ニーチェとナチス~レニの意志の勝利~
■ワーグナーの信奉者
神は死んだ・・・ニーチェは自著「ツァラトゥストラはかく語りき」でかく語った。
この不用意な一言が、キリスト教徒の心情を逆なでにし、反キリストの烙印を押されたことは想像に難くない。大哲学者ニーチェも、熱心なキリスト教徒からみれば、ただの背信者なのだ。つまり、20億人が敵!?
さらに・・・
ニーチェは「ナチスのシンパ(賛同者)」の嫌疑もかかっている。もし、それが本当なら、全人類が敵!?
歴史的名声をえているニーチェ像も、じつは薄氷の上にあり、いつ水没してもおかしくないわけだ。
では、本当のところはどうなのだろう?
第一の疑惑はワーグナーがからんでいる。
ワーグナーは、言わずと知れたドイツの大音楽家である。19世紀ロマン派歌劇の王様で、「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」など、荘厳かつ芝居がかった楽曲で名声をえている。
そのワーグナーの熱烈な信奉者がニーチェだったのである。ニーチェは、学生時代にワーグナーの楽曲に感銘をうけ、個人的な交流が始まった。その後、ワーグナーを讃える書を書いて、インテリからひんしゅくを買った。
そして・・・
ヒトラーも熱心なワーグナー信奉者だった。ヒトラーは、17歳のとき、シュタイアー実科中学校を放校処分になり、ウィーンに旅行したが、そのとき、友人のアウグスト・クビツェクに絵葉書を送っている。そこにはこう書かれていた。
「僕は今、ワーグナーに夢中だ。明日は『トリスタン』を、明後日には『さまよえるオランダ人』を観るつもりだ」
ヒトラーは、その後、ドイツの総統にまで上りつめるが、ワーグナー熱が冷めることはなかった。定期的に劇場に出かけ、ワーグナーの荘厳な歌劇に酔いしれたのである。
ということで、ニーチェはワーグナーをハブに、ヒトラー(ナチス)のお仲間とみられたわけだ。とはいえ、音楽の趣味が同じだからといって、ナチスシンパ呼ばわりされてはたまらない。
ところが・・・
ワーグナーは偉大な音楽家にみえるが、うさん臭いところもあった。天上天下唯我独尊で傲慢不遜、しかも、金遣いがあらく、年中金欠だったが、問題はそこではない。
彼の代表作「ニーベルングの指環」は、天界と人間界をまたぐ、壮大な戦争叙事詩だが、モチーフは北欧神話。つまり、神々と北欧ゲルマン人を讃える物語なのだ。
北欧ゲルマン?
じつは、ワーグナーは、北欧ゲルマン人至上を信じる偏屈な反ユダヤ主義者だった。しかも、彼の2度目の妻コージマも反ユダヤ主義者で、夫婦そろって人種差別主義者だったのである。
ゲルマン人最高&ユダヤ人最低?
ナチスの教義そのままではないか。
じゃあ、ワーグナー夫婦はナチス信奉者だった?
ノー!
この二人がナチス信奉者であるはずがない。ナチスが創設される前に死んでいるから。
それに、17歳のヒトラーがワーグナーに魅せられたのは音楽であって、偏屈な人種差別ではない。この頃、ヒトラーのユダヤ人に対する差別意識は、ヨーロッパ人としては平均的なものだった。驚くべきことに、21歳の時、ヒトラーには、ヨーゼフ・ノイマンというハンガリー系ユダヤ人の親友がいた。彼に自分の描いた絵を売ってもらっていたのである。
ニーチェもしかり。はじめに、ワーグナーの楽曲に感動し、個人的なつき合いが始まり、彼の知性に魅了されたのである。
そもそも、ニーチェは人種差別主義者ではなかった。彼は「ユダヤ教」を嫌っていたが(厳密には一神教)、「ユダヤ人」を差別していたわけではない。
というわけで、ワーグナーをからめて、ニーチェを「ナチスシンパ」呼ばわりするのは正しくない。
ところが・・・
やっかいなことに、そう思われてもしかたがない事実があるのだ。ニーチェは著書の中でこう書いている。
「ちっぽけな美徳やつまらぬ分別(道徳)、惨めな安らぎ(宗教)を求めることなかれ、強固な意志と不屈の精神で成し遂げるのだ」
つまり、「道徳」と「宗教」を否定し、内なる声に従い、雄々しく生きよと鼓舞したのである。
これがニーチェ哲学の根幹をなす概念「力への意志」である。そして、この勇ましい思想が、ナチスに利用されたのである。
■ナチスの映画
1934年、ナチスは党のプロパガンダ映画「意志の勝利」を制作した。1934年9月4~5日に開催されたナチスの全国党大会の記録映画である。
タイトルといい、内容といい、ニーチェの「力への意志」を彷彿させる。
ところが、この映画は、現在、ドイツで上映が禁止されている。ドイツでは、映画であれ、TVであれ、Tシャツであれ、「ナチス」の露出は禁じられているのだ。
禁じられると、よけいに観たくなる!
