明の太祖・朱元璋(11)~宿敵・張士誠~
■朱元璋が兵権をゆずる
濠洲の紅巾軍は、内輪もめだけやっていたわけではない。反乱軍の勤めもちゃんと果たしていた。
たとえば・・・
1354年、朱元璋が徐州を攻めると、濠州・紅巾軍はこれに呼応した。泗州(ししゅう)を攻めたのである。
ところが、占領に成功すると、またもや内輪もめ。彭大(ほうだい)と趙均用(ちょうきんよう)の内部抗争である。
今回、仕掛けたのは趙均用の方だった。
趙均用は秘密結社あがりの怪しい人物で、妖術を使ったのか、カネをバラまいたのか、今となっては知るよしもないが、話はそこでなくて、彭大の部下を次々と寝返らせた(たぶんカネ)。
結果、彭大は孤立し、味方は郭子興(朱元璋の親分)だけになった。寝技が苦手の彭大はなすすべがなく、すっかり塞ぎこんでしまった。あげく、病をこじらせて、死んだのである(心の病気?)。
この頃の対立の構図は、
趙均用派(一の子分:孫徳崖)Vs.彭大派(一の子分:郭子興)
なので、彭大が死んだ以上、郭子興に明日はない。
事実、趙均用派の孫徳崖は、なんだかんだ難癖つけて、郭子興を追い込むのだった。ところが、親分の趙均用は郭子興を粛清しようとしない。
なぜか?
じつは、朱元璋が手を回していたのである。
朱元璋は、彭大が失脚すれば、郭子興の命はないことはわかっていた。ところが、郭子興は濠洲、朱元璋は徐州と場所が離れている。そのため、不測の事態に対応できない。
そこで、朱元璋は趙均用の側近を買収し(妖術ではなく)、郭子興を守らせたのである。それが功を奏して、やがて、郭子興は開放された。
こうして、郭子興は徐州(朱元璋の領国)に身を寄せたのだが・・・
なんと、朱元璋は郭子興に兵権をゆずってしまった。いくら、親分、義父とはいえ、ほうほうの体で逃げてきた敗軍の将に・・・
さては、朱元璋は律義者?
そうでもない。
朱元璋にはダークサイド(暗黒面)がある。明朝成立後、用済みとばかり、功労者、重臣、将軍を皆殺しにしているのだ。
どっちかにしてくれ、とツッコミどころ満載なのだが、どっちも本当。
朱元璋は「律儀」と「冷酷」が仲良く共存していた。どっちがでるかは状況次第。問題解決に都合のよい方が、選択される。つまり、究極のリアリストなのだ。
こうして、朱元璋は悩みのタネ「郭子興問題」を解決することができた。
ところが、ここで新たな問題が発生する。後に宿敵となる張士誠(ちょうしせい)が台頭したのである。
■宿敵「張士誠」登場
泰州(たいしゅう)は、海辺にあり、製塩がさかんな土地だった。ところが、役人の搾取が過酷なので、生活は苦しく、みな元朝を憎んでいた。
そんな中、頭角を現したのが張士誠である。
張士誠は小さい頃から、膂力(りょりょく)があり、義侠心も持ち合わせていた。そのため、長じると、塩の密売人の頭領にのしあがった。くわえて、気前がよく、貧しい人々を救ったので、民百姓の人気もあった。こうして、張士誠は土地の顔役になったのである。
この地に、丘義という小役人がいた。表では、塩の密売を取り締まりながら、裏では密売人の張士誠と通じていた。ワイロをとるくせに、難癖つけて、塩を運ぶ船を妨害するのである。タチの悪いコッパ役人だ。
これに輪をかけて、あくどいのが地主だった。
地主は、元朝側でありながら、塩の密売に手を染めていた。塩の密売人から塩を買い、高値で売りさばくのである。ところが、代金を払わないことがたびたびあった。仕入れがタダなので丸儲けだ。
密売人にしてみれば、
訴えてやる!
なのだが、そうもいかない。
訴えたが最後、「塩の密売人」を認めることになるから。
訴えた方が縛り首ではシャレにならない。
そんなこんなで、張士誠はハラワタが煮え返っていた。
そんな状況で、紅巾の乱がはじまったのである。腐りきった元朝支配に、農民が立ち上がったのだ。
張士誠はコーフンした。百姓にできるなら、オレたち(塩の密売人)にできないはずがない。そして・・・気がついたら、丘義と地主を殺し、屋敷を焼き払っていた。
燃えさかる屋敷をみて、張士誠はコーフンから覚めた。こんな大罪を犯せば、ただではすまない。捕まれば死罪。それなら、いっそう攻めに回った方がいい・・・攻撃は最大の防御というし。
そこで、張士誠は、塩の密売人仲間を誘って旗揚げした。
1354年1月、張士誠は、寄せ集めの雑兵軍を率いて、泰州(たいしゅう)と高郵(こうゆう)を攻略した。中国有数の塩田地帯である。
中国では、塩は国の専売品で、貴重品。それを支配したのだから、張士誠はすっかり舞い上がってしまった。なんと、王になったのである。
無頼の徒からはじまり、塩の密売人になり、王にのしあがる。夢と希望に満ちた、というか、なんでもありのいい時代だ。ちなみに、張士誠は「誠王」と称し、国名を「大周」と号した。
ところが・・・
1年も経たないうちに、張士誠は天国から地獄へ真っ逆さま。
支配地の高郵が元軍に包囲されたのである。しかも、総大将は丞相・脱脱(とくとく)、元朝最強の将軍である。脱脱は、高郵の陥落は時間の問題とみて、一隊をわけて、六合を同時攻撃させた。
仰天したのが六合の守将だ。あわてて、徐州の郭子興のもとに使者を送り、救援をもとめた。
六合は、徐州の東方に隣接している。ここを突破されたら、徐州が落ちるのは時間の問題だ。朱元璋は親分の郭子興に、一刻も早く援軍をだすように迫った。ところが、郭子興は首をタテに振らない。六合の守将が嫌いだったのである。
好き嫌いを言っている場合か!
