ポツダム宣言(3)~原爆投下の理由と正当性~
■原爆投下の理由
もし、天皇の英断がなければ・・・
日本に3個目の原子爆弾が投下されていただろう。時期は1945年8月17日~8月末、ターゲットは「東京」または「新潟」、起こりうる確率はほぼ100%・・・
一方、1945年7月から8月15日は、日本史上最も不安定な時期だった。何が起こるかわからない、何が起こっても、その後の歴史が一変する可能性があったから。
さらに、この1ヶ月には不可解な点が多い。日本史上初めて起こった国家存亡の機・・・ポツダム宣言、原爆投下、日本の降伏・・・その真相と因果関係である。
具体的には、
1.広島と長崎に原子爆弾を投下した理由は?
2.原爆投下は回避できなかったのか?
3.原爆投下は正当性できるか?
まずは、「1.原爆投下の理由」から。
日本は敗北はまぬがれず、降伏は時間の問題だった。それでも、原子爆弾を使う必要があったのか?。
アメリカ側の答えは「イエス」。
理由は、日本を一刻も早く降伏させ、アメリカ兵の犠牲を減らすため。
なるほど。
じつは・・・
アメリカ軍の大規模な都市破壊は、広島、長崎が初めてではなかった。1945年3月10日の「東京大空襲」では、10万人以上が犠牲になっている。一晩でこれほど多く民間人が犠牲になったのは、世界史上初めてのことだった。さらに、その年の7月までにアメリカ空軍は日本の67の都市を焼夷弾で爆撃し、数十万の民間人を焼き殺した。これは、広島と長崎の原子爆弾の犠牲者の数を上回る。
ところが、日本の空爆責任者カーチス・ルメイ将軍は、これを一言で正当化した。
我々は日本と戦争をしている。日本人を殺したいか、それとも、アメリカ人が死ぬほうがいいのか?(※2)
原子爆弾を投下したのも同じ理由、というわけだろう。
一方、原子爆弾を使った本当の理由は「人体実験」だったという説もある。
では、どっちが本当なのだろう?
これまでに開示された情報によれば・・・両方とも真実。
じつは、圧倒的に優勢なアメリカも、選択肢は限られていたのだ。
日本本土上陸作戦は膨大な数の犠牲者が予想された。アメリカ統合参謀本部のシミュレーションによれば、アメリカ軍の犠牲者の数は7万~50万人。アメリカ史上最悪の戦死者をだした南北戦争に匹敵する。
アメリカは民主主義の国である。硫黄島の戦いで、
「上陸4日間で戦死者644名」
のニュースが伝わっただけで、国民から非難の声があがったのだ。数十万人規模の戦死者が出れば、責任問題は避けられない。だから、日本本土上陸作戦はなんとしてでも避けたかったのである。
ところが、日本本土上陸作戦なしで日本を降伏させるには、海上封鎖しかない。つまり、兵糧攻めで日本人が餓死するのを待つのである。しかし、これでは時間がかかりすぎる。その間、ソ連が対日参戦し、日本支配下の満州に攻め込むだろう。さらに、日本の降伏が遅れれば、北海道、東北まで占領される可能性がある。
だから、悠長に海上封鎖をやっている場合ではなかったのだ。日本本土上陸作戦、海上封鎖以外に日本を早々に降伏させる方法はないものか?
そんな時・・・
原子爆弾が完成したのである。
原子爆弾を日本の都市で爆発させれば、日本の指導部は恐れおののき、降伏するだろう。だから、原爆投下の理由の一つが「戦争の早期終結」にあったことは間違いない。もちろん、この場合、「アメリカの若者の命を救う」と等価である。
では、原爆投下のもう一つの理由「人体実験」は?
アメリカの戦争指導者にはその動機がある。とくに、マンハッタン計画の責任者グローヴズ准将には。
もともと、原子爆弾はドイツに使うために開発された。ところが、完成する3ヶ月前にドイツは降伏してしまった。
「20億ドル使い切ったけど、間に合いませんでした」
では責任者の顔が立たない、というか、面目丸つぶれ。
何とか、原爆を使う手はないものか?
