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週刊スモールトーク (第152話) スカイキャプテン(1)~極上の電脳紙芝居~

カテゴリ : 娯楽

2011.02.13

スカイキャプテン(1)~極上の電脳紙芝居~

■サクセス・ストーリー

14才から映画を作り始め、大学でも映画を専攻し、卒業後、自分の映画を作ろうと、資金調達したところ・・・500万円も集まらなかった。さて、どうしたものか?若き日の映画監督ケリー・コンランの悩み。

この問題は、なにも映画制作に限った話ではない。ゲームを作るにも、会社を興すにも、ラーメン屋を始めるにも、資金調達はつきものだ。イヤな思いをして、親戚や友達に頭を下げたり、投資家を頼って、結局だまされたり。公的機関から500万円を引き出すために、企画書やら経営計画書に忙殺され、仕事どころではなくなったり・・・夢に挑戦するのは本当に難しい。ましてや、成功に至るのはどれほどの確率だろう。

アップル(Apple)、マイクロソフト(Microsoft)、グーグル(Google)は、そんな数少ない成功例かもしれない。やっぱり、サクセスストーリーは米国・・・じつは、そうでもない。

今から30年ほど前、コンピュータといえば大型コンピュータ、そして世界市場の60%を支配したのが米国IBMだった。地球上で稼働するコンピュータの10台のうち6台がIBM製。こんなあからさまな独占は、歴史的にみても珍しい。ところが、1980年代、
大型コンピュータ→パソコン
という革命が起こった。戦う土俵が変わったのである。

巨人IBMはこの変化に対応できず没落した、という世間の風評と異なり、この時のIBMの対応は迅速だった。たった、1年で「IBMPC」を完成させ、デファクト・スタンダード(事実上の標準)に仕立て上げたのである。勝因は2つあった。

第1に、それまでのIBMのルール”内製”を捨て、部品もOSも外部から調達したこと。その1番の恩恵にあずかったのがマイクロソフトだった。オタクからタダ同然でせしめたOSを改良し、「IBMPC」の標準OSに仕立て上げたのである。もちろん、その名も「MS-DOS(MicrosoftDiskOperatingSystem)」。もっとも、被害者に見えるこのオタクも、ゲイリー・キルドールが書いた「CP/M」をパクッただけ。まったくヒドイ話だ。

第2に、仕様を公開し、誰でも「IBMPC」を製造できるようにしたこと。結果、「IBMPC」の”クローンメーカー”が雨後のたけのこのように生まれ、IBMPCが市場を席巻した。

こうして、パソコンの時代になっても、IBMの独占が続くかと思われた。しかし、勝利したのは「IBMPC」で、「IBM」ではなかった。その後、PCの派遣争いは熾烈を極め、合従連衡の末、HP、DELL、台湾のAcerの3社が激しく争っている(2011年現在)。この間に消えていったPCメーカーは数知れない。

ソフトウェアの世界もしかり。表計算ソフト「Lotus1-2-3」の大成功で、一時はマイクロソフトをしのいだロータス社も、IBMに吸収されてしまった。もちろん、その後釜はマイクロソフトの「エクセル(Excel)」。まったくヒドイ話だ。

つまり、パソコン革命が興って30年、今も存続しているのはアップルとマイクロソフトぐらい。米国と言えども、ベンチャー企業が当たる確率は”宝くじ”並みなのである。

そんなことは重々承知だから、日本のベンチャー企業は大物を狙わない。知人や友人のソフト会社をみても、社員は10~30人、受託開発をうたうが実体は派遣、これが現実。ましてや、
「新しい価値を生みだし、世に問う」
なんて大上段にかまえる経営者はほとんどいない

近年では、ライブドア事件の堀江貴文氏(ホリエモン)ぐらい?ところが、そんな彼も今は被告人の身。彼の人生を見ていると、リクルート事件で破綻した江副浩正氏を思い出す。

この2人の共通点は、

・才能に恵まれ、ビジョンもあった。

・大きな雇用を生みだし、国に貢献した。

・最後は、社会の階段を転げ落ちた。

「善人でいたければ、何もしないこと」・・・そんな声が聞こえてくる。

■米国映画

映画にしろ、ドラマにしろ、面白いのは、やはり米国モノ。地球普遍の”泣き笑い”を突いているからだ。つまり、初めから世界を狙っている。ヨーロッパの映画も悪くはないが、自慢の文化の臭いがプンプンするし、斜に構えたところが気に入らない。言ってしまえば、ローカル。同じローカルなら日本の方がいい。

それに、”洗練度”では、米国モノは他を圧倒する。つまり、アカ抜けている。最近、米国TVドラマ「フリンジ」の第2シーズンがリリースされた。第1シーズン同様、みごとにアカ抜けている。この手のSFは、”アカ抜け”過ぎると、無味無臭でつまらなくなる。ところが、フリンジにはそれがない。洗練されて、しかも、面白いのだ。もっとも、「フリンジ」の制作費は半端じゃないが。

とはいえ、米国でも、本当に面白い映画やドラマはまれ。

たいていは、

・まぁ~、こんなもんやろ。

・映像は綺麗だったかも。

・脇役の演技が良かったような。

・カネ返せ!

