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週刊スモールトーク (第428話) 不老不死~霊薬と新造人間~

カテゴリ : 娯楽科学

2019.08.11

不老不死~霊薬と新造人間~

■不老不死

遠い昔、ゲーム事業を始めた頃、偶然、トイレで社長とはちあわせした。

社長は創業者でオーナーで立志伝中の人物、目も合わせられない。軽く会釈して、唾を飲み込むと、短いコトバが飛んできた。

「どうだ、新規事業の方は?」

キタッ。経営トップにクドクド説明してもしかたがないので、

「絶対成功させます!」

と即答すると、意外なコトバが返ってきた。

「絶対という言葉を使うな。人間が死ぬこと以外に、絶対はない」

ソコ?

口調は穏やかだったが、目は真剣だった。

その11年後、大臣や知事が参列する壮大な社葬が執り行われた。社長は言葉どおり、死んだのである。遺影を前にして、初めて「死」を実感した。それまで、「死」はテキストであって、現実ではなかったのだ。

人間は不老不死に憧れる。寿命に限りがあるから。ギネスが認定する世界最高齢記録は122歳。現在の世界最高齢が116歳。古代シュメールのギルガメッシュ王は在位期間126年(寿命はもっと長い)。「ギルガメシュ叙事詩」によれば、ギルガメシュは1/3が人間、2/3が神だから。

さては想像上の人物?

ノー、ギルガメシュは実在した王である。在位126年はさておき。

まず、シュメール初期王朝時代の重要な史料「シュメール王名表(シュメール王朝表)」に「ギルガメッシュ」の名がある。さらに、「ギルガメシュ叙事詩」は荒唐無稽にみえるが、史実がベースになっている。

ギルガメシュ叙事詩は人類最古の物語だが、複数のバージョンが存在する。一番古いのは、本家本元シュメール人の「シュメール語版」。

さらに、「ニネベ版」、「アッシリア語版」、「アッカド語版」があるが、この3つは同じもの。ジョージ・スミスが発見した書版で、呼び方が違うだけ。「ニネベ版」は発掘場所(ニネベ)、「アッシリア語版」は直接言語(アッシリア語)、「アッカド語版」は元祖言語(アッカド語)にちなむ。一見ややこしいが、この3つのキーワードで読み解くと、メソポタミアの歴史が鮮明になる。

■ギルガメシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩は、英雄の勇ましい冒険譚ではない。悩める人間の哲学の旅だ(ギルガメシュは1/3が人間)。

ギルガメシュはウルクの王だが、2/3が神なので、人間の心がわからない。そのため、住民を酷使するばかり。民に愛されず、心を開く友もいない。やっと得た親友エンキドゥも、女神イシュタールの陰謀で命を落とす。悲嘆にくれたギルガメシュは「死」を呪うのだった。

「死がわたしからエンキドゥを奪った!死こそ滅ぼすべきものだ!死に打ち勝つ方法を見つけるのだ!」

こうして、ギルガメシュは「永遠の命」を求める旅にでる。それを見守る太陽神はギルガメシュにヒントを与える。

「永遠の命の秘密を知る者は、ウトナピシュティムただ一人」

ギルガメシュが過酷な砂漠を抜けると、そこに美しい女性がいた。彼女は言う。

「ウトナピシュティムは、死の海に守られた島に住んでいます」

ギルガメシュは死の海を渡った。そして、ついにウトナピシュティムと対面する。ウトナピシュティムはギルガメシュをたしなめがら、不思議な話をする。

「わたしがシュルッパクの王だった頃、民は堕落した。それをみた神は怒り、大洪水をおこし、すべてを滅ぼすことにした。わたしは神のお告げにしたがい、大きな舟をつくり、家族とあらゆる種類の動物と植物をつめこんだ。すぐに嵐がやってきた。6日と7晩、雨が降り続き、地は水におおわれた・・・」

これは旧約聖書の「ノアの方舟」ではない。ギルガメシュ叙事詩の中の「ウトナピシュティムの洪水伝説」。話の内容が酷似しているが、真似たのはノアの洪水の方。ウトナピシュティムの洪水伝説の方が成立が古いから。

しかも、ウトナピシュティムの伝説に出てくるシュルッパクは実在した都市だ。先の「シュメール王名表」が出土したのもシュルッパク。その王名表によれば、大洪水の後に、シュメールにウルク第1王朝が興り、その第5代王にギルガメシュが就いたという。さらに、その洪水跡も確認されているから、ギルガメシュ叙事詩はただの作り話ではない。

ギルガメシュ叙事詩の文体は、音楽を奏でるように美しい。物語は波乱万丈で、テーマは深淵な「不老不死」。われわれは、シュメール人からみれば、5000年後の未来人だが、彼らに知性で勝ると言えるだろうか。

一方、アジアにも不老不死伝説がある。

たとえば、徐福伝説。怪しい修行者、徐福が、秦の始皇帝に取り入り、「東方に不老不死の薬がある」と具申した。真に受けた始皇帝は、徐福に3000人の従者を与え、旅立たせた。ところが、徐福は二度と帰らなかった。

では、徐福はどこに消えたのだろう?

