2012年人類滅亡説(5)~ツォルキン暦と占い~
■試験管文明
2万年前、地球は氷河期の極みにあった。気温は今より15℃も低く、水分は氷に閉じこめられ、巨大な氷床となって陸地をおおっていた。そのため、雨は降らず、海面の水位は著しく下がった。ユーラシア大陸とアメリカ大陸を結ぶベーリング海峡が陸続きだったのはそのためである。
1万4000年前、シベリアを旅立った人類の一団がいた。彼らは、”陸続き”のベーリング海峡をわたり、アメリカ大陸に進出した。それから4000年経って、氷河期がおわると、今度は海面が上昇し、ベーリング海峡は文字通り”海”となった。結果、南北アメリカ大陸は他の大陸から分断された。
地理的に孤立すれば、生態系も人間社会も孤立する。言わば、ガラパゴス化。その結果、何が起こったか?
孤立した生態系は、純粋培養された試験管世界、外部からの免疫が一切なくなる。実際、16世紀にスペイン人が持ち込んだ「はしか」程度の疫病で、アメリカ先住民はバタバタ死んでいった。犠牲者は全人口の2/3、ほぼ壊滅である(カリブ海のアンティル諸島は全滅)。
また、人間社会が孤立すれば、文明もガラパゴス化する。その結果、生まれたのが、地球のオンリーワン「暦(こよみ)」だった。
このユニークな暦は、アステカ・マヤ・インカで、16世紀まで使われたが、その起源は古く、メソアメリカの祖「オルメカ」までさかのぼる。それを暦として体系化し、「滅亡の予言」をほのめかしたのがマヤ文明、それを真に受けて、「滅亡を先送りにする生贄」に精を出したのがアステカ帝国だった。
■失われた文明
19世紀、ユカタン半島のジャングルの中に、奇妙な遺跡が発見された。神殿の石碑に「暦」らしきものが刻まれていたが、詳細は不明だった。19世紀末、アメリカの新聞記者ジョン グッドマンがこの謎にとりくみ、その後、驚くべき事実が判明する。石碑に刻まれた暦は、太陰暦でも太陽暦でもない「未知の暦」だったのである。
この「マヤ暦」の発見は、自分たちが一番と思いこんでいた欧米人に大きな衝撃を与えた。精緻で複雑な暦が、異境の地で発見されたからである。現在、マヤ暦は石板の他に書物でも見つかっている。石板は保存力は最強だが、記すのに手間がかかる。そのぶん、情報量は少ない。一方、書物は情報量は多いが、保存力に問題がある。実際、マヤの書物はほとんど残っていない。経年変化で、朽ち果てた?いや、マヤを征服したスペイン人が焼き払ったから。
なぜか?
「敬虔なカトリック教徒」スペイン人にとって、先住民の書は、人を惑わす「悪魔の書」だったから。意味がわからん!? いや、そうでもない。この手の話は歴史上枚挙にいとまがないのだから。中でも最大の悲劇は、アレクサンドリア図書館の喪失だろう。
アレクサンドリア図書館は、紀元前300年頃、古代エジプトのアレクサンドリアに建てられた古代世界最大、最高の大図書館だった。蔵書はおよそ70万巻。じつは、その中に、アトランティス文明に関する書物もあった可能性がある(もしそうなら、なんという損失)。
ところが ・・・
紀元前47年、ローマのカエサルが侵攻したとき、戦火にまきこまれ、アレクサンドリア図書館は消失する。さらに、391年には、キリスト教徒がアレクサンドリア図書館を異教徒の集会所と見なし、破壊した。そして、13世紀、今度はイスラム教徒によって完全に破壊される。イスラム軍がアレクサンドリアに侵攻した時、カリフのオマールは司令官アムル・イブン・アラースにこう指示したという。
「もし、図書館の書物の内容がコーランと同じなら、コーランがあれば事足りる。もし、コーランの内容に反するなら、不要」
こうして、アレクサンドリア図書館の書物は半年かけて燃やし尽くされた。
話をマヤの書物にもどそう。そんなこんなの宗教上の理由で、コロンブスのアメリカ大陸発見以前の書物は50点ほどしか残っていない。そのうち、4点がマヤの絵文書で、中でも重要なのが「ドレスデン絵文書」だ(ドイツのドレスデン図書館にあったのでこの名がついた)。
「ドレスデン絵文書」には、占いと天体の記述があり、太陽・月・金星の運行表が記されている。
金星の運行表?太陽と月はたぶん暦を作るため、では、金星は何のため?
