ。投下する時期は、1945年8月17日~8月31日、ターゲットは「東京」または「新潟」。グローヴス准将は使いたくてウズウズしていた。米国首脳に対し、再三使用許可を求めた記録が残っている。
一方、日本の指導部も、無条件降伏は論外。徹底交戦(本土決戦)に傾いていた。このままでは、第3の原爆が東京か新潟に投下される。ところが、天皇の一声で、降伏が決まり、第3の原爆投下が回避されたのだ。
つまり、この歴史に関わったトップリーダーで、「計画性」で決断したのは、昭和天皇とトルーマン大統領だけだった。あとは、後先考えない「衝動性」で行動したのだ。
ちなみに、この第3の原爆投下を題材にした日本映画がある。2005年に公開された「ローレライ」だ。超兵器を搭載した潜水艦「伊507」が原爆投下を阻止するというストーリーで、なかなか面白い(原作は福井晴敏の「終戦のローレライ」)。
■衝動/計画スイッチ
当初、原爆投下派だったオッペンハイマーは、その後、心変わりする。自責の念にかられ、胸の内を公の場で表明し始めたのだ。
「我々が作りだしたものは、きわめて恐るべき兵器です。我々が育った世界のいかなる基準に照らしても、邪悪な存在です。あれは、侵略者のための兵器です」
1945年10月、オッペンハイマーはトルーマン大統領と初めて対面した。
そのとき、オッペンハイマーはトルーマンにこう言ったという。
「大統領閣下、私の手が、血で汚れている気がするのです」
トルーマンは胸ポケットのハンカチをとりだして、こう答えた。
「じゃあ、これで手をふくかね。心配するな。我々が何か手立てを考えるから。パターソン長官、博士を外まで送ってくれたまえ」
その後、トルーマンはこう言い放ったという。
「あの野郎を、二度とこのオフィスに入れるな!」(※1)
トルーマンもギリギリの決断だったのだ。オッペンハイマーの手が血で汚れているなら、自分は頭のてっぺんから足のつま先まで血まみれ・・・そんなこと、お前に言われたくない!
もし、良識ある人間なら、原爆投下の決定はできなかっただろう。一瞬で、何の罪もない民間人を何十万人も殺すのだ。少なくとも、自分の命令ではやりたくない。それでも、トルーマンは決断した。米国軍の最高司令官として、米国の兵士を救い、日本がソ連に併合され、共産化しないために、数十万人の日本人を切り捨てたのだ。
つまり、指導者には、冷酷な決断にひるまない、恐れ知らずの無謀さ、衝動性が欠かせない。故事「虎穴に入らずんば虎子を得ず」はこのことなのだ。
とはいえ、すべてが万事、反社会的・衝動的なら、刑務所行き。取締役会に入るには、計画性と衝動性の両方が必要だ。
たとえば、本能寺の変。「計画性」がないと、あんな大それた謀反は企てられない。一方、勝算は無いも同然なので「衝動性」がないと踏み切れない。
つまり、明智光秀は「計画/衝動スイッチ」をもつ指導者型のサイコパスだった?
ということで、明智光秀の「計画/衝動スイッチ」を「フロイス日本史」で探してみよう。もし、確認できたら、光秀はサイコパスで、ダークコアも証明される。さらに、ありえない本能寺の変も説明がつく。
参考文献:
(※1)私は世界の破壊者となった、原子爆弾の開発と投下、ジョナサン・フェッター・ヴォーム(著),澤田哲生(監修),内田昌之(翻訳)出版社:イースト・プレス
(※2)原子爆弾の誕生リチャード・ローズ(著),Richard Rhodes(原著),神沼二真(翻訳),渋谷泰一(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
(※3)完訳フロイス日本史ルイスフロイス(著),松田毅一(翻訳),川崎桃太(翻訳)中公文庫
by R.B