日本に渡ったという説がある。佐賀県の山中に「フロフキ」という植物が自生するが、「フロフシ(不老不死)」がなまったのだという。このような徐福と不老不死の伝承は、日本各地に散見される。

ところが真偽を確認するすべはない。この時代、日本はまだ文字がなかったから。

では中国の書は?

卑弥呼の邪馬台国」を明らかにしたのも中国の書だから。

正史「三国志」は、魏書・蜀書・呉書の3書からなる。その一つ、魏書に「東夷伝」という巻があり、その中に「邪馬壹国(邪馬台国のこと)」の記述があるのだ。日本では「魏志倭人伝」とよばれ、古代日本を知る重要な史料になっている。

ただし、中国の書に初めて登場する「倭(日本)」は邪馬台国ではない。最初の記録は紀元前107年で、邪馬台国の300年前。それによると、倭は100余国からなり、中国王朝に定期的に朝貢していたという。ところが、「徐福の不老不死」エピソードはその100年前の紀元前210年頃。中国の書は期待できそうもない。

■新造人間

秦の始皇帝は、中国史上初の統一王朝を開いた。封建制から中央集権へのパラダイムシフトだ。統治システムの革命といっていいだろう。聡明でリアリストの始皇帝ならではだが、そんな傑物でさえ「死」を恐れた。怪しい修行者に、まんまとだまされたのだから。

人間の「不老不死」への願望はかくも強い。それはエンターテインメントの世界にも反映されている。

たとえば、小説「フランケンシュタイン」。死体からパーツ取りし、つなぎ合わせて、人間を新造する。原理まで明かされているのが凄い。人間は死ぬと、肉体は徐々に朽ちていく。その過程を研究し、その逆を正確にたどれば、生き返る、というわけだ。具体的にどうたどるかは不明だが。

それにしても、こんな怖い小説を書いたのは誰?

本物のマッドサイエンティスト?

ノー、20歳のうら若き女性、メアリー・シェリー。こっちの方がよっぽどコワイ。

一方、「死」を凛として受け入れた人もいる。数学者ラグランジュもその一人だ。彼は死におよんで、こんな言葉をのこしている。

「死は恐るべきものではない。私は死を欲しているし、死が愉快なものであることを感じている。私は自分の生涯を生ききったのだ。だから、安じて死んでゆけるだろう」

なんだか理屈っぽいのは、迷いがあるから?

それでも、死を達観している。ラグランジュはフランス革命時代の大数学者で、「解析学」に大きな貢献をした。実績と名声を得て、皇帝ナポレオンの覚えもめでたかった。だから、こんな言葉で死ねるのだろう。北斗の拳のラオウではないが、我が生涯に一片の悔いなし?

一方、チャールズ・リンドバーグの「死の達観」は理屈抜きだ。

リンドバーグは、大西洋単独無着陸飛行という偉業を成し遂げた。ところが、息子が誘拐され殺害されるという悲劇もあった。だから、ラグランジュのように、わが生涯に悔いなし、というわけではない。人生の幸運と不運がつりあっているのだ。それでも、娘にこんな言葉をのこしている。

「わたしは死とケンカをしているわけじゃない。死は最後の冒険だ」

清々しい、リンドバーグらしい言葉だ。

最後に達観をもう一つ。

「死は怖くない。ただ、その場所に居合わせたくないだけだ」

これが一番しっくりくるのは、成し遂げない人生だったから?

でも、これで死を達観しているといえる?

最後に、不老不死の方法を総括しよう。

不老不死の方法は、大きく2つある。死なない方法と、一度死んで蘇る方法。徐福は前者で、フランケンシュタインは後者。ただし、後者にはもう一つ方法がある。死体を再利用するような、せせこましいことはしない。生まれたばかりの新しい身体に乗り移るのだ。

つまり「生まれ変わり」。

《つづく》

参考文献:
※「蘇るチューリング」星野力(著)NTT出版、サイモン・シン、青木薫約「暗号解読」新潮社
「ガロアの生涯―神々の愛でし人」レオポルト・インフェルト(著)、市井三郎(翻訳)

by R.B

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