心配無用。日本ではDVDがふつうに手に入る(amazonで3,730円)。
それにしても日本はいい国だ。言論・思想の自由とかで、言いたい放題、見せたい放題、何をしても許されるのだから(皮肉です)。そこで、DVD版「意志の勝利」(※1)を購入してみると・・・暴力シーンやエロいシーンはゼンゼンない。むしろ、荘厳で美しく、芸術的(そして眠くなる)。
ということで、発禁の理由は、ひとえに「題材=ナチス」。
では、映画の内容はどうなのか?
「ナチス」がムンムン伝わってくる。
冒頭、いきなり、鷲と鉤十字をかたどった像の下に、「TriumphdesWillens(意志の勝利)」が映し出される。
そして、重々しい文言・・・1934年9月5日、世界大戦勃発から20年後、ドイツの受難から16年が経過、ドイツの復興が始まって19ヶ月、アドルフ・ヒトラーは閲兵のため、ニュルンベルクを再訪した・・・
シーンは変わって、飛行機のコックピット。眼前にみごとな大雲海が広がっている。重厚なサウンドと相まって、気分が高揚する。飛行機は徐々に高度を下げ、雲の割れ目から古都ニュルンベルクが見える。大聖堂をはじめ、荘厳な石造りの建物が整然と並ぶ。中世を思わせる美しい街だ。
飛行機がニュルンベルクの飛行場に着陸する。大勢の民衆が出迎え、歓声をあげている。ヒトラーが飛行機から降り立つと、「ハイル、ハイル、ハイル」の大合唱だ。
オープンカーで、ドイッチャー・ホーフ・ホテルに向かうヒトラー。その途中、道の両側の建物から鉤十字のナチス旗が垂れ下がり、人々が熱狂的に手を振っている。
ホテルに到着すると、母と娘がヒトラーに花束をわたし、笑顔でこたえるヒトラー。絵に描いたような演出だ。ヒトラーがホテルに入ると、
「われらの指導者、姿をみせて!」
の大歓声がわきおこる。ヒトラーが窓から姿をあらわし、それに笑顔でこたえる。強固な意志と不退転の決意を秘めながら、民衆には心を開く、我らが指導者というわけだ。
映像はモノクロだが、美しく、荘厳で、力強い。演出もカメラワークも、時代を考慮すれば新鮮だ。映画全体に一大叙事詩のような風格がある。こんな映画を撮れる監督はそういない。現代なら、スタンリー・キューブリック(故人)かリドリー・スコットか?
■レニ・リーフェンシュタール
ところが・・・
「意志の勝利」を撮ったのは、キューブリックやリドリースコットのような映画界の重鎮ではなかった。レニ・リーフェンシュタール、当時まだ32歳の美しい女性だった。
この映画の2年前、1932年3月、レニリーフェンシュタル監督兼主演の映画「青の光」が公開された。ヒトラーはこの映画をみて感動したのである。その後、レニはヒトラーの大のお気に入りになり、1938年のベルリンオリンピック「民族の祭典(オリンピア)」の監督も任されている。
「意志の勝利」は高い芸術性が評価され、数々の賞を受賞し、レニも栄光と名誉を手に入れた。ところが、戦後、評価は一変する。ナチスが全否定されたのだ。結果、「意志の勝利」は上映が禁じられ、レニ自身も、ナチスに協力した罪で訴えられた。最終的に無罪になったものの、誹謗中傷はその後もつづいた。
この不遇に対し、レニはこう反論した。
「わたしはナチスに加担したわけではない。美を追求しただけだ」
たしかに、レニの映像は「美」をねらっている。しかし、その「美」は穏やかな自然の美ではない。超越した力の美である。そして、脚本は明確に「ナチス礼賛」。これでは、「ナチスの協力者」と言われてもしかたがないだろう。もっとも、そうしないと、映画は完成しなかったのだが。実際、ナチス宣伝相ゲッベルスがあまりに口うるさいので、レニはヒトラーに苦情を訴えている。
ということで、レニはヒトラーから依頼されてこの映画を撮ったのだが、結果として、ナチスを利用して自己実現することになった。フォン・ブラウンが、ナチスの超兵器V2ケットを利用して、ロケットの夢を叶えたのと同じように。
論より証拠、映画の内容を精査してみよう。
脚本と演出から、この映画のテーマは3つ確認できる。
