歴史の方程式(5)~賢者は歴史に学ぶか?~
■アラジンの魔法のランプ
歴史の「過去」を入力すれば、歴史の「法則」が出力される。
そんな魔法の科学は・・・存在する。
いつどこで何がおこるかではなく、こうしたらこうなる「傾向」なら・・・
「傾向」がわかれば「対策」も立てられる。だから、せちがらい人生に役立つこと違いナシ。
今、この魔法の科学を「歴史の方程式」とよぼう。
ただし、微分方程式のような美しい「数式」ではない。歴史は、変数が多く、原因と結果のからみが複雑で、事象の過程も不連続。だから「数式」で一撃で表すのはムリ。
では、「歴史の方程式」は占いのたぐい?
そうでもない。
美しくはないが、正統な科学にもとづいている。
「方程式」を使って、解析的に解くのではなく、コンピュータ・プログラムでゴリゴリ逐次計算するのである。従来のノイマン式に、ニューラルネットのような非ノイマン式をブレンドした「ハイブリッド方程式」だ。厳密には方程式とはいえないが。
この「歴史の方程式」に、歴史の過去データを喰わせると歴史の法則が飛び出す・・・あっと驚くアラジンの魔法だ。
ただし、喰わせるデータが「歴史書そのまま(自然言語)」、というわけにはいかない。自然言語処理は超難関だから。
そもそも、現在の人工知能(AI)は、「文意」が理解できない。IBMの人工知能(AI)「ワトソン」もしかり。
IBM「ワトソン」は、米国の人気クイズ番組「ジェパディ!」で人間のチャンピオンを破って、一躍有名になった。しかも、問題文をそのまま読むので、英文を理解しているようにみえる。ところが、実際は・・・問題文から、キーワードを選び出し、検索と統計で処理し、確度の高い答を返しているだけ。
Googleの検索エンジンといっしょじゃん。
あたらずとも遠からず。
早い話、ワトソンは、問題の意図も、文脈も、文意も、単語さえ理解していない。
インチキじゃん!
さにあらず。
当事者のIBMは、「ワトソン」を「人工知能(AI)」と言ったことは一度もない。「コグニティブ・コンピューティング」とよんでいるのだ。日本語に訳すと「認知計算」・・・ごまかしにみえるが、正確かつ真摯なネーミングだと思う。そこは紳士なIBMだから・・・
とはいえ、検索と統計で、自然言語のクイズで人間に勝てるのだから、大したものだ。こんな力技、IBMにしかできない。GoogleもFacebookもAmazonも絶対にムリ。
話をもどそう。
文意を理解できる人工知能はまだ存在しない。いつかは発明されるだろうが、とてつもないブレイクスルーが必要だ。人工知能の「万能理論」を見つけるか、人間脳をシリコンにコピペするか。UFOの飛行原理「重力制御」に匹敵する超技術だ。
ちなみに、人間脳を真似たとされる「ニュラルネットワーク」は人間脳と似て非なるもの(たぶん)。そもそも、「知能」の原理が解明されていないのに、どうやって真似るのだ?
ある発明家の話・・・
船上から海を見ると、空いっぱいに巨大な「心臓」が浮かんでいる。ドックン、ドックン・・・すると、突然、「内燃機関」が閃いた。
この白日夢と感動と閃きの「発明プロセス」が、脳内でどうやって実現されたのか?
脳を開いて、凝視しても、何も見えてこない。脳波を測定しても、何もわからない。観察も実測もできないのだから、「解明」以前の問題だ。
だから、歴史の方程式はムリ?
そうでもない。
メンドーな自然言語処理をスルーすればいいのだ。
「歴史の方程式」は、歴史の原因と結果を関連付けるロジック。つまり、自然言語は必要ない。歴史の因果律を記述できる専用言語を使えばいいのだ。「知能は書ききれない」が定説だが「歴史は書ききれる」・・・おっと、ここからはオフレコ。
ところで、歴史の方程式ができたとして、一つ問題がある。
厖大な歴史データを入力して、出てきた法則が、「噴火は絵になる」だったら?
