イエス・キリスト(3)~神の計画~
■イエスの謎
イエス・キリストには3つの謎がある。第1に、イエス・キリストが地球文明に及ぼしてきた歴史力。射程は時間で2000年、エリアは地球全域、しかも、パワーはまだ衰えていない。現代そして未来においても、カエサルやナポレオンが原因で戦争が起こることはないだろう。彼らの歴史力は時間軸で制限されているからだ。ところが、イエス・キリストが創始したキリスト教は、11世紀の十字軍、そして、現代にいたるまで歴史に大きな影響を与えている。これほど射程の長い影響力を持つ人物は歴史上類を見ない。
第2の謎はイエス・キリストの奇跡。「ウソ」と一刀両断にできない事情がある。イエス・キリストがユダヤ側に告発され、十字架刑に処せられたのは歴史的事実である。では、なぜイエスは告発されたのか?イエスが、「神の子である私は、父(神)と同等の権威をもつ。それゆえ、安息日の定めより上にある」と言ったから。一神教のユダヤ教に2神はない。だから、イエスの発言は神への冒涜(ぼうとく)なのだ。では、イエスはなぜそんな大言を吐いたのか?イエスが、38年間も病で苦しんでいた病人を治し、「床を上げて帰りなさい」と言ったから。実はそれが大問題だった。その日は安息日で、ユダヤ教では安息日に床を上げることが禁じられていたからだ。つまり、イエスは律法を破り、大罪を犯した。
イエス・キリストの奇跡は歴史的事実と直結している。根も葉もないウワサではないのだ。しかも、ユダヤ側にしてみれば、「イエスの奇跡→イエス律法を破る→イエス神の子発言→告発」の因果があるので、イエスを告発することは、イエスの奇跡を認めることになる。結果、「イエス=メシア」も認めることになる。ユダヤ側にしてみれば、それだけは認めたくないだろう。裏を返せば、認めたくない事をあえて認めるということは、それが真実である可能性が高い。
では、イエスの奇跡にはどんなカラクリがあったのか?後述する「デナリウス銀貨のエピソード」からも分かるように、イエス・キリストの知能は並外れていた。誰にも分からないマジックを使ったのかもしれない。とはいえ、手品で病人を治すことはできない。では、突然変異による新生人類(ホモエクセレンス)、つまり、超能者?それとも、本当に神の子?ひとつだけ、確かなことは、イエスの奇跡を否定することは、肯定すること以上に”つじつまが合わない”ことである。
第3の謎はユダ。最後の晩餐で、イエス・キリストは12使徒を前に、ユダが裏切ると宣言する。歴史上有名なエピソードだが、「宣言」のタイミングがなぜ「最後の晩餐」なのか?イエスはその前に、ユダの裏切りを知っていたのに、死の前日までユダをそばにおいたのは、なぜか?さらに、ユダは銀貨30枚でイエスを裏切っておきながら、その後、銀貨を返し、首を吊って自殺。一体何を考えているのだ?
