世界初の潜水艦(3)~アメリカ独立戦争~
■一発の銃声
歴史に残る大戦争も小さなイザコザから・・・はよくある話。
アメリカ独立戦争もそうだった。
この戦争は、アメリカ13植民地と本国イギリスが戦ったが、最終的に植民地が勝利した。現在のアメリカ合衆国である。戦いは8年も続いたが、始まりは小さなモメゴトだった。
1775年4月19日、アメリカのマサチューセッツ州レキシントンで、イギリス兵とアメリカ植民地側がもめた。
イギリス兵が、武器を徴発しようとして、アメリカの民兵が抵抗したのである。そのとき、一発の銃声がした。どちらが発砲したかは重要ではないだろう。その銃声で銃撃戦が始まり、アメリカ独立戦争に突入したのだから。
とはいえ、銃撃戦の犠牲者は、アメリカ側8名、イギリス側0名。時代と場所を考慮すれば、戦闘というより抗争だろう。
■凧の雷実験とフランクリン
ベンジャミン・フランクリンは、政治家、外交官、実業家、科学者、発明家、そして、アメリカ合衆国建国の大功労者である。
アメリカ独立戦争が始まると、フランクリンはヨーロッパに渡り、外交に奔走した。その結果、ヨーロッパ諸国は中立を守ってくれた。さらに、フランスはアメリカ植民地と同盟し、援軍まで出してくれた。だから、フランクリンの外交は、数個師団の軍事力に匹敵する。
ただし、すべてフランクリンのおかげというわけではない。もちろん、フランスの善意でもない。というのも、当時、イギリスは、世界最大の植民地を保有し一人勝ちだった。そのため、ヨーロッパ諸国のひがみ・ねたみ・そねみを一身に浴びていたのである(特にフランス)。だから、みんな損得勘定。
この構造は日露戦争に酷似している。
日露戦争は、20世紀初頭、日本とロシアが戦った戦争である。ところが、日本は軍資金がなかった。そこで、日本全権の高橋是清は、ヨーロッパで外貨獲得に奔走した。最終的に、資金は調達できたが、決め手となったのは、アメリカの銀行家ジェイコブ・シフの投資である。
ところが、シフが投資を決めた理由は、高橋是清の人徳でも心意気でもなかった。もちろん、善意でもない。シフはロシアに一矢報いたかったのである。ロシア帝政はユダヤ人を迫害していたから。シフはユダヤ人だったのである。
ユダヤ人の迫害はナチス・ドイツだけではない。ヨーロッパではデンマークをのぞき、根が深い。19世紀末フランスでも、ドレフュス事件がおこっている。ユダヤ人将校のスパイ疑惑から始まり、政府、国軍、国民を巻き込む大疑獄事件に発展した。
というわけで、外交に善意も正義もない。損得勘定が支配する「取引」の世界。そして、「取引」はお互いに欲しいものがないと成立しない。ところが、日本人はそれに気づかない。韓国、北朝鮮、中国、ロシア相手に、理屈が通らないと、嘆いているのだから。おとぎ話かファンタジーを観ているような気分だ。
話をもどそう。
フランクリンは、アメリカ合衆国独立の大功労者である。事実、フランクリンは、1776年、アメリカ独立宣言の起草委員に選ばれた。さらに、トーマス・ジェファーソン(第3代アメリカ合衆国大統領)らとともに、最初に署名する名誉にあずかった。
一方、フランクリンは科学者としても功績がある。教科書にもでてくる「凧の雷実験」だ。
凧の糸の先にライデン瓶をつないで、雷実験を行ったのである。
ライデン瓶とは、静電気を蓄積する物理実験の装置。この中に、雷を誘導しようというのだ。雷鳴とどろく中、この凧をあげたところ、ライデン瓶に静電気が確認された。
つまり・・・「雷=電気」が証明されたのである。
■必然の発明と偶然の発明
歴史上の発明は、たいてい高い必然性がある。ところが、まれに偶然がまじっている。
たとえば・・・