ここだけの話、「1883年8月のクラカトアの大噴火」の歴史データを入力したら、「ムンクの名画『叫び』」が出力される可能性があるのだ。
散々骨を折ったあげく、得た法則(教訓)が「噴火は絵になる」?
シャレになりませんよね。
では、役に立つ「歴史の法則」はない?
データ次第で、いくらでもある。
たとえば、歴史データを「クラカトアの大噴火」ではなく「モンゴル帝国」に変えたら・・・貴重な「歴史の法則=人生の教訓」が得られるのだ。
■モンゴル帝国の秘密
ところで、なぜ「モンゴル帝国」なのか?
業績が突出しているから(良きにつけ悪しきにつけ)。「突出した」ぶん、原因と結果が丸わかりで、歴史の方程式をあぶり出しやすいのだ。
モンゴル帝国が支配した領土は、歴史上最大。それだけではない。もし、モンゴル王族に深酒の悪習がなければ、ハーンは早死せず、ヨーロッパ全土が征服されただろう。その場合、史上初の「ユーラシア帝国」の可能性もある。それほどの「結果」が出たのだから、それに見合った「原因」があるはずだ。
「モンゴル帝国」を選んだもう一つの理由は、データの豊富さ(記録)。あれだけ世界中を荒らし回ったのだから、恨みのこもった記録がいっぱい、は想像に難くない。
では、モンゴル帝国から「歴史の法則」を導いてみよう。
人工知能はまだ存在しないので、まずは人間脳で。
歴史の方程式は、データから法則(ルール)をみつけるので、基本は「帰納法」。人工知能の機械学習と同じだ。機械学習は、データがキモだが、量だけではなく質も大事。質が良ければ、少量のデータで法則を見つけられるから。
そして、今回使うのは(My)人間脳。人工知能にくらべ、計算力が10桁以上低い。そこで、歴史データをさらに絞りこむ・・・ズバリ「オトラル事件」だ。この事件にはモンゴル帝国の成功の秘密が隠されている。
オトラル事件は、1218年、小アジアのオトラルで始まった。
この地で、モンゴルの使節団が皆殺しにされたのである。450名からなる大使節団で、ホラズム王国に送られた友好のあかしだった。ところが、そのホラズム王国の領地、オトラルで処刑されたのである。しかも、処刑を命じたのは、ホラズム王国の知事ガイル・ハーン。チンギス・ハンがキレたのもムリはない。
しかも、半ギレではなく、マジギレ・・・恐ろしいモンゴルの大西征が始動したのだ。結果、歴史の慣性はふきとび、世界は一変した。当事者のホラズム王国だけでなく、中央アジア・東ヨーロッパまで征服されたのである。
では、このオトラル事件から「歴史の法則」を抽出してみよう。
まず、この事件には謎がある。
ホラズム側は、なぜモンゴル使節団を処刑したのか?
処刑を命じたガイル・ハーンは、この使節団がモンゴルのスパイだと見抜いていたのである。というのも、モンゴル使節団はモンゴル人ではなく、ほとんどがサルト商人。彼らは、チンギス・ハーンお抱えの商人で「情報提供者=スパイ」だったのだ。
古代より、ユーラシア大陸には長大な交易路「シルクロード」が存在した。その名は、中国の輸出品「絹(シルク)」にちなむ。この事件が起きた頃、シルクロードを支配していたのはサルト商人だった。彼らは、シルクロードを旅し、厖大な情報を得ていた。そこで、チンギス・ハンの将来性を見抜き、取り入ったのである。チンギス・ハンに各地の情報を提供し、その見返りに交易路の安全を保証してもらう・・・つまり、サルト商人はモンゴル帝国の「隠密」だったのである。
このデータにモンゴル帝国の成功の原因が潜んでいる・・・お気づきだろうか?