残っている敵は?
日本のみ。
分かりやすい構図である。
さらに、「人体実験」をあからさまに示す事実もある。
1.原爆を投下する都市は被害の少ない都市が選ばれた。
・原爆だけの破壊力を確認するため。
2.目視による有視界爆撃が厳命された。
・目標地に正確に落とし、破壊力を最大にするため。
3.3個目の原爆投下が急かされた。
・せっかく作ったのだから使い切りたい。「実験」というよりは「もったいない」?
以上3つは、「アメリカ兵の犠牲を減らす」とは何の関係もない。
それどころか、この事実を見る限り、原爆投下の理由は、
1.原子爆弾の実験(物的・人的破壊のデータ取り)
2.破壊と殺戮の極大化
3.使わないともったいない?
■原爆投下は回避できなかったのか?
つぎに、「2.原爆投下は回避できなかったのか?」
回避できなかっただろう。
日本側のポツダム宣言に対する第1回目の回答、広島と長崎への原爆投下後の対応をみれば明らかだ。
たとえ、ポツダム宣言がスチムソン案の「天皇制の存続」を保証した条件付き降伏勧告だったとしても、
・戦争指導者たちの永久排除。
・日本領土の占領。
・日本の海外領土の没収。
この3つの条件を日本の指導部が呑むとは思えない。実際、天皇の英断があったからこそ、ポツダム宣言は受諾されたのである。
さらに、ソ連が対日参戦しても、日本はすぐには降伏しない。当面、攻撃を受けるのは満州だけだから。その結果、ポツダム宣言の受諾は遅れ、原子爆弾の投下はまぬがれないだろう。そもそも、日本がポツダム宣言を受信して広島の原爆投下まで、わずか10日。これでは、ろくに討議する時間もないではないか。もっとも、アメリカ側はそれを狙っていたのだが。
つまり、アメリカ側はなんとしてでも原爆を投下したい、日本側は無条件降伏は絶対にしない、この2つのベクトルが合わさって、原爆を投下させたのである。
じつは、「原爆投下が回避できなかった」もっと分かりやすい証拠がある。
トルーマン大統領が原爆使用の命令書にサインしたのは1945年7月25日。ところが、ポツダム宣言はその翌日の7月26日である。つまり、日本がポツダム宣言を受諾しようがしまいが、アメリカは原爆投下を決めていたのである。
では、広島と長崎への原爆投下は「歴史の必然」だった?
いや、そうではない。
事実はその逆で・・・広島と長崎に原爆が投下されなかったのが「必然の歴史」。
なぜなら・・・
1945年に原子爆弾が存在したこと自体おかしいのだ。
■マンハッタン計画が失敗した世界
本当は、マンハッタン計画は失敗するはずだった・・・
これは荒唐無稽の話ではない。
たとえば・・・
大平洋戦争中、日本にも原子爆弾の開発計画があった。ところが、早々に「不可能」と判断されている。しかも、日本だけでなく、敵国アメリカもムリだと。
一方、ナチスドイツでも、原子爆弾の開発が行われていた。中心人物は、行列力学で量子力学を体系化し、不確定性原理で未来が予測不可能であることを示唆したヴェルナー・ハイゼンベルクである。彼は31歳でノーベル物理学賞を受賞した出来物だったが、その才能が災いして、あやうく命を落とすところだった。連合国側がハイゼンベルクの才能を恐れ、暗殺を目論んだのである。
1943年、ハイゼンベルクはスイスのチューリッヒで講義を行った。そのとき、アメリカのOSS(後のCIA)は、講義にスパイを送り込んだのである。アメリカ大リーガーのモーリス・バーグである。バーグはハイゼンベルクの講義を受講し、もしドイツの原子爆弾が完成間近だったら、会場の外で射殺するよう命令を受けていた。