この3つの謎を解く鍵は、イエス最後の10日間に凝縮されている。さらに、最後の12時間でイエスの受難はピークに達するが、それを描いたのが映画「パッション(受難)」だ。イエス・キリストにからむ”ぬるい”エピソードをすべて除外し、「受難」にフォーカスした異色の作品だ。じつは、それまで、イエス・キリストの布教は順風満帆だった。「比類なき絶対愛」を説いて、信者も徐々に増えていた。ローマ帝国の弾圧はあったものの、限られたものだったし、ユダヤ教とのトラブルもあったが、さし迫ったものではなかった。
ところが、状況は一変する。ユダヤ教大祭司カヤパ、ローマ総督ポンテオピラト、ガリラヤ領主ヘロデ、イエス・キリストの使徒、裏切り者のユダ、そしてイエス・キリスト、そうそうたる役者が総動員され、壮大なクライマックスへと向かう。
■受難の始まり
イエス・キリストの状況が一変したのは、イエスが、「自分は神に等しい」と宣言したから。イエスの受難はここから始まった。イエスは、ユダヤ教徒の迫害を避け、故郷のナザレに帰るが、そこも安住の地ではなかった。イエスが未婚の母マリアの子だったからである。今度は、マリアの子、つまり私生児として蔑みの目でみられた。また、ユダヤ教徒にとって、イエスはユダヤの律法を破った背教者。そして、ユダヤの法律では、背教の説教者は石打ちの刑(崖から突き落とされる)と決まっていた。
イエス・キリストは、命からがら故郷を去った。イエス・キリストの敵はさらに増えていく。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスである。アンティパスは歴史上有名な「ヘロデ王」の息子だが、父ほどの器はなかった(最後まで王を名乗れなかった)。そのアンティパスはイエス・キリストがヨハネの再来ではないかと怖れていた。ヨハネは有名な洗礼者で、イエス・キリストの師でもあった。ところがその頃、ヨハネはアンティパスによって投獄されていた。アンティパスが兄弟のヘロデから妻ヘロディアを奪って自分の妻としたが、それをヨハネに非難されたからである。
ところが、ヨハネにはさらに残酷な運命が待っていた。アンティパスの誕生日を祝う宴会で、それは起こった。アンティパスの王女サロメは、得意の踊りを披露したが、それはみごとなものだった。アンティパスは上機嫌で、サロメに言った。「おまえの欲しいものをやろう」すると、サロメは母ヘロディアにうながされ、「ヨハネの首」と答えた。王は、ヨハネの首をはね、サロメに与えた。そのアンティパスまでが、イエス・キリストをつけ狙ったのである。
ところがこの時、イエスは方針を転換する。逃避行をやめて、エルサレムの神殿に現れたのである。そして、イエスは宣言する。「わたしこそ、世の光である。わたしを信じることは、どうすることか。わたしがそれであることを信じることだ。わたしと父は一つである。ゆえに、わたしは神の子である」逃避行から一転、大勝負にでたのである。この間、イエスに何があったのか?それとも、初めから計画だったのか?ひとつだけ、確かなことがある。この時点で、イエス・キリストは、「このミッションは命を賭けるに値する」を自覚していたのだ。
■奇跡
イエス・キリストの奇跡はさらに大胆になっていく。エルサレムの東方にベタニアという村があった。そこに、マルタとマリアの姉妹と弟ラザロが住んでいた。マリアはガリラヤのマグダラの町の売春宿の遊女だった。ところが、イエス・キリストはマリアにこう言ったのである。「あなたの罪は許された」軽蔑の対象でしかなかった遊女を許したのである。マリアは、ユダヤの律法を超越し、神に等しい権威をイエスに見た。マリアは、その後、売春宿を去り、イエス・キリストとともに、故郷のベタニア村にもどる。そして、姉のマルタと弟のラザロもイエスの信者になった。
ある日、弟ラザロが危篤になった。イエス・キリストがかけつけた時、すでに死後4日も経過していた。ユダヤ人の墓は洞穴の中にある。イエス・キリストは、入口の大きな石をどけさせて言った。
「ラザロ、出てきなさい」
ラザロは歩いて出てきた。死から蘇ったのである。その後、「ラザロ」は生き返りの代名詞として、脳死にからむ「ラザロ徴候(ちょうこう)」として今でも使われている。この事件は、ユダヤ教の大司祭カヤパにも伝えられた。だが、今回の奇跡はこれまでとは違う。死人を生き返らせたのだ!しかも目撃者までいる。やはり、イエス・キリストはメシア?このまま放置すれば大変なことになる。カヤパは最高議会を招集し、イエス・キリストの死刑を決定した。こうして、西暦32年2月、イエス・キリストに対する正式な逮捕状が出たのである。