1.ヒトラーは偉大な指導者
2.ドイツの若者は健全でパワフル
3.ナチスドイツは階級のない社会
では、この3つが映像でどう表現されているかみていこう。
【ヒトラーは偉大な指導者】
飛行場に到着したヒトラーを出迎える熱狂的な民衆。オープンカーで移動中、道すがらナチス式敬礼でヒトラーを讃える民衆。母娘から花束を渡され、笑顔でこたえるヒトラー・・・ヒトラーは国民から崇拝されると同時に、愛される指導者でもある。
さらに・・・
ヒトラーの演説は分かりやすく、力強い。要点をしぼって、カンタンな言葉で何度も繰り返す・・・ヒトラーは頭がよくて、頼りがいがある。ドイツを再び繁栄に導いてくれるに違いない。
というわけで、ヒトラーの演出は「偉大な指導者」にフォーカスされている。
【ドイツの若者は健全でパワフル】
ニュルンベルク郊外に設営された無数のテント。ヒトラーユーゲント(青少年団)の野営地だ。ここで、多くの若者が共同生活をおくっている。
朝起きて、ヒゲをそり、顔を洗う、こんな日常でさえ、限りなく健全で明るい。水掛けをしてふざけあうカットも、民族の一体感を感じさせる。そして、みたこともない大鍋でスープをつくって、大量のソーセージを煮込んで、みんなでモリモリ食べる。調理と食事という日常の風景なのに、物量が多いだけで、力強さを感じさせる。
食事が終わると、相撲とボクシングをあわせたような格闘技や騎馬戦に興じる・・・じつは、スポーツは疑似暴力(アグロ)。
というわけで・・・
ドイツの若者は、共同生活を楽しみ、スポーツを愛する。だから、健康的で、明るく、パワフル。心の病気などどこ吹く風だ。
そして・・・
こんな若者にささえられたドイツの未来は明るい!
とはいえ、これが当時のドイツ青少年のスタンダードと言うわけではない。この映画が撮られた1934年、ドイツの若者がすべてヒトラーユーゲントとは限らなかったから。ところが、1936年、「ヒトラーユーゲント法」が成立し、すべての青少年の入団が義務づけられた。つまり、「ドイツの青少年=ヒトラーユーゲント」。
以前、265代ローマ教皇ベネディクト16世が、ヒトラーユーゲントの団員だったことが取り沙汰された。もちろん、的外れ。この時すでに、ヒトラーユーゲント法が成立していたから。
【ナチスドイツは階級のない社会】
民族衣装に身を包み、収穫の行進をする農民たち。ナチスは農業・農民を重視します!が映像からヒシヒシ伝わってくる。そもそも、ヒトラーが東方生存圏の拡大をもくろんだ理由は、ドイツの食料不足にあったのだから。
ヒトラーがドイツ労働者戦線指導者ロベルトライをともない、労働戦線の隊員たちを観閲する。続いて、ナチス幹部の労働者を讃える熱い演説。
この2つの映像は、ナチスドイツが農民と労働者を重視する、つまり、「階級のない社会」であることを示唆している。また、先の「ヒトラーユーゲントの野営地」の映像は、ナチスドイツが個人が全体に従属する「全体主義」であることを暗示している。
つまり、ヒトラーの狙いは、「階級のない社会=共産主義」と「個人より国家=全体主義」にあったのである。
そして・・・
後者の「全体主義」は、おそらく、ヒトラーの戦争体験によっている。
1918年10月13日、第一次世界大戦中、イープルの前方の南部戦線で、イギリス軍は毒ガス「マスタードガス(ドイツ軍は黄十字ガスとよんだ)」を使用した。ヒトラーはその毒ガスをもろにあびたのである。
その時の苦悩と覚醒が、ヒトラーの著書「わが闘争」に記されている・・・
ガスに倒れ、両眼をおかされ、永久に盲目になりはしないかという恐怖で、一瞬、絶望しそうになったときも、良心の声がわたしを怒鳴りつけたのだ。あわれむべき男よ、なんじは、幾千の者がなんじより幾百倍も悪い状態に陥っているのに、それでも泣こうとするのかと・・・わたしは、祖国の不幸にくらべれば、個人的な苦悩というものが、すべてなんと小さいものかということを知ったのだ(※2)。
まさに、全体主義・・・
でも、「共産主義+全体主義」なら、まんまボリシェビズム(レーニン式共産主義)では?