ところが・・・
ドイツの原子爆弾開発は進んでいなかった。ハイゼンベルク自身、原子爆弾は理論上は成立するが、
「財政上、技術上の問題から製造はムリ」
と考えていたのである。広島と長崎の原爆投下を知らされたとき、ハイゼンベルクはこう言ったという。
「ありえない」
また、リチャード・ローズの「原子爆弾の誕生」(※1)を精読すれば、この時代に原子爆弾を造り出すのは不可能に思える。10年先をいくナチスドイツの超兵器「V2ロケット」さえ超える魔法のようなものだから。
ちなみに、この2つの超兵器、「原子爆弾(核弾頭)」と「V2ロケット(大陸間弾道ミサイル)」を合体させれば、現代の最終兵器「ICBM(核ミサイル)」になる。もし、ドイツが「原子爆弾(核弾頭)」の開発に成功していたら、1945年にICBMを完成させ、ヨーロッパとロシアを征服し、アメリカにリーチをかけていただろう。
ということで・・・
「1945年の原子爆弾」はオーパーツ、つまり、”場違いな”兵器だったのだ。
じつは、これを示唆するSFがある。ジェイムズ・P・ホーガンの歴史改変小説「プロテウス・オペレーション」だ。この小説は、ナチスドイツが第二次世界大戦に勝利した世界を描いている。この世界では、1942年にドイツがロシアに侵攻する際、なんと原子爆弾を使って勝利するのだ。
1942年にドイツの原子爆弾!?
ありえない。
じつは、この原子爆弾は、2025年の未来からタイムマシンで送り込まれた未来兵器だった・・・という筋書き。アイデアは斬新なのだが、本筋に関係のないヨタ話が多く、イライラする。それが小説だと言われればそれまでだが。
でも・・・
1942年でありえないなら、1945年(マンハッタン計画)も似たようなものではないか?
もちろん、SFを根拠に、1945年の原子爆弾を否定するつもりはない。ただ、事実だけをつなぎ合わせれば、「1945年の原子爆弾」に必然性はないのである。
つまり・・・
歴史の自然な流れで、歴史年表を埋めていけば、1945年8月に広島と長崎に原子爆弾が投下されることはなかった。原子爆弾そのものが存在しなかったのだから。
その場合、日本の歴史は大きく変わっていただろう。アメリカの日本本土上陸作戦とソ連の北海道上陸作戦が行われ、日本はアメリカとソ連に分割されていただろう。もちろん、日本が降伏すればの話だが。
■原爆投下は正当化できるか?
ということで、アメリカが原爆を投下した理由は「人体実験」だが、アメリカ兵の犠牲を減らすためでもあった。実際、原爆を投下したことで、日本は降伏し、アメリカの多くの若者の命が救われたのだから。もっとも、日本の一般市民30万人の犠牲と引き替えだったが。
これが、ルメイの言う、
「日本人を殺したいか、それとも、アメリカ人が死ぬほうがいいのか?」
なのだろう。
では、原子爆弾の投下は正当化できる?
じつは、この問いは人類の存在価値に対する問いかけでもある。
我々人類は食物連鎖の頂点に立っている。つまり、地球上でもっとも存在価値のある種なのだ。それもひとえに、道具が使えるおかげ。もし、それがなかったら、我々は動物のエサになっていただろう。そして、その道具を生み出す原動力は人間の「想像力」にある。つまり、我々の存在価値は「想像力」によっているのだ。
では、その人類十八番の「想像力」を働かせてみよう。
人間が住む人口密集地に、原子爆弾を落とすと何が起こるか?