その後、イエスは姿をくらますが、3月に入ると、公然とエルサレムに向かう。信者たちは、イエスがエルサレムでメシア王の戴冠をするのだと喜んだが、イエスは否定した。「わたしがエルサレムに向かうのは、最高議会から死刑の宣告を受け、ローマ人により殺されるためである」「イエス・キリスト計画」が始動したのである。エルサレムにのぼったイエス・キリストは積極的に説法を行った。神殿では、パリサイ人や律法学者が、イエス・キリストに次々と論争をいどんだが、連戦連敗。やがて、彼らは必勝の論争を思いつく。それは
「カエサル(ローマ皇帝)に税金を納めることは良いことか?」
もし、イエス・キリストが税金を納めてはならないと答えれば、反逆者としてローマにひきわたす。逆に、税金を納めるべきだと答えれば、ユダヤの民を救うメシアがそんなことを言うはずがない。つまり、イエスはメシアではない。イエスを論破する完全無欠の作戦だった。ところが、イエス・キリストの返答は驚くべきものだった。
「デナリウス銀貨の肖像はだれか?」
銀貨にはカエサルの肖像が彫られていた。イエス・キリストはつづける。
「カエサルのものはカエサルに返しなさい。神のものは神に」
完全無欠の答えだった。
■最後の晩餐
そして、最後の晩餐。レオナルド・ダ・ビンチの壁画にもなった有名なエピソードである。イエス・キリストは自ら選んだ12人の使徒に囲まれていた。12使徒は、ユダだけがイスカリオテ出身で、後はすべてガリラヤ人だった。イエス・キリストは言った。
「このなかに、わたしを裏切る者がいる。わたしがこの一切れをひたして与える人がそれである」
それはユダに与えられた。ユダは、黙って部屋をでていく。イエス・キリストは、残った11人の使徒に、種なしパンとブドウ酒を与え、それがイエスの肉体であり、血であると教えた。さらに、過越の祭りにみたてて、
「子羊は神殿で屠られた子羊ではなく、明日刑死するわたしの肉体である」
と宣言した。この大台詞のために、最後の晩餐は、過越の祭り当日または、前夜である必要があった(2つの説がある)。
つまり、すべてはこの日を基準に計画されたのである。イエス・キリストはつづける。
「わたしは、明日刑死する。しかし、かならず生きてあなたがたの前に現れる」
その頃、ユダはイエス・キリストの追手にイエスの居場所を教えていた。そして、ユダに先導されたユダヤ教徒たちは、イエス・キリストと使徒を発見する。ユダは、イエス・キリストに近づき、口づけをした。イエス・キリストは言う。
「ユダよ、あなたは、口づけをして私を裏切るのか?」
口づけは、それがイエスだという合図だったのだ。
こうして、イエス・キリストは捕らえられた。翌日、イエスは十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘まで歩き、そこで十字架にかけられた。手と足にクギを打ちつけられたイエス・キリストは最後にこう言った。
「父よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」
最期におよんでも、自分を処刑する者のために祈ったのである。そして、イエスが死んで3日めの日曜の朝、母マリアとマグダラのマリアがイエスの墓参りにいくと、墓の入口の石がどけてあり、イエスの死体が消えていた。その後、イエス・キリストは弟子たちの前に現れた(キリスト復活)、重傷を負ったまま故郷で暮らした、マグダラのマリアと結婚した、等々さまざまなな説がある。もちろん、真相は不明。
■ユダ
そして、最大の謎はユダ。
イエス・キリストを銀貨30枚で売り飛ばし、その後、銀貨を突き返し、首を吊る。一体何があったのだ?説明に窮して、イエス・キリストの有罪を知って後悔したから、という説まである。もちろん、それはない。イエス・キリストはエルサレムにのぼる前から、自分は刑死するためにエルサレムに向かう、と公言していた。さらに、ユダヤ最高議会の血眼の追跡、ローマ総督への死刑の要請をみれば、「裏切り=刑死」は明白だ。そもそも、一度裏切っておいて、その直後、哀れみを感じて自殺する?ユダヤは聡明で計算高い。だから、それはないだろう。
では、なぜ自殺したのか?
