年金2000万円問題~老後の不安と誤解~
■老後の不安
「年金2000万円問題」が物議をかもしている。いまだ収束する気配はなく、歴史にその名を刻む勢いだ。
ことの発端は、金融庁の報告書。老後、年金だけでは「2000万円」不足するというのだ。
年金の保険料、ちゃんと払ってるのに、もらう段になったら、満足にもらえない?
どういうこっちゃ?
「2000万円」、そんな金どこにある。政府は責任を放棄するのか!
などなど、批判が巻き起こった。政府も想定外だったのだろう。麻生・金融担当大臣は、国民に「誤解と不安」を与えたとして、報告書の受理を拒否。異例の事態となった。
でも・・・冷静に考えれば、おかしな話だ。情報の発信側に瑕疵(かし)はないから。金融庁の計算に間違いはないし、麻生大臣もウソは言っていない。
ではなぜ、こんな大騒動に?
発信側ではなく、受信側に問題があったから。
「年金」とくれば「老後」。歳をとれば、体力と知力が衰え、誰でも不安になる。それを増幅するのが外的環境だ。サラリーマンなら、55歳で役職定年、60歳で定年になり、運が良ければ再雇用(ただしアルバイト待遇)。そして、65歳になれば、会社を去る。これが、一般的なサラリーマンの一生だ。つまり、老後とは、定収入と社会とのつながりを絶たれ、貧乏と孤独の「下り坂」人生。
だから、「年金」と聞けば「老後→不安」が想起され、疑心悪鬼が生まれる。
たとえば、2000万円「不足」ではなく、2000万円「プラス」でも、不安を覚えるだろう。「ウソだ、年金で資産が増えるわけがない」というわけだ。日本は悲観主義者が多い。世界第3位の経済大国で、年金制度があり、世界一清潔で、犯罪も少ない。それでも、日本人は自国をディスる。一方、イタリアは財政危機が叫ばれるのに、消費が旺盛で、みんな楽しく暮らしている。まさに陰と陽だ。
というわけで、「年金問題」には、「不安」バイアスがかかっている。だから、誰が情報発信しようが「不安」は避けられない。金融庁の報告書が悪いわけではないのだ。
さらに、「誤解」も金融庁のせいではない。金融庁の報告書は、すべて裏を取り、緻密で理路整然、一分のスキもない。しかも、わかりやすい。非の打ちどころのない報告書だ。今回の報告書の正式タイトルは、「高齢社会における資産形成・管理」。お役所らしい、味も素っ気もないタイトルだが、内容は秀逸だ。これで、ケチがつくのなら、たとえ、神が書いても非難されるだろう。
でも、こんな反論があるかもしれない。
報告書が悪いのではなく、書かれている「事実」が問題なのだ。
事実?
老後、年金だけでは2000万円不足するってこと?
ちょっと待った。そんな紋切型の文言、報告書のどこにも書かれていませんよ!
■老後の誤解
金融庁の報告書にこんな記述がある。
「夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では、毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になる。この金額はあくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合もありうる・・・」
これをまとめたら、「老後、年金だけでは2000万円不足する」?
トビウオが水上を滑空するのをみて、おい、魚はみんな空を飛ぶぞ!と言っているようなもの。恐ろしい話だ。
似たような話は、前にもあった。このときの仕掛け人は、奇しくも、今回と同じ麻生大臣。2016年6月、麻生大臣が北海道小樽市で講演したときのこと。次の文言がやり玉にあがったのだ。
「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人が、こないだテレビに出てた。オイいつまで生きてるつもりだよと思いながら見てました」
さっそく、野党の党首から批判の声があがった。
「国は高齢者の不安に応えなければならない。私は非常に怒っている」
「人間の尊厳をどう考えているのか。血も涙もない」
怒って、どうなるの。血も涙もないって、何についた話?