広島に原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」の砲撃手ロバートキャロンは空からそれを目撃している・・・
キノコ雲は灰紫色の煙の塊がむくむくと湧き起こり、その中に赤い芯がみえて、中では何もかもが燃えているのがわかった。遠ざかるにつれて、キノコの根もとが見え、その下には、60~90mの厚さの残骸と煙のようなものが見えた。いろいろの所で火の手がワッと立ち上がるのを見た。それはあたかも、石炭床の上に立ちのぼる炎のようだった。キノコ雲や荒れ狂う塊が見える。まるで都市全体が溶岩か糖蜜でおおわれ、それが山麓に向かって登っていくように見えた(※1)。
この巨大な炎熱地獄に30万人がいたのである。
ホロコースト・・・火による大量虐殺、全破壊を意味する言葉だが、後にナチスドイツの「ユダヤ人の大量虐殺」をあらわすようになった。
想像力を働かせてみよう、そこで何を思うかだ・・・
原爆投下は仕方がなかった?
原爆投下は正当化できる?
では、原子爆弾を地上からみた証言を「原子爆弾の誕生(※1)」から引用しよう。
【爆心地の相生橋】
私は死んだ人たちのあいだを歩いていました。それはまるで地獄のようでした。馬が生きたまま燃えている光景には驚きました。
【35歳の男性】
顎(あご)がなくなって、舌が口から垂れ下がっている女の人が、黒い雨の降りしきるなか、新庄町のあたりをさまよい歩いていた。彼女は助けを求めながら北の方へ向かっていた。
【30歳の婦人】
道路上に仰向けに横たわっている死体は、一瞬のうちに死んだのでしょう。その手は空を指さしたままで、指が青い炎を出して燃えていました。指はもとの三分の一に縮まり、歪んでいました。黒い液体が手を伝って地面に滴り落ちていました。
【当時広島で4年生だった若い女性】
この原爆を発明した科学者たちは、もしこれを落としたら、いったい何が起こると思ったのでしょう。
そう、何が起こると思ったのだろう?
じつは、何も思わなかったのだ。
だからこそ、こんな恐ろしい大量殺戮兵器を完成させたのだ。
つまり、想像力がすっぽり抜け落ちていたのである。
では、頭のいい科学者たちに代わって、我々凡夫が想像力を働かせてみよう。
原爆の爆発を上空から見た光景、地上で見た光景を頭の中で想像する・・・
それでも、原爆投下は正当化できるだろうか?
広島と長崎で30万人の民間人が命を落とした。その事実を、30万という「数字」と自国の兵士を救うためという「合理性」だけでしか理解できないなら、いずれ、人類は全面核戦争で自らを滅ぶすことになるだろう。
アメリカ合衆国元大統領アイゼンハワーはかつてこう言った。
「核戦争は、敵を倒すことと自殺することが一組になった戦争である」
少し想像力を働かせるだけで、誰でも理解できることだ。
たとえ、どんな理由があるにせよ、何十万人、何百万人単位で殺せる兵器の「使用」を正当化すれば何が起こるか、誰でも想像がつく。
一方、中国のような強圧的な核保有国と対等な外交を行うためには、日本も核武装するしかない。核兵器の保有がお互いに核兵器の使用を躊躇する状況を作り出し、結果として、核戦争が回避される。これが「核の抑止力」だからだ。
つまり、核兵器の保有は必須だが、使用したら最後、人類は滅亡する。このような矛盾した世界に我々は住んでいる。もちろん、解決方法はある。世界の核保有国が一斉に核兵器を廃棄すればいいのだ。ところが、人間にそんな「常識」はない。
人類は、想像力のおかげで、食物連鎖の頂点に立ち、その欠落で王座から転げ落ちようとしてる。皮肉な話ではないか。
■地球の未来
では、原子爆弾の産みの親たちは、広島と長崎の惨劇をどうとらえていたのだろう?
