世界の名言(4)~エピソード編~
■科学か宗教か?
人生は苦難に満ちている。戦争、迫害、事故、天災・・・人間に降りかかる災いは枚挙にいとまがない。そんな苦しみから逃れようと、宗教にすがる人たちもいるが、現実はそんな甘くない。「信じれば救われる」というものでもないから。それを示すエピソードもある。ユダヤ教の聖典「タルムード」によると・・・
あるとき、一人の男が河原にいると、大雨で増水するから、避難しなさいと、無線連絡が入った。ところが、彼は、
「私はいつも神にお祈りを捧げているから、神が助けてくれる」
と言って、その場を離れようとはしなかった。
やがて、ゴムボートがやってきて、
「おーい、そこの人、増水して危険だから、こちらに来なさい」
と言った。すると彼は、
「私はこうして神に祈っているから、神が助けてくれる。だから放っておいてくれ」
と叫んだ。
つぎに、ヘリコプターが来て、
「おーい、そこの人、増水して危険だ。今、ハシゴを降ろすから、上がってきなさい」
と言った。すると彼は、
「私はこうして神に祈っているから、神が助けてくれる。だから放っておいてくれ」
と叫んだ。
そして、彼は死んだ。
彼は、天に昇り、神の前に立って、こう訴えた。
「私はあなたを信じて祈りを続けたのに、どうして助けてくれなかったのですか?」
すると、神は言った。
「無線とゴムボートとヘリコプターをつかわしたのに、なぜ耳を傾けなかったのか」
(※1)
このエピソードが言わんとするところは単純だ。天からのメッセージは言葉とは限らない、人を介して伝えられるかもしれない・・・であれば、知識を学び、聞く耳をもてば、災いは避けられるのでは?つまり、科学の世界!もっとも、このエピソードの発信元はユダヤ教なのだが。
■世界の設計図
先のタルムードは、
「科学は疑うことから始まり、宗教は信じることから始まる」
さらに、大胆なことに、
「安易に神を信じれば命取りになる」
と教えている。
もし、科学が「疑う」、宗教が「信じる」なら、科学と宗教は根本が違うはずだ。ところが、目的は同じ「真実の追求」。実際、科学を突きつめると、現実性、具体性は薄れ、宗教のような世界に迷いこむ。
2012年7月4日、基本粒子の一つ「ヒッグス粒子」が確認された。ヒッグス粒子とは、「神の粒子」とも呼ばれ、質量を生み出す原因とされている。ちなみに、「基本粒子」とは、これ以上分割できない「基本構成要素」である。
しかし・・・
本当に、ヒッグス粒子は基本粒子なのだろうか?かつて、基本粒子とされた陽子、中性子も、今は「クォーク」に分割されることがわかっている。つまり、分割しても分割しても新たな粒子が現れ、固いはずの粒子が幽霊のような波へと変質していく。あげく、
「基本粒子は物質でもあり波でもある」
に行き着く。本来、物質と波は「有機物と無機物」のように相容れない関係にあるのに・・・
この仮説は、事をさらにややこしくしている。波は空間の「歪み(ゆがみ)」と定義されているが、もしそうなら、固いはずの物質も空間の歪み!?こんな不毛の論争の果てに、何が待っているのか?
おそらく・・・
「物質の基本構成要素はこの世界(宇宙)には存在しない」
ここで、論理を飛躍させよう。
今から300年前、アイザック・ニュートンは美しい方程式によって、天体の運動を解明してみせた。とはいえ、ニュートンは地球の地下深くに隠された洞窟から「宇宙の設計図」を盗み出したわけではない。ニュートンは、自ら作りあげた道具「微分積分」で、宇宙をシミュレート(真似)したにすぎない。つまり、まがいもの。では、本物の「宇宙の設計図」はどこにある?
たぶん・・・
「宇宙の設計図は、この宇宙には存在しない」
昔、シミュレーションゲームを作っていたとき、それが本当かもしれないと思ったことがある。プログラマーが創造するゲーム世界は、タダの作り物ではない。すべて、厳格な法則に従ってプログラムされた自己完結した世界なのだ。そして、この世界でプログラマーは神になる。画面の中の住人たちは自分の意思で活動しているように見えるが、すべて「プログラマー=神」が創造した「プログラム=法則」に支配されている。
ところが、ゲーム世界の住人たちは「世界の設計図=プログラムソース」を見ることはできない。プログラムソースはゲームが動作するコンピュータには存在しないから。では、どこにあるのか?
