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週刊スモールトーク (第379話) オリーブが祝福される理由(4)~ダークサイド~

カテゴリ : 思想歴史社会

2017.11.05

オリーブが祝福される理由(4)~ダークサイド~

■オリーブのダークサイド

古代世界では、オリーブの花言葉は「平和・安らぎ・知恵・勝利」・・・これに優る褒め言葉はないだろう。

ところが、へそ曲がりは・・・「知恵」を駆使して戦争に「勝利」して、「平和」と「安らぎ」を得る。つまり、戦争に勝つことが大前提。相手は破壊され、滅んでますよね。

旧約聖書のノアの方舟もしかり。

ハトがオリーブの小枝をくわえて帰還し、平和と安らぎの到来を知らせた。メデタシ、メデタシ。ところが、その裏では恐ろしい「人類浄化」計画が・・・つまり、オリーブは「破壊・殺戮・絶滅」を容認している。

古代ギリシャのエピクテトスはこう言っている。

「オリンピックの勝者になるためには、自分のすべてを捧げなければならない」

「勝利」には「犠牲(血と汗)」が欠かせないというのだ。

これが、へそ曲がりが見た「オリーブのダークサイド」。何ごとも、光があれば影があるということだろう。

オリーブとキリスト教もしかり。光と影の両面で、複雑にからみあっている。

かつて、中世は暗黒時代といわれた。

古代ギリシャ・ローマ時代の華やかな古典文化が消滅し、気難しいキリスト教一色になったから。結果、科学は恐ろしい弾圧にさらされる。たとえば、コペルニクスの地動説。

キリスト教の教えでは、天(宇宙)は地球を中心に回っている。つまり天動説。一方、コペルニクスによれば、地球は天の中心(太陽)を回っている。これが地動説。

ただし、初めて地動説を唱えたのはコペルニクスではない。紀元前3世紀のアリスタルコスである。彼はアレクサンドリアの天文学者で、「地球は太陽の周りを公転している」と主張した。この頃、アレクサンドリアはヘレニズム世界の科学のメッカであった。

天動説と地動説どっちが真実か言うまでもないが、キリスト教会は地動説が気に入らなかった。神が創り給うた地球が、下僕のごとく、太陽の周りを回っている!?

バチあたりな・・・抹殺すべし!

こうして、(キリスト教会による)地動説弾圧が始まった。コペルニクスの時代はぬるかったが(軽い勧告)、だんだんエスカレートしていく。

そして、1633年に歴史的事件がおこる。

地動説を支持したガリレオが異端審問所審査にかけられたのだ。結果は有罪、終身刑を宣告される(後に軟禁)。もっとも、ガリレオは自説を曲げたから「軟禁」ですんだが、強情を張っていると、命がない。

たとえば、イタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノ。ガリレオの30年前に、死罪になったが、”並の”死刑ではなかった。

■科学の殉教者

ジョルダーノ・ブルーノは正真正銘の天才だった。時代を突き抜けた「知の巨人」と言ってもいい。ところが彼には致命的な欠点があった。信念が強すぎたのである。結果、恐ろしい末路をたどる。

ブルーノは、はじめはドミニコ会(カトリック修道会)の修道士だった。ところが、頭が切れすぎて教義の矛盾に気づき、やっとれん・・・

それはそれとして、胸の内にしまっておけばいいものを、口に出したのだ。「神学」の悪口をふれまわったのである。「神学」とは、キリスト教を理論的に研究する学問。理詰めは科学だけじゃない、宗教だって理論はあるというアピールもあったに違いない。

その論法を「スコラ学」という。理屈っぽいのに、説得力がイマイチなのはカトリックの教義が大前提だから。つまり、プラトンやアリストテレスのギリシャ科学を信仰に利用しようとしたのである。そのため、「哲学が宗教の召し使いになった」と揶揄された(哲学は人文科学)。

そもそも、科学は「疑う」から始まり、宗教は「信じる」から始まる。つまり、排反事象の関係にあるわけで、「宗教を科学する」はちょっとムリ。

さて、ブルーノだが「口は災いの元」を身を持って体験することになる。

1576年、キリスト教で二番目に重い罰をうけたのだ。「破門」である。でも・・・ブルーノは気づいていただろうか、まだ一番目の罰がのこっていることを。

その後、ブルーノはジェノヴァに移り、反カトリックのカルヴァン主義にハマったが、すぐに飽きる。カトリックと五十歩百歩だと気づいたのだ。そこで、ヨーロッパを放浪しながら、数学、魔術、オカルトに関する多数の論文を著した。彼の思考は、汎神論的で神秘主義的だが、やがて、驚くべき説を打ち立てる。