・・・をグッと呑み込んで、弁舌をつくして郭子興を説得した。こうして、援軍は出たのだが、六合に着いても攻めようとはしない。おびたただしい数の元軍をみて、怖気ついたのである。そうこうしているうちに、六合の城塞は突破されてしまった。万事休す。
ところが、朱元璋はすべてお見通しだった。
援軍が遁走しているようにみせかけて、退路に伏兵をひそませたのである。
元軍が勇んで追撃してくると、突如、伏兵が現れ、徐州の守備軍も太鼓をうちならして加勢した。想定外の展開に元軍は仰天し、馬を打ち捨てて遁走した。おかげで、朱元璋は大量の馬を手に入れることができた。
とはいえ、遁走したのは、脱脱の分隊にすぎない。この時の元軍は100万と号していたので、話半分でも大軍。再編成して包囲されれば、ひとたまりもない。そこで、朱元璋は一計を案じた。元軍から得た馬を、元側に丁重に送り返したのである。元軍はすっかり安心し、撤退していった。
朱元璋、おみごと。
せっかく得た貴重な馬を惜しげもなく返す。そのかわり、徐州が包囲される危機を救ったのである。徐州は孤立無援なので、包囲されたらおしまい。そうなれば、朱元璋もおしまいだ。
え、「馬より命」はあたりまえでしょう?
ところが、カンタンに割り切れないのが人間というのも。元軍が残したおびただしい数の馬をみればなおさらだ。
朱元璋の冷徹な優先順位付けと、光速決断は特筆に値する。城主が嫌いだからと援軍を出ししぶった郭子興とは大違いだ。
その郭子興だが、元軍が撤兵したので、調子にのって、王を名乗ると言い出した。朱元璋は感情をおさえながら、こう諭(さと)した。
「徐州は豊かな土地ではありません。包囲されれば、すぐに兵糧はつきます。王を称するのは、もっと大きな国を取ってからでも遅くはありません」
郭子興は黙って朱元璋に従った。
■脱脱が失脚する
こうして、朱元璋は窮地を脱したが、トバッチリをくったのが張士誠だ。
六合から撤退した元軍の分隊が、高郵の元軍の本隊と合流し、攻撃を再開したのである。外城は突破され、城内に攻め込まれるのは時間の問題だった。
危うし、張士誠!
張士誠の「大周」が滅亡すれば、勢いにのった元軍は、つぎに徐州に殺到するだろう。そうなれば、郭子興と朱元璋の領国も滅ぶ。その後、反乱軍は各個撃破され、紅巾の乱は鎮圧・・・
ところが、そうはならなかった。
脱脱が失脚したのである。
元朝の順帝が、脱脱を更迭し、兵権を取り上げたのだ。その理由というのが・・・功績が少ない。
高郵は陥落寸前なのに、ありえない。
一体何がおこったのだ?
脱脱は地雷を踏んだのである。
この事件は、現代を生きるわれわれにも教訓となる。
故・田中角栄(元首相)は、かつて、こんな名言を吐いた。
「ムリに味方をつくる必要はない。だが、敵はつくるな。自分の周囲に無限の中立地帯をつくれ」
味方をつくれば、借りができ、それが弱みになる。一方、敵をつくれば禍根を残し、災いの元になる。それが「地雷」なのだ。
脱脱は、代々ハーンに仕えた蒙古貴族の出身だった。しかも、元軍にあって、戦略が描ける数少ない人材だった。事実、順帝からの信任も厚く、皇帝につぐ丞相に任じられていた。
それで、どうやって失脚する?
脱脱をおとしめる人物がいたのだ。偏屈で執念深い佞臣(ねいしん)、哈麻(はま)である。
哈麻は近衛兵の出身で、はじめは脱脱に取り入って、出世した。ところが、のちに脱脱の側近と対立し、左遷された。それを恨んでいたのである。
哈麻は狡猾だった。順帝の母と皇太子に取り入って、あることないこと告げ口した。結果、脱脱は毒殺されたのである。その脱脱を継いで丞相になったのが哈麻というから、わかりやすい。
というわけで、人間の恨みは恐ろしい・・・だから、地雷のない無限の中立地帯をつくるべし!
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ですね。
ところで、順帝はなぜ真実を見抜けなかったのか?
資質に問題があったから。
1352年、脱脱が徐州を落とすと、順帝はすっかり安心し、怪しい宗教にのめり込んだ。訳のわからない教義を真に受け、上都(元の都の一つ)に宮殿を造営し、大広間で万人を集めて、宴会ザンマイ。
殿ご乱心・・・よくある話だが、度を越すと国が滅ぶ。事実、元朝もそうなった。
脱脱の失脚は、元朝にとって、「百害あって一利なし」だった。脱脱配下の元軍は四散し、その一部が紅巾軍に入ったからである。さらに、張士誠の「大周」も、間一髪、滅亡をまぬがれた。結果、元軍は弱体化し、反乱軍は強大化するばかりだった。
順帝の不用意な一手が、歴史の盤面を一変させたのである。
参考文献:
「超巨人朱元璋・運命をも変えた万能の指導者」原作:呉晗、堺屋太一、志村嗣生、志村三喜子、講談社
by R.B