「分析」より「主張」、「方針」より「宣言」、政治家らしい文言だ。何の解決にもならないけど。
そもそも、この問題、根本が間違っている。麻生大臣のこの発言には、「前」があるのだ。
「思ったより伸びなかったのは、個人の消費です。間違いなく1700兆円を超す個人金融資産がある。すさまじいお金。そのお金が消費に回らない。金なんてね、あれ見るもんじゃねえんだ。触るもんでもねえ。あれは使うもんだから。金ってのは、ない時はためるのが目的になるさ。しかしあったら、その金は使わなきゃ何の意味もない。金ってそういうものだ。さらにためてどうするんです」
その後に続いたのが「90歳になって老後が心配とか、訳のわかんない言っている人が・・・」だったのだ。
麻生大臣、強面なのに、至極真っ当なことを言ってますよね(顔は関係ない)。彼が言いたかったのは、「おカネは生きているうちに使わないと意味がない。だから、お金のある人は使ってください。でないと、経済が回りません」であって、「いつまで生きるつもりだ!」ではないのだ。
つまりこういうこと。
文脈を無視して、都合のいいコトバを切り取れば、文意を捏造することができる。今回の金融庁の報告書もしかり。はじめに結論ありきの「煽り」を感じる。ネタが欲しいマスコミ、与党の足を引っ張る野党の格好の素材になったのだろう。
冷静に考えてみよう。
金融庁の報告書で重要なのは、「誤解と不安」を与えたかではなく、「老後を生きる指針」を与えたかどうか。
では、金融庁の報告書は?
最良の指針と言っていいだろう。
とはいえ、「役所も役人も好かん」はわからないでもない。万国共通の民意だから。だが、ここは問題解決に集中すべきだろう。ことは、不毛の政治談義ではなく、自分のリアルな老後なのだから。
■日本の年金制度
日本人の老後は、世界的にみれば恵まれている。とはいえ、個人差が大きい。早い話、老後いくら持っているか?
資産が十分なら「年金問題」は存在しない。逆に、不十分なら、年金に頼るしかないだろう。
働けばいいじゃん、いざとなれば何もでやるぞ。
ノーノー、いつまでも働けるわけではありません。
日本人の平均寿命は女性が87歳、男性が81歳(2018年)。ところが、「健康寿命」は女性が75歳、男性が72歳。つまり、平均で9~12年、働けない老後があるのだ。この期間は、年金に頼るしかない。
ところが、年金は銀の弾丸ではない。老後を完全に保証する制度ではないのだ。そもそも、人間が作ったものに「完全」はない。義務を果たせば、権利が保証されるわけではないのだ。この世界はエデンの園ではないのだから。
福祉国家のお手本されるスウェーデンも事情は変わらない。年金額は納めた保険料に連動する。つまり、現役時代に高所得だった人は受給額が多く、低所得だった人は少ない。物価を考慮すれば、ギリギリの生活だろう。「万人が安心」にはほど遠いのだ。しかも、日本同様、財源不足に直面している。というわけで、「100年安心の社会保障」は、絵に描いた餅、ファンタージのたぐいだろう。
ここで、日本の年金制度をおさらいしよう。
公的年金には、「国民年金」と「厚生年金」がある。
「国民年金」は、日本に住む20歳以上60歳未満のすべての人が加入する。対象者が多く、年金のベースになるので、「基礎年金」ともよばれる。一方、厚生年金は、会社員、国家公務員、地方公務員が加入する。つまり、社会的身分によって、加入する年金が異なるわけだ。具体的にみてみよう。
(1)第1号被保険者:自営業者・学生・無職(国民年金のみ)
(2)第2号被保険者:会社員・公務員(国民年金+厚生年金)
(3)第3号被保険者:専業主婦(国民年金のみ)
いつまでも、学生・無職という人は少ないだろうから、加入対象者は、最終的に自営業者、会社員、公務員、専業主婦に帰着する。自営業者は国民年金だけなので、納付する保険料は少ないが、受給する年金も少ない。一方、会社員・公務員は、国民年金と厚生年金の2階建てなので、納付する保険料も受給する年金も多くなる。
特殊なのが専業主婦だ。保険料を納付しなくても、年金はもらえる(国民年金)。会社員や公務員の夫が、一括して納付しているからだ。
つぎに、保険料と受給額。
国民年金は、保険料も受給額も定額。月額約1万6000円納付し、65歳以降、月額約5万5000円給付される(2019年)。
一方、厚生年金の保険料は定率で、給与の約18%。ただし、上限がある。給与が約60万円(標準報酬月額62万円)を超えると、保険料は頭打ちになる(2019年)。
それしても、給与の約18%って高くないですか?