「宇宙は無限であり、多数の世界が存在する」

これは驚きだ。

古代・中世の人々がもっていた宇宙観は・・・この世界は山々に囲まれ、天井から星々が糸でぶらさがっている。はたまた、亀の上に4頭の像が乗っかって、地球を(しかも半球)ささえている・・・とか、微笑ましい「有限世界」。ところが、ブルーノは「宇宙は無限である」と言い切ったのである。

ただし、「無限」の概念は古代ギリシャからあった。紀元前6世紀頃、ギリシャのミレトスで活躍した哲学者アナクシマンドロスは、「万物の原理は無限定なもの(ト・アペイロン)」と言っている。

さらに、「多数の世界が存在する」には背筋が凍る。

21世紀の「多次元宇宙」論を、500年前に展開していたのだから。

もちろん、キリスト教会は絶対に容認できない。唯一神が創り給うたこの世界が、掃いて捨てるほどあるというのだから。こうして、ブルーノの運命は決まった。

1591年、ヴェネツィアに滞在中、ブルーノは現地の異端審問所に告発された。裁判は7年にもおよんだが、ブルーノは主張を曲げなかった。結果・・・死刑。そのとき、ブルーノはこう言ったという。

「判決を下したあなた方の方が、判決を受けた私よりも恐れている」

この最後の悪態が事態を悪化させた。”平凡な”死刑ですまなかったのである。

1600年2月17日、ブルーノは、猿ぐつわをかまされ、ローマ中を引き回された。それから、カンポ・ディ・フィオーリ広場に引きずり出され、火あぶりにされたのである。しかも、葬儀も行うことも、埋葬されることも許されなかった。最後に、遺灰はテルベ河にゴミのように捨てられた。

無上の愛、罪を許すことを説いたイエスの教えはどこへ?

自説を主張しただけで、焼き殺される。しかも、それが真実かどうかは二の次。暗黒の中世といわれるゆえんである。こうして、ブルーノは最初の「科学の殉教者」となった。

■キリスト教異端

オリーブ&キリスト教に話をもどそう。

キリスト教はイエス・キリストによって創設された・・・のではない。

弟子たちが築き上げたのだ。中でも、元テント職人のパウロの功績は大きかった。キリスト教を、普遍的な世界宗教に変えたのだから。ユダヤ教譲りの気難しい教えをシンプルにし、敷居を低くし、誰でも受け入れられるようしたのである。しかも、パウロみずから、命を張って布教に努めた。有言実行の人物だったのである。

それでも、キリスト教の布教は順風満帆とはいかなかった。

イエスが死んで100年もたたないうちに、異端の書(ローマ・カトリックにとって)が出回ったのだ。

中でも、「グノーシス主義」は超弩級の異端だった。イエスはおろか、神の立場さえ、危うくするのだから。カトリック教会にとって獅子身中の虫である。そこで、カトリック教会は焚書坑儒に徹したが、生き延びた書もあった。

その一つが「ユダの福音書」である。

1978年、エジプトの洞窟で、古いパピルス文書が発見された。これが、後に、伝説の「ユダの福音書」と判明する。ところが、欲に目がくらんだ連中にたらい回しにされ、紆余曲折をへて、2006年にやっと復元された。日本でも「原典ユダの福音書」として出版され、(一部)話題になった。

ところが、4世紀、あらたな異端が出現する。高位の司祭が、正々堂々、正統派に異議を唱えたのである。だから、どっちが異端かわからない。

そこで、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、キリスト教の公会議を招集する。どっちが異端か、決着をつけるために。この会議は、325年、小アジアの町ニカイアで開かれた。歴史上有名なニカイア公会議である。

この会議で、アレクサンドリアの司祭アリウスはこう主張した。

「神は絶対の存在であるがゆえに、始まりはなく、生まれることもない。しかし、キリストは生まれた者であるゆえ、神と同一ではない。キリストは神の子、つまり、神の意志によって存在するのであり、神のような絶対的な神性をもつものではない」