「プログラマー=神」の開発マシンの記憶装置深くに隠されている。だから、ゲームプレヤーはもちろん、ゲーム世界の住人も、「世界の設計図」にアクセスすることはできないのである。このカラクリを現実世界にあてはめると・・・
「世界の設計図はこの世界には存在しない」
だから、天才であれ、聖人であれ、この世界から生まれた者は世界の設計図を”直接”見ることはできないのである。
■おゆとり様の言い分
人生には災いはつきものだが、いつも一大事というわけではない。とはいえ、心を悩ます程度の「災い」なら日常茶飯事だ。というわけで、人生は常に「問題解決」に迫られている。なので、「どんな問題にも解決策はある」
と思っていないとやっていられない。
ところが・・・
2012年、伊予銀行は、様々な業種や規模の事業所の新入社員296人を対象に、「新社会人の意識調査」を行った。その結果をまとめると・・・
「わたしたち、考えるのは苦手なんです。その代わり言われたことはちゃんとやります!やってほしいことがあるなら、ひとつひとつ漏れることなく言ってください。でも、怖いのはイヤだから優しくお願いしますね」
そもそも、仕事で勝敗を決するのは、ムリ、ムリ、絶対ムリ、という局面であって、具体的な指示を出せるような状況ではない。おゆとり様世代ここに極めりというわけだ。ちょっと作為的な気もするが、当たらずとも遠からずだろう。
一方、老若男女を問わず、難しい問題を一刀両断にする人たちがいる。パーソナリティ検査で分類される「問題解決型」人間だ。その特徴を整理すると・・・
・グチ、弱音は一切吐かず、問題解決一直線。
・希望的観測は一顧だにせず、現実を直視する。
・正攻法、寝技、裏技、手段を問わない。
ということで、何をしでかすか予測不能・・・
戦国時代の織田信長はその典型だが、地味なところで、北条早雲もそのひとり。領地一つもたない裸一貫から、一代で、戦国大名(北条氏)にのしあがった傑物だ。彼は領地を拡大するため、正攻法、寝技、裏技、手段を選ばなかったが、その中で面白いのが、
「時間を味方にする」
北条早雲は万策尽きると、相手の命数が尽きるのをじっと待ったのである。ということで、どんな問題にも解決策はある。
■鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
中国史の一番人気は言わずと知れた「三国志」だが、「春秋戦国時代」もなかなか面白い。この時代は、紀元前770年から紀元前221年までの500年をさすが、大きく、春秋時代と戦国時代に分かれる。春秋時代は、周が落ちぶれて洛邑に遷都してから、大国の晋が韓、魏、趙の3国に分裂するまで。戦国時代は、戦国の七雄の群雄割拠をへて秦が中国を統一するまで。
じつは、中国史のエピソードのひな形は、ほとんどこの春秋戦国時代に生まれている。その間、多くの格言が生まれたが、有名な「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」もこの時代(呉越の戦い)。
ここで、歴史がそのまま名言・格言となった故事「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」を紹介しよう。
孟嘗君田文(もうしょうくん・でんぶん)は、斉の宰相、靖郭君田嬰(せいかくくん・でんえい)を父とし、賤しい妾の子として生まれた。田嬰は、すでに40人の子があり、生まれた日が悪日とされた5月5日だったので、母親にこう命じた。
「その子をすててしまえ」
しかし、母親にしてみれば、身分が低く将来の保証もないのに、たった1人のわが子まで死なせては、夢も希望もない。そこで、こっそり育てることにした。ところが、ある日、それがバレてしまった。田嬰が母親をしかると、成長した田文は進み出て言った。
「父上がわたしを育てようとなさらないのは、どうしてですか?」
「5月5日に生まれた子は成人して、身長が戸口の高さになると、親を殺すといわれているからだ」
「ではおたずねいたしますが、人間は運命を天から受けるものでしょうか、戸口から受けるものでしょうか?もし、天からさずかるのなら、父上の心配には当たりません。また戸口から受けるのなら、戸口を高くして、とどかぬようにすればよいではありませんか」
田嬰は返す言葉がなく、田文をわが子として認めた。その後、しばらくして、田文は暇なときを見はからって父にたずねた。
「子の子は何でしょうか?」
「孫だ」
「孫の孫は何でしょうか?」
「玄孫だ」
「玄孫の孫は何でしょうか?」
「わからんな」
すると田文は言った。