ナチスドイツのV2ロケット。
V2ロケットは、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の元祖で、史上初めて大気圏外を飛行した。だから、歴史的意義は大きい、でも、コスパは最悪(兵器として)。
というのも、V2ロケットは、火薬の量が1トンしかなく、破壊力が貧弱だった。V2ロケットが7ヶ月間かけて撃ち込んだ爆弾の量は、イギリス空軍の一晩の爆撃におよばなかったのである。
しかも、V2ロケットの火薬は、爆発力の低い60/40アマトール爆薬だった。高性能火薬は、大気圏突入時の高熱で自爆するからである。
さらに、開発費は現在の貨幣価値で2兆円・・・コスパ悪すぎ。
この壮大なプロジェクトは、ドイツのモノ不足をさらに深刻にしただけで、何も得るものはなかった。(開発者の)フォン・ブラウンの満足をのぞいて。
もう一つの偶然の発明が原子爆弾。
主導したのはアメリカのマンハッタン計画だが、V2ロケットと酷似している。ともに第二次世界大戦中に開発され、開発費も同じ2兆円、そして、兵器としてのコスパは最悪・・・も同じ。2兆円に見合った破壊力がないのだ。
たとえば、第2次世界大戦中、最大の破壊兵器といえば広島・長崎に投下された原子爆弾だが、東京大空襲で使用された焼夷弾の方が被害が大きい。
広島の原爆投下では、最終的に15万から20万人の市民が犠牲になった。ところが、1945年3月10日の東京大空襲では、1日で10万人以上が犠牲になっている。
このとき、使われたのが焼夷弾である。焼夷弾は爆風や爆弾の破片で破壊する爆弾ではない。「焼き尽くす」爆弾である。東京の下町は木造家屋が多いので、甚大な被害がでたのである。対象にあわせて、最も効率のよい兵器を作る。人間がいかに性悪で残酷な生物かがわかるというものだ。
「原子爆弾」偶然説には、もう一つ根拠がある。当時の技術では実現不可能だったのだ。
日本にも原子爆弾製造計画があったが、早々に断念されている。ナチスの原子爆弾もしかり。計画はあったが、中心人物のハイゼンベルクは実現は不可能と考えていた。
広島の原爆投下を知らされたとき、ハイゼンベルクはこう言ったという。
「ありえない・・・」
つまり、「1945年の原子爆弾」に必然性はない。というか奇跡だろう。量子力学を初めて体系化し、31歳でノーベル物理学賞を受賞したハイゼンベルクがそう言ったのだから。さらに、原爆投下を命じたアメリカ合衆国のトルーマン大統領もこう断言している。
「アメリカ以外が原子爆弾を保有することは未来永劫ありえない」(マンハッタン計画の責任者オッペンハイマー博士との会話の中で)
結局、偶然の発明は、行きつくところ「人」なのだろう。
もし、マンハッタン計画にオッペンハイマーがいかったら、1945年に原子爆弾は完成しない。フォン・ブラウンがいなかったらV2ロケットが完成しないのと同じように。
ブッシュネルの潜水艇「タートル号」も同じである。
わざわざ水中に潜って、敵艦に爆弾をしかけるくらいなら、艦載砲で攻撃した方が手っ取り早い。つまり、兵器としてのコスパは最悪。
しかも、電気も動力もない時代に、どうやって、潜航するのだ?
つまり、技術的にもムリ。
ではなぜ、1775年に潜水艇「タートル号」が発明されたのか?
3つの運命の糸が、都合よくつながったから。
デヴィッド・ブッシュネル、アメリカ独立戦争、ベンジャミン・フランクリン・・・やはり、「人」がキーなのだ。
■秘密基地
1772年、デヴィッド・ブッシュネルは、船を破壊できる潜水艇を研究していた。ただし、大学の研究テーマとして。
道には馬車、海には帆船、空には鳥という時代に、潜水艦?