大丈夫、雇用主(会社員なら会社)が半分払ってくれるから。つまり、本人の負担は9%。じゃあ、自営業者より会社員・公務員の方が得?
それがビミョー。
自営業者(フリーランスを含む)は、国民年金だけなので、老後は数万円しかもらえない。年金だけで生活するのはムリ。ただし、定年がないので、死ぬまで働ける。また、節税につとめ、一生懸命働けば、蓄えも増えるだろう。
一方、会社員・公務員は「国民年金+厚生年金」なので、自営業者の約3~6倍の年金がもらえる。しかも、保険料は、雇用主が半分負担してくれる。「サラリーマンは社畜」という自虐ネタもあるが、メリットも多いのだ。ただし、デメリットもある。不発なしの時限爆弾「定年」があること。高給取り(標準報酬月額62万円超)は、保険料が月額5万円を超えること。
■年金制度は破綻するか
最近、「年金制度は破綻する」をよく聞く。中には「すでに破綻している」という過激な意見も。政府は「年金は100年安心」と言っているのに、なぜか?
日本の年金制度が「賦課方式」だから。この方式は、現役世代から徴収した保険料を、そのまま高齢者の年金として給付する。保険料を積み立てて、それを老後に受け取るわけではないのだ。管理する方は楽だが、一つ問題がある。人口動態が変化したとき、帳尻があわなくなるのだ。
もし、「現役世代<引退世代」なら「徴収額<給付額」となり、年金制度は破綻する。今後、少子高齢化はすすむから、確実におきるのでは?
現在の状況をみてみよう。徴収する保険料は年間約36兆円、給付する年金は年間約51兆円。つまり、年間15兆円の大赤字。すでに、破綻している!?
でも、年金制度はまだ続いているし、一体どうなっている?
税金から12兆円、残りを運用益で補塡しているのだ。
運用益?
保険料の積み立て金を株や債券に投資している。運用しているのは、厚生労働省の所管の「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」。ただし、実際のオペレーションは金融のプロがやる。
投資の内訳は以下のとおり。
国内債券:38%
国内株式:23%
外国債券:14%
外国株式:23%
この資産比率をみると、投資スタイルはかなり攻撃的だ。株式が半分近くを占めるから。また、外国資産の比率も高い。今後、円安ドル高に進むから、それに備えているのだろう。というわけで、GPIFはガチで資産(保険料の積立金)を増やそうとしている。
裏を返せば、それだけ「年金制度」が不安ってこと?
そういうこと。ただし、年金制度は破綻しない。徴収する保険料を増やして、給付額を減らせばいいのだから。事実、人口動態に合わせて給付額を減らす「マクロ経済スライド制」は、すでに始まっている。
つまりこういうこと。
日本が滅びない限り、年金制度は破綻しない。ただし、老後は年金でOKという意味ではない。保険料を徴収し、年金を給付する制度は続く、という意味。現実には、保険料は増え続け、受給額は減っていくだろう。資産がある人は、それでも生きていけるが、年金頼みの人は、いつか行き詰まる。
というわけで、政府はこう言いたいのだ。
年金制度は破綻しない。でも、老後が破綻するかは、その人次第。だから、自助しなさい、と警告しているのだ。それが、今回の金融庁の報告書が伝えたいこと。それを「政府は無責任」で切り捨てるか、それを参考に老後に備えるか、それも人それぞれなのだ。
by R.B