「父上が斉の宰相となられて、すでに3人の王が立ちましたが、斉の国力は増さず、父上の門下にはひとりの賢人もいません。父上は万金の私財を、呼び方もわからない何代も先の子孫に残すことを考えて、国の利益に役立てることを忘れておられます。わたしにはそれが不思議でなりません」
その後、田嬰は田文に一切の家事をまかせた。すると、田文は有能な人材を賓客として招いたので、賓客は日に日に増えて、田文の名声は諸侯に知れわたった。田嬰が死ぬと、田文が父のあとをついで、領主となった。これが孟嘗君である。
孟嘗君は自分の代になると、「人材集め」にいっそう精をだした。一芸一能に秀でた者なら、たとえ罪を犯して逃亡中の者でもこころよく迎えたので、食客の数は数千人に達した。
あるとき、大国の秦の昭襄王(しょうじょうおう)が、孟嘗君が賢人であると聞いて、彼を宰相として迎えることにした。ところが、孟嘗君の一行が秦に着くと、家臣のひとりが昭襄王にこう進言した。
「孟嘗君は賢人ですが、斉の貴族です。今、秦の宰相にすれば、必ず斉の利益を優先し、秦を後回しにするでしょう。秦にとって、こんな危険なことはありません」
昭襄王は納得したが、孟嘗君の扱いが問題になる。約束をやぶって、このまま斉に帰せば、彼が秦を快く思うはずがない。それに、いずれ斉の宰相になる人物なので、虎を野に放つようなものである。そこで、昭襄王は孟嘗君を殺すことにした。それを察知した孟嘗君は、食客たちを集め、対策を問うた。こんなときのための食客である。ところが、食客たちはみんな暗い顔をして黙りこくっている。と、その中のひとりが膝をのりだして言った。
「これは昭襄王の寵姫に頼むしかないでしょう」
ほかに手だてもないので、孟嘗君は人をやって寵姫にとりなしを頼んだ。すると、寵姫はこうこたえた。
「王様にお贈りになった狐白裘(こはくきゅう)をわたしにもくださるなら、骨をおってみましょう」
狐白裘というのは、白い狐の腋毛(わきげ)でつくった皮衣で、ざらにある品ではない。持参したのは一着だけで、もうない。さすがの孟嘗君も困り果てた。すると、ひとりの男が進み出て、こう言った。
「ひとつ、わたしがその狐白裘を秦王のところから盗んでまいりましょう」
見ると、以前、孟嘗君が狗盗(コソドロ)も役に立つことがあるかもしれないと酔狂で食客にくわえた男だ。そこで、ワラをもつかむ思いで、このコソドロに頼むことにした。たかがコソドロ、されどコソドロ、一流の芸というのは恐ろしいものである。なんと、その夜のうちに秦王の宮殿から狐白裘を盗み出してしまった。孟嘗君がこれを寵姫にわたすと、女の力はえらいもので、どう口説いたのかわからないが、昭襄王は孟嘗君の帰国を許したのである。
孟嘗君の一行は咸陽(秦の都)をでて、国境の函谷関(かんこくかん)にひた走った。一方の昭襄王は、寵姫の甘い口車にのって、孟嘗君の帰国を許してしまったが、やがて正気にかえって、追っ手をさしむけた。
孟嘗君一行は、なんとか函谷関にたどり着いたものの、関所の門が閉まっている。秦の関所は日没に閉まり、一番鶏が鳴くと開く決まりだったが、夜明けまでにはまだ間がある。孟嘗君は気が気ではなかった。昭襄王ともあろうものが、いつまでも、女の口にだまされているはずがない。今ごろは、きっと追っ手をさしむけているに違いない。とはいえ、強引におし通ることもできない。と、そのとき、またもや食客のひとりが進み出て言った。
「わたしは鶏の鳴き真似がうまいというので、お世話になっている者です。うまくゆくかどうかわかりませんが、ひとつ、わたしがやってみましょう」
男はそう言うと、鶏の鳴き声を真似た。すると、あちらで一声、こちらで二声、やがて、いっせいにときをつくった。
「なんだ、もう夜明けか」
そんな話し声がして、数人の兵士が出てきた。孟嘗君は、すぐに兵士に手形をみせて、関門を無事通り抜けることができた。そして、一目散にその場を立ち去ったのである。昭襄王の追っ手が関所に到着したのは、その直後だった。
これが「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事である。鶏の鳴き真似、狗盗(コソドロ)、どんなつまらない芸も役に立つことがあるという意味。どこまで本当かわからないが、孟嘗君が父に吐いたセリフはなかなかイケてる。
■ジュール・ヴェルヌの詩
ジュール・ヴェルヌは、19世紀末のフランスの小説家で、H・G・ウェルズとならぶSFの父とされている。ところが、その作品となると、「ジュール・ヴェルヌ」の名ほど知られていない(日本では)。
あえてあげるとすれば、
・無人島に漂流した少年たちのサバイバル冒険「十五少年漂流記」
・人間が乗った砲弾を月に撃ち込む「月世界へ行く」
