嫁・売ります(1)~大英帝国の奇習~
■命売ります
「命売ります」は三島由紀夫の小説、「嫁・売ります」はイギリスの実話。
ドッキリする文言だが・・・どちらもおいそれとは売れませんよね。
三島由紀夫は絵になる人物だ。
いい意味でも、そうでない意味でも。
ここで、なぞなぞ・・・頭のいい人でも、絶対記憶できないことが2つある。何でしょう?
こたえ・・・生まれる瞬間と死ぬ瞬間。
ところが、三島由紀夫はこう言い切った。
「僕は母親から出てくる瞬間を写真のように思い出せる」
始まりがそんなだから、その後は人生は奇々怪々・・・ボディビルダーにして知の巨人、大蔵官僚にして作家、そしてノーベル文学賞候補にまでなりながら、最期はハラキリ自決。太平洋戦争が終わって25年後のことだ。
三島作品にはオーラがある。
有名な「仮面の告白」、「潮騒」、「金閣寺」はまだしも、晩年の「豊饒の海」はついていけない。キラキラするコトバが散りばめられ、そこに気を取られていると、突如、鋭利な「論理刀」が閃く。見慣れた世界が真っ二つ、見たこともない異世界が・・・おそろしい才能だ。こういうのを天才というのだろう。
そんな三島が書いたのが冒頭の長編小説「命売ります」。
死にたい男が、せっかく死ぬなら、殺したい人に(命を)売ってあげよう、という話。文章は平易で読みやすいし、ストーリーもまぁまぁなのだが、すぐにイヤになる。三島の同じ奇小説「美しい星」には遠くおよばない。ところが、TVドラマにもなっているから、「三島ブランド」はまだ健在なのだろう。
話はそこではなく・・・「嫁・売ります」の方。
バクチで借金こさえたダメ亭主が、奥さんをコッソリと売り飛ばす・・・ではなく、町の広場で公開「セリ」にかけて、正々堂々?売り飛ばしたというのだ。
そして、驚くなかれ、「セリ」が行われたのは・・・地の果ての未開文明ではない。絶頂期のイギリス(大英帝国)なのだ。
■パクス・ブリタニカ
歴史上、最も成功した帝国は、18世紀~19世紀のイギリス「大英帝国」だろう。
根拠は比類なき「独占」。製造業と金融業を完全に支配したのだ。
まず、この時代の製造業だが、ポイントは3つある。
史上初の人工動力「蒸気機関」が実用化され(産業革命)、工業生産が劇的に進化したこと。工業の柱は綿業と製鉄業になったこと。大航海時代をへて、世界貿易が本格化したこと。
この分野における大英帝国の世界シェアをみてみよう(19世紀前半)。
・工業生産高:30~50%
・綿の生産高:50~70%(紡錘数)
・鉄の生産高:40~50%(銑鉄)
・貿易額:25%
なんと、世界の半分!?!