「イエス・キリスト計画」と自分の哀しい役回りを知ったから?ユダの役回りとは、「銀貨を突き返し、首を吊る」ほど衝撃的なものだった。怒りさえ感じたに違いない。神の子イエス・キリストが2000年も輝きつづけるための引き立て役、サタンの化身。それも、人々をそそのかし、悪事を働く小者の悪魔ではない。「銀貨30枚で神の子を殺す」大役なのだ。それが、どれほど恐ろしい役回りかは、歴史年表を見れば明らかだ。ユダは、2000年たった今も、呪われ続けているのだ。「あいつはユダだ」は裏切り者を意味し、今でも世界中で通用する。コーキュートス(嘆きの川)は、地獄の最下層にある氷の川である。ダンテの「神曲」によれば、この世で最も重い罪は「裏切り」で、歴史的な裏切者がここで永遠に氷漬けにされている。その中の一人がユダなのだ。
これほどの呪いがあるだろうか?もちろん、イエス・キリストは、ユダのそんな哀しい役回りを知っていた。だからこそ、裏切り者と知りながら、最後の瞬間まで手元においたのだ。小賢しい裏切り者として、早々にイエス・キリストの元を去っては困る。そして、イエス・キリストを十字架刑にまで追い込んだユダヤ人は、ユダ同様、2000年にもおよぶ迫害をうけている。
■神の計画
こうして、イエス・キリスト最後の10日間は、イベントが分単位で刻まれていく。登場人物は「イエス・キリスト計画」の歯車であり、調和と同期をとりながら、回転を続けたのである。巧みに織り込まれた因果の連鎖、象徴的なイベント、印象的な台詞・・・いくらなんでも出来すぎ?おそらく、初めにシナリオがあったのだ。
つまり、「イエス・キリスト計画」。
誰が書いたかは知らないが、イエスが真相を知っていたことは確かだ。ユダに対する言動をみれば明らかだ。このシナリオがあまりにもドラマチックだったので、時を越えて人々の心に刻印され、強大な歴史力にまで成長したのである。「イエス・キリスト計画」は、夢分析で有名なユングの「心象」も利用している。心理学者ユングによれば、人間の心にもっとも強く作用するのは「心象」。心に投影されるシンボルと言ってもいい。それが、キリスト教の「十字架」なのである。それが、どれほど強力かを示す歴史的事件もある。
イエス・キリストが生きた300年後、後のローマ皇帝コンスタンティヌスは、ローマを統一すべく、戦いに明け暮れていた。そして312年、ライバルのマクセンティウスとの決戦で、コンスタンティヌスは白日夢を見る。太陽に十字架が重なり、この十字により、勝利を約束する文字が現れたという。コンスタンティヌスは、それを神の啓示と考え、奮い立った。そして、戦いに勝利したのである。翌313年、コンスタンティヌスはミラノ勅令を公布し、キリスト教を公認した。さらに、それまでキリスト教会が被った損害の賠償まで認めたのである。十字架のシンボルが歴史を創った?イエス・キリストの伝説は、「十字架」というシンボルにパッケージされ、キリスト教徒の心に封印されている。
■もう一人のイエス
イエス・キリストの教えは「スピリチュアル革命」だった。まだ存在しない概念「愛」を説いたのである。それも、比類なき絶対愛。じつは、愛の歴史は新しい。ヨーロッパで「家族愛」が生まれるのは産業革命以後、「食うや食わずの暮らし」から抜け出した後である。ところが、その愛を2000年も前に説いたのである。
もし、「イエス・キリスト計画」がなかったら、イエスの人生は別のものになっていただろう。キリスト教が成立したかどうかもわからない。イエスの影響力はスピリチュアルな世界に限られ、後世の政治や戦争とは無縁になる。ユダヤ教と”悪くない”関係をたもちつつ、民衆に溶け込み、ともに祝い、喜び、比類のない愛を説くイエス。信者たちに囲まれながら、緩やかに晩年をむかえ、静かに生涯を終えるイエス。そんなもう一人のイエスを想うのである。
《完》
参考文献:弓削達「ローマ帝国とキリスト教」河出書房新社
by R.B