本来、暦とは「連続した時間の流れ」を便宜的に、「年・月・日」で分割する方法である。「時間」なんてあるかどうかわからんぞ、というツッコミもあるだろうが、ここでは言及しない。問題は、どうやって「時間の流れ」を分割するか?
太陰暦なら月の満ち欠け、太陽暦なら太陽の運行をもとに、年・月・日を分割する。だから、月と太陽の運行は暦には欠かせない。ところが、金星の運行は、「地球の公転周期=1年=季節」と関係ない。だから、暦にはゼンゼン役に立たない(直接的には)。
ではなぜ、マヤ人は金星に執着したのか?
マヤ人は金星から来たエイリアンだから(マヤ人金星人説) ・・・ はさておき、マヤ暦の謎をもう一つ。地球文明の暦の定番、太陰暦・太陽暦・グレゴリオ暦は、暦が1つしかない(あたりまえ)。つまり、日付は「年・月・日」の3つのパラメータで表され、他に表現方法はないのだ。
ところが ・・・
マヤ暦は、日付を表す方法、つまり、暦が複数存在する!
このマルチ暦の中で、特に重要なのが、「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」で、メソアメリカの暦のデファクトスタンダードになっている。ということで、まずは「ツォルキン暦」からみていこう。
■ツォルキン暦
ツォルキン暦の周期は260日である。周期が30日なら月の満ち欠け、365日なら地球の公転周期(1年)。では、260日は何の周期?
金星の公転周期? ・・・ やはり、マヤ人は金星人!
残念!金星の公転周期は224日である。それに、マヤの先住民はスペイン人と混血し、今も暮らしているが、彼らを見るかぎり、どうみても地球人。だいたい、種が違えば、染色体の数も違うはずだし、子供が生まれるわけがない(まぁ、ムキになる話でもないのだが)。
それに、百歩譲って、公転周期260日の星があるとして ・・・ 一体、どこにあるのだ?
生命が誕生し、進化するには、”ほど良い”熱エネルギーが必要だ。恒星にあまり近いと燃え尽きるし、遠すぎると凍てつく。というわけで、恒星からほどよい距離の惑星ということになる。とはいえ、惑星が属する恒星が地球からあまり遠いと、移住者が地球に着く前に寿命が尽きる。
では、地球から一番近い恒星は? アルファ・ケンタウリ。
アルファ・ケンタウリは、昭和のTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」でロビンソン一家がが目指した星だ(ドラマの中では「アルファ セントリー星」)。ところが、その一番近いアルファ・ケンタウリでさえ地球から数光年。つまり、宇宙最速の光でも数年かかるわけだ。ということで、マヤ人の故郷は太陽系と考えるのが無難だ(マヤ人がエイリアンだったらの話だが)。
では、太陽系で公転周期が260日の惑星ってある?
ない!