モンゴル側は、戦う前に、サルト商人から敵側(キリスト教国・イスラム教国)の情報をあつめることができた。作戦立案の精度が上がるのは言うまでもない。ところが、敵側はモンゴルの情報を集めようともしなかった。「東方の野蛮人」ぐらいにしか考えていなかったのだ。
もし、ホラズムが「モンゴル帝国」を正確に把握していれば、オトラル事件は起きなかっただろう。
彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。
戦闘の勝敗は、準備で80%が決まる。
つまり、戦いの前にモンゴルの勝利が80%決まっていたのである。
では、残り20%、実戦闘は?
モンゴル軍は恐ろしく強かった。
原因は3つある。
一つは、国民皆兵制。
ナポレオンが現れるまで、ヨーロッパ諸国は募兵制だった。戦争になると、兵をカネで雇うのである。カネが目的なので、忠誠心に問題があり(スイスとドイツの傭兵は別)、集まる兵数にも限りがあった。
ところが、19世紀、フランス革命の時代、フランスで国民皆兵制(徴兵制)が成立する。街角で「ラ・マルセイエーズ(革命歌、現在のフランス国歌)を歌えば、愛国者が押しかけたのである。結果、ナポレオンは数十万の大軍を動員することができた。一方、モンゴル帝国も実質「国民皆兵制」。だから、ヨーロッパ諸国とは桁違いの兵を動員することができたのである。
2つ目は、兵糧。
19世紀初頭、ナポレオン軍は無敵だが兵糧は現地調達だった。安上がりで手間いらずだから。ところが、現地に食糧がないとただではすまない。数十万人が飢餓におちいるのだ。それが、ロシア遠征で起こったのである。
ナポレオン軍が、ロシアの帝都モスクワに侵攻すると、市内は空っぽ。人も食糧も燃料も何もない。あげく、ロシア軍が街に火をかけたから、雨風をしのぐ場所もない。そこで、ナポレオン軍は撤退を始めるが、追討軍に襲撃され大損害をこむった。60万の大軍が5千人に。生存率1%、恐ろしい戦いである。これを機に、ナポレオンの人生の歯車は、逆回転をはじめた。
一方、モンゴル軍の兵糧は自前だった。しかも、驚異の携帯食を発明していた。「モンゴル式カップヌードル」である。
羊の肉を、ほぐし、乾燥させ、圧縮した固形食。モンゴル軍は、遠征するとき、これを大量に携帯した。戦場はせわしないので、そのままかじってもよし、お湯を注げば、肉入りスープ。カップヌードルに優るとも劣らぬスグレモノだ。つまり、13世紀のモンゴル軍は、19世紀のナポレオン軍よりハイテクだったのである(大砲はなかったが)。
3つ目は、物量。
第2次世界大戦で、アメリカ軍は「物量作戦」を展開した。戦略爆撃機「B29」による大量破壊である。狙って爆弾を投下するのではなく、大量の爆弾を「置いてくる」。米国空軍司令官のカーチス・ルメイの発案だが、これで、日本の都市は廃墟と化した。じつは、モンゴル軍もこの物量作戦を採用していた。無数の矢を戦場に持ち込み、狙って射るのではなく、敵陣に矢の雨をふらす。あっという間に敵は壊滅・・・コワイコワイ。
■賢者は歴史に学ぶ
というわけで、モンゴル帝国の「史上最大版図」をもたらしたのは・・・
1.サルト商人の巨大スパイ網(観察)
2.精度の高い情報分析と作戦立案(計画)
3.最大効率、最大効果を生み出す戦法(実行)
ここから、「歴史の法則=人生の教訓」を抽出すると・・・
モノゴトは、まず遠巻きに「観察」し、優先順位と順番を「計画」して、効率よく「実行」する。やみくもに渦中に飛び込まないこと。
国家の政治・戦争だけでなく、個人の仕事・遊びにも役立ちそうだ。つまり、歴史の法則は人生の教訓になる。
やはり、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、のですね。
とはいえ、「歴史データから法則を抽出する」を人間脳でやるのは限界がある。何百年、何千年、何万年かかるわからないから。
ということで、だれか「歴史の方程式」を作りませんか?
参考文献:
(※1)週刊朝日百科世界の歴史80、朝日新聞社出版
(※2)世界の歴史を変えた日1001、ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)出版社ゆまに書房
by R.B