日馬富士暴力事件(1)~誰も得をしない結末~
■40年前の酔っぱらい事件
遠い昔、東京でサラリーマンをやっていた頃の話だ。
配属先に、魅力的な次長がいた。ロマンスグレーが似合うナイスミドルで、温厚で穏やか。しかも、部下の面倒見がよかった。今で言う「理想の上司」である。
ところが、そんな彼には武勇伝があった。
吉祥寺で飲んでいて、ヤクザとケンカになり、相手を川に投げ込んだというのだ。そのとき放ったセリフが、
「ヤクザがどうした、ビビると思ったか、この野郎!」
その後、交番に連行され、大目玉を食らったが、お巡りさんのセリフがふるっている。
「今回は厳重注意ですますが、もうやらんように。まぁ、酔った勢いだから、仕方がないが」
翌日、この次長は顔にバンソウコウを貼って、何食わぬ顔で仕事をしていたという。部長いわく「あいつ、正義感強いからなぁ」。その後、話は人事部まで行ったが、おとがめなし。
やっぱり、こういうときは、こぢんまりした家族的な会社がいいなぁ・・・さにあらず。この会社は、防衛庁(現防衛省)も顧客にする、お堅い東証一部上場企業だった。
古き良き時代を懐かしんでいるわけではなく、酔っぱらったら何をしてもいいと言っているのでもない。そんなの小学生でもわかるから。とはいえ、立ちションで、一生棒に振ってはたまらない。つまり、「程度」が問題なのだ。
ところが、昨今は、物事の軽重も考えずに、「原理原則」で一刀両断にする。やる方は気持ちいいだろうが、やられる方はたまったものではない。
■40年後の酔っぱらい事件
2017年11月29日、横綱・日馬富士が引退した。
「日馬富士暴力事件」の責任をとったのである。
引退の記者会見で、伊勢ケ浜親方は、ハンカチで涙をぬぐいながら、こう語った。
「引退したいと本人から早くから言われていたが、相撲を楽しんでいただく場所中は、控えさせていただきました。稽古、稽古で精進したのみならず、いろんな勉強もし、社会貢献にも目が届く珍しいタイプのお相撲さんだと思っていました。なぜこんなことになったのか、ただただ不思議というか、残念でなりません」
本音であり、事実だろう。日馬富士の輝かしい実績と熱心な奉仕活動を考慮すると、やりきれない結末だ。
今回の日馬富士暴力事件は、日本の「不可思議な風潮」を浮き彫りにしている。
第一に、ニュース報道が「日馬富士の引退>北朝鮮ミサイル発射」だったこと。
第二に、問題解決が「原理原則>力士・相撲協会・相撲ファンの利得」だったこと。つまり、誰も得をしなかったのだ。もっとも、一部批評家は、正論をぶちまけて、いい気分でギャラをもらえたのだから、いい事ずくめだろうが。
■北朝鮮の核ミサイル
昨今、日本に蔓延する「不可思議な風潮」を精査してみよう。
まずは、報道の優先順位から。
「日馬富士の引退」の日、北朝鮮がICBM(大陸間弾道ミサイル)を発射した。「ICBM(飛翔体)」と「核(爆発物)」が意味するところは「核ミサイル」。都市を丸ごと破壊する超兵器だ。しかも、今回の実験で、米国本土が射程距離に入ることも確認された。
この事態をうけて、米国共和党のグラム上院議員は、こう公言している。
「(北朝鮮がICBMと核の開発を止めなければ)われわれは戦争に突き進むことになる」
もし、戦争が起きれば、日本本土が北朝鮮の攻撃をうける可能性が高い。特殊部隊か、化学兵器か、核兵器かはわからないが。
そして、ここが肝心なのだが、北朝鮮のトップ金正恩は、日本で揶揄されるような奇人変人ではない。頭の切れる、腹の座った、稀有の勝負師なのだ。そして、それが最も危険なのである。ほんのわずかな計算違いで、大惨事に発展することがあるから。
わかりやすい例がある。
1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻した。勝負師ヒトラーは、イギリス・フランスが傍観するとよんだのだ。ところが、弱腰で知られたイギリス首相チェンバレンが豹変、フランスを引き連れドイツに宣戦布告した。こうして、第二次世界大戦がはじまったのである。このとき、ヒトラーは、呆然として、外相リッベントロップにこう言ったという。
「一体、どういうことだ(お前はイギリス・フランスは参戦しないと言ったではないか)」
北朝鮮の金正恩は、米国と戦争するつもりはない。とはいえ、ギリギリの寸止め外交を続けていれば、はずみで戦争に突入する可能性がある。そのとき、一番被害をこうむるのは韓国と日本だろう。北朝鮮の問題はここまで来ているのだ。
ところが、そんな国家的危機よりも、日馬富士の引退が優先された・・・核戦争からみれば、日馬富士事件は「酒の席のトラブル」ではないか。
主客転倒、ことの大小、軽重を知らない、とはこのことだろう。
■事件の真相
日馬富士暴力事件は謎が多いが、ハッキリしている事がある。