一般論として、惑星は太陽から離れるほど、公転周期が長くなる。地球の公転周期は365日、金星は224日なので、260日の惑星があるとすれば、地球と金星の間。ところが、地球と金星の間に、惑星はない ・・・
「透明の惑星」も考えられないわけではないが、太陽系の重力バランスから考えて、ほぼありえない。まぁ、真に受ける方がおかしいのだが、一応、説明しておかないと。
ツォルキン暦に話をもどそう。ツォルキン暦は1~13の「数字」と、20個の「日の名前」の組み合わせで、日付が決まる。
まずは、「日の名前」 ・・・
つぎに、日付の決め方。
現在使われているグレゴリオ暦は、日が1つづつカウントアップしていき、「28 or 29 or 30 or 31」になると、月が1つカウントアップする。
一方、ツォルキン暦は、「数字」が1つづつカウントアップし、「13」になると、「日の名前」が1つカウントアップする ・・・ わけではない。「数字」と「日の名前」が同時にカウントアップし、日付は「数字+日の名前」で表されるのだ。
具体的に、日付を記してみよう。
第1日:1イミシュ
第2日:2イク
第3日:3アクバル
・・・
第13日:13ペン(ここで「数字」が一巡)
第14日:1イシュ
・・・
第20日:7アハウ(ここで「日の名前」が一巡)
第21日:8イミシュ
・・・
第259日:12カワク
第260日:13アハウ(ツォルキン暦が一巡)
「数字」と「日の名前」が独立してカウントアップしているのがわかる。では、日付が「1イミシュ」から始まって、再び「1イミシュ」にもどるまでに何日かかるのか?
「数字」は13個、「日の名前」は20個なので、その最小公倍数を求めればいい。
まず、「13」と「20」を素因数分解すると、
13=13
20=2×2×5
よって、
最小公倍数=13×2×2×5=260
つまり、ツォルキン暦の周期「260日」と一致する(一致しないとおかしいのだが)。
ところで、ツォルキン暦は、なぜこんなややこしいのだ?
たとえば、「グレゴリオ暦」式では、
第1日:1イミシュ
第2日:2イミシュ
・・・
第13日:13イミシュ
第14日:1イク(「数字」が一巡して初めて「日の名前」が更新)
・・・
こっちの方が、ずっとわかりやすいのに、なぜ?
たぶん、占いのため。
マヤでは、誕生日が人の性格や運命を決定すると信じられていた。そのため、日付を人名としてつけることもあったという。「日付」が特別の意味をもっていたわけだ。ところが、「数字」を1~13まで数えて、「日の名前」を更新する方法では、「日付」は「日の名前」を上の桁、「数字」を下の桁とする連続数字にすぎない。つまり、要素は2つあるのに、「数字+日の名前」で一つの意味しかもたせることができない。
ところが、ツォルキン暦では、「数字」と「日の名前」を独立して運用するので、2つの意味を持たせることができる。その分、複雑になり、性格や運命を占うには都合がよい。ただ、そういう学説があるわけではない(天上天下唯我独説)。
ツォルキン暦には、もう一つ謎がある。なぜ、13(数字)×20(日の名前)なのか?マヤの計数は20進法だから等々、諸説があるが、はっきりしない。
ところで、マヤの文書はほとんど残っていないと言いながら、けっこう分かっている?じつは、マヤの情報は少ないのだが、アステ力の情報はたくさん残っている。それに、アステカの暦はマヤ暦のコピペなので、アステカの情報からマヤを類推できるのだ。
たとえば ・・・
アステ力の暦「トナルポワリ」は、マヤのツォルキン暦のコピーで、占いに使われたことがわかっている。アステカ人は、何かする前に、その日が吉か凶かを「日の守り人」に占ってもらったという。というわけで、ツォルキン暦も占いに使われたはず、というわけだ。
ちなみに、現在確認されている最古のツォルキン暦は、紀元前500年頃のオルメカ。つまり、ツォルキン暦はメソアメリカ文明の創設期から存在したことになる。
■ハアブ暦
ハアブ暦は、マヤ暦において、ツォルキン暦と双璧をなす暦だ。ツォルキン暦の目的が「占い」なら、ハアブ暦の目的は「季節」だろう。つまり、マヤ版「太陽暦」。実際、ハアブ暦は、1ヶ月が20日で、18ヶ月を1周期とするので、