など、たいていは、二度見る気はしないものだ。

ところが・・・

つまらないわけではないが、特に面白くもない、何が気になるのか分からないが、続けて3回観た映画がある。それが冒頭のケリー・コンラン監督の「スカイキャプテン/ワールド・オブ・トゥモロー:Sky Captain and the World of Tomorrow」。なんとも不思議な魅力をもつ映画である。

■スカイキャプテンの世界観

「スカイキャプテン」は、ノスタルジーなSF映画だ。舞台は1930年後半、現実ではない”もう1つの明日の世界”を描いている。映像は実写だが、レトロな淡い色調で、アニメっぽくて、どこか懐かしい。映像全体が加工されているのだ。ということで、「スカイキャプテン」を一言で言えば、レトロ・フューチャーなSF冒険活劇

「スカイキャプテン」を観ていると、1960年代、「少年マガジン」で一世を風靡した大伴昌司を思い出す。彼は、ロボット、怪獣、秘密基地、超兵器などSFガジェット(小物)をホンモノのように図解してみせた。子供心にインチキだと分かっているのに、なぜかドキドキした。田舎のSF少年にとって、これに優る興奮はない。

じつは、米国にも「少年マガジン」と似たテイストの雑誌があった。1950年代に一世を風靡した「SFパルプ雑誌(pulp magazine)」である。

たとえば・・・

眉間にしわをよせたマッド・サイエンティスト(頭のおかしな科学者)が、煮えたぎる溶鉱炉の中から、女性の裸体を取り出そうとしている。彼は、火の中から”人間”を創造したのだ(たぶんイヴ)・・・というような話が、インチキっぽいイラストとともに解説されていた。もっとも、この時代、SFといえば、荒唐無稽な”三文小説”と相場は決まっていた。SFが世間に認知されたのは映画「スター・ウォーズ」以降のことである。作家の筒井康隆のご高説によれば、
士農工商、SF作家
なのだそうな。

ところが、少年時代、そんな怪しい「SFパルプ雑誌」になぜか魅せられた。「少年マガジン&大伴昌司」と同じ臭いがしたからだろう。そして、その臭いが「スカイキャプテン」にもするのだ。

ということで、「スカイキャプテン」には、レトロ・フューチャーなSF冒険活劇に、インチキなSFパルプ雑誌も加えよう。これじゃ、褒めているのか、けなしているのか分からないが・・・おっと、あともう1つ、「スチームパンク」も追加しよう。

ところで、スカイキャプテンのスチームパンクは、オーソドックス系、

・超高層ビルの最上階に係留される巨大飛行船

・都市を破壊する巨大鋼鉄ロボット

・ビルの谷間を鳥のように飛翔し、潜水も可能な戦闘機

羽ばたき式の無人戦闘機

・鋼鉄も溶かすポータブル光線銃

・空中に浮遊する巨大空母

などなど、スペックは一応ハイテクで、

・巨大飛行船は、ドイツのツェッペリン飛行船まんまだし、

・巨大鋼鉄ロボットは、リベットむき出しのブリキのオモチャみたいし、

・水空両用の戦闘機は、第二次大戦中のカーチスP40だし、

・空飛ぶ巨大空母はプロペラ駆動。

つまり、スペックはすごいが、見た目は”クラシック”。ん~、オーソドックスなスチームパンクである。

結局のところ、「スカイキャプテン」は、1950~1960年頃、少年だったおじさんたちが懐かしむ映画なのだ。いや、映画というより、どちらかというと「紙芝居」。そう、「月光仮面」や「黄金バット」の世界・・・実際見たわけではないのに、懐かしく感じるのはなぜだろう。

一方、映画としてみた時、「スカイキャプテン」はパッとしない。主役のジョンとポリーの演技はぬるいし、ストーリーもイマイチ。ところが、そういう”ぬるさ”がこの映画には合っている。基本、”レトロ(懐古主義)”だし、”パルプ(くだらない)”なのだから。

「スカイキャプテン」は見終わった後、あ~面白かった、ゼンゼンつまんね~、で片付ける類(たぐい)ではないと思う。つまり、観た後に熱く語る映画・・・さて、マニア&オタクの出番だ。

たとえば、「スカイキャプテン」は「ブレードランナー」に似ていると言う人もいる。「ブレードランナー」は小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をリドリー・スコット監督が映画化したものだ。たしかに、レトロだし、スチームパンクの臭いもする。だが、「スカイキャプテン」は「ブレードランナー」ほど虚無的・退廃的ではない。とはいえ、コンラン監督が憧れた「インディー・ジョーンズ」のように天真爛漫で、イケイケというわけでもない。

