オリーブが祝福される理由(3)~黄金の液体~
■後悔する神
オリーブの花言葉は「平和・安らぎ・知恵・勝利」・・・これに「慰め」もくわえよう。「安らぎ」のお仲間だからではなく、単語として意味があるから。
出処は旧約聖書の創世記「ノアの方舟」、誰もが知る「人類浄化」計画だ。
神は、罪にまみれた人間に愛想をつかし、地上から一掃しようとする。目をかけたノアとその一族をのぞいて。ノアは神の言いつけを守り、方舟を建造し、家族とともに乗り込んだ。すべての生き物のつがいを引き連れて。
雨は40日40夜降りつづけ、大水は150日間大地をおおった。一息ついて、ノアがハトを放つと、オリーブの小枝をくわえて戻ってきた。水が引き、大地があらわれたのである。つまり・・・オリーブは平和と安らぎの象徴。
では、「慰め」は?
もっとわかりやすく、つながっている。
ノアはアダムから数えて10代目の人類。そのノアが誕生したとき、父のレメクはこう言った。
「この子こそ、神に呪われた大地で、顔に汗して労働の苦役にあえぐ、われらの慰め(ノア)である」
つまり、「ノア=慰め」。
とはいえ、「ノア=慰め=オリーブ」はいささか強引な気もする。では、これはどうだろう。
旧約聖書が、「神は失敗もするし後悔もする」を告白しているとしたら。
というのも、「ノアの方舟」には、こんな後談があるのだ。
洪水が引いたあと、ノアは祭壇を築き、獣と鳥とを供え、火を炊いた。神に畏怖し、感謝したのである。そのとき、アララテ山の頂に雲がおこり、光り輝く虹が現れた。それは神のメッセージだった。
「わたしは二度と人間と大地を呪わない。二度と生きたものを滅ぼさない」
ところが、旧約聖書「創世記」19章には・・・
ソドムとゴモラの住民は、享楽をむさぼり、堕落の極みにあった。神は怒り、彼らの頭上に硫黄と火を降らせた。巨大な火柱が立ち上がり、ソドムとゴモラは、住民もろとも焼き尽くされた。このとき、(例によって)神の御加護で難を逃れた者がいた。誠実なロトとその妻と娘である。
いっしょじゃん・・・話はそこではなく、人間は再び呪われ、滅ぼされたのである。最初は水攻めで、次は火攻めで。
ちなみに、この2つの「浄化計画」は旧約聖書・創世記に記されている。ノアの方舟は「第6章」に、ソドムとゴモラは「第19章」に。たった13章で「君子豹変」ならぬ「神豹変」・・・おっと、バチが当たる。このへんでやめとこう。
ところで、二度あることは三度あるという。
三度目は、いつ、どこで、何攻め?
■黄金の液体
時代は進んで、古代ギリシャ。
この世界でも、オリーブは祝福された。オリーブオイルが「黄金の液体」とよばれたのである。植物油は他にもあるのに、こんな神々しい呼称はオリーブだけ。
さらに・・・
古代ギリシャのオリンピックで、優勝者に授与されたのが「オリーブの冠」。今なら金メダルだ。ただし、初めからそうだったわけではない。
そもそも、当初、オリンピックは「スポーツ競技」ではなかった。全知全能の神ゼウスが父神クロノスを倒したことを祝うお祭りだったのだ。事実、「オリュンピア大祭」とよばれていた。
では、古代オリンピックは伝説かというと、そうでもない。神ゼウスの話はさておき、オリンピックが開催されたことは事実。記録がのこっているから。最も古い記録は紀元前776年なので、区切りのいいところで、オリンピックの歴史は3000年?
その後、オリンピックは4年ごとに開催された。ところが、紀元394年に突然廃止される。ローマ皇帝テオドシウス1世が開催を禁じたのだ。ギリシャの行事にローマ帝国が口出し?
この時代、ギリシャはローマ帝国の属州だったのである。
テオドシウス1世は、筋金入りのキリスト教信者だった。391年、キリスト教を国教に制定し、ローマ神崇拝を全面的に禁じた。しかも、(ローマ神の)神殿の破壊まで命じている。これに狂喜乱舞したのがキリスト教の信者だ。皇帝からお墨付きをえて、意気揚々、神殿を壊して回ったのである。ついでに凄惨な殺し合いも行われた。
ところが、これが取り返しのつかない惨事をひきおこす。プトレマイオス朝の神セラピスを祀った神殿「セラぺウム」が破壊されたのである。
じつは、セラぺウムはただの神殿ではなかった。アレクサンドリア図書館の分館でもあったのだ。
アレクサンドリア図書館は、人類史上最高の大図書館といわれる。膨大な著作や学術書が所蔵され、巻子本(パピルス)にして70万巻を超えたという。その中には、アトランティスなど古代世界に関する貴重な書も含まれていた。
つまり、文明の記憶が失われたのである。だから大惨事。
もっとも、テオドシウス1世とキリスト教信者は気にもとめなかっただろう。彼らにとって、聖書以外すべて異端の書、人間を惑わす、邪悪な入れ知恵なのだから。
話をオリンピックにもどそう。
ギリシア人にとってオリンピックは、ただの祝祭ではなかった。年数を数える重要な手段でもあったのである。そのため、その後オリンピックは復活し、現代オリンピックへと続く。
初期のオリンピックは、競技種目が1つしかなかった。「スタディオン」である。192メートル(1スタディオン)を走る競技で、現代オリンピックの200m走に相当する。ちなみに、紀元前776年の優勝者は、コレオブスという名の料理人だった。このとき、彼が授与されたのは、オリーブではなく、リンゴの枝。「オリーブの冠」になるのはその後である。ちなみに、近代オリンピックが始まったのは1896年だが、そのとき、優勝に贈られたのは「銀メダル」だった。
■太陽の樹
古代エジプトでも、オリーブは祝福された。「太陽の樹」と呼ばれていたのだ。
「太陽」といえば「太陽神ラー」、古代エジプトの神である。呼称からも、オリーブのカリスマ度がうかがえる。
記録によれば・・・
エジプト新王国・第20王朝ファラオのラムセス3世は、太陽神ラーに神殿の灯油のために、オリーブ畑を捧げたという。だから、オリーブは「太陽の樹」なのである。
さらに、女神イシスがオリーブの栽培を教えたという記録もある。女神イシスは、古代エジプトで厚く信仰された地母神で、多産と豊穣をつかさどる。一方、「再生」の象徴でもあった。
というのも、女神イシスは、切り刻まれた夫・オシリスの死体を探し出し、つなぎ合わせ、再生させたという。その女神イシスがオリーブ栽培を教えたのだから、オリーブは「再生」の象徴といってもいいだろう。
事実、オリーブは「再生力」が強い。
オリーブは移植(再生)が容易なのだ。
2011年3月、スペインのアンダルシア地方で生育した樹齢1000年の古木が、小豆島に移植された。半年後に新しい芽がでたというから、凄まじい再生力だ。
ということで、オリーブはいいことずくめ。
古代世界で授かった花言葉「平和・安らぎ・知恵・勝利」はナットクである。
ところが・・・
深読みすると、オリーブのダークサイドが見えてくるのだ。
参考文献:
・NHK趣味の園芸「よくわかる栽培12ヶ月オリーブ」岡井路子著、NHK出版
・世界の歴史を変えた日1001ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)出版社ゆまに書房
by R.B