おみごと、単純にして明快だが、じつは、こっちが異端。理由はカンタン、イエスを冒涜したことになるから。

一方、正統派代表のアレクサンドリアの主教アタナシウスはこう主張した。

父である神と、子であるキリストは同じ神性をもつ・・・父と子と聖霊という3つの位格が1つとなって神の存在とする「三位一体」である。この教義は「ニカイア信条」といわれ、その後、キリスト教の主流となった。一方、アリウス主義は異端とされ、アリウスは、リビアに追放された。

こうして、正統派キリスト教は第二の試練を乗り切った。ところが、1517年、創設以来の危機をむかえる。歴史上有名な「ルターの宗教改革」である。

■免罪符は悪か

ことの発端は、一人のドミニコ会士の「募金」行脚だった。こんな地味な活動で、何十万の人間が命を落とすことになるとは、誰も想像しなかっただろう。

このドミニコ会士は名をヨハン・テッツェルといった。テッツェルは、サン・ピエトロ大聖堂改築の費用を調達するため、ドイツで免罪符を売り歩いていたのである。彼の決めセリフは、

「小箱に小銭が飛び込むと、ただちに、魂が煉獄から飛び出る」

煉獄とは天国と地獄の間、つまり、執行猶予の世界である。ここで免罪符を買えば、チャリンという音とともに天国へ直行するというわけだ。

なんとも都合のいい教えだが、「小銭で御利益を買う」はキリスト教国に限った話ではない。

正月になると、地から湧き出たような人の群れが神社におしかけ、小銭を投げて、無病息災、家内安全、商売繁盛の権利を買いつける。一体、どこの国だ?

話をドイツにもどそう。

この笑える話に、激怒した人物がいた。ヴィッテンベルク大学のマルティン・ルターである。ルターは大学で神学を教えていたが、アウグスチノ会の修道士でもあった。1517年10月31日、ルターは行動をおこす。

まず、テッツェルの上司のマインツ大司教に抗議の手紙を送りつける。さらに、ヴィッテンベルク教会の扉に「95ヶ条の論題」を張り付けた。内容はカトリックの腐敗を糾弾するものだが、これが、発明されたばかりの活版印刷で量産され、ヨーロッパ中に拡散した。

こうして、カトリック(旧教)に対抗するプロテスタント(新教)が生まれた。その後、ヨーロッパで、「プロテスタントVsカトリック」の血なまぐさい殺戮が繰り返される。

ただし、「改革」が悪いのではない。

宗教であれ、国であれ、企業であれ、改革は「進歩」に欠かせないから。だから「改革」は歴史の必然なのである。ただ、このときの宗教改革は血が流れすぎた。常軌を逸するほどに。

■オリーブとベネディクト

「キリスト教の改革」はルター以前からあった。

たとえば、6世紀にベネディクト修道会が創設された。修道会は、修道士を育成する機関だが、はじまりは「改革」だった。

ベネディクト修道会は、カトリック教会の最古の修道会である。529年、聖ベネディクトゥスによって創設された。動機はルター同様、キリスト教の腐敗・堕落。ベネディクトゥスはローマでそれを目の当たりにして、修道会を創設したのである。キリスト教を正しく導く指導者を育成するために。

じつは、文明という点でも、ベネディクト修道会の意義は大きい。「文明の記憶」の大功労者だから。

ベネディクト修道院では、写本の作成が義務づけられた。もちろん、宗教書(新約聖書)が優先されたが、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古典も書き写された。その中には、ローマ皇帝カエサルの名著「ガリア戦記」も含まれる。

つまり、「ヨーロッパの知」が複製され、ベネディクト修道院に保存されたのである。ベネディクト修道院はヨーロッパ中に分散しているので、個別に破壊されてもデータは保持される。つまり、インターネットのクラウドのようなもの。

そんなこんなで、「ベネディクト」は西欧世界ではビッグネームなのである。

「ヨーロッパの父」と言われ、「祝福」を意味するのだから。そして、「ベネディクト修道会」のシンボルは「オリーブの枝」・・・

というわけで、オリーブは人類の歴史に大きくかかわっている。ダークサイド(暗黒面)とライトサイド(光明面)において。

ところで・・・この写真は?

我の家のオリーブになった実。寒冷な北陸地方で育った奇跡の果実だ。プレートに並べてみるとけっこうイイ感じ。会社(ベネディクト)のロゴになるかも。

参考文献:
・NHK趣味の園芸「よくわかる栽培12ヶ月オリーブ」岡井路子著、NHK出版
・週刊朝日百科世界の歴史朝日新聞社出版
・世界の歴史を変えた日1001ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)出版社ゆまに書房

by R.B

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