これほどの「独占」は、歴史上みあたらない。ところが、大英帝国の「独占」はこれにとどまらなかった。金融業にもおよんだのである。
1816年、大英帝国は金本位制を採用した。
英国通貨「ポンド」は、金(Gold)との交換が保証されたのである。意味するところは・・・英国政府は気軽にお札を刷れない。通貨にみあった「金=経済力」が必要になる。
結果、ポンドの信用力は高まり、貿易の決済通貨にのしあがった。「基軸通貨」、事実上の世界通貨である(現在は米国ドル)。
こうして、ロンドンのシティは世界金融の中心となった。中央銀行のイングランド銀行、商業銀行や割引銀行をはじめ国内外の金融機関が集中し、大英帝国は「世界の銀行」になったのである。
大英帝国に集中したのは、ヒト・モノ・カネだけはなかった。情報も・・・
1851年、ロンドンのシティに、小さな事務所が開設された。後のロイター通信社である。開通したばかりのドーヴァー海峡の海底ケーブルを使い、ヨーロッパ各地から金融情報を入手し、これをロイター速報として流したのである。現在の「情報サービス」が始まったのだ。
世界のヒト・モノ・カネ・情報が集中する大英帝国は繁栄をきわめた。それを象徴するのが「パクス・ブリタニカ」・・・古代ローマ帝国の「パクス・ロマーナ」にちなむ歴史用語だが、直訳すると「大英帝国による平和」。
大英帝国のおかげで世界は平和、メデタシメデタシ・・・
というわけではない。「平和」は大英帝国限定だったのだ。
一方、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国、オランダも負けてはいない。世界中に植民地をこさえ、資源と富を収奪したのである。「植民地」よりわかりやすい方法もあった。「完全征服」である。アメリカ合衆国の「ハワイ併合」のように。
これが「帝国主義」で、19世紀中から20世紀中まで世界を席巻した。
とはいえ、植民地にされる側はたまらない。事実、南北アメリカ、アジア、オセアニア(太平洋の島々)は地獄の惨状だった。中でも凄惨を極めたのがオセアニアだ。
19世紀、大英帝国が先陣を切った。まず、キリスト教布教で露払いし、欲に目がくらんだ商人やならず者がおしかけ、やりたい放題、略奪の殺戮の限りをつくした。最後に、軍隊と行政官がやって来て、「植民地」が完成。このパターンが、オセアニアの島々で繰り返されたのである。
植民地が収奪されたのは、海産物、鉱物、白檀、香料などの特産品だけではなかった・・・人間も。
人間?
奴隸として、こき使われるか、売り飛ばされたのである。植民地ではこれを「ブラック・バーディング(黒人狩り)」とよんだ。収奪された後、残ったのは・・・疫病とすさんだ住民の心。これで、人口は激減した。ハワイでは1/6、サモアでは1/2、ソロモンやクック諸島では1/10・・・
ここで注意が必要、「1/6」死んだのではない。「5/6」死んで、「1/6」が生き残ったのだ。
一体どこが平和!?
だから、「大英帝国による平和」ではなく「大英帝国の覇権(ヘゲモニー)」なのである。
■大英帝国の成功の理由
ところで、大英帝国はなぜ成功したのか?
要因は無数にある。要因の要因まで考慮すると、因果律ネットワークが収集つかなくなる、そこで3つにしぼろう。
・石炭が豊富(製鉄に欠かせない燃料)
・河川が多く国土が平坦(水上輸送網)
・現実主義の国民性(理論より実践)
この中で、3番目の「現実主義」が重要だ。英国人は、高邁な理論より、実践的なモノ造りを好んだ。
ライバルのフランスとくらべてみよう。
近代化のエンジンは、言わずとしれた「科学(サイエンス)」。それを支援する組織が、世界にさきがけて、英国とフランスで設立された。ロンドン王立協会(1662年)とパリ王立科学アカデミー(1666年)である。
ともに、目的は「科学振興」にあったが、大きな違いがあった。
ロンドン王立協会は、国主導でなく、民間主導だったこと。そもそも運営費用は、ジェントルマンたちの持ち出しだった。さらに、「理論」より「実学」を重んじたこと。抽象的な数式ではなく、実際に役立つモノを作ろう!そんな現実主義が、蒸気機関、織物機械、工作機械を産んだのである。
一方のパリ王立科学アカデミーは国主導だった。蔵相コルベールのキモいりで、ヨーロッパ中から優れた科学者がスカウトされた。たとえば、オランダから招聘されたホイヘンスは、アカデミーの中心人物だったが、年金までもらっている。そして、重要なのは「実学」より「理論」!
それを象徴するエピソードがある。
パリ王立科学アカデミーは、その後「エコール・ポリテクニク」に昇格するが、その卒業生たちはこうよばれた。
「『数学』によって能力をテストされ、フランス官界を牛耳る者」
「数学=理論」が何よりも優先されたのである
参考文献:
週刊朝日百科世界の歴史、朝日新聞社出版
by R.B