たしかにやってることは変わらない、では身もフタもないので、ムリクリ両者の違いを捻出すると・・・憎む相手。
ボリシェビズムの敵は、資本家、つまり「階級」。一方、ナチスの敵は、ユダヤ人とスラヴ人、つまり「人種」。
ヒトラーは「ヨーロッパの新秩序」を掲げ、人種ヒエラルキー社会をもくろんでいたのである。それが、イデオロギーとよべるかどうかはさておき、上から順番に・・・
第1位:ゲルマン人(ドイツ・オーストリア)
第2位:ラテン人(南ヨーロッパ)
第3位:スラヴ人(東ヨーロッパおよびロシア)
第4位:ユダヤ人
ヒトラーは、ドイツの資源不足(特に食糧)を憂慮していた。そこで、新たな生存圏を獲得するため、上記リストの下位の土地をねらったのである。ところが、第4位のユダヤ人は広い領土をもたない。一方、第3位のスラヴ人が住むロシアは広大で、天然資源は無尽蔵(特に鉱物資源は世界トップ)。そこで、ヒトラーはロシアを征服しようとしたのである。
ヒトラーは、「優れたドイツ人が狭い土地に住み、劣ったスラヴ人が広い土地に住むのはがまんならない」と側近にもらしていたという。その意識が、第二次世界大戦を招いたのである。
ただし、第二次世界大戦の直接原因はヒトラーにあるのではない。イギリス首相チェンバレンの愚策にある(イギリス議会の総意でもあったが)。ヒトラーはフランスはもちろん、ポーランドも侵攻するつもりはなかったのだから。
ということで、ナチズムもボリシェビズムも「敵を憎んでやっつけろ」が基本で、異民族や価値観の違いを認めて、折り合う気がさらさらない。だから、隣国にとってはハタ迷惑なのだ。
日本のお隣にも、お仲間がいるって?
否定はしませんけどね。
話をレニにもどそう。ゲッベルスにちゃちゃを入れられたか、身の危険を感じたか分からないが、結果として、映画は「ナチス礼賛」になってしまった。
その真骨頂が、ナチスの副総統ルドルフ・ヘスの演説だろう。映像を観ていると、歯が浮いてくる・・・
わが総統・・・人々は理解することになるでしょう。我々生きるこの時代の偉大さを、我が国にとって、総統がいかに重要な存在であるかを。
あなたはドイツです。
あなたの指導のもと、ドイツは真の祖国となる目的を達成するでしょう。世界中すべてのドイツ民族のために。あなたは我々に勝利を約束なさった。そして、今、我々に平和を与えてくださる。ハイル・ヒトラー!ジークハイル!
それにつづく、「ジークハイル!」の大合唱。
ところが・・・
このヘスの演説の合間に、2秒ほど、ナチスナンバー2のゲーリングの表情が映るのだが・・・その白けた顔。そこにはこう書いてある。
「よう言うわ」
これはカットですよ、レニ監督。
■ニーチェとナチス
というわけで、ニーチェの思想とナチスの教義は似ているが、共通するのはイケイケぐらい。そもそも、ニーチェの「力への意志」の核心は個人主義にあるが、ナチスは頭のテッペンからつま先まで全体主義。だから、根本が真逆なのだ。つまり、ナチスは、都合のよいところだけ、ニーチェ・ブランドを利用したのである。宗教的道徳を捨て、力を信じて、お国のために死んでくれ!と。
ところが、ヒトラーがニーチェを愛読していたという証拠はない。ヒトラーは大変な読書家だったが、ジャンルは歴史と地理と戦争物に限られていた。ただし、第一次世界大戦中、戦場でショーペンハウアーを読んでいたという記録がある。
ショーペンハウアーといえば、19世紀を代表する大哲学者だが、大学入試(大阪大学)の現国の問題にもなっているので、特別難解というわけではない。とはいえ、個人的には難解だし、そもそも陰気臭い。でも、ひとつだけ感動した言葉がある。
「人間、40才までが本文、それを過ぎたら注釈の人生」
偉人の名言の中でも、ひときわ目立っている。あまりのインパクトに卒倒しそうになった。
それはさておき、ショーペンハウアーは「意志」にからんで、ニーチェに影響を与えているので、ヒトラーの心をとらえた可能性はある。
一方、イタリアのファシスト党首ムッソリーニは、ニーチェを愛読していた。彼は自著「力の哲学」の中で、
「ニーチェは19世紀最後の4半世紀で、最も意気投合できる心の持ち主だ」
と持ち上げている。
ムッソリーニの「覇道の人生」を正当化しているのだから、無理からぬ話だ。とはいえ、ムッソリーニは、世間に流布されたような無教養で粗野な人物ではなかった。大変な読書家で、数カ国語をあやつるインテリだったのである。
というわけで、ヒトラーがニーチェの信奉者だった証拠はないが、お仲間のムッソリーニはそうだった。だから、ニーチェはファシズムを産んだわけではないが、加担したことは否定できない。