20日×18ヶ月=360日周期
1年360日?5日足りない ・・・ そこで、「1ヶ月=5日」の例外的な月をもうけて、365日周期とした。
整理すると、
ハアブ暦=20日×18個の月+5日×1個の月=365日
最後の5日しかない月が「ワイエブ」で、「不吉な5日間」とよばれた。
つぎに、ハアブ暦の日付だが、0~19の「数字」と、19個の「月の名前」の組み合わせで、決められる。まずは、月の名前 ・・・
つぎに、日付の決め方。
ツォルキン暦と違って、「数字」が「0」から始まり「19」になると、「月の名前」が初めて更新される。
具体的には、
第1日:0ボブ
第2日:1ボブ
第3日:2ボブ
・・・
第20日:19ボブ(「数字」が一巡)
第21日:0ウオ(「月の名前」が更新)
第22日:1ウオ
・・・
第360日:19クムク
第361日:0ワイエブ(「不吉な5日間」の始まり)
第362日:1ワイエブ
第363日:2ワイエブ
第364日:3ワイエブ
第365日:4ワイエブ(ハアブ暦が一巡)
グレゴリオ暦の月と日の関係に似ている。ところが、1ヶ月の長さが違う。ふつう、1ヶ月は月の満ち欠けなので、29.5日(太陰暦)。ではなぜ、ハアブ暦は20日なのか?
マヤ人は、月(衛星)の周期が20日の惑星から来た ・・・ はさておき、マヤの計数法「20進数」からきている可能性が高い。とはいえ、「ワイエブ月」で、ムリに365日に近づけようとしたのだから、太陽暦(季節)を意識したことは間違いない。
ところが ・・・
1年365日でも誤差が生じる。現実の1年(1太陽年)は「365.2422・・・日」なので、500年経てば、
500×0.2422=121日
4ヶ月も誤差が生じる。現実は「3月」なのに、暦の上では「7月」!?
「おー、夏なのに雪が降ってるぞ」
ではシャレにならないので、誤差を修正する必要がある。そこで、太陰太陽暦では「うるう月」で、太陽暦・グレゴリオ暦では「うるう年」で、誤差を修正している。
ところが ・・・
マヤ暦には、「うるう月」も「うるう年」もない!
誤差に気づかなかった?それはないだろう。マヤ人は、数学と天文学に非常に秀でた種族だった。そもそも、太陽と月よりずっと複雑な火星や金星の運行表まで作っていたのだから。それに、誤差を知っていた決定的な証拠もある。マヤ人は、ハアブを「不正確な1年」とよんでいたからだ。では、マヤ人はどうやって誤差を修正したのか?
金星の運行で誤差を修正した ・・・ マジか!
■金星
「うるう年」も「うるう月」もないハアブ暦に、暦としての意味を与えたのは、「金星の運行」だった。では、地球から見て、金星はどんな動きをするのだろう?
金星は、「宵(よい)の明星」として輝いた後、約2週間見えなくなる(太陽の手前に入るため)。つぎに、「明けの明星」として昇り、13週間見えなくなる(太陽の背後に入るため)。その後、再び「宵の明星」として現れる。これが、地球から観測した金星の「会合周期」だ。
「会合周期」とは、地球(観測点)と太陽(公転の中心)と惑星(観測する星)が、ある位置関係になってから、再びその位置関係に戻るまでの期間をさす。金星の場合、平均で「583.92日」。
ここで、8太陽年(実際の8年)でみると、
365.2422×8年=2921.9376=583.92日×5.004003288
金星の会合周期が5回くることがわかる。
実際、マヤ人は、金星の会合周期を「584日」として運用した。この場合、
8ハアブ=8×365日=2920日=5×584日=5金星会合周期
ピッタシ割り切れる(割り切れるようにしたのだが)。
ここで、整理すると、
・8太陽年(実際の8年)で、ハアブ暦と金星会合周期は同期する。
・8太陽年は、ハアブ暦で8周期、金星会合周期で5周期に相当する。
・8太陽年で、ハアブ暦をリセットすれば、太陽年との誤差は修正できる。
つまり ・・・
太陰暦・太陽暦・グレゴリオ暦は、誤差をその暦の中で修正するが、マヤ暦は、金星の運行という別のシステムで修正したのである。聞けば、ふーんだが、これこそコロンブスの卵。
では、具体的にどうやったのか?
