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週刊スモールトーク (第387話) 歴史の方程式(1)~坂本龍馬が教科書から消える~

カテゴリ : 歴史科学

2018.01.28

歴史の方程式(1)~坂本龍馬が教科書から消える~

■歴史用語が半減!?

歴史教育は「曲がり角」に来ているのかもしれない。

みんながオカシイと思っていたことが、変わろうとしているから。

「高大連携歴史教育研究会」・・・舌をかみそうな名称だが(高校・大学の教員で構成される)、歴史用語の削減を提案したのだ。

理由は、用語が多すぎて、歴史が「暗記中心」になっている・・・ごもっとも!

ところが、一部で反対の声があがった。

坂本龍馬を削るのはおかしい!

明治維新の功労者といえば、大久保利通と西郷隆盛だが、駆け引き専門で、陰気臭い。ところが、坂本龍馬は想うだけで希望がわく。日本人をどれだけ明るくしたことか!(だから削るなよ、コラ)

はぁ?

崇拝しているだけじゃん、公の「教育」を、個人の思い入れや好き嫌いで、熱く語ります!?

じつは、熱い支援をうけているのは坂本龍馬だけではない。武田信玄、上杉謙信も・・・

冷静に考えみよう。

明治維新は、坂本龍馬がいなくても、微動だにしなかった。戦国時代は、織田信長がいたからこそ終息した。武田信玄、上杉謙信は戦さは強いが、グランドデザインが描けないから、天下統一はムリ。つまり、竜馬、信玄、謙信は歴史を直接動かしていない。そういう人物(用語)は削除するというのが今回の提案なのだ。

ところで・・・

みんなを明るくする、歴史を動かす、どっちが大事?

歴史に「何を求めるか」による。

■楽しむ歴史と役立つ歴史

私見だが・・・歴史には2つの価値があると思う。

一つは「楽しむ」価値。

歴史は、国家の興隆と衰亡、戦争と平和、探検と発見、発明と創作が織りなす一大叙事詩だ。これに人物がからむのだから、面白くないはずがない。ひょっとして、この世界は「面白い」を意図して創作されたのかも・・・つまり、創造主の見世物小屋!?

ここでいう「創造主」は宗教上の「神」を意図しない。言葉どおり、この世界の創造者をさす。具体的には、宇宙誕生の仮説「宇宙は神の一撃で始まった」の「神」である。

歴史のもう一つの価値は「役立つ」。

歴史とは原因と結果の膨大な記録である。何をどうしたら、どうなるかが記されている。いわば「予言の書」で、生きていく上で役に立つ。

というわけで・・・

楽しむ歴史なら、「みんなを明るくする」でいいだろう。というか、明るかろうが暗かろうが、何でもいい。誰にも迷惑かけないから、好きなことをやればいい。(自分の)時間を惜しみなくつぎ込んで。

一方、役立つ歴史なら、「みんなを明るく」ではなく「歴史を動かす」。

役立つ歴史は、前述したように、原因と結果がキモ。そして、「歴史を動かす」も因果関係の塊。だから、「役立つ歴史」と「歴史を動かす」は等価なのである。

もっとも、今回の「歴史用語の削減」は、初めから「役立つ」を狙ったわけではない。アカデミックに、用語の丸暗記ではなく、歴史の流れを理解する、それが結果として、「役立つ」と合致したのである。

では、「用語の削減」はなぜ必要なのか?

授業時間が限られているから。

事実、用語の数は、世界史Bも日本史Bも、3500語前後で、1950年代の3倍に増えているという。そのため、用語の説明に追われて、「歴史の流れ=原因と結果」に割く時間がない。本末転倒とはこのことだろう。

今回の「高大連携歴史教育研究会」の提案が通れば、「歴史の流れ=原因と結果」が重視される。そうなれば、「楽しむ」歴史にもなるので一挙両得。だから、実現することを心から願っている。

■歴史の因果ネットワーク

長年、歴史のコンテンツを作ってきて気づいたことがある。

歴史とは、原因と結果が織りなす巨大なネットワーク。無数の分岐点に、無数の選択肢があり、その中から一つが選ばれて、現実となる。その長大な連鎖が「現実の歴史」なのだ。

残りの鎖は?

「仮想の歴史」、つまり、理論上は存在するが、現実になれなかった歴史。

では、現実と仮想を分かつものは?

分岐点での選択。無数の選択肢から一つを選択するルールである。今、それを「歴史の方程式」とよぼう。

そんな重宝なものがあれば、未来はすべてお見通し?

たぶんムリ。

歴史とは一度しか起きない事象の研究、と揶揄する歴史学者もいる。事実、入力(原因)が完全に同じ事象はありえない。だから、入力(原因)と出力(結果)の対応表に頼るような方法ではムリ。

では、アルゴリズム(理論)でやるには?

無数の原因のからみを読み解いて、結果(未来)を予測する創造的ロジックが必要だ。

■ラプラスの悪魔

18世紀ヨーロッパで、後に「ラプラスの悪魔」とよばれる概念が生まれた。

提唱したのはフランスの数学者ピエール=シモン・ラプラス。

もしも、ある瞬間の全ての状態を把握し、解析できる知性が存在するなら、未来はすべてお見通し・・・その知性を「ラプラスの悪魔」とよんだのである。

事実、砲弾の初速度と発射角がわかれば着地点を予測できる。天体の運行もしかり。これを証明したのが、17世紀の科学者、アイザック・ニュートンである。

ニュートンは、文句のつけようのない変人だったが、類まれな頭脳を備えていた。彼は、天文学者ケプラーの実験結果から、天体の運動の法則を「微分方程式」で表したのである。学生時代に独力で完成させた「微積分」を用いて。しかも、それを27年間誰にも明かさなかったのだから、「文句のつけようのない・・・」も納得できるというものだ。

この魔法の方程式を使えば、初期値(原因)さえわかれば、未来(結果)が予測できるのである。

原因なくして結果なし、世界はすべて原因と結果によって規定される。これを「因果律」とよんでいる。このような決定論的な思想が、17~18世紀のヨーロッパを支配した。「ラプラスの悪魔」の概念はその延長にあるわけだ。

とはいえ、この概念は、砲弾や天体の運動など、からむ要素(質量と力)が少ない事象に限られる。歴史のように、要因が無数にあると破綻してしまう。

歴史は、政治、経済、軍事、外交、文化、テクノロジー、自然環境、これに人間の能力、気質までからむ。しかも、ささいなことが、とんでもない結果を生み出すこともある。たとえば、大統領を狙った弾丸が1センチそれて暗殺に失敗、その結果、太平洋戦争が勃発したとか。そんなありえないが、歴史には無数ころがっている。

さらに、結果の変動率が高いのも歴史の特徴だ。最高権力者が、1ヶ月後に断頭台にのぼったり、歴史に名を残した大功労者が死後、墓を暴かれ、晒し者にされたり・・・天上の月が突如、方向を変えて、地球に落下するようなもの。つまり、歴史は非決定論が支配する世界なのだ。

■遅れて来た確率論

確率論は新しい学問である。

ニュートンが編み出した「微積分」も、古代ギリシアに芽が吹いている。ところが、確率論が登場するのは17世紀。このように出遅れたのには理由がある。

第一に、確率論には、インド記数法(アラビア数字)が欠かせない。ローマ数字やギリシャ数字は、記数法が不便で(ゼロがないので桁上りができない)、論理和の概念もない。そのため、インド数字が一般化するまで、普及しなかったのである。

第二に、確率論はサイコロ遊び(博打)の道具として蔑まれていた。中世になり、キリスト教の支配が強まると、状況はさらに悪化する。キリスト教では、偶然や運は神の摂理に反する異端とされたのだ。

17世紀になると、魔女裁判が新大陸にまで波及していた。確率論の論文は、門外漢にとって不可解な記号がならび、悪魔との交信記録と受け取られかねない。そうなれば、魔女裁判で有罪は確実で(男女は問わない)、破門か焚刑(火刑)もありうる。数学で火あぶりにされてはたまらない。

つまり、確率論はやって損する学問だったのである。

ところが、現在、確率論は統計学の重要な道具になっている。数学者によれば、統計学は数学にあらず、なのだが、人工知能、ベイズ統計、など現代の先端テクノロジーをささえている。

その統計学で、最初に功績をあげたのは、数学者アブラーム・ド・モアブルだろう。

■統計学と未来方程式

ド・モアブルは、フランス生まれだが、ナントの勅令が破棄されて、イギリスに亡命していた。

ナントの勅令とは、フランスで信仰の自由を認めた王の命令である。新教徒(ユグノー)も旧教徒(カトリック)なみの権利が与えられたのだ。それが破棄されたのだから、ド・モアブルはフランスから脱出するしかなかった。彼はユグノーだったのである。

イギリスでは、ド・モアブルはよそ者だった。定職もなく、毎日が貧乏で、貴族の賭博顧問として小銭を稼いでいた。そんな中、ド・モアブルは『偶然論』を出版したが、そこに重要な発見が記されている。「中心極限定理」である。近代統計学において、最っとも重要な定理の一つとされる。

一言でいうと・・・

お互いに独立な確率変数x1、x2・・・xnが、平均「μ」、分散「σの2乗」の分布に従うと、その平均値は、

X=(x1+x2+・・・+xn)÷n

で表せる。ここで、n→∞なら、Xは平均「μ」、分散「σの2乗/n」の正規分布に従う。この定理のミソは、x1、x2・・・xnが正規分布でなくても成立すること。正規分布とは左右対称の釣鐘型の分布で、最もシンプルで扱いやすい。学生の成績、IQでおなじみだ。

そこで、「中心極限定理」をもっとカンタンにいうと・・・

この世界の統計分布は、平均(平均値)と分散(広がり)で表されるなら、平均値は正規分布になる!

やはり、この世界は面白く美しく設計されているのだ、大いなる意図をもって。

話をもどそう。

未来を予測できる「歴史の方程式」は可能か?

ニュートン力学のような解析的手法ではムリだろう。

ただし、確率論や統計学を使って、「傾向」を見つけることはできるかもしれない。

こうしたら、こうなる確率が高いですよ・・・という具合。これでも、生きていく上で十分役に立つだろう。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、というではないか。

《つづく》

by R.B

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