しかし、ニーチェの一番の問題はそこではない。
彼の理想と現実の埋めようのないギャップ。
■ニーチェの末路
ニーチェは読者にむかって・・・
「己の内なる声に耳を傾けよ。その声に従って、生きよ。道徳やルールに惑わされてはならない」
と、危険な生き方を強要しておきながら、自分は35歳でニートになってしまった。体調不良で、大学の教授をやめたのである。その後、気候の良い土地を転々としながら執筆に専念した。早い話が在野の学者。
ところが、ニーチェの転落はここでとどまらなかった。45歳で、生きながらにして、アリ地獄に落ち込んだのである。
1889年1月3日、トリノの街を散歩中に、老馬が御者に鞭打たれるのをみて、突然、馬の首にしがみつき、泣き崩れてしまった。気が触れたのである。その後、実家のナウムブルクから近いイェーナの精神病院に入院した。
病室では、たいてい口をきかず、ふさぎ込んでいた。かとおもうと、突然、大声でわめきだし、自分を皇帝とか公爵とよんで、窓を叩き壊すこともあった。そして、頭痛がはじまると、看護人をビスマルクだと言って、ののしるのだった。
「私は愚かだから死んでいる。私は死んでいるから愚かだ」
と、芝居のセリフのような呪文を繰り返した。
これはうつ病レベルではない。重度の精神障害「統合失調症」である。
やがて、病院は回復の見込みがないことを認め、1890年5月、ニーチェは退院した。その後、ナウムブルクの実家にもどり、一度も回復することなく、55歳でこの世を去った。
じつは、ニーチェの狂気は、鞭打たれる老馬をみて、突然、発現したわけではない。子供の頃、すでに、予兆があったのだ。ニーチェはこう書いている。
「僕が恐ろしいと思うのは、僕の椅子の後ろの、ぞっとする姿ではなく、その声である。どんな言葉だって、その姿が発する声ほど、身の毛もよだつ、言葉にならない非人間的なものはない。人間がしゃべるように話してくれさえすればいいのだが」(※3)
幻聴や幻覚は統合失調症の典型的な症状である。誰もが子供のとき経験する夢想世界とは別ものだ。結局、ニーチェの幼少時の予兆は現実になったのである。
■クラーク博士の末路
ニーチェの理想と現実の人生をみると、
「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」
を残したクラーク博士を思いだす。
ウィリアム・クラークは、アメリカ合衆国の教育者で、札幌農学校(現北海道大学)の立ち上げに尽力した。先の名言は、これから巣立つ若者へのはなむけの言葉として有名である。
ところが、そのクラーク博士・・・
帰国後、大学の学長になり、順風満帆だったのに、自分の名言を実践することにした。学長を辞めて、新しい大学の創設、会社の創業に挑戦したのである。
「Oldboys,be am bitious(中年よ、大志を抱け)」
ところが・・・
結果はすべて失敗。最後は破産に追い込まれた。その後、心臓病をわずらい、寝たり起きたりで、59歳でこの世を去ったという。
大志を抱き、現実で失敗し、悲惨な末路をたどり、名声だけが残る・・・詳細はさておき、大枠、ニーチェと同じではないか。
というわけで・・・
挑戦する人生は素晴らしいが、身の丈を超えると、後が良くない。欲をかかず、つつましく生きるのも良き人生かな・・・
■ゲーテの末路
ニーチェは、寄宿学校時代、文学サークル「ゲルマニア」をつくり、シェークスピアやゲーテをよみあさった。
そのゲーテだが、詩人、劇作家、小説家、科学者、弁護士にして政治家と、ニーチェの「力への意志」を地で行くような「攻め」の人生だ。
ところが・・・
その「攻め」のゲーテが、晩年、こんな言葉を残している。
気持ち良い人生を送ろうと思ったら・・・
済んだことをクヨクヨしないこと、
むやみに腹を立てないこと、
現実を楽しむこと、
人を憎まないこと、
そして、未来を神にまかせること。
人生は複雑である。
参考文献:
(※1)意志の勝利[DVD]販売元:是空
(※2)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)アドルフ・ヒトラー(著),平野一郎(翻訳),将積茂(翻訳)
(※3)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」ベンマッキンタイアー(著),BenMacintyre(原著),藤川芳朗(翻訳)白水社
by R.B