また、超高層ビルに係留された巨大飛行船をみて、フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」を思いおこす人もいるかもしれない。ハイテクだがクラシック、そしてスケールが大きいのが共通点だ。だが、「メトロポリス」にあって、「スカイキャプテン」にないものがある。映像の背後から伝わってくる何か、心に響く”詩”のようなもの。それが「メトロポリス」をカリスマに押し上げたのである。そう考えると、フリッツ・ラングは確かに天才だ。

というわけで、スカイキャプテンは何もかも中途半端

・巨大スケールを狙ったのに、「メトロポリス」にはかなわない。

・血湧き肉躍る冒険活劇を狙ったのに、「インディジョーンズ」にはおよばない。

・スチームパンクを狙ったのに、PCゲーム「ガジェット」のはるか下。

・役者は有名どころをそろえたのに、演技がぬるくて、インパクトなし。

そう、確かにみんな中途半端。ところが、なぜか、しっくりくる。たぶん、これが続けて3回観た理由だろう。

光が波と粒子の性質をもつように、「スカイキャプテン」にも映画と紙芝居の2つの顔がある。だから、「スカイキャプテン」は映画としては中途半端なのに、どこか気になるのだ。つまり、「スカイキャプテン」は紙芝居としてみれば極上品?

■スカイキャプテンのストーリー

「スカイキャプテン」のストーリーは、極上の紙芝居にふさわしい。ハラハラ・ドキドキはないし、ドンデン返しもないが、カットにムダがない。しかも、展開はサクサク、つまり、ストーリーの効率がいいのだ。紙芝居には欠かせない条件である。

さて、そのストーリーだが・・・

映画が始まると、巨大飛行船がニューヨークの摩天楼を滑空する。「レトロ・フューチャー」ファンにはたまらない。その飛行船の中で第1の事件が起こる。乗船していた科学者が行方不明になったのである。その後も、科学者の失踪が相次ぎ、それを嗅ぎつけた美人記者ポリー(グウィネス・パルトロー)が事件を追う。

そんな矢先、巨大鋼鉄ロボットの兵団がニューヨークを襲う。そこで、スカイキャプテン登場!彼の名はジョー・サリバン(ジュード・ロウ)、傭兵部隊のエースパイロットだ。愛機をたくみに操り、あっという間に、ロボット兵団を追い払う。戦闘機1機で、一体どうやって?という無粋なツッコミはタブー。それが、この手のエンターのマナーだ。

そのとき、ポリーは、鋼鉄ロボットに踏みつぶされそうになるが、間一髪、難を逃れる。その後、ジョーがいる傭兵基地へ。自分が追う科学者失踪事件に、ジョーを巻き込むために。傭兵基地には、もう一人頼りになる仲間がいた。天才技術者のデックス(ジョバンニ・リビシ)だ。彼は潜水可能な戦闘機や、鉄をも溶かす光線銃を発明した。

ところで、デックス役のジョヴァンニ・リビシ、なつかしい役者だ。15年前、TVドラマ「Xファイル」の第52話で、雷を操る青年役で出ていた。あの頃は、ピチピチの青年だったのに、今ではタダのおっさん。時が経つのは早いものだ。

話をもどそう。ジョーとポリーは、巨大ロボット兵団のニューヨーク襲撃と、一連の科学者誘拐事件を結びつける。その結点が、天才科学者トーテンコープだった。そこで、ジョーとポリーはトーテンコープ捜索の旅に出る。ジョーの愛機を駆って、ニューヨーク、チベット、シャングリラ、そしてトーテンコープの秘密基地へ。そこで彼らが見たものは・・・

「スカイキャプテン」は、レトロ・フューチャーで、SFパルプ誌風で、スチームパンクの臭いのする「インディー・ジョーンズ」ライクな大冒険活劇だ(口がもつれそう)。しかも、脚本、映像、キャスト、どれをとってもチープなところはない。

ではなぜ、「インディー・ジョーンズ」になれなかったのか?冒険活劇に欠かせないハラハラドキドキがなかったから・・・ところが、そこを極めると、「レトロ・フューチャー」の懐かしさも、「スチームパンク」の重厚さも消える。

ではなぜ、「メトロポリス」になれなかったのか?カリスマに必要な”詩”がなかったから・・・ところが、そこを極めると、「紙芝居」ではなくなる。

さて、ようやく、スカイキャプテンの正体が見えてきた・・・

スカイキャプテンは映画の名を借りた「電脳紙芝居」なのだ。もちろん、紙芝居の肩書きでは歴史に名は残せない。とはいえ、史上初の本格的な電脳紙芝居であることは確か。しかも、出自は由緒正しいハリウッド。というわけで、スキ間産業的ではあるが、スカイキャプテンは後世に語り継ぐべき作品なのである。

《つづく》

by R.B

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