・地球の中心まで探検する「地底旅行」
・ネモ船長と潜水艦ノーチラス号の大海洋活劇「海底2万マイル」
中でも有名なのが「海底2万マイル」で、何度も映画化され、日本でも知らない人はいないだろう。この中に登場する「ノーチラス号」は、ナポレオン時代に考案された潜水艦の名にちなむが、世界初の原子力潜水艦にも継承されている。この原潜ノーチラス号は唯一実在する船だが、見るべきは原子力のみで、ほとんどが、ドイツ潜水艦Uボート「ⅩⅩⅠ型」の焼き直し。それでも、歴史上初めて、北極海の下を潜航して、歴史に名を刻んだ。
余談だが、潜水艦ノーチラス号は、東京ディズニーシーのミステリアスアイランドにも係留されている。すぐそばにアトラクションがあり、その名もズバリ「海底2万マイル」。潜水球に乗って、暗闇の中(海底?)を探索するのだが、出し物がとうとつで、何が何なのかよくわからない。
ただ、待ち行列に、ノーチラス号の船内、潜水服など、海底2万マイルアイテムが展示されていて、こちらはGood!ジュール・ヴェルヌのファン、スチームパンクマニアなら垂涎(すいぜん)モノだ。
ジュール・ヴェルヌが活躍した19世紀末から20世紀初頭は、フランスの激動の時代だった。1789年にフランス革命が勃発し、1804年のナポレオンのフランス第一帝政をへて、1870年にフランス第三共和政が成立する。ところが、共和制とはいえ、まだ、王党派が暗躍する不安定な時代だった。
さらに、1894年には、フランスを揺るがす大事件が起こる。フランス軍内部でスパイ疑惑が発覚し、ユダヤ人将校が逮捕され、有罪判決を受けたのである。ところが、すべて軍が仕組んだワナ、つまり濡れ衣だった。ユダヤ人迫害の象徴とされるドレフュス事件である。ジュール・ヴェルヌが生きたのは、こんなダイナミズムと不安が錯綜する時代だった。リルケの詩を彷彿させるような・・・
一つの世紀が過ぎようとするはざまに、私は生きる
大きなページがめくられ、その風を感じる
神と君と私がしるし、見知らぬ手の中で
高々とひるがえる、ページの風を
ジュール・ヴェルヌの作品を読むと、その豊かな想像力、壮大な構想力に感嘆させられる。
・海中のナトリウムを燃料とするバッテリー駆動の潜水艦
・蒸気の力で移動する家
・鳥のように羽ばたいて飛ぶ飛行機(幻の名作ゲーム「ガジェット」にも登場)
・巨砲で打ち上げる砲弾型有人ロケット
時代はまだ19世紀である。
ジュール・ヴェルヌの卓越した創作力は天賦のものだろうが、生まれ育った環境も影響しているという。ジュール・ヴェルヌは、1828年、ナントで生まれた。港には、捕鯨船やスパイスを満載した遠洋航海の帆船が来航し、異国の匂いと熱気があふれていた。そんな環境が、ヴェルヌ少年の想像力を育んだというのである。
一方で、それを否定する証拠もある。ジュール・ヴェルヌは「フランス第六の都市」という詩の中で、ナントの悪口を書き立てているのだが、これはもう、毒舌なんてもんじゃない・・・
できたてで、まぁ、見られる一画があれば
それ以上の数で醜悪な街区がある
砂上の楼閣をでっち上げる
商売に汚いバカども
教養なんかこいつらに求めても無駄
その居場所ときたら不潔で
空っぽの頭が何千か
その愚鈍さたるや済度しがたい(※済度:仏が民を悟りの境地に導くこと)
米、砂糖を商う市民たち
銭勘定だけはお手のもの
昼も夜も悩みはそれしかないのだから
女は概して実に醜く
能なし坊主にバカな知事
噴水はない---
これぞナント!!!(※3)
悪口もここまでくると、むしろ清々しい。ということで、これが、”悪口”名言ナンバーワン!
■座右の銘
最後はお気に入りの名言でしめくくろう。
「未来の帝国は心の帝国」
The empires of the future are the empires of the mind.
イギリスのチャーチルがハーバード大学で演説したときの台詞だ。意味するところは、
「今後、帝国は、領土ではなく、精神が重要になる」
ところが、この名言を初めて目にしたとき、間違って、
「心に描いた世界が、そのまま自分の未来になる」
と解釈してしまった。そして、それがそのまま座右の銘に・・・
《完》
参考文献:
※1:「ユダヤ5000年の知恵」ラビ・M・トケイヤー著加瀬英明訳
※2:新十八史略2「戦国群雄の巻」河出書房新社村松暎他
※3:「ジュール・ヴェルヌの世紀―科学・冒険・“驚異の旅”」
東洋書林ジャン=ポールドキス(監修),
Jean‐PaulDekiss(原著),PhilippedelaCotardi`ere(原著),
私市保彦(翻訳),新島進(翻訳),石橋正孝(翻訳),フィリップ・ド・ラコタルディエール
by R.B