【核分裂を発見したオットー・ハーン】
最初、私はこれが本当だと信じられなかった・・・私は非常に衝撃をうけて気が滅入った。私が耐えられないと思ったのは、おびただしい数の、罪のない女子供の、言語に絶する悲惨な思いだった。
【原子爆弾を予言したレオ・シラード】
原子力の開発は国々に新しい破壊手段をもたらすだろう。原子爆弾はその第一歩でしかなく、将来はその破壊力に限界がなくなる。このような先例を作る国家は、想像を絶する規模の荒廃の時代に扉を開くことになるだろう。
そして、マンハッタン計画の責任者ロバート・オッペンハイマー。
彼は5万人の科学者と技術者を率い、マンハッタン計画を成功に導いた。その負の功績により、今も「原子爆弾の父」とよばれている。
オッペンハイマーは一流の研究者だったが、人の心を読み取り、人を操る優れた管理者でもあった。同僚の科学者たちによれば、
「彼は、どんな込み入った話も一瞬で理解し、今起こっている問題と対処方法を知り尽くしていた。しかも、スタッフの人間関係まで熟知し、彼らを巧みに使った。彼は万能の天才だった」
しかし、オッペンハイマーは天才かもしれないが、魂(信念)がなかった。
彼は魂と引きかえに、天上界の秘密「原子の灯」を手に入れ、原子爆弾を完成させたのである。さらに、それを地上界で爆発させ、何十万人という人々を殺した。ところが、その惨状を知ると一転して悔いるのである。その後、水爆に反対しながら、大統領が開発を決定するとそれに協力した。そして、また悔いる・・・
つまり・・・
オッペンハイマーは、その場限りの目標や固定観念はあるが、信念はない。メフィストに魂を売り渡し、天上界の力を使って人生を試行錯誤するファウストなのだ。魂がないゆえに才能に振り回されるだけの、目先の願望の成就と後悔を繰り返すだけの、地上界と天上界をさまよう流浪者なのだ。
その20世紀のファウスト博士は、戦後、我が子同然の「原子爆弾」をこう断罪した・・・
もしも、原子爆弾が国家の新兵器として加えられるなら、人類がロスアラモスと広島の名前を呪うときが来るだろう。
やはり、オッペンハイマーは想像力が欠落している。呪われる第一の名は「オッペンハイマー」なのに。
ところが、その核戦争が起こる前に・・・
福島第一原発事故が起きてしまった。絶対安全と言われた原発がメルトダウンしたのである。原発事故としては最悪の「レベル7」。あれから2年経った今も放射能汚染物質が海にたれ流し・・・収束する気配はない。
さらに、2013年8月28日、放射能汚染水がタンクから漏れ出し、危険度がレベル1からレベル3に引き上げられた。レベル3は「重大な異常事象」である。ところが、マスコミも国民も大騒ぎしない。もう慣れっこになってしまったのだ。
土壌と地下水の汚染、海水の汚染、農産物や魚介類は?
命に関わる問題なのに慣れっこ?
狂気の沙汰としか思えない。
さらに、驚くべきことに・・・
事故発生直後、原子力発電所の危険性があれだけ騒がれたのに、今では、「原発は絶対必要」なのだという。
つまり・・・
広島と長崎に原爆を落とされ、何十万人もの国民が死んで、福島第一原発がメルトダウンして人が住めなくなっても、まだ事の重大さに気づかないのだ。想像力が抜け落ちているのはマンハッタン計画の関係者だけではない。古今東西、老若男女、すべての人間にあてはまる人類普遍の原理なのかもしれない。
こんな有様を見ていると、つくづく思う。
人間に原子力を使いこなす力はない。
人間は同じ過ちを何度でも繰り返す。どんな取り返しのつかないことであっても。
だから、いつの日か、地球が人類を浄化する日が来るだろう。
一つの扉が閉まり、別の扉が開く。
その向こうに地球の新しい未来が待っている。
《完》
参考文献:
(※1)原子爆弾の誕生(下)リチャードローズ(著),RichardRhodes(原著),神沼二真(翻訳),渋谷泰一(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
(※2)私は世界の破壊者となった原子爆弾の開発と投下ジョナサン・フェッター-ヴォーム(著),澤田哲生(監修),内田昌之(翻訳)出版社:イースト・プレス
by R.B