ムリ。
だから、何ごともなければ、ブッシュネルの潜水艇は「大学の卒研」で終わっていただろう。ところが、1775年4月、大事件がおきる。アメリカ独立戦争である。
この戦争が、ブッシュネルと潜水艇の運命を変えた。
事の始まりはベンジャミン・ゲイル博士。
彼は、ブッシュネルの「タートル号」の熱心なファンだった。そして、アメリカ植民地政府の要人ベンジャミン・フランクリンの友人でもあった。
ゲイルはフランクリンにこんな手紙を書いている。
「(ブッシュネルの)タートル号は、画期的な水中機械で、イギリス戦艦を撃沈することができる」
時代を考慮すれば、一笑に付されるところだが、フランクリンは科学技術に明るかった。しかも、アメリカ植民地政府の有力な政治家でもある。
この頃、すでにアメリカ独立戦争が始まっていた。開戦早々、イギリスは優勢な海軍力を活かし、アメリカの港を海上封鎖していた。
一方のアメリカ植民地側は、打つ手なし。海上封鎖を解こうにも、海軍すらないのだから。だから、フランクリンはタートル号に賭けるしかなかったのかもしれない。ワラにもすがる思いで。
この頃、アメリカ軍の新しい総司令官にジョージ・ワシントンが就任した(アメリカ合衆国初代大統領)。ベンジャミン・フランクリンは、そのワシントンに会うために、マサチューセッツのケンブリッジに向かった。その途中、セイブルックに立ち寄り、ブッシュネルの潜水艇を視察した。
タートル号をみて・・・フランクリンは感動した。これなら、イギリス艦隊に一泡吹かせられるかもしれない。そこで、ワシントンにタートル号を推挙したのである。
こうして、ブッシュネルの研究は、アメリカ植民地政府の支援をえることになった。
とはいえ、時代は18世紀、しかも、貧乏な植民地アメリカに、大金を投じる余裕はない。
そのため、研究施設はつつましいものだった。
場所は、ブッシュネルの実家に近いコネティカット川のプーヴアティ島。島に小さな小屋があり、それが潜水艇開発の秘密基地だった。周囲の住民には、漁船の倉庫業だと偽った。イギリス側にバレるとおしまいだから。
それにしても、離れ小島の掘っ立て小屋が秘密基地・・・ナチスドイツのV2ロケットの「ペーネミュンデ秘密基地」とは比べようもない。
■リークした国家機密
1775年10月、ベンジャミン・フランクリンは、コネティカット川の岸辺に立っていた。ブッシュネルの潜水艇の実験を確認するために。
ブッシュネルの弟エズラが操縦するタートル号は、潜水し、廃船を木っ端微塵に吹き飛ばした。実験は成功したのである。フランクリンは、タートル号がイギリス艦隊に対抗しうる「秘密兵器」だと確信した。
実験の成功を喜んだのは、フランクリンだけではなかった。推薦したゲイル博士も大喜びで、友人にこんな手紙を書き送っている。
「(ブッシュネル)のタートル号は、水中に潜り、廃船を爆発した。イギリスの戦艦に対抗できる兵器になるだろう」
ところが・・・
この手紙がイギリス側に漏れてしまった。
一体、どうやって?
コネティカット州キリングワースの郵便局長は、イギリス国王の支持派だった。さらに、ゲイル博士がアメリカ独立支持派だということを知っていた。そこで、ゲイル博士の手紙を検閲していたのである。
こうして、「ブッシュネルのタートル号」はイギリス側に露見する。
まず、郵便局長が、ゲイル博士の手紙の写しをニューヨークの元総督ウイリアム・タイロンに送った。
それを読んだタイロンは驚愕した。すぐに、ボストン港を封鎖しているイギリス艦隊の司令官モリニュー・シュルダム中将に連絡する。
「アメリカ人が発明した潜水艇が、戦艦を吹き飛ばす威力をもっている」
ところが、迅速な伝言リレーもここで終わった。
シュルダム中将が警告を無視したのである。
水に潜る水中機械?
戦艦を吹き飛ばす?
はぁ?ヤンキーがそんなモノ作れるはずがない・・・シュルダム中将は、真に受けなかったのである。
結局、ブッシュネル兄弟が逮捕されることも、タートル号が破壊されることもなかった。
幸運の女神は、ブッシュネル兄弟に微笑んだのである。
参考文献:
(※1)「兵器メカニズム図鑑」著者出射忠明、グランプリ出版
(※2)「戦争と科学者・世界を変えた25人の発明と生涯」著者トマス・J・クローウェル、訳者藤原多伽夫、原書
by R.B