マヤ暦をコピーしたアステカ人は、
104ハアブ=104×365日=37960日=65×584日=65金星会合周期
を「ウエウエティリストリ」とよび、その区切りで、暦を調整したのである(期間が長いほど精度は上がる)。一方、この周期をマヤ人がどうよんでいたか分からない。そこで、マヤ暦では、便宜的に「金星ラウンド」とよんでいる。
■カレンダーラウンド
さて、ここで、「ツォルキン暦&ハアブ暦」を総括しよう。
ツォルキン暦の「数字」と「日の名前」は、それぞれ、毎日カウントアップされる。一方、ハアブ暦は、「数字」と「月の名前」がセットで、カウントアップされる。これを、「1日1歯」の歯車であらわすと ・・・
3つの歯車が、それぞれ、毎日1歯づつ回転して、時を刻んでいく ・・・ そして、この3つの歯車の歯の組み合わせで、日付が決まるのである。ところで、この日付が一巡するのは?
ツォルキン暦の周期260日と、ハアブ暦の周期365日の最小公倍数を求めればよい。
まずは、素因数分解 ・・・
260=5×13×2×2
365=5×73
よって、
最小公倍数=5×13×2×2×73=18980
つまり、
「ツォルキン暦&ハアブ暦」の周期=18980日
この周期を、ハアブとツォルキンで表すと、
18980=365×52=260×73=52ハアブ=73ツォルキン=約52年
この周期は「カレンダーラウンド」とよばれ、マヤでは非常に重要視された。その理由は?
古代マヤ人は、複数の暦からなる精緻な「マヤ暦」をつくりあげたが、後古典期(900~1521年)以降、一部の暦しか使われなくなる。その一つが、「ツォルキン暦&ハアブ暦」だった。また、アステカ人は、マヤ暦をコピーしたが、実際に使ったのは、ツォルキン暦とハアブ暦だけだった。
というわけで、「ツォルキン暦&ハアブ暦(カレンダーラウンド)」は、メソアメリカの暦のデファクトスタンダードだったのである。
ところが、「ツォルキン暦&ハアブ暦」だけでは、季節を正確に表すことができない。おそらく、暦本来の目的は「占い・宗教儀式」だった ・・・ その証拠もある。
アステカ人は、前述した18980日周期のカレンダーラウンドを「シウモルビリ(年の火の包み)」とよんで、非常に重要視した。シウモルビリが終わると、世界も一度終わると考えたのである。そして、その日、恐ろしい儀式が行われた ・・・
シウモルビリの最後の夜、アステカの首都ティノチティトラン、住民はすべての火を消して、「星の丘」に集まる。日没とともに、神官が星の丘にのぼり、生贄の儀式がはじまる。神官は黒曜石のナイフで、生贄の胸を切り裂き、まだ動いている心臓を取りだす。それから、空になった胸の中で新しい火をおこす。火は、松明に移し分けられ、神殿に運ばれ、火がともされる。住民は、その火を持ち帰り、かまどに入れる。そして、新しいシウモルビリを祝う宴(うたげ)が始まるのだ ・・・
この儀式は、テオティワカン、マヤでも行われたらしい。文明のルール「所変われば品変わる」を考慮しても、人間は残酷で不吉な生き物である。
参考文献:
「マヤの予言」エイドリアン・ギルバート/モーリス・コットレル共著 田中真知訳 凱風社
「5万年前」ニコラス ウェイド著、安田 喜憲監修、沼尻 由起子訳 イースト・プレス
「古代マヤの暦」ジェフ・ストレイ著 駒田曜訳 創元社
by R.B