酒の席で、日馬富士が貴ノ岩に暴力をふるったこと、軽傷ですまなかったこと。
殴った本人(日馬富士)が認めているし、力士が病院に行くのだから、カスリ傷ではない。
とはいえ、酔った席のトラブルは、毎日起きている。学生、サラリーマン、公務員、芸能人、アスリート、格闘家・・・職業、年齢をとわず。そして、酔ってキレたら、人格・識見は関係ない。
冒頭の武勇伝ほどではないが、サラリーマンの飲み会でも、暴力沙汰はある。その場合、被害者が訴えてやる!と突っ張らない限り、示談ですますことが多い。大事にしても、誰も得しないから。
日馬富士の事件で、「ビール瓶」で殴ったかどうかが問題になった。すると、一部の批評家が、鬼の首を取ったように、言ったものだ。
「ビール瓶で殴ったかどうかは問題ではない、暴力そのものがいけない。それだけで、厳重処分にすべきだ」
これにはビックリだ。
原理原則で一刀両断・・・いつ、どこで、誰が、何をして、どういう結果になったか、どんな事情があったのか、という事実関係はドーデモよく、暴力という「カテゴリー」が重要だと言っているのだ。
冷静に考えてみよう。
酒席で、ケンカがこうじて暴力沙汰になったとする。その場合、重要なのは「暴力」という「カテゴリー」でない。程度や事情、つまり「事の軽重」なのだ。
だって、そうではないか。
暴力といっても、言葉の暴力か、胸ぐらつかんだか、押し倒したか、平手打ちか、グーで殴ったか、リモンコンか、ビール瓶か、刃物か(拳銃はないと思う)・・・でゼンゼン違う。
これをいっしょくたにされてはたまらない。ヘタをすると、酒飲みの半数以上が前科者になってしまう。
だから、刃物なら刑事事件、ビール瓶なら程度によって刑事か示談、その以外なら、翌日、謝ってすませる。これが、サラリーマン社会の問題解決だろう。訴えたところで、誰も得をしないから。
■「暴力」という名の暴力
つまり、暴力でも「程度」が重要なのだ。
そして、程度は、組織やメンバーによって違ってくる。神経をすり減らす職場で、半分病んでいるメンバーの飲み会なら、
「君は社会人として失格だよ」
の一言が、心に突き刺さり、自殺に追い込まれるかもしれない。その場合、言葉は凶器となんら変わらない。精神的、ではなく、「物理的な暴力」になるのだ。
一方、体育会系の飲み会なら、
「お前、社会人失格だ!」
「なら、お前は人間失格だ!」
「おー、コノヤロウ、『芥川』できたか!」
「あ、先輩、それ違います。『太宰治』です」
で、盛り上がるかもしれない。
ましてや、格闘家の飲み会なら・・・
力士は並の人間ではない。一般人からみれば「超人」と言っていい。超人同士のケンカ、暴力ってどんなものだろう(力士に限らず)。プロレスラーは腹筋を鍛える時、若手にバッドで叩かせるという。普通の腹筋運動では鍛えたことにならないから。でも、ハタメには殺人未遂ですよね。
ひょっとして、格闘家がビール瓶で殴るって、一般人にとって、肩をつつくようなもの?
それはないか・・・
■誰も得をしない結末
相撲は、スポーツではなく格闘技だ。
相手を張り倒して、ぶん投げてナンボの世界。土俵で、ガチでぶち当たる力士の表情をみると、相手を思いやる、譲り合う、品格が大切、紳士たれ、は微塵もない。むしろ、殺気さえ感じる。それが格闘技なのだ。
死んでも相手を倒す、という気迫、意気込みがかかせない。格闘技の世界では、たとえ一瞬でも、敵に背中を見せる(逃げる)奴はものにならない、が通説だ。
「礼」で始まり「礼」で終わるも剣道も同じ。
昔、剣道部員だった頃、タイミングが悪く、相手に背を向けたことがある。すると、先輩に怒鳴られたあげく、竹刀でぶん殴られた。それほど厳しい稽古だったのに、大会に出ると、2回戦か3回戦で敗退。体罰と戦績とは関係ないようだ。
話はそこではなく・・・
体育会系とそうでない系では、巨大な温度差があるのだ。それを無視して原理原則で通せば、外野にとって分かりやすく、心地良いかもしれないが、当事者にしてみれば・・・
はぁ、なんもわかってないくせに、偉そうに!
になるのである。
だから、日馬富士暴力事件も・・・
相手を殴って、何針も縫うことになっても、翌日、
「昨日は悪かった」
「あ、いえ、過ぎたことですから」
ですんだ可能性がある(一部そんな報道もある)。
ところが、現実は取り返しのつかない大事に発展してしまった。
貴乃花親方が警察に被害届をだしたのも一因だろう。そんなこんなで、最近、貴乃花親方が分が悪い。
最初は、日馬富士、つぎに相撲協会、さらに、貴乃花親方、あげく、白鳳まで槍玉に上がっている。
スケープゴートと醜聞を求める様は、さながら屍肉を漁るハイエナだ。
貴乃花親方の言動は本当におかしいのか?
相撲協会は本当に隠蔽体質なのか?
白鳳の発言とバンザイは本当に不適切なのか?
冷静に考える必要がある。誰も得をしない第二、第三のの